第51話 急転(下)
「なにをしているの?」
ロールの耳に、聞きなれた少女の声が届いた。救援ならばよかったのにと思うが、残念ながら一人だけのようだ。むしろ、少女のほうが危ない。
「子どもがくるような場所じゃないぞ」案の定、ニールンが凄んだ。
「答えになっていないわ」少女は鼻で笑った。「全員きれいな顔だけど、頭が悪いのね」
少女、エリサ・ゼンデン。いまの公式な身分は、上王リアナの客人でしかない。だが、その身体を構成する要素のすべては、あの『魔王』『双竜王』とおそれられた伝説の竜王なのだ。
(それに、たとえそうでなくとも――子どもだ。竜騎手が守るべき存在だ)
どうやら、彼らは少女たちのことを知らないらしかった。城内勤めなら、なんらか耳に入っていてもおかしくないのだが……おそらく、単に眼中にないのだろう。
シディウスも加勢する。「おい。竜騎手への侮蔑が許されると思っているのか? 子どもだからと……」
「や、やめろ」
ロールはあわてて制止した。「彼女を放っておいてくれ」
「こんなときに余裕ぶるなよ、腹立たしい」
腹を蹴られて、ロールはうめいた。
「なんだ、この子どもは? ずいぶん大きい〈呼ばい〉だな……」
ニールンのいぶかしむような声が、頭上から聞こえた。
「ロールを傷つけたの?」
少女の言葉が脳に届いた瞬間、神経がちりっと焼かれるような感覚がした。
「エリサ」
痛みでつぶれた声で、ロールは少女の名前を呼んだ。「私は大丈夫だから……」
だが、少女は動きをやめなかった。
「イェスズ」
エリサは竜の名をとなえていった。「アースラ、ウエゴ」
それが、古竜の支配権をうばったことを意味することにロールが気づいたときには、もう事がはじまっていた。
ぼっ、という軽い音は、黒竜の竜騎手なら誰でも耳になじんでいる。われわれは――ロールも、そしてこの場にいる三人のライダーも――
(そして――竜王エリサは黒竜と白竜、どちらも使役することができた)
痛みをこらえて顔をあげると、ゆらめく炎がエリサの周囲に渦巻いていた。空中に指先をはしらせると、縄状になった炎が出現する。かなり高度に制御しなければ、あのような形状にはならないはずだ。
(あの形――北部でも見た)
ロールが思ったのは一瞬だけのことで、次の瞬間には、蛇のようになめらかに動く炎がライダーたちを襲った。
「うわあっ」
「火が! 消してくれ!」
「俺の竜が!」
「竜を奪われた!!」
くちぐちに叫びながら、ある者は炎を消すために地面を転げまわり、別のライダーは
「自分の竜の炎で焼かれるのは、どういう気持ち?」エリサがはずんだ声をあげた。
「エリサ、やめろ!」ロールは地面に倒れたまま、自身も煙で
「どうして? いま力を戻したら、やり返されるよ。中途半端じゃ効果がない」
あたりに充満しつつある煙のせいで、少女の表情はよく見えなかった。竜術の使用のために大きな目だけがらんらんと輝いて、異様な形相になっている。
「これじゃあ、竜たちも炎で怯えてしまうんだ。エリサ、頼む……!」
しびれを切らすほど長い沈黙があり、(また失敗したのか)とおのれを呪いかけたところで、
「……わかった」
そう声が聞こえて、ロールは心底からほっとした。
騒ぎを感知してハダルクらが駆けつけたときには、すでにロールが火を消し、延焼もなくことが終わっていた。だが、あたりにたちこめる焦げ臭い匂いと、騎手たちのひりつくような恐怖の〈呼ばい〉が、出来事の不穏さを暗につたえていた。
♢♦♢ ――リアナ――
その日は、祭の進行もあって各種の報告はとどこおりがちで、リアナがこの出来事を知ったのは夕食時のことだった。食卓はリアナとエリサの二人きりで、祭の
反省を言いつけられても、エリサはしょげることもなくもくもくと食事を詰めこんでいた。好き嫌いなく、なんでもよく食べる子どもだ。
母のエリサもそうだったのだろうか――リアナは、少女を見ているとよくそう考えてしまう。リアナ自身は偏食がちで、食も細くて困ったと、養父のイニが言っていた。今のところ、二人のあいだに共通点はあまりない。白竜のライダーであることと、スミレ色の目以外には。
「竜の力を制御する方法を、学ばなくちゃね」
そう声をかけると、エリサは即座に「ちゃんと制御できているわ」と答えた。
「だけど、ロールが傷つけられているのを見て、かっとなったんでしょう? 怒りで竜術が制御できなくなるのは、黒竜のライダーにはよくあることよ。あなたは白竜のライダーだけど、黒竜の力も使えるようだから」
「かっとなってやったんじゃないわ。不快だったけど、ちょっとは面白かった」
少女はあっけらかんと言った。「あんなふうに力で組み伏せようとする相手が、もっと強い力におびえているのを見るのは痛快だわ」
「それは……相手がおびえているのが面白いということ?」
リアナが眉をひそめると、エリサは肩をすくめてそれに答えた。
「おびえるのは結果よ。だけど、心が弱い者は、ちょっとおどかすと弱い部分がすぐわかる。それが面白い」
「そう……」
正直に言えば――エリサの言うことがまったくわからないではない。自分も、同じような理屈でチキンゲームを仕掛けたことが何度もあるからだ。今回のことも、けっして単なる弱い者いじめではない。むしろ逆で、暴行されかかっていた竜騎手ロールを助けたのだから、とがめるべきではないのかも。
ただ、こんな形でライダーたちを脅かしてしまうのは、城の秩序の面でも、またエリサ自身のためにもよくない。デイミオンが帰ってきたら、このことを話し合わなければ。
♢♦♢
食事がすんでエリサが部屋に戻ると、手当てを終えたロールが入れかわりに報告にやってきた。
同輩たちに暴行されかかったということだが、さいわい打撲程度ですみ、勤務にはさしさわりないということだった。
加害者たちは懲罰房で一晩過ごすようにとの、グウィナの裁断が下った。甘い処分だが、竜騎手たちのほとんどは大貴族の嫡子なので、どうしても扱いには慎重にならざるを得ないのだ。そのあたりの事情はリアナにもわかっていても、やはり、苦いものが残った。
「いいんです。重い処分は求めていません」と、ロールは言った。陰惨な出来事のわりに、当人はむしろすっきりした顔をしている。
「竜騎手団は、あいかわらずね。わたしが王太子のころから変わっていない」
リアナは失望の表情を浮かべた。
「エリート意識ばかり高くて、異質なものを受けつけない。似た者同士で固まりあって……そこが弱みにもなるというのに」
「異質な者が去るべきなのです。ちょうど、そう考えていたところでした」
ロールはふっきれたような顔で言った。「リアナ陛下の任務が終わったら、そうしようかと思っています」
先日からそう申し出るつもりだったと説明され、リアナは顔を曇らせた。
「だけど、ご両親にはどう説明するの?」
「団にいることだけが名誉ではないと、説得しようと思っています。養父母にはお世話になったので、失望させるのは本意ではないのですが……」
ロールは言いづらそうな顔でつづけた。「それに、おそらく子どもができないことも、伝えなければなりません。私は、跡取り息子として望まれて養子に入ったわけですから……」
「そうね」
リアナは彼のことが心配になった。きまじめなロールは、これまで完璧な竜騎手であろうと努力してきたのだろう。よき竜騎手、よき息子、そしてゆくゆくはよき父にもなるつもりだったに違いない。その目標がなくなってしまって、これから彼は、どうするのだろう……。
やはり、この件は彼に頼んで正解だったかもしれない。リアナはうなずいて言った。「……いいわ、護衛してもらうときにはわたしも時間が取れるから、またゆっくり相談しましょう」
「はい」
報告を終えたロールは退室しようとしたが、ふと尋ねた。「今夜は、デイミオン陛下はご不在なのですか?」
王が夜に城を離れることはまずないので、気になったのだろう。リアナは説明した。
「デイミオンは、トールドルンの家で約束があるの」
ロールは、驚きに目を見開いた。
「それでは、やはり、あの噂は本当だったのですね? 王が第二配偶者を探しておられるという……」
そして、口ごもりながら続けた。「ありえないことだろうと思っていました。ご記憶がないながらも、ずいぶんご夫君らしく献身的でおられたので……」
本当に。そう考えるとリアナはつらい。デイミオンは単に、つがいの相手としてふさわしいふるまいをしているだけかもしれない。あるいは、記憶がないながらも、リアナに愛情を感じつつあるかもしれない。
その両者の違いは、思ったよりも小さく、わかりづらいのだと最近は思う。
「よけいな口をはさみたくありませんが、いいのですか?」ロールが尋ねた。
「いいのよ」
リアナは努力して口の端だけをあげ、なんとか笑みに見えるような顔をつくった。
「記憶が完全じゃない、今のほうがいいの。記憶が戻ったら、デイはきっと行かないから」
「ですが、それはだまし討ちのようなものでは? 本来のご自分と違う行動をとられて……思いだしたときに、陛下がショックを受けられるかもしれません」
そのことはリアナも考えてみた。自分がデイミオンを失望させるかもしれないと考えるのはつらい。
「でも、必要なことなのよ」それが彼女の結論だった。
「お相手は……フラニーですか……」ロールはその点も気になるようだった。幼なじみと言っていたから、周囲の人間関係に思いをはせているのかもしれなかった。
「彼女は、デイミオンの新しい妻になるのよ。わたしは――」
リアナは大きく息をすい、できるだけ力を保とうとした。「わたしは、この夜を乗り越えなければ。フィルバートなしで、今度こそ」
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