9 嵐の夜ふたたび

第49話 もの思うフラニー


 ♢♦♢ ――フランシェスカ――


 フラニーことフランシェスカ・トールドルンは、部屋の前に立って一瞬、ノックをする手をためらった。室内から猛禽もうきんのようなはばたきが聞こえたせいだ。ばさばさという乱雑な音が落ちつくのを待ってから、あらためて扉をたたく。


「入れ」

「失礼します、叔父上」 


 彼女の叔父、南部をおさめるエサル公は、執務室に頬づえをついて座っていた。隣の止まり木に、かれのハヤブサが係留されている。どうやらまた、猛禽の目を借りて王都のどこかへ外出していたらしい。偵察か、それとも内密の話か……。


 今季の成果について尋ねられたので、フラニーは正直に答えた。リアナ王配の北部視察に随行していたので、繁殖期シーズンの行事にはあまり参加できていなかったこと。縁談が来ないので、しかたなく夜会などに出向いていること。

「うむ」

 エサルはうなずいた。「おまえのところに縁談がいっていない理由は、だいたいわかっている。心配するな」


「いえ、それは構わないのですが……」

 異性の訪問がなければ、それだけ竜騎手の職務にける時間が増える。また気持ちの上でもなかなか踏ん切りがつかず、フラニー自身も縁談に乗り気とは言えなかった。

(かなう見込みのない相手と、わかってはいるのだけど……)


 エサルには領主として、領内の竜騎手ライダーたちの縁談を差配する責任がある。しかし叔父は、これまで彼女の縁談に慎重だった。「あまりに若いうちから、繁殖期のつとめをになわせるのはかわいそうだ」というのが、姪に甘いエサルの言い分なのだった。


 ところが、この日のエサルは違った。頬づえから顔を起こし、咳ばらいをしてから、「あー、その」と切りだした。フラニーも思わず身をただす。


「単刀直入に言うがな。例の、デイミオン王の第二配偶者候補だが、おまえで本決まりになりそうだ」


 フラニーは耳を疑った。

「本当ですか」

「リアナ王配の快諾かいだくも得られたし、王からも面談の希望があっている」

「そんな話は……」

おまえの母ブリギットには口止めしていたんだ。ことが事だから、慎重に進めたくてな」


 もちろん、そうなのだろう。ここ一年ほど、王の新しい妻候補についての噂を聞いていたし、自分がリストに挙がっていることは知っていた。驚いたのは、誰がリストのトップにあるかではなく、デイミオン王自身がその気になったという点だった。あの夫婦二人の性格からして、にわかには信じがたい。


「どうした? 驚かせすぎたようだな」

「あ……いいえ、申し訳ありません。本当にびっくりして……叔父上にもずいぶんお骨折りいただいたのではと……」


「そんなことか。気にするな」

 エサルは破顔した。

「最初の相手なのだから、おまえの好きな男が良かろう。うまくいくかはわからんが、ともあれ機会だけでもと思ってな」

「叔父上……」

 フラニーは叔父の優しい心づかいに感激して口ごもった。リアナと結婚する前から、デイミオン・エクハリトスはもっとも縁談の難しい相手として知られている。まして今は、王国の比翼連理ひよくれんりの代名詞のような夫婦である。

「ご配慮に感謝いたします。叔父上のご負担になっていないといいのですが」


「これも領主のつとめだ」

 エサルは椅子から立って歩いてきて、姪の肩に優しく手を回した。「宝飾品やドレスは足りているか? 目録を見て、必要なものがあれば言いなさい。領地から借り出してくるから」


「そんな……まだ気が早いのでは……」

 王配にふさわしい装いを準備してやろうという叔父の意図が伝わって、フラニーは顔を赤らめた。


 ふと思いついて、叔父に尋ねる。「男性にとって、どういうものなのですか? その……二人目の妻というのは」

「うむ」

 エサルは年長者らしい笑みを浮かべた。

「もちろん、最初の妻とのあいだに重ねた時間、つちかった信頼、そういったものを二人目の妻にすぐに求めることはしない。その妻が初婚であれば、できる限り一人目の妻と同じように処遇してやるのが夫のつとめだ」

 フラニーはうなずいた。

 エサルは続ける。「夫を分けあうという苦痛を妻たちに与えるのだから、彼女たちには最大限平等に誠実に相対せねばならん。成熟した男としての力量が問われるものだ」

 フラニーは、今度はためらいながらもうなずいた。デイミオンのことに思いをはせていたのである。エサルも同じらしく、考える顔になった。

「問題は、デイミオン王にその力量がそなわっているかどうかだな。前には、シーズンの途中で女性のもとに通うのをやめたことがあったからなぁ」


「それは……存じています」

 正直に言えば、自分の場合にも同じことが起きるのではと考えずにいられない。エクハリトス家の男は、への執着が強いとよく言われる。二人目三人目の配偶者をなかなか持ちたがらないのだ。


「まあ、案じてもしかたがない。お膳立てはこちらに任せて、おまえは楽しみなさい」

 エサルの言葉に、ようやく、フラニーも微笑んだ。「はい、叔父上。及ばずながら、精進いたします」

「うむ。俺のほうの話はここまでだ。……さて」エサルは笑顔のまま彼女のそばを離れ、扉の方に静かに近づいた。


 エサルがそっと扉を開けると、「わっ」という声とともに男が転がりこんできた。エサル公と同じ色の金髪に、筋骨隆々とした体格。長衣ルクヴァの上半分は袖を通さずに腰まわりにはだけ、下のチュニックが丸見えになっている。

 叔父の顔は見えなかったが、あきれかえっているのはフラニーにも見てとれた。


「このいたずら小僧が。……おまえまで耳年増になってどうする?」

「痛い! エサル、やめろよ、耳を引っぱんな!」

「いいから来い。……なんだその長衣ルクヴァの着方は。裾をずるずるして、だらしがない」

「はーなーせー」

「『おそれながら閣下』『お願いします閣下』だろうが。まったく、口もなっとらん」

 従兄弟同士の二人だが、威厳がまるで違う。エサルがザックを引っぱって行ったようで、扉近くから喧騒けんそうが遠ざかっていった。


 ♢♦♢


 部屋には彼女だけが残された。

 ザックは暑がりで、窮屈な長衣ルクヴァをいつも着崩している。あんなふうにはだけて腰に巻きつけてあるのは、稽古のあとだ。

(叔父様の気配を感じて、稽古途中に来たのかしら)

 そう思うとおかしくて、フラニーは「ふふっ」と笑った。


「筋肉デカ竜が、エサル公に引きずられていったな」

 扉から別の男の声がした。

 すでに開いた扉を形ばかりノックして、サンディが入ってくる。廊下の方を見ながら近づいてきた。そういう本人も、ザックとさほど変わらぬ長身である。


「サンディ。めずらしいわね、あなたがうちに来るなんて」

 王城で毎日会うので、我が家タウンハウスでこの男の姿を見るのは久しぶりだった。「ロールも来てるの?」

 サンディは不機嫌そうに「いいや」と答えた。なにか腹に据えかねることでもあるのか、男性的な黒い眉をぎゅっと寄せて額に皺を作っている。


「今日は騎竜訓練じゃなかったの?」

「気がのらなかったから、抜けてきた」

「まったくもう……竜騎手の責務をなんだと思っているの?」

「フン」

 フラニーのお小言など、この男はまったく意に介さない。それは知っているのだが、友人としていちおう言っておく。


「まだザックに追いかけまわされているのか?」

 サンディは果物籠から小ぶりな桃を選ぶと、机に浅く腰かけた。誰の家でも自室のようにふるまうのが、いかにも傍若無人なサンディらしい。


「昔は、『おまえなんか女じゃない』って感じだったのに。急にくっついてくるんだもの」フラニーはため息をはさんだ。「ザックがああだと、なんだか調子が狂うわ」 

「あいつのことは気にするな。最初の恋愛は、麻疹はしかみたいなものだ。おまえは一番身近な異性だからな」

 サンディは軽く言い、形のいい大きな口をあけて桃をかじった。


「だけど、ザックが傷ついて落ちこんでいるところは見たくないわ。……シーズンの申し込みがあったら、考えるかも」

 正直に言えば、あの幼なじみをそういう相手として考えるのはなかなか難しいのだが……。ただ、むげに断ることはしたくないとは思っていた。


「まわりのことばかり気にしているから、おまえはダメなんだ。黒竜王をリアナ王配から奪う算段を、もっとしっかり立てろ」

 サンディは叱咤激励しったげきれいした。

「あの女は、自分がまだシーズンに参加もしていない年齢で、デイミオン王をほかの姫君から寝取ったんだぞ。しかも同時に、あの〈竜殺しスレイヤーフィル〉も手玉に取っていたというんだから」


「リアナ王配さまを悪く言うのはよしなさいよ」

「別に悪く言っているわけじゃない。感心しているんだ、むしろ彼女を気に入っているくらいだぞ。……おまえにもあれくらいの図々しさが必要だ」

 言いながら桃をさっさと食べ終え、長い指をナプキンでぬぐっている。こんなふうにベッドで扱われるのかと女性に想像させるような、貴公子らしいしぐさだ。サンディは本人が思っているほどデイミオンに似ているわけではないが、こういうちょっとしたしぐさに色気がにじむのは共通しているかもしれない。


 そういえば、この男もエクハリトス家の竜だわと思った。女性をとっかえひっかえしている印象が強いが、運命の女性に出会えば変わるのだろうか。


(女性とは限らないかもしれないわね)

 フラニーの脳裏に、この場にいないもう一人の友人、ロールの顔が浮かんだ。


「さあ、衣装室に行こう。僕が一番趣味のいいドレスを選んでやる」

 サンディの言葉に、フラニーはうなずいた。なにが待ち受けているかはわからないが、準備だけはおこたらないようにしなければ。

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