第47話 籠の鳥の憂鬱なたくらみ

 

「本当だ、残念な人たちがいる」


 ヴィクトリオンたちの警告どおり、それがロールの第一声だった。もちろん、聞こえないように口の中でつぶやくにとどめたが。


 王の居室は、もっとも奥に寝室があって、羽を広げるように夫婦それぞれの衣裳部屋がある。そこからアトリウムを挟み、手前に向かって夫婦兼用の書斎、付き人たちの控室、応接間、さらに来客用の控室となっているのだが――


 かなり広さのある来客用の控室に、ひどく巨大な檻が鎮座ちんざしていた。

 形状からすると檻、ではなくて鳥籠とりかごか。既視感があると思ったら、これは、あれだ。北部領でも見た。


(昨今の夫婦は鳥籠のなかに入るのが流行はやりなのか?)

 男女の仲にうといロールにはわからない。しいて違いをあげるなら、こちらの鳥籠のほうが大きく立派で、デイミオンも一緒に入っているということくらいか。


 客間のクッションが優雅に敷き詰められた鳥籠で、国王は王妃を背後から抱いた姿勢で、書類に目など通していた。署名を終えると、籠のわきに控えている文官に紙を手渡す。囚人が檻から手を出しているようで、とても奇妙だ。


「これはいったい……??」

 思わず首をかしげ、そう呟かずにはいられなかった。説明を求めていたわけではなかったが、デイミオンはにこにこと言った。「妻がな」 


「リアナが。大事な身体なのに、おとなしくしていないだろう。それで仕方なく、籠に閉じこめている」


「はあ……」ロールは整った眉を寄せてあいまいに答えた。「ですが、陛下もご一緒に入る必要が……?」

「最初は一人だけ閉じこめていたんだが、ぴいぴいとかわいくさえずるものだからな。気が散って仕事にならない」

 妙にはずんだ声で、そんなことを言う。

 王はご満悦な様子だが、リアナのほうは、なんともいえない気まずそうな目線を寄こしてきた。デイミオンとは違い、人並みの羞恥しゅうち心は持ち合わせているのである。

(仲のよろしいのは、けっこうなことだ)

 皮肉ではなく、そう思った。周囲の目を気にして自分を取りつくろっても、結局は無駄だった――それなら、かれらのように人目を気にせず過ごすのが一番では?


 やはり出なおすべきだったなと思いかけたとき、デイミオンが立ちあがった。

「さて。看守はちょっと中断だ。謁見の残りをさっと済ませてくるからな」


 ――さっと済ませるのか。謁見の、残りを。


 いろいろと問い返したくなるような発言だ。だがもちろん相手は国王であるから、ロールは礼とうなずきを足したような素振りで返した。



 体格の良い王がいなくなると、鳥籠の内部がよく見えた。色とりどりのクッションに、ふさ飾りがついたひざかけに、本に、そのほかよくわからないきれいなもの。これを全部、デイミオン王が用意したのかと思うと……メスの気を引くため巣を飾り立てるニワシドリのようだ。


「ええと……」

 笑いそうになる口もとを手で隠して、ロールはリアナに声をかけた。「いちおうお尋ねしますが、お助けしなくて大丈夫ですか?」

「大丈夫」

 リアナは気恥ずかしいのか不機嫌そうな声で答えた。

「デイには、わたしが嫌がっているかどうか、わかるのよ。本当に嫌がったら出してくれるわ」

「そうですか」


「でも、ちょうどいいところに来てくれたわ、ロール」

 リアナは切り替えたように王配らしい口調になった。「実は、あなたに個人的に頼みたいことがあって」


「あの……」ロールは、自分がここに来た理由を打ちあけようとしたところだったが、リアナの言葉に思わずうなずいた。「はい、なんでしょうか、陛下」


「しばらくのあいだ、王都を離れるかもしれないの。それで、護衛を頼みたいのだけど。……グウィナ団長にお願いする前に、あなたの都合を聞いておこうかと思って」


「ええと……」退団を考えているところだったので、ロールは歯切れが悪くなった。「どのくらいの期間でしょうか?」


「わからないわ」リアナは顔を曇らせた。「早ければ数日、遅くとも二週間というところかしら……それ以上の時間は、どのみちかけられないし」

「そのような予定は、私の耳に入っていませんが……」

「誰にも言っていないもの。あなたも秘密にしてね」


「あの……」ロールは即答できなかった。


 竜騎手を辞めると告げるつもりでここにやってきたのだが……ひとり悩んでいる様子のリアナを見ると、なかなか切りだしづらい。だが、リアナには個人的に恩義を感じてもいるし……。


「……わかりました。竜騎手として、お受けしましょう」

 ロールが力強くうなずくと、リアナは念を押した。

「でも、いろんな人の恨みを買うかもしれないわ。追われて逃げることになるかも。大丈夫?」


「穏やかではない話のようですね」ロールは真剣な顔になった。「誰かを傷つけたり、陥れたり、盗んだりというようなことがありますか?」

 もしそうだとすると、家に迷惑がかかる。ロールは自分の名誉にはもう未練はなかったが、家名への責任は放棄したくなかった。


「いいえ。基本的には、わたしの護衛よ」リアナは考えながら言った。

「そういうことでしたら、是非はありません」

 ロールは少しばかり心が晴れるのを感じた。彼女が自分の力を必要としてくれるということが、思った以上に嬉しかった。竜騎手としては不適格でも、一人の高貴な女性を助けることはできるかもしれない。それを竜騎手として最後の仕事にするのも、良いことのように思われた。



 ♢♦♢ ――リアナ――



 リアナはその気になればいつでも出られる鳥籠に入ったまま、侍女のうわさ話に耳を傾けたり、ガラス玉マーブルをはじいて光の反射をぼんやりと眺めたりして、その日の午後を過ごした。


 「さっと済ませる」と豪語していた夫だが、さすがにそううまくは行かなかったようで、公務から戻ってきたときには日が暮れかけていた。嬉しそうにかんぬきを外して開け、背をかがめてなかに入ってくる。


「今日は一日、おとなしくしていたな」

 デイミオンは眉の上に口づけてから、優しく言った。「いい子にはご褒美をやろう」

 大きな手に似合わない香箱には、蜂蜜をからめたクルミが入っていた。こういう甘やかし方は、記憶をなくす前のままだ。

 自分でもひとつつまんで口に放りこんでから、デイミオンはリアナに菓子を与えた。雛鳥に餌を与えるように、気恥ずかしくなるほど甘いやりとりをくり返す。

 本当に、もとのデイミオンのままだ。ちょっと悪趣味なお遊びも、リアナがたまに素直に従うと喜ぶところも。


「……そういえば、うちの所領から装飾品が届いていたな」

 デイミオンはふと思いだしたように言って、長衣ルクヴァのポケットに手を入れた。ビロードの切れ端に包まれたなにかが入っている。

「おまえ用か?」

「たぶんね。……でも、今年は新しく注文した宝飾品はないはずだけど……」

 リアナは言いかけて、思い当たった。「そうだわ、あのときの首輪かも」

 安っぽい服に似合わない豪奢なエメラルドに見覚えがある。たしか、あれは所領に送って仕立て直させるとデイが言っていたはず。

「首輪?」

「そう」

 うなずきながら、リアナは思いだして笑いをこらえられなかった。「去年、あなたが買ったものなの。すごく趣味の悪い首輪と腕輪だったのよ。金ぴかで、鎖がついてて」

「なんだ、それは?」

 笑いながら、去年の出来事を夫に説明した。

 


「クロヴィン卿とカーニシュ卿。例の、人身売買にかかわっていた貴族たちの件か。おまえを狙った襲撃につながるという……」

 説明を聞いたデイミオンは、あごに手を当てながら言った。

「そうよ。覚えてるの?」

「ああ。逮捕の件も。それに、ナイメリオンを廃嫡にしたくだりも……」

 どうやら、部分的に記憶にあるらしい。

 リアナ抜きには起こり得なかった事件なのに、なぜ彼女のことだけがすっぽり抜け落ちているのか、首をひねるばかりだった。

 どうやらそれは本人も同じらしく、夫はくっきりした眉を寄せてうなった。

「王都警備隊と合同で捜査したんだ。それは覚えている。貴族の内部関与が疑われて……ハダルクに命令を……」


 頭を抱えるようにしてうずくまったデイミオンに、リアナはあわてて声をかけた。

「デイ」


「そうだ、この装飾。……たしかに、俺はオークション会場に行った。女奴隷たちの競りも……そこにいたはずなんだ、おまえも」

 デイミオンは下を向いたまま、ぶつぶつと記憶をたどり続けていた。こめかみに脂汗が浮いているのが見えた。


「デイ、無理に思いだそうとしないで」

 リアナはあわてて夫の肩を揺さぶった。なにか思いだしかけているようなのは嬉しいが、こんな様子では……。


「頭が痛い……」

「癒し手を呼ぶ?」

「……いや、いい。もう何度か相談している」

「……はじめてじゃないのね」

「ああ」夫はくぐもった声で答えた。「記憶がたぐり寄せられそうなときに限って、頭痛だ。どういうことなんだ、いったい」


「本当に無理しないで」


 リアナは夫の肩にまわしていた腕をそのままに、黒い頭を自分の胸に押しつけた。「頭痛なんて……怖いわ」

 デイミオンは抵抗せず、黙って妻の胸のなかで目を閉じていた。……しばらくすると、膝の上に頭を下ろした。「……ふがいない」

「そんなことないわ」


「俺がおまえを思いだせなくてもいいのか?」

「そうじゃないけど」

 夫の短くなった黒髪に指をとおすと、しっとりと重く冷たい感触がした。自分のまき毛とは違う、男性らしい髪だ。


「あなたの重荷になりたくないの」リアナはしんみりと言った。「〈呼ばい〉のことも」


「夫婦が負担を分かち合うことは、重荷とは言わない」

 デイミオンは、膝の上から不機嫌そうに返した。

「あなただけが、一方的に制約を受けているとしても?」

「俺にはその荷を負う能力がある」

 夫の不機嫌がさらに増してきたので、リアナはそれ以上追及するのをやめた。この切りだし方はよくない。こうやってリアナが、二人のアンバランスさを説こうとすると、デイミオンはよけいにかたくなになってしまう。


(デイの、こういうところが好きだわ)

 つがいを守ろうとする雄竜のような、デイミオンのぴりぴりとした緊張が好きだ。

 でも今は、そのことは忘れなければ、と思う。進みはじめた計画を途中で変えることはできないのだ。デイミオンの背中を押すためにも、リアナの役割が重要なはずだった。彼女自身は本当に気が進まないのにしても……。

(やっぱり、切りだし方を変えよう)

 心のなかで、こっそりとそう考えなおした。(もっと、デイが受け入れやすい雰囲気のところで言わなくちゃ……)


「ねえ、籠のなかに一日いたら、ちょっと羽を伸ばしたくなったわ」

 リアナはわざと甘えた口調を作って、夫を誘った。「アーダルに乗せてもらわない? 二人で、地平線に太陽が落ちるところを眺めたいな」

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