第45話 きれいな籠に入れてやる

 ♢♦♢ ――リアナ――


 数日は、子どもたちの世話で気がまぎれた。カイは男の子でもあり妊婦の手にはあまったが、エリサは本好きの大人びた子どもで、いい話し相手だった。

 ただ一度、飛竜の訓練で癇癪かんしゃくを起こしてしまったことがあった。無意識に〈呼ばい〉を使っているようで、飛竜を怯えさせてしまったらしい。


 天空竜舎ではない、やや離れた岩場にある飛竜専用の訓練場でのことだった。

 手にもっていた拘束具をたたきつけたエリサに、飛竜がシューッと威嚇音を立てる。そばで見ていたリアナは、あわてて両者のあいだに入った。

「訓練を止めないで!」

 エリサは少女らしいかん高い声で怒鳴った。「もうちょっとで、うまく馴らせるのに」

「怖がらせると竜は従順になるけど、主人の機嫌をずっとうかがうようになるわ。自分で判断できなくて、本番に弱い竜になってしまうのよ」

 リアナは飛竜をなだめながら、そう少女をさとした。


「だって、どうせ怖がらせることになるのよ。それなら、誰の言うことを聞けば安全か、しっかり教えておくほうがいい」エリサは口をとがらせた。

 飛竜と古竜は違うが……少女の理屈にも、一理ある。リアナは思案しつつ尋ねた。

「あなたの竜は、あなたを怖がるの?」

「だいたいは」

「……」

 なるほど、やはり自分とは違う資質を持っているようだ。リアナは竜に好かれる性質たちだが、黒竜のライダーはどちらかといえば竜に恐れられる者が多い。リアナはさらに考えてから言った。「デイミオンにもやり方を教えてもらいましょうか。たぶん、彼があなたの助けになると思うわ」


「あなたじゃだめなの?」エリサは用心深い顔で聞いた。

「あなたから習えないなら、ここにあたしがいる意味はあるの?」


 リアナは正直に「わからないわ」と答えた。

「それも含めて、一緒に考えていくことよ」


 ♢♦♢


 エリサをエピファニーのところへ送ると、リアナは夫婦の居室に戻った。体調のこともあるが、デイミオンに仕事を取りあげられているのだった。

 体調の良いときを選んでいくつかの公務をこなす予定にしていても、結局、夫にキャンセルされてしまう。


 窓を開けて、すっかり夏の青さになった空を眺めた。一階下に目を向けると、先日洪水を起こして破壊してしまった例の空中庭園が見えた。壁の一部も崩れてしまったらしく、レンガを積む作業員が眼下を行き来している。

 夫の過保護が腹立たしい気持ちもあるが、自分があの洪水を起こしたことを思うと、仕方がないのかという気もする。なんでもないことで急に落ちこんだり、涙が出たりするし、判断力も落ちているのに違いない。やはり、大人しく妊婦らしくしているべきなのだろうか。


 でも、西部の情勢は気になるし……。


 そんなことを考えていると、バサッバサッと軽いはばたきが聞こえてきた。竜よりは軽く、鳥にしては重い。

 大型の鳥――竜族は「小型竜」と呼ぶ――が、窓の桟に降り立った。濃灰に白い矢羽のような模様が入った、みごとなハヤブサだ。 

 リアナの注意をひくように「ケーッ」と小さく鳴いたハヤブサは、手をのばしても威嚇いかくすることも逃げることもない。


 リアナには心当たりがあった。「この尾羽の模様。……エサル卿ね」


「ああ」

 ハヤブサは紅竜大公の声で答えた。魔法でハヤブサに化けた、などということはもちろんなく、猛禽を使役として使っているのである。ライダーの能力の、ややめずらしい使用法だった。

「〈呼ばい〉で鳥に自分を媒介させるなんて、いつ見ても不思議な技だわ」

 リアナはハヤブサの羽をつついた。「ということは、王都まで来ているのね。エサル卿」

 エサルは「そうだ。こちらのタウンハウスに逗留とうりゅうしている」と首肯した。

「あなたに面会を申し出たのだが、ご夫君ふくんに断られた。しかたがないので、この姿でお邪魔している。ご容赦ようしゃいただきたい」


 リアナは夫をかばった。「デイミオンは……いま、ちょっと過保護になってるのよ」


「妊娠しておいでと聞いている」

「秘密にしておけることがひとつもないわね」


 そろそろ、貴族たちに妊娠の噂が広まりつつあるようだ。エサルは祝いの言葉もそこそこに本題に入った。

「あー。お話は二つある。手短に行こう」

「そうお願い」

 デイミオンは、仕事に少しでも空きができれば顔を見にやってくる。予定はつまっているとはいえ、安心できなかった。


「ひとつだ。南部うちのトールドルン家から、ご夫君に縁談が来ていることはご存知か」

「知らなかったわ」

 リアナは冷静をよそおって答えた。「でも、トールドルンのご息女、フランシェスカ卿のことなら、配偶者の候補に入れています」


 エサルは猛禽の目でまばたきをした。

「陛下も知らないようだった。……この縁談はヒュダリオン卿を通したのだが、どうやら卿め、おじけづいたらしいな」

「どうかしら」

 ヒュダリオンからの面会要請を思いだした。あれがそうだったのかも。

「ともあれ縁談には、第一配偶者であるあなたの許可が必要だ」

「……そうね」

「そして、あなたには生命の借りがある。……俺としては、正直、陛下よりあなたの怒りを買いたくないと思っている」

「まさか。南部の獅子王が、わたしみたいな小娘を?」

「挑発にはのらないぞ」

「冗談よ」


 エサルは「ククッ」と小さな鳴き声を立てた。ため息のような声だった。

「政敵を殺すという覚悟が、本当に自分にあったとは思えん。騎手たちをうしなって、ようやくそれに気づいた」

「……」

 リアナはなんと答えてよいのかわからなかった。あの雪山で、かれの誓願騎手ハリアンを手にかけたのは自分なのだ。

 エサルは続けた。

「が……ブリギット――俺の妹だがな――は中央とのパイプを欲しがっているし、娘のフラニーはデイミオン王の熱心な求婚者ファンだ。姪がかわいくもあるし、落としどころに悩んでいる」


「その必要はないわ」

 この話題についてはいずれエサルと話すつもりだったので、リアナは淡々と伝えた。「デイミオンは、トールドルンの家に通うことになると思う」

「できるのか?」

「たぶんね」

 実際のところは、うまくいくか断言できる方法ではなかった。が……すくなくとも、試してはみるつもりだ。


「わかった。……どちらに転んでも、上王陛下の采配さいはいにお任せする」

「もう一つは?」

 覚悟はしていたものの、あまりこの話題を長引かせたくなくて、リアナは続きをうながした。


「……西部の動きについては、あなたの耳にも入っていると思う。……キーザイン鉱山の採掘権をめぐって、エンガス卿とは別の一派が動いているようでな」

「それって、例のニシュクの分家ね?」

「ああ。エンガス卿の引退を機に、西部の覇権を狙っている。……南部うちにも無関係とは言えない問題だ」

「そして、その分家の跡取り息子が、レヘリーン卿のいまの愛人」

「……よくご存じだ。いいをお持ちとみえる」


 もちろん密偵はそなえているが、リアナは答えず、直截に尋ねた。

「それで、わたしに交渉してほしいということ?」

「逆だ」エサルも即答した。

「のこのこ西部にやってきて、反体制派に捕まってでもみろ。あなたは王にとって最高の人質になってしまう。南部のメンツも丸つぶれだ。逆だ、あなたは王都に安全にとどまってもらいたい」


「あまり面白い忠言じゃないわね」

 リアナは顔をしかめた。西部のこの問題は、代理王として統治していた一年のあいだに注意深く追っていたのだ。いまさら、ほかの者に解決をゆだねたくない。


「だが従っていただきたい。身重の女性にわざわざ言うことでもなかろう」

「だれもかれも身重、身重って……」

 リアナは愚痴を言いかけた。だが――


「……部屋になにかいるな? 鷹か?」

 男の声に、ハヤブサが固く身をすくませたのが見えた。気づかないうちに、夫が部屋に入ってきているのだった。「……デイミオン」


 長衣ルクヴァに似ているが薄い夏服姿の夫が、すぐ間近に立っていた。リアナの鼓動が早まったのは、夫の優しいキスのせいばかりではなかった。

 別に見とがめられるようなことをしていたわけではないが、エサルの面会を断ったのはデイミオンである。そのエサルが、今ここにいる……ハヤブサの姿で。


 リアナは思わず、灰色のハヤブサを胸に抱いた。

 デイミオンは妻とハヤブサを交互に見てから、すっと目を細めた。

「アーダルも、たまには新鮮な家禽かきんが食べたいかもしれないな」

 そんな不穏なことを、穏やかな声で言う。まさに、今夜の夕食について話しているかのような口調で。

「デイ、このハヤブサは――」

 観念して説明しようとするリアナには目もくれず、黒竜の王はハヤブサをむんずと掴んだ。


「こそこそと王の妻に近寄ると、使役しえきを竜の口に放りこむだけでは済まさんぞ。鷹使いファルコナー

 そう凄んでみせ、つかんだハヤブサを窓の外へと放つ。ハヤブサはためらいを表すようにくるりと旋回せんかいしてから、あきらめて空に戻っていった。


 その流れるような動きに口をはさむこともできず、リアナはあぜんとしてハヤブサを見おくるしかなかった。


「さて。奥方」

 窓をしめたデイミオンが、ゆったりとふり返った。「あの男に、どんな甘言をふきこまれた?」


 鷹使いファルコナーは言葉どおりの意味で、竜騎手ライダーであるエサルにとっては侮蔑の表現にあたる。夫がその言葉を使う意味を知っていたので、リアナは歯切れが悪くなった。

「甘言なんて……。エサル卿は、南部の情報をつたえにきてくれたのよ。それを、あなたが会わせないから……」


 デイミオンはその言い訳を聞いても、怒鳴ったり諭したりはしなかった。

 ただ背後にまわってリアナの身体に手をまわし、腹のあたりでゆったりと組んだ。まだまったく目立たないその場所を、大きな手のひらで愛おしげに撫でる。

「なぜ、そう仕事に熱心なんだ? こういうときくらい、ゆっくり休めばいいだろう?」

「心配してくれる気持ちはうれしいけど――」


落ちつかないという意味だよ」そう強調する低く甘い声が、耳のすぐ近くで聞こえた。

「政務のほうで忙しいのに、このうえでつがいが羽をばたばたさせているとあってはな。……頼むから、もうすこしおとなしくしてくれ。鳥籠を用意されたくはないだろう?」


 リアナは背中が寒くなった。「ここに閉じこめるということ?」


 デイミオンの過保護が、ここに来て常軌じょうきいっしていることが、リアナにはようやくわかった。

 公務はともかく、外界と通じるあらゆるものを彼女の周囲から遠ざけようとしているかのような動きは、妻の身を案じるというだけの言葉では片づけられない。


 しかし恐ろしいことに、夫の子どもじみた計画を完全にはねのけることもできそうになかった。愛する男に監禁されるという妄想には、どこか甘く満たされるものがあったからだ。

 自分のふがいなさに思わず肩をふるわせると、デイミオンが髪をはらい、そこに優しく口づけを落とした。


「そう怖がらなくとも、きれいなカゴに入れてやる」

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