第44話 わたしたちが家族になる道はあるの?


 子どもたちはもう一組いた。慰霊祭で顔をあわせたばかりの、ヴィクとナイムの兄弟、それに年少の弟、マルの三人である。

 城に立ち寄るとは聞いていたが、ずっと先の話だと思っていたから、リアナにはうれしい誤算だった。そう広くはない城内が、一気ににぎやかになった気がする。


 マルが小さな手になにかをつかんで、嬉しそうに持ってくる。今度は虫かしら卵かしらと思いながらもしゃがみこんで受け取ると、露天で売っていそうな髪飾りだった。

「とてもかわいいわ。スミレ色の石がついてる」リアナは笑顔になった。「目の色とあわせてくれたのね。すてきなおみやげをありがとう、マル」


「エクハリトス家の三番目の竜も、リアナ陛下がお好きらしい」ナイムが冷やかすと、マルは顔を赤くした。赤くなりやすいところが、フィルに似ている。


 デイミオンが頭を撫でてやると、マルの金髪がぼわぼわと逆立つ。それを見たヴィクがからかう……。兄弟と従兄弟とがまじった、年齢も髪の色もさまざまな男たちを見ているのはおもしろかった。


(生まれる子は男の子かしら、女の子かしら)

 ふとリアナの頭に、はじめてその疑問が浮かんだ。妊娠を知ってからというものあまりにも慌ただしかったし、子どもの性別まで気にしている余裕がなかったのだった。どのみち、生まれるまではわからないのだが。


「カイとエリサと、年齢が合うだろう。竜舎にいるから、そっちで遊んでこい」

 デイミオンにそう声をかけられると、マルは素直に竜舎のほうに走っていった。

 

「リックは一緒じゃないの?」

 フィルの養父は、子どもたちと行動をともにしていたと記憶している。リアナが尋ねると、ナイムが「リックは城には入らないよ」と答えた。

「こういう城とか、社交の場が嫌いなんだ。でも、宿までは一緒だった」

「そう……フィルは?」

「師匠とは別行動だったからなあ」こちらは、ヴィクが答えた。

「どこに行ったか、知ってるの?」

「うーん、細かくは知らないけど。たぶん南西だよ」


 リアナは小さくため息をついた。南西ではどこだかまったくわからない。こちらから会いに行こうと思っていたが、難しそうだ。かといって、あまりのんびりしていると、妊娠のことが彼の耳に入ってしまうかもしれない。できれば、自分の口から報告したいのだが……。


「それにしても、ずいぶん早く寄ってくれたのね」

「俺が呼んだんだ」デイミオンが言った。

「例の、〈血の呼ばい〉の件があるだろう。ナイムは、前の継承権保持者だ。なにか感じるところはないかと思ってな」


 ハダルク卿と同じ見事な銀髪のナイムは、整った顔をしかめてしばらく集中してから、 

「ん……たしかに、かすかに引きの力がありますね」と言った。

「そうだろう」デイミオンがうなずいた。「リアナはもともと、俺の前の継承権保持者だ。ここに来て、また王太子というのも理屈にあわない気がしてな。おまけに、力も弱いし」


 ナイムは顎に手を当てて考えるそぶりになった。「流れの元が、お腹の子どもの可能性もあるのでは?」

「生まれてもいない子どもに継承権か? そんな話、聞いたことがないぞ」と、デイ。

「でも、僕だっていまのマルくらいの年に〈血の呼ばい〉を受けた。……確実に血縁順につらなる領主権と違って、竜王の〈呼ばい〉はランダムに過ぎる」

「それが問題なんだ」

 二人の男は、顔を向きあわせてうーんとうなった。〈ハートレス〉のヴィクは、あまり興味がないとみえ、窓ごしに蝶が舞うのを目で追っていた。


「三人が泊まる場所を決めなくちゃ」

「昔の『王の間』を、ちょうど子ども部屋ナーサリールームに改装している途中だ。そこを使え」

「子ども部屋って年じゃないんだけど、俺」

「もちろん存じあげているとも、ヴィクトリオン卿。おまえとナイムは、立派な男手としてベッドを搬入してくれ。マットレスもな」

「げえ」

 ヴィクはぐるりと目をまわした。「それで次は、ナーサリールームの壁をピンクに塗ってくれとか言うんじゃないよな?」

「まさか」デイミオンは魅惑的な笑みを浮かべた。「壁の色はエッグブルーだ」

「勘弁してくれよ……」

 夫の発言は冗談だろうが、大げさなヴィクの反応が面白くて、リアナはつい笑顔になった。


 ♢♦♢


 夕食になると、子どもたちのにぎやかさは最高潮に達した。

 竜舎で遊び、すっかり打ち解けたらしい三人は、口ぐちに竜や食べ物や旅の話をしながら食事をつめこんでいる。ルーイは慣れた様子で、あれこれと子どもたちに指図していた。手のかからないほうの子ども――つまりヴィクは旅の計画をデイミオンに報告し、ナイムは妊娠中のリアナを気遣った。

 食べられるものがしょっちゅう変わり、すこし前まで酸味のあるものが好物だったのに、いまはあまり欲しくない。


「どうして一人だけ、冷たい料理を食べてるの?」そんなリアナを見て、カイが尋ねた。

「温かいものはいま、つわりで食べられないんだ」

 リアナの代わりに、デイミオンが答えた。

 あいかわらず見事な夫ぶりで、肉の赤身の部分だけを切りわけて、かいがいしくよそってやっている。

 冷たいポタージュと、果物に氷菓。そんな料理が、リアナのまわりにだけ並んでいる。

 じっと彼女を見てくる目線に、リアナはさじを運ぶ手を止めた。「エリサ? どうかしたの?」

「雪の女王みたい」と、少女はつぶやく。「まっしろで、冷たくて」

「それは古い民話だな。本で読んだのか?」

 デイミオンがたずねると、エリサは黙ってうなずいた。少女の目には、年長の美しい女性へのあこがれが映っているのかもしれない。ただ『雪の女王』という言葉は、リアナにはかつてデーグルモールになりかかった時のことを思いださせ、心楽しいものではなかった。



「そういえば、ヒュダリオン卿から面会の申請が来てるんじゃなかった?」

 心楽しくないものといえば――。ふと思いだして、リアナは夫に尋ねた。

「会う必要はない」ワインを口に運びながら、デイミオンが即断した。

「だけど」

「用があるなら、俺に言えばいいことだ。つわりもあるのに、わざわざヒューに今会う理由はない」

「……」

 夫の言うことはもっともなので、リアナは反論しなかった。ヒュダリオンは王都にいることも多く、無理をおして会う必要があるとはいえない。だが、夫の叔父がリアナを指名して会いたがることはめずらしいので、用件が気にかかるところではあった。どうせ、デイミオンの第二妻のことだろうとは思ったが……。


「それから、西部への視察も断っておいた」

「ちょっと……」

 さすがに親戚の面会とは話が違う。リアナは口に運びかけていた匙をおろした。「視察は来月よ。その頃にはつわりも収まっているかもしれないでしょ。西部にはいろいろときなくさい動きが……」

「それならなおさらだ。夫として許可できない」

「じゃあ、どうするの? あなたが行くの?」

「もちろん行かない」


 記憶をなくす前から妻には過保護なところがある男だったが、そんなところだけ引き継がずともいいのにと歯がゆくなる。


 食事が済んでその場がお開きとなると、ヴィクに呼びとめられた。子どもたちを先導していくデイミオンを見おくってから、小声で謝ってくる。

「俺、よけいなこと言ったかもって思って。ごめん」

「なんのこと?」

 尋ねると、ヴィクは言いにくそうに説明した。

「いや……昼にデイミオンに会ったときにさ、記憶がなくなった話も聞いて」

 言いながら、そわそわと脚を動かした。「それで、つい俺……『リアナさまじゃなきゃダメっていうんじゃなかったら、フィルに夫を譲ってやれない?』って聞いちゃって」


 リアナは目を見開いてから叫んだ。「なんてこと言うのよ!」

「ほんっと、ごめん!」

 ヴィクも手を打ち合わせてあやまった。「つい口からぽろっと……」

「仔竜のもらい手を探すのとは、わけが違うのよ」

「わかってるよ。……でもさ、デイが『愛情の記憶がない』なんていうもんだから。リアナさまにもかわいそうだし、それに師匠だって……知ってるだろ? あの人にはあなただけなんだ。デイにはほかにも好きになれる女の人がいるかもしれないけど、師匠はめんどくさい男なんだよ」

「……だとしても、あなたに言われる筋合いじゃないわよ、ヴィク」

「わかってるよ」

 ヴィクは両手をあげて降伏の意を示した。「デイにもさんざん怒鳴られたんだ、反省してる」


 道理で、リアナを視察に出したがらないわけだった。目を離すと、妻をほかの男に取られると思っているのだろう。愛があるかはともかく、つがいというものを神聖視している夫にとっては一大事のはずだった。男のプライドと、テリトリーの問題なのである。……まったく、よけいなことを吹きこんでくれたものだ。


「平気そうに見えても、元どおりのデイじゃないのよ」リアナは苦言した。「変なことを言って心配がらせるのはよして」

 それから妊娠の件をフィルバートに言わないようにもう一度念を押して、リアナは青年と別れた。


 だが――夫婦の寝室に戻りながら、リアナはふと、そのばかげた空想にひたってしまった。デイミオンから捨てられて悲嘆にくれているところを、フィルが迎えにくるという空想。


 彼がなんと言うかは、もう分かっている。


 ――愛してる、愛してる、愛してる。

 ――ずっと言いたかった。……ああ、やっと、俺のものだ。


 あの夢の家に最初に足を踏みいれたときの、せきを切ったようなフィルの告白と、骨が折れるかと思うほどの抱擁……。

 どちらの男に対しても身勝手な自分の空想にあきれながらも、リアナはまだ、フィルへの思いが残っていることを認めないわけにはいかなかった。


 効力があるかどうかもあやしい指輪ひとつを残して、この大陸のどこかを放浪しているはずの元英雄。そして、自分が父親になったことをまだ知らずにいる、リアナのもう一人の運命の男だった。



 ♢♦♢


 リアナが戻って、しばらくしてデイミオンが寝室に入ってきた。子どもたちを寝かしつけてきたらしい。

「カイのほうがずいぶん興奮していたが、本を読んでやると眠った。かわいいものだな」そう言って肩をまわし、大きなあくびをした。


「ずいぶん、うちとけてきたのね」

「おまえの実家さとの子どもたちだろう」

 チュニックを脱いで夜着に着替えながら、デイミオンが答えた。


「カイのほうは、カールゼンデン家で面倒を見るといっている。エリサは当然、のあずかりになるだろう。……名目上は、スワンの傍流からの養子ということになるが」

「養子って……本気で言ってるの?」リアナは困惑した。「エリサは、わたしのよ。もちろん、あの子に責任があることじゃないけど……そんな子が、娘として一緒に暮らすのは、不自然じゃない?」

 非難したかったわけではなく、彼女自身も半信半疑だったので、歯切れの悪い口調になった。

「家族になれば、乗り越えられる」デイミオンは当然のように言った。


(本当に子どもが欲しいのね)

 リアナは口に出さずに思った。お腹の子の親権のみならず、血縁のエリサも子どもとして引き取るつもりであるらしい。いかにも竜族の男らしい行動ではあるが、夫婦の気持ちが置き去りにされているような感じもしてしまう。


「家庭に熱心になってくれるのはうれしいけど、ちょっと行きすぎじゃない? 視察のことも……」

 寝台に入ろうとしている夫に、リアナは苦言した。「わたしが行かないとなると、また代理を立てないといけないのよ」

「それはこちらでなんとでもする。……とにかく、いまは外遊はだめだ」

 夫はがんとして譲らないつもりのようだった。「妊娠のことだけじゃない。せっかく俺も記憶を取り戻しつつあるのに、ここで離れて、成果を台無しにしたくないだろう?」


「『取り戻しつつある』?」リアナはオウム返しに聞いた。「ほんとうに?」


 デイミオンはどうやら眠気が勝っているらしく、あくびをしながらうなずいた。

「リアナ・ゼンデン。双竜王エリサの娘、白竜のライダー、良き王配、金茶の巻毛にスミレ色の瞳」


「それは、あなたのなかにいたはずのわたしじゃないわ。……一緒にやってきたことや、二人だけのあいだの話や、たとえば本が読めないわたしにあなたが読んできかせてくれていたことも、いまのあなたは覚えていないんでしょ?」


「俺はそんなことをしていたのか」

 デイミオンはそう答え、おざなりに髪を撫でてから彼女に背を向けた。


「わたしたちが家族になる道はあるの?」リアナは問いかけたが、眠ってしまったようで、答える声はなかった。


 広い背中に耳をつけると、かすかな寝息と体温がつたわってきた。夫は今ここにいる。手を伸ばさずに触れられるくらい近いのに、もどかしくなるほど遠い。リアナはいろいろ考えてしまい、眠れそうになかった。

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