第39話 夜会へ
♢♦♢ ――リアナ――
リアナは、マントルピースの上に置かれた置時計に目をやった。
今日は前々から約束のあった、タナスタス卿の夜会に出かけることになっていた。先日の〈呼ばい〉のことがあって夫は外出を渋ったが、リアナは会に顔を出しておきたい理由があった。しかし、約束の時間になってもデイミオンが迎えにこない。
かわりに、竜騎手ロレントゥスが居室にやってきた。なぜか
「ロール?」
リアナのいぶかしい顔を見て、竜騎手は「あっ」という顔になった。
「すみません、陛下にはご説明していませんでしたか。今夜は仮面を着用しての夜会になるそうで、ご夫婦での参加は別々にという案内が来ておりました」
「そうなの?」初耳だった。それなら、侍女に着せられたドレスや、ロールの仰々しい格好にも納得がいく。
「おもしろそうね」
こういう
「陛下はエンガス卿のお見舞いをなさってから、直接来られると聞いています。屋敷まで私がお
「大丈夫なの? 夜会になんか出て……女の子たちに群がられると、あなたは辛いんじゃないの?」リアナはついお節介になった。つい先日、この美貌の竜騎手の性的指向を聞いたばかりである。
「今夜は大丈夫ですよ、陛下のお世話役という立派な隠れみのがありますからね。女性のお誘いをことわっても面目が立つ」
「ふむ」たしかにそうだ。「じゃあ、行きましょうか」
♢♦♢ ――デイミオン――
デイミオンの見舞いを受けたエンガス卿は、ほぼ、普段どおりの見た目を取り戻していた。枯れ枝と羊皮紙でできたような老人というのが普段どおりと言えればの話ではあるが。
とにかく、寝台に身を起こしたエンガスに例の紋様は見えなかったし、デーグルモールのようには見えなかったので、彼は安心した。政治家としては意見が合わないことが多いものの、五公十家への重しとして働いてほしいし、いま死なれては困る。デイミオンが成人したばかりの節年齢で、すでに死にかけの老人だったのだから、まだまだ大丈夫だろうと勝手なことを思った。
それにしても、心臓を再生させることができるとは。治療の可能性があることは光明だが、うかつには喜べない。それでなくとも、ライダーたちはデーグルモールに対して過敏なのだ。自分たちがその同類になりうるという情報も、治療しうるという知見も、王としてはなるべく統制しておきたい。
「ひるんだかね、黒竜の王よ?」
エンガス卿はあいかわらず書きつけの山にうずもれながら、面白そうにそう問うた。
「いいや」デイミオンは即答した。
「そうだなあなたはひるむまい。
反論したかったが、妻から聞いていないのは事実だった。「……。俺が偏見の目で妻を見るとでも?」
エンガスはその問いには答えず、貧弱な顎髭をなぞってなにごとか考えていた。しばらくして口を開いた。
「私が思うに……男がおそれるのは、
デイミオンは返答しなかったが、エンガスは独り言のように続けた。
「だからこそ愛はすべての英雄の弱点である。戦場に女性兵士の目があると、男性兵士の死亡率があがる。繁殖期には雄竜たちが争って死に至る。かように、強さを証明するのは英雄にとって致死的である」
「年寄り神官のような、意味ありげなセリフはやめろ。エンガス卿」
「私なりの、情愛についての考察なのだが」
「そんなものは必要としていない」
デイミオンはイライラと言った。あのときはとっさに助けてしまったが、こんな不愉快な老人のことなど知ったことではなかった。放っておけばよかった。
「かつてあなたは、私の忠告を受け
「
けわしい顔で即答したが、デイミオンは内心どきりとした。この老人の命を救った先日の夜から、リアナとの婚姻関係について思い悩んでいたからだった。
「たしかに、よけいな世話ではある」
エンガスは、めずらしくデイミオンの意見に首肯した。「だが、私が思うに、奥方もおなじ結論に達しておられるだろう。野蛮と直感の星のもとに生まれておられるようだが、よくものごとを見とおされる方だ」
皮肉げな言いまわしではあったが、この老人なりの賞賛にも聞こえた。だが、デイミオンは奥歯を噛みしめた。
「あなたと同じ結論? リアナが、俺との婚姻を解消したがっていると? そんなはずはない」
「しかし、奥方に確認したのかね?」
もちろん――確認はしていない。
そのことに気づいて、また顔をしかめる。まったくふだんの自分らしくない行動だった。あれこれ思い悩むよりも、本人に聞けばいいのだ。なぜ、最初からそうしなかったのか?
(俺は――答えを聞くのをおそれているのか?)
デイミオンはなにも反論できず、老大公をにらみつけ、エクハリトス家の男らしくどすどすと音を立てて立ち去るしかできなかった。
彼女の本心がいま、どうしても知りたかった。
♢♦♢ ――リアナ――
レディ・ターニアことタナスタス卿の屋敷は、玄関ホールからいかにも夏の宴らしく飾りつけられていた。センスのよさで知られる女主人らしく、巨大なガラスの器にハイドランジアの花がまるごと浮かんだオブジェに出迎えられる。
花にあふれた屋敷は、フィルとの夢の家を思いだす。
(だけど、あの家はもう人手にわたってしまった)
王都に戻ってから、リアナは一度こっそりとあの屋敷に出向いたことがあった。見事なバラを手入れしている庭師に尋ねると、売りに出されて半日もしないうちに買い手が見つかったという。まだ住人は入っていないようだった。フィルの資産管理という面ではよいことなのだろうが、リアナは身勝手なショックを受けた。……西の森の釣り小屋はそのまま残っていたが、フィルに習ったとおりに釣竿をたらしていても、なかなか心の平穏はやってこなかった。
(いったいいつ、フィルに妊娠のことを言えるのかしら)
告白するにしても、そのときのフィルの反応を想像すると心が暗くなった。
「仮面は選ばれなくてよかったのですか」と、ロールが尋ねる。竜騎手にしては気の付くタイプで、ちゃんと酒ではなく炭酸水のグラスをもってきた。
「今日は、壁の花の仮装でもしておくわ」グラスを受けとりつつ、リアナは肩をすくめた。
今夜の目的は自分が参加することではないので、女主人にあいさつをしたら部屋の隅でおとなしくしているつもりだった。
女主人、タナスタス卿はにこやかにリアナを出迎えた。鳥のような優雅な仮面をつけてはいるが、タマリス中の男性をとりこにするというふくよかな体型は健在で、見間違えようがなかった。クチナシ色のドレスのせいか、シロップをたっぷりかけたうず高いパンケーキの塔のようにも見える。
今夜もまばゆいばかりの美男子に囲まれていたが、夫婦仲も良好であるとはよく噂に聞く。リアナはそれが不思議でならなかった。
通り一遍のあいさつのあと、思わず尋ねた。「こういう夜会を開かれるのは、ご主人の意向に沿っているの? その……男性がたくさんいるわけだけど」
「別々の、お気に入りの道を探索しながら、同じ店で待ち合わせるようなものですわ。わたくしと夫とは」
タナスタス卿はわかるようなわからないようなことを言った。「家族の幸福が、わたくしたちの共通のゴールです」
「それは、そうなんだろうけど……」
リアナが飲み下しきれないでいるのを、女主人はさりげなく観察しているようだった。
「三日前の夜、王都中の古竜が王の〈呼ばい〉を聞きました」
ごくさりげない世間話のように、そう切りだす。「あれほどの強い〈呼ばい〉を受けとめるのは、黒竜の家系でもなかなか難しいことと愚考いたします」
リアナはためらってから、ここ最近ずっと悩んでいることを口にした。
「わたしのせいで、デイミオンは竜の全力が使えない。こんなことで、伴侶と言えるのかと……」
「それで、第二配偶者を探しておられるのですね?」
「……あなたには隠し事はできないみたいね」
タナスタス・ウィンターには不思議な魅力があり、思わず悩みを打ち明けてしまいたくなるような包容力があった。リアナは、王都に戻ってから一人きりで考えていた夫婦の問題を、ぽつぽつと語った。期間限定であったフィルとの婚姻関係や、デイミオンの記憶障害。フィルは彼女のもとを去り、デイとは愛情の記憶がないせいで夫婦生活がうまくいっていないこと。もともと、デイミオンの第二配偶者については考えていたが、そろそろ本腰を入れて候補者を絞ろうとしていること。
ターニアは優しく相づちを打ちながら聞いていたが、ひとしきり話が終わると、たとえ話をもちだした。
「ある夫婦が、新年の祝いに、たがいに贈り物をしたいと考えました。ですが夫婦は貧乏で、贈り物をするためには自分の持ち物を手放して金と替えるしかなかった。自分のもっとも大切なものを手放して、おたがいへの贈り物に換えたのです」
その話は知っていた。字を読むのがあまり早くないリアナは、絵本を好んで読むのだが、子ども向けの絵本のひとつにそういうものがあった記憶がある。
「夫婦のプレゼントは、金の髪留めと剣の鞘……でも、そのために妻は美しい髪を、夫は伝来の宝剣を失った。贈り物の用途はうしなわれた」
「この話の教訓は?」
「おたがいを思って、自分の大切なものを手放すことは美しい?」
「いいえ」
女主人は完璧なほほえみで返した。
「夫婦に大切なのはコミュニケーション、ということです」
♢♦♢
タナスタス卿に「ぜひに」とすすめられ、リアナはいちおうは仮面をつけることにした。仮面といっても、レース地に目の部分だけ穴が開いているような布だったので、顔だちを隠すことはできないだろう。
とはいえ広間にはたくさんの休憩スペースが取ってあって、リアナが案内されたのは奥まった場所だった。透かし彫りの入った木と紗のついたてで広間から隔てられ、快適そうなカウチと小さなサイドテーブルが置かれている。
イーゼンテルレ風の服装は、男女ともに華やかでドレープもたっぷりしていて、見ているぶんには楽しかった。実際に着るとなると窮屈なものではあるが、繁殖期の夜会なのだから、恋に浮かれた若者の多くはそんなことは気にするまい。
「今夜はダンスはなさらないでしょう。軽食を持ってきましょうか?」
ロレントゥスが気を利かせて申し出た。少し考えてから、「お願い」と返す。食べ物の好みが変わったようで、夕食をあまり食べていない。他人の家の食べ物なら、また趣向が変わっていいかもしれない。
「姉が二人に姪と甥が三人ずついますから、つわりの食べ物はまかせてくださいね」
そう言って、ロールは足音も軽く広間を出ていった。けぶるような金髪の後姿を、娘たちが名残惜しそうに追っている。この場にいて彼女たちにかこまれるより、上司のおつかいをしているほうが気がまぎれていいのだろうなと思った。あれほどの美貌の持ち主で、女性を愛せないというのはつらいものだろう。
炭酸水を飲みつつ、ちょっとだけついたてをずらして、広間に目を向ける。ダンスもイーゼンテルレ風なので、ステップは見慣れないものだ。とはいえ身軽な竜族男性にとっては苦にならないとみえ、異国の音楽にあわせて軽快に踊っていた。
男女がペアになって踊るダンスの前に、今年はじめてシーズンに参加するデビュタントの男性たちのソロ・ダンスがある。まさに雄としての優秀さ、容姿の端麗さをアピールする求愛の舞なのだった。
リアナはふと、広間にあふれる男性たちの誰ひとりにも心が動かないことに気づいておかしくなった。彼女の人生にはずっと、二人の男しかいない。
(その二人が、ちっともわたしの思うとおりにならないんだけどね)
でも、糖蜜のように甘い美貌の竜騎手たちの一ダースよりも、やっぱり二人の男のほうがいい。
(認めなきゃ。わたしはその二人のどちらにも惹かれている。たとえ、一度に愛することができるのはつがいの一人だけだとしても)
そして、そのつがいを永遠につなぎとめておくことはできないにしても――。
もの思う彼女の目の前に、巨大な影がさした。あらわれたのは、仮面の男。
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