第38話 運命のつがいじゃない


 全方位にわたって〈呼ばい〉を放ったのは、ほかに方法がなかったせいである。デイミオンは、青のライダーを特定して呼ぶだけの血縁関係をもっていない。それで、自分と血で通じるライダーをたどっていく形で、なんとか青の竜騎手アマトウを呼びだすことができた。

 王城近くにいて、こちらに移動してきているが、応急処置について指示をしてきた。

〔ヒトの心臓を再生します〕

〔そんなことが可能なのか!?〕

〔それが、公のもともとのご計画なのです。こんなに早く、こんな形で実践することになるとは思っていませんでしたが……本当に、信じがたい無茶をなさる〕

〔とにかく……手段は問わん、やってくれ〕


〔陛下の〈呼ばい〉を逆にたどって、サフィール号に命令を送ることになりますが、よろしいですか?〕

〔かまわん。なんなら、おまえのほうの〈呼ばい〉を強めてエンガスに送ることもできるが〕

〔助かります、では、そのように〕


 アマトウが到着すると、術式がはじまった。彼とエンガスのあいだには、すでに血縁の〈呼ばい〉があるが、力の向きは下流になる。その流れを無理やりに変えて、〈呼ばい〉の力を上流――ここではエンガス――に送りこむことが、デイミオンの役割だった。言わば竜術の摂理に反しているわけで、周囲の術者にもすくなからぬ負担がかかる。デイミオンは身近な者、特にリアナのことが心配になりながらも、アマトウの術を増幅することに集中した。……ぱりっと乾いた音がして、黒竜王の周囲に小さな稲妻のようなものが走った。


 その青い稲妻は、術者のアマトウのまわりにも、寝台に横たわるエンガスの近くにも見えた。なんらかの力の作用を目視しているのだろうが、デイミオンにはわからない。……ギュルギュル、と独楽コマがまわるような奇妙な音が響く。見えない布がその独楽に巻き取られていくように、渦をまきながら奇妙な青い文字列をめぐらせた。

 かなり長いあいだ、術式は続いた。

 濁流した川に木の葉が飲まれるように文字列が消えていくのを、デイミオンは息をのんで見守った。最後の一文字が消えたが、……なにも起こらない。

 アマトウと顔を見合わせる。

(まさか、失敗したのか?)


 そう思った瞬間に、どくん、どくんと力強い鼓動が聞こえた。まるでそれ自体がひとつの生き物のようだ。

 手負いの獣のように暴れまわっていた紋様がしだいに静まり、水死体のようだった身体もしぼんでもとの枯れ枝のような輪郭が見えはじめている。


「やった」アマトウはつぶやいた。

「ヒトの心臓が再生しました。こんなことが可能だとは――だがひとまずはこれで――」

 報告をしかかったがふらりと倒れかかり、デイミオンはあわてて騎手をささえてやった。「ご苦労だった」


 エンガスは一命をとりとめたらしいが、強い〈呼ばい〉で興奮した竜たちをなだめる作業がまだ残っていた。デイミオンはエンガスとアマトウを従僕にまかせ、玄関へまわるのももどかしく窓から一階へと降りた。


〔ファイアブリンガー! 悪い竜!〕

 レーデルルの罵声がとどろいた。リアナの竜は、怒れる女神のように白くすっくと屹立して、デイミオンを威嚇している。

〔強く引く、だめ、わたしは言った! わたしの操縦者パイロット!〕

「わかっている……すまない」

 アーダルが近づき、鼻口部で首を叩いてやろうとした。だがレーデルルは「シューッ」と威嚇音を立てて後ずさった。


 つがいに拒否されたアーダルの失望と怒りが、〈呼ばい〉をつうじて流れこんでくる。デイミオンは首を振ってため息をついた。

「全部俺が悪いんだな。わかったから無言でにらむな」


 叔父ヒュダリオンが、眠たげに目をこすりながら近づいてきた。夜着のうえに雑に長衣ルクヴァをひっかけているが、三角のナイトキャップをかぶっているので、威厳がだいなしだった。

「おまえの〈呼ばい〉は本当にうるさいぞ、デイミオン」

 あくびをしながら言う。「私は慣れているからいいが、アマトウにつながる……ええと、どこだかの青のライダーが倒れたらしいぞ」


「ほかに方法がなかった」デイミオンは渋い顔をした。特定の個人に〈呼ばい〉を送るには、血縁者の情報が必要になる。そのほとんどは、この叔父からたどったのだった。ヒューは頑丈だからかまわないが……。デイミオンは妻が心配で、はやく王城に戻りたかった。


「エンガス卿が危篤だって?」

「危機は脱した」

 デイミオンは簡潔に言った。心臓を再生したなどとはうかつには口に出せない。善良な男だが、叔父はいささか口が軽いのだ。


「ヒュー叔父、悪いがこの場を頼む」

「えっ」叔父は、デイミオンとおなじ青い目を見開いた。

「ハダルクが来るまででかまわないから、指揮を執ってくれ」

「いや私には……なんとかやってはみるが……」ヒュダリオンはもごもごと言った。「おまえはどうするんだ?」


「城に戻る」

 レーデルルの背後で、巨大な山のように所在なくしているアーダルを置いて、デイミオンは飛竜にまたがった。


 ♢♦♢


 まだ昼下がりの時間帯だったが、リアナは寝室で、カウチにぐったりと横たわっていた。

 夫の帰宅を知ると首だけを動かして、「おかえり」と言った。


「すまない、強い〈呼ばい〉を使った……」

 言いかけたデイミオンはふと、リアナを診察できる医師がいま不在であることに思い当って心配になった。さきほどの〈呼ばい〉で数名、青のライダーを確認したので、代医として確保しておかなければならない。


「ちょっと頭が痛んだだけよ、つわりはもともとなの」

 リアナは思ったよりも明るい声で言った。「大丈夫、そんな顔しないで」

「どんな顔をしているというんだ」

「『僕が窓ガラスを割りました』っていう顔」

 デイミオンはその言葉に、口端だけをあげて笑った。「たしかに、ガラスは割ったな。……顔を見ただけでわかるのか、おまえは?」

「妻の神通力よ」

 冗談をまじえてくるのが、夫の心配を軽くするためのように思えた。カウチの隣をあけてくれたので、自分も腰かける。



「とりあえず、青のライダーの誰かには見せておきたいが……だれもが妊婦を診られるわけじゃないし」

「タビサ先生でいいわよ」

「タビサは竜医師だろう」

「竜のお産は慣れてるじゃない?」


 デイミオンは嘆息し、首をふった。……冗談だろうな?


 夫婦の寝室は城の最上階近くにあり、寝台の真上に大きな天窓があって採光もよい。窓をながめ、妻を忘れたのに寝室の内部をおぼえているのはどういうわけなのかといぶかしんだ。ともあれ執務は先延ばしして、しばらく一緒にいてやろう。 


「甘えてもいい?」

「ああ」

 すり寄ってきた妻の腰に手をまわし、脚をかかえて膝のうえに乗せた。抱きあげてはいないが、それなりに密着している。顔にかかった髪をはらってやった。「おまえの夫だ。好きなときに甘えていい」


 白いつむじを見下ろし、しばらくぼんやりとしていた。朝からエンガス卿の事態に巻きこまれ、息つく間もないほどだった。……そして、自分の強い〈呼ばい〉に、妻をさらしてしまった。



『リアナさまの存在は、あなたが力を制御するうえで無意識の足かせになっている』

『なにかが必要なのだよ。……あなた自身の側に、引き金が必要なのだ」

 奇しくもエンガスが説明したことを、身をもって体験することになったわけだった。おそらく記憶をなくす前から、自分はそのことに気づいていたのに違いない。わかっていながら、どうして一節(十二年)ものあいだ、一緒にいたのか。


(俺たちは、完璧な一対じゃない。これほど力の不均衡があって、一対とは呼びようがない)

(運命の伴侶つがいじゃないんだ。エンガスの言葉どおり……)


 それを口にしようとして、デイミオンは凍りついた。

 胸のなかのリアナは、ようやく安堵して身をもたれさせている。こうやって少しずつ、信頼と愛情を取り戻していけると信じて疑わなかったのに。


 さらにうつうつと思い悩む。


 ――どうすればいいのかわからない。リアナは俺を失うのか? 離婚したら、彼女はどこへ行くんだ? 北部領か?

 金には困らないだろうが、こんなに〈呼ばい〉に弱くて、ほかの夫は見つかるだろうか? 請願の竜騎手はいるのか? 氏族は、領地は?

 


 考えてもしかたがないことばかりが頭に浮かんでくる。記憶を失って以来、前へ前へと進んできたつもりだったが、ここが行き止まりなのかもしれない。

 

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