第31話 あいつは、いったいなんなんだ?
♢♦♢ ――デイミオン――
タマリスの美しい夏。
光あふれる、その貴重な午後を、デイミオン・エクハリトスは
目の前には、十二名ほどからなる貴族たちの評議会がある。デイミオンは頬づえをついて、彼らの議論を眺めていた。
一年の眠りから目覚めたという実感はないが、良かったと思うことがひとつある。自分がオンブリアの王として即位していたという事実だ。もちろん、その感動はすぐに政務に
議題は、王国に流通する小麦の価格についての懸念である。アエディクラ産の安価な小麦の流入が、王国の小麦を脅かしているのだ。そのことはデイミオンも覚えていた。だが、事のはじまりが十二年前に自分が引き起こしかけた戦争だということは、今ひとつぴんとこなかった。
かつてアエディクラは
「白竜のライダーを雇い、アエディクラの天候に介入してもらうべきでは?」
「しかしその件につきましては……リアナ陛下のご意見を聞いてみませんと」商人の一人が、その名前を口に出した。
またリアナか。デイミオンは片方の眉をあげて不愉快を示した。
「王配はいま移動中だ。卿があとで、個人的にでも聞かれればいいだろう」
「その必要はないわ」高くも低くもないが、よく通る女性の声がした。「いま戻ったから」
金茶の髪をとき流し、藍色の涼しげなドレスを着た、若い女性の姿だ。背後から竜騎手ロレントゥスがついてきている。
「リアナ
「アエディクラ産の小麦は、
「あなたの生家の利益、ということだろう」デイミオンは鼻を鳴らした。
「大陸南部のアエディクラのほうが耕作適地なのは、事実でしょ。気象を操作すればいいという単純な問題じゃないわ」
リアナは淡々と説明し、貴族たちをぐるりと見まわした。「この議論、何回目? 南部のエサル公もいないのに、話しあいだけ続けても益がないでしょ」
「さようで」
「申し訳もございませぬ」
自分の半分も
同時に、自分の「妻」はなかなかやり手らしいな、とも観察している。
「それより、せっかく学舎の代表がいるんだから、銃の改良についての報告が聞きたいわ」
夫の視線の意味に気づいているのかいないのか、リアナはさっさと話を進めはじめた。
「アエディクラが極秘に開発しているとされる、連射式の機構と同じものを、南部でも研究中です。つきましては、量産に向けての予算を」
簡潔な報告に、王配はうなずいた。「北部領から出すわ」
「なぜ、そんなものが必要なんです?」エクハリトス家の代表として座っている竜騎手サンディが、そう尋ねた。
「竜術を使えば、いくらでも連射できるというのに。わざわざ、人間の劣った技術を使うなんて」
「黒竜のコーラーは希少な専門職よ。彼らには銃兵ではなく指揮官を務めてもらわなくては」
「
「十分な数の
リアナにやりこめられ、サンディは怒りで顔を赤くした。血筋正しい貴重な若者ではあるが、なにしろ激しやすいところが欠点だな、などとデイミオンは思う。
「それと」リアナはサンディを
「それは結構なことですな」
賛成の声があがると、リアナはうなずいて立ちあがった。
「……じゃあ、それでお願い。わたしは領地から戻ったばかりなので、竜の様子を見てきます」
**
「あいつは、いったいなんなんだ? まるで自分が王みたいじゃないか」
貴族たちが解散すると、デイミオンはそうこぼした。長い脚を机の上に投げだし、首をまわして音を鳴らす。手に持った革袋を、ぽんと宙に放っては受けとめる。……身体がずいぶんとなまっている。
竜騎手団長だった頃は、『摂政王子』だのと呼ばれるより自身が王になりたいと思っていた。希望がかなった今は、可能なら竜騎手団長に復帰して竜を駆って飛びまわりたいと感じるのだから、人生は皮肉なものだ。
「政策のほとんどは、お二人で決めたものですよ」副官のハダルクがとりなした。「陛下が内容を、その、お忘れですので、リアナさまが代わりにご説明されただけで」
「まあ、そうなんだろうがな」
デイミオンは面白くなさそうに言った。革袋のなかのものを、ざらざらと口に流しこむ。
「
「いいや」デイミオンは青い実を
ハダルクが表情をゆるめた。「そうですか。はやく、リアナさまのことを思いだされるといいですね」
「まったくだ」ハダルクが想像しているような心温まる理由ではないが、記憶は取り戻したい。デイミオンは酸味に眉をしかめた。
「俺が知らないことを、向こうが知っている。まったく
そして、袋いっぱいのブルーベリーをもりもりとほお張った。
**
竜舎に行こうとして、ふと、新しい竜舎ができたんだったなと思いだす。古いほうはアーダルには手狭になったので、旧「王の間」を改装したのだった。すぐに思いだしたものの、やはり、記憶が混乱している箇所がある。
まあ、一年も脳を使っていなかったのだ。多少の不具合はしかたがあるまい。
国政にかかわるような大事ならともかく、ちょっとした記憶の欠落くらい、アーダルの無事にくらべれば安いものだ。
(それにしても、どういうわけだろうな)とデイミオンは不思議に思った。
(仮にも自分で選んだつがいの相手を、俺が忘れるなんて)
長いつきあいの竜騎手たちからは、「独身気分に戻りたくおなりになったのでは」などとからかわれて、苦笑するしかない。
驚きはしたが、それだって、妻そのものが煙と消えてなくなったわけではない。時間をかけて思いだせばいいだけの話だと、デイミオンは軽く考えていた。
立派な天空竜舎に入り、愛竜アーダルのもとへ向かうと、ちょうど胸中の人物がそこに立っていた。アーダルのつがいが、美しい白竜レーデルル。そして、そのライダーが……。
「――リアナ」ようやく慣れてきた名前を口に出すと、彼女の肩がびくりと震えた。北部領から一緒に帰ってくるはずが、ついさっき帰ってきたのは、たしか……デイミオンは記憶をたぐり寄せた。
「スターバウの領地に寄ったんだったか。フィルバートはどうしていた?」
難しい質問でもないのに、なぜかリアナは間をおいてから「元気だったわ」と答える。
「あいつが、あなたの第二配偶者なんだったか?」
「一年限定のね」
「ふーん」
デイミオンは首をひねった。「変な感じだな、あいつと妻を共有していたとは」
複数婚が当たり前の竜族で、兄弟が同時に一人の女性の夫となるのはめずらしいことではない。自分とのあいだに子どもができなくとも、それに近い血の子を得られるという意味では益がある。
とはいえ、妙な感覚ではある。フィルバートとはあまり兄弟らしいつきあいをしてこなかったので、そのせいかもしれない。あの弟に繁殖期の相手ができたのだから、それ自体は喜ばしいことだが。なにしろ、戦功いちじるしいにも関わらず〈ハートレス〉だからという理由で結婚もしていなかった男である。
不審を感じている夫に、リアナは特に説明をしてくれるわけでもなく黙っている。
「妻が帰ってきたのに、お帰りのハグはないの?」
スミレ色の目が、じっと見あげてきた。
「あ、ああ……」
デイミオンはぎこちなく妻を抱擁した。小柄だな、となんとなく思う――が、グウィナあたりと比べるから、そう感じるだけかもしれない。彼は体格の良い、大柄な女性のほうが好みだった。
ふわふわしたミルクティー色の髪が、その細い肩にこぼれていた。彼女は桃とやわらかなダマスクのような香りがした。しかし、やはり、つがいの相手であるという強い確信は感じられなかった。その代わり――
「〈血の呼ばい〉があるな」デイミオンはくっきりした眉を寄せた。「ナイムが廃嫡した後、王太子は不在だと思っていたが。……なぜ、おまえとの間に?」
「わからないの」リアナはさりげなく身体を離そうとしながら、首をふった。「以前、わたしが王だった時代、二人の間に〈血の呼ばい〉があった」
「だが、今度は力の向きが逆だ。俺が王で、おまえが王太子? ……にしても、糸が弱いな。かなり近づかないと感じ取れない」
「そうなの」
腕のなかでもぞもぞと身じろぎしている妻の腕をつかんで、いぶかしげに見下ろした。この女はなぜ、人みしりする猫みたいに夫の抱擁を嫌がるんだ?
「だから、なにかの間違いかも。二人とも、いろいろ混乱していたし。わたしの体調は……その、不安定だし」
リアナは言葉どおりの難しい顔で言った。「エンガス卿に診察してもらう予定だから、また相談してみるわ」
「そうしてくれ」よくわからないながら、デイミオンは答えた。記憶がどうであれ、自分の妻の不調は望ましいものではないからだ。
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