2. 坊主ども、ザリガニ釣ろうぜ!


 ♢♦♢  ――リアナ――


「イタズラ成功だなー!」


 ハイタッチなどしている養父ちち従弟いとこたちを見て、フィルは大げさなため息をついた。

「いいトシをして、リックもおまえたちも……」


「二人は、リックと一緒だったのね」

 リアナが言うと、ナイムがはにかんだ。「竜もいないしつまらないだろうと思ったんだけど、ヴィクが来たがったので。でも、西部は思ったより楽しいです」

「よかった」

 ナイメリオンは、いまのマルくらいの年齢で、デイミオンからの〈血の呼ばい〉を受け、王太子となった少年である。期待と重圧で鬱屈うっくつしていたようだが、いまのナイムは王城にいたときよりも明るく健康に見える。弟を大陸周遊しゅうゆうの旅に連れ出したヴィクの判断が当たったのだろう。



「みんなそろったな? よーし、坊主どもー!」

 リックが景気よく呼びかけた。「池に行くぞー! ザリガニ釣ろうぜ」


 それを聞いた三人の男児たちは、それぞれに喜びを表現した。ナイムは口笛をふいて荷物のなかを確認し、マルも従兄のまねをして袋のなかをのぞいた。ヴィクは「そんな幼稚なものには俺は興味ないけど、どうしてもというなら行ってもいい」という顔を作ろうとしていた。もちろん、内心ではうずうずしているのがすぐにわかる顔だ。


「みんな行くの? 楽しそう。わたしも行こうかな」リアナはすっかりその気になってきた。


「もちろん、あなたも来てくださらなくちゃ」リックがにこやかに言い、息子のほうをふり返った。

「で、どうする坊主? おまえも行くだろ?」

「領地の仕事が、まだ……」

 しぶるフィルに、リックは笑顔で何度もうなずいた。「そうかそうか、仕事じゃしかたないな、じゃあ上王陛下の警護はこの流れの剣士1と2にまかせておきなさい。いやぁ腕が鳴るなぁ」


 『坊主』と呼ばれた竜殺しは、あきらめたように首をふった。「見えすいた手口だ」




 住民たちから「ザ・ポンド」とだけ呼ばれている場所は、屋敷の窓からも見える近さにあり、「ザ・レイク」と並び領民の憩いの場となっている。


 自分も参加するつもりで来たのに、池につくとリアナはすこしばかり疲労を感じた。ちょうど、やや高くなった場所にパラソルと椅子があったので、そこでしばらく彼らの遊びを見まもることに変更した。

 夏の緑が適度に日をさえぎり、ヤナギが池にも涼しげな影を落としていた。列を作って泳ぐカモに、首が長く優美なガン。地面では亀が甲羅を干している。遠くにはボートハウスも見えた。完璧な夏の光景だ。




「ぼく、青いのを釣ったの」マルがやってきて、リアナに青いザリガニを見せた。

「これは、めずらしい色よ。きれいねぇ」

 ザリガニもかわいいし、それを見せにくる子どももかわいい。頭を撫でてやると、マルはよじ登ってきて隣にすわり、さらに話し続けた。

「ぼくゼーゼンから来たの。お母さまはタマリスに行かなきゃいけないし、タマリスには子どもが遊ぶ場所はないからって。それでグウィナが、ヴィクたちと一緒に行けば楽しいよって言ったから」

 それは体のいい厄介ばらいにひとしかったが、子どもの手前、リアナはレヘリーンを非難するのはやめておいた。

「グウィナは優しいわよね」

「うんぼく、グウィナ好き」マルはバケツのなかをかきまわしながら言った。「お母さまの次に好きかな」

「そう……」

 リアナの目線の先には、もくもくとザリガニを釣っているフィルの姿があった。タマリスで母親と歓談していたフィルだが、「興味も関心もない」と後で言っていた。けれど彼だって、母親が一番好きだった時期があったに違いないのに、と残念に思う。レヘリーンは自分の選択で、子どもの愛をおろそかにしてしまったのだ。願わくば、この子の愛情が行き先を失いませんように。



「ぼくロープを十種類も結べるよ。ヴィクに習ったの。火をおこすのは、こんど、ナイムが教えてくれるって」

 この年頃の男の子特有の、自慢とも報告ともつかないとりとめないおしゃべりを、リアナは目を細めて聞いていた。

「いいお兄さんたちね」

「それで青いザリガニは、ほんとはナイムが見つけたんだけど、ぼくに捕まえさせてくれたんだ」

「そうなの?」

 ふむ。どうやら、ナイムの成長のあとというわけだ。リアナは頬づえをつき、男たちのお遊びを見まもる作業に戻った。水面みなもに反射した光がちらちらとまぶしく、軽い頭痛をおぼえた。しばらく前から頭痛を感じることが増え、〈呼ばい病み〉かと思っていたが、どうも違うらしい。エンガス卿に相談しなければいけないのかと思うと気が沈んだ。



 ♢♦♢  ――フィル――



「こんなもの釣って、なにがおもしろいんだ」

 さっそくエサに食いついてきたザリガニをバケツにいれ、フィルはぼやいた。魚釣りの神髄は大物釣りと心得ているフィルである。簡単にとれるものは面白くないのだ。


「おまえは昔から、そういうスカしたところがあるよなぁ」リックは糸の先に脂身をつけながら言った。

「あなたの頭は十二歳あたりで成長を止めたらしいな」フィルも言いかえす。

 

「俺はいつまでも少年の心を忘れないと誓うぞ。三百歳になってもザリガニを釣り、棒きれを見つけたらふりまわす男でありたい」

 そして、堂々と宣言した。「諸君ジェントルメン、一番たくさん釣ったやつが、正餐ディナーでリアナの隣に座っていいぞ。おー!」


「おー!」マルが、つられて拳をふりあげた。

「リアナをトロフィー扱いするな」フィルが噛みついた。

「それ、なにかご褒美ほうびになるの?」ナイムはうさんくさそうな顔になった。

「俺は……女とつるんだりはしない……」ヴィクはクールを気どって言った。


「また言ってる」ナイムがあきれたように兄を見た。「最近、ヴィクずっとこうなんだよ。変な病気じゃないかな」


「やせ我慢は、男なら誰しも通る道だぞ。ナイム、おまえにもいつかはわかる」

 リックが、さも分かっていると言いたげに深くうなずいた。「古竜は腐肉をわず。竜騎手ライダーは食わねど高楊枝ってな」

「そんなものかな?」ナイムはうたがわしい顔のままだ。


「そうだぞ。……きれいなお姉さんの前で格好つけたいがために、骨を折ったやつもいたしな」

「どこの誰の話だよ?」ヴィクが興味を引かれたように聞く。

「どこかの竜殺しの、昔のお話」リックがにやりとする。


「そういえば最近は、夫の座を奪えずに、泣いて実家おうちに戻ってきたやつもいたな」

「……俺の話なのか?」

「どこかの竜殺しとは無関係なお話だよ、もちろん」

 養父の当てこすりに、フィルはむっつりと視線をそらした。


 マルは、一匹釣るごとにいちいちリアナのところに見せにいっている。彼女も楽しそうにこれは大きいだのハサミが立派だのと褒めていた。

 頭を撫でられてうれしそうにしている子どもに、リックは目を細めた。

「マルは美女が好きだなぁ。いいなぁ、俺も撫でられたい」

「そんなこと絶対にさせないからな」

 フィルは陰うつに言った。「リアナも、なんであんなのにかまうんだ」

くな妬くな」


 おとなげない嫉妬はともかくとして、……やはり、彼女の様子が気になった。機嫌よく静かにしているときのリアナは、かえって調子が悪いことが多いからだ。負けず嫌いがわざわいして、周囲に不調を気取けどられまいとするところがあることをフィルはよく知っていた。

 去年の春の、あのタマリスでルーイの竜車に乗ってきたときもそうだったが、自身の体調に鈍感な彼女のそぶりを見ると、フィルはどうしても気になって、いらだちを感じてしまう。どうしてデイミオンは、あんなふうな彼女を放っておけるのかわからない。……近づいていくと、リアナは顔をあげ、笑った。


「あなたもザリガニを見せにきたの?」


 フィルはそれに答えず、彼女の頬に自分の手の甲をあてた。それから、額にも。リアナは手の冷たさを感じているように、スミレ色の目を閉じた。

 木漏こもれ日が、白い顔のうえに点描のような影を落としている。薄いまぶたには青白い血管が見え、目の全体にまるい影ができていた。


「顔が赤い。熱があるのかも」フィルはくっきりした眉を寄せた。「……具合は?」


「悪くないわ」リアナは微笑んでから言った。それから、めずらしく本音を言った。


「でも、疲れた。……すこし疲れたの」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る