1. 誤解だ、俺の子どもじゃない


 北部領ノーザンったリアナが西部、スターバウ家の屋敷に着いたのは、午後の早い時間帯だった。


 随行団も古竜レーデルルも、夫デイミオンも、先にタマリスに帰っている。以前からの約束があって、領内の慰霊祭に出る予定にしていたので、リアナだけこちらに寄る形だ。

 連れてきた護衛は少なく、うちの一人ロールはこの滞在のあいだ実家に帰らせる予定で、すでに出立している。彼の生家が、ちょうどスターバウ領にほど近い場所にあると聞いたので、実家で休養をとるようにとすすめたのだった。


 屋敷に着いたリアナを出迎えたのは、家令かれいのレフタスだった。フィルとの婚姻関係があった一年のあいだに二度ほど滞在しただけだが、その際もいまも変わらず家族的なもてなしをしてくれる。


「お部屋と侍女は、前回とおなじように準備しました。明日はお昼からの行事になりますから、今日はゆっくりなさってください」

 ストア領の慰霊祭は、領が節目ごとにおこなっているものだ。寄付の案内や領主のあいさつについてなど、レフタスが簡単に説明してくれる。スピーチもなさそうだし、打ち合わせはあとでもいいだろう。


「フィルは戻ってきているの?」

「はい。ここ二週間ほど滞在しておられます。おかげで書類仕事がはかどって」

 尋ねると、レフタスは上機嫌で答えた。「ちょうど、リカルドさまもお帰りになるということで、お迎えに行かれたばかりです」


「リックが帰ってくるの?」リアナは顔を輝かせた。「フィルとは、入れ違いになっちゃったのね」


「ええ。もうお戻りになると思うのですが」


「それじゃ、迎えに出てみるわ」リアナは笑顔できびすを返した。


 ♢♦♢


 スターバウ領は、西部最大の穀倉こくそう地帯としてよく知られている。


 西の端をニザラン先住民自治領ディストリクトと接していて、かつては領境をめぐっての争いが頻発ひんぱつしていた。同時に、ニザランに近い領地では家畜がよく育つという言い習わしがあり、国内屈指くっしの豊かな酪農らくのう地帯でもある。経済基盤に竜が関与していないことと、豊かな農畜産物を狙うならず者たちへの対処として剣士の需要が高いことから、人口における〈ハートレス〉の割合が高いことでも知られていた。


 広々とした敷地を出ると街道に続く道が伸びていて、片側はなだらかな丘になっている。見通しのいい木陰こかげに腰をおろし、リアナはのんびりと二人を待つつもりだった。


 日も高く忙しい時間帯で、領民たちはそれぞれの仕事に精を出しているとみえ、まだ誰もリアナの存在に気づいていないようだった。


 青々とした麦畑から、夏の匂いを感じる。空には勢いよく白雲が噴きだしていた。気づいたらもう春が終わっていたという気がする。


(こんなにも季節に鈍感で、白竜のライダー失格だわ)


 頬づえをつきながらぼんやりと物思っていると、走り竜ストライダーが二頭、こちらに近づいて来ていた。黄褐色と黒褐色の、それぞれ黄金の縞が入った見事な竜だ。鞍上あんじょうから降りてきた二人に、リアナは笑顔になった。


 フィルが先に気づいたようだった。

「リアナ」

 だが、すぐには近づいてこない。二人が婚姻関係を解消して、まだ数週間も経っていない。複雑な思いはどちらにもあるだろうが、今のリアナは彼の姿を見ただけでほっとした。フィルはここにいるし、わたしのことを忘れてもいない。


 先にハグを求めてきたのは、隣の男のほうだった。行儀など気にしない、というふうに乱雑に抱きしめて、全身で歓迎をあらわしてくれる。

「リック」

「リアナ、わが最愛の姫ぎみ」

 フィルバートの養父、リカルド・スターバウが明るく呼びかけた。兄弟の叔母グウィナとおなじく、リアナが敬愛する数少ない義理の親類のひとりだ。


 明るい茶色の目はいたずらっぽく輝き、目もとに優しい皺が寄っている。「領地に入ったとたん、ここに白竜の女神が来ているとわかったよ。あなたが夏を連れてきてくれたのかな?」

 リカルド・スターバウは名の知れた剣豪で領主でもあるのだが、どこか流れ者めいた印象を人に与えた。日に焼けて黒い肌とたくましい体格、派手な服装、明るく快活な声。栗色の髪は、短髪だったのがしばらく整えていないという長さで、耳や襟足でゆるやかにうねっている。海賊にも旅芸人にもお忍びの王にも見えるような、不思議な男だった。


「二人を待っていたの」と、リアナ。

「なんと嬉しい出迎えだろう。埴生はにゅうの宿も、あなたが待っていると思うと宮殿にもまさる輝きだね」と、リック。

「フィルとは婚姻関係がなくなったから……、約束だったので来たけれど、お邪魔じゃなかったでしょうか」

「もちろん、来てくださると楽しみにしていたよ。あなたは約束を守る女性だからね」


 リックの暖かい言葉がうれしい。ついで、リアナはフィルに向きあった。別れた元夫との再会のあいさつをどうすればいいのか悩んでいるうちに、リックが解決してくれる。

「家族のハグは?」

 そう養父にうながされ、フィルはおそるおそるリアナを抱擁ほうようした。ひさしぶりのフィルの匂いと、力強い腕の感覚に、張りつめていたものがゆるんだ。思わず安堵のため息がもれると、まわした腕の力が強まった。

(デイミオンにも、またこうして抱いてもらえる日はくるのかしら?)

 いま考えてもしかたがないことだが、そんなことを思ってしまう。

 抱擁をとくと、フィルは彼女の頬を撫でた。「いつ着いたんだ? 護衛は?」といかにも彼らしいことを聞いてくる。


「あなたの領地だもの、心配ないわ」

「そういう問題じゃ……。俺は領地の仕事があるし、あなたに張りついて護衛するわけにもいかないんだよ」

「大丈夫よ、行事のときは一緒に行くんだし。あとはあなたの仕事ぶりを見たりして過ごすし、外に行くときはシジュンを連れていくから」


「おぉ、私の姫君は剣士を探しておられるのかな?」芝居がかったそぶりで、リックが剣をぬく真似をした。「美しい女性を守ることを生業なりわいとする流れの剣士が、ここにおりますが」


「あなたの生業は領地の経営だろう」フィルが苦言した。

「ふふ」そのフィルもまじめな領主とは言いがたい、流れの剣士のような生活なのだから、リアナはおかしかった。「もう戻る? どこかへ寄るの?」


「屋敷に戻るよ。……ヴィクとナイムも来るはずなんだけど、すれ違ったかな」フィルがつぶやいた。

「二人も来るの?」

「いや、そもそもあいつらは、養父リックと一緒に行動してたと思うんだけど……」

「子どもたちは好きにするさ」リックは気にしていないそぶりだった。


 ヴィクとナイムは――ナイムのほうとは政敵関係もあったにせよ――リアナにとっても家族同様の子どもたちだ。二人とも成人したばかりの年齢で(※竜族の成人は十六歳)、ナイムの謹慎きんしんを機に国内を旅していると聞いている。


「近くにいるなら、迎えに行きましょうよ。ナイムがいるから、〈呼ばい〉を使えばどこにいるかわかるわ……」


 そう提案しかけた時だった。


「パパ!」


 かん高い声と、ぶつかるように飛びついてくるなにかの音がかぶさった。向かいあって会話していたリアナの目からは、木陰からすばやく飛びだしてきた小柄なものが見えた。


「え?」と、リアナ。

「ん?」と、フィルがふり返る。

 

「パパ? ……」

 リアナは、フィルの腰にしがみついている子どもをまじまじと見た。「フィル、あなた、領地に子どもがいたの?」



「ち、違う!」

 フィルは見るまに真っ青になった。「誤解だ、俺の子どもじゃない!」


「ほんとに?」

「リア! 信じてくれ。あなたに疑われるとつらい……」


 腕を広げて哀願する養い子を、リックが満面の笑顔で観察している。「おやおや」


「だけど、すごく似てるわ。フィルが子どもになったみたい」

 リアナは中腰になって少年の顔をはさみ、しみじみと眺めた。


 出会ったころのヴィクやナイムくらいの年齢に見えるが、竜族の子どもの発達はまちまちだ。六歳から十二歳のあいだのどこかというところだろう。髪の色はやや淡く、目はハシバミで、フィルを子どもにしたらたしかにこんなふうになるだろうという色の組み合わせだった。顔だちも似ている。

「あなた、名前はなんていうの? どこから来たの?」


「あのう、ぼく、ぼくね」少年は顔をあからめ、もじもじと言った。


「あなたも知ってる子ですよ。俺の隠し子なんかじゃない」

 フィルは子どもを引きはがしにかかった。「こんなことをやらかすのは、あいつらに決まってる――」

 きびすを返して探しに行こうとしたとき、その「あいつら」は向こうから現れた。姿よりも先に、こらえきれない笑い声が響いてきたのだった。


「あっははは、マジでビビッてやんの、ウケる」

「思ったより効果あったねー」

 木陰から姿を現して、腹を折って笑っている悪童二人。グウィナとハダルクの息子、ヴィクトリオン(ヴィク)とナイメリオン(ナイム)だった。二人とも、チュニックとズボンにショートブーツという軽装だが、足もとにはナップザックがある。彼らも、帰ってきたばかりなのだろう。


「ヴィクとナイムが、『パパ』って言って抱きついてこいって言ったの」

 少年が二人を指さした。

 リックが口笛を吹いた。「大成功だな!」

 どうやら、この引退した元領主も、イタズラに一枚噛んでいたらしい。


「そのままそこにいろ。二度と半濁音が出ないような口にしてやる」

 フィルは憤然ふんぜんと二人のほうに近づいていくが、黙ってそれを待つような少年たちではない。

「うわっ、ヴィクが言ったとおりだ。ホントにキレてる」

「な、言ったろ? 恋愛関係でからかうと、師匠はガチでキレるんだよ」

 ナイムとヴィクはそれぞれに言い、二人して別方向に逃げようとした。その襟首を、フィルがむんずとつかむ。


 リアナは内心ふきだしそうになりながら、そんな三人の様子を見ていた。ヴィクもナイムも本当に身長が伸びて、それぞれの両親に似てきたわと思いながら。

 そして、はたと気がついた。


「わかったわ。あなた、マルね?」リアナは笑顔になった。「マルミオン・エクハリトス。デイとフィルの、新しい弟」

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