3. でも、後悔するんだよ。本当だ


 ♢♦♢  ――リアナ――


 スターバウ家の伝統の正餐ディナーは、バーベキューである。

 一週間前から仕込みがはじまり、肉を焼くのにも半日かかるような本格的なものではあるが、野外料理には違いない。それは庭の一角で、まだ日が明るいうちにはじまる。


 主人であるフィルと手伝いのヴィクは、火の起こし方についてしきりに言い争っていた。

「そのやり方じゃだめだよ、時間がかかりすぎるし、火の質がよくない」

 ヴィクが言った。「炭のならべ方が重要なんだ。フィルはちっともわかってない」

「そっちこそわかってないな。この方法が一番早く、確実に燃えるんだ。おまえは炭を早く入れすぎなんだ」と、フィル。


「俺なら、むしろ炭は使わないね。野宿のときに炭があるか? 俺が言いたいのはそこだよ」リックがひょいと顔を出した。

「おっさんは口を出すなよ」と、ヴィク。

「そうやってひっかきまわして、楽しんでるだけだろう」と、フィルも言う。

 黒竜のライダーであるナイムが調節すれば一発なのだが、本人は「ばかばかしくて、つきあいきれない」と言い、厨房からくすねてきたコールスローを鉢ごと抱えてむさぼっていた。


 フィルそっくりの少年マルは、家令のレフタスに教わりながらレモネードを作っていた。子どもの料理と思いきや、なかなか、凝った品ぞろえだった。ミントシロップ入り、炭酸や、マロウ入りの紫のもの、ブラックベリー入りの甘酸っぱいもの……色あざやかで、いかにも女性にうけそうな飲料だ。


 男たちのほほえましい口ゲンカとピンク色のレモネードを楽しみながら、リアナは焼きあがりを座して待った。……空がレモネードと同じ色に暮れはじめたあたりで、フィルが切り分けた肉と野菜を運んできてくれた。


「焼き加減はどう?」

「ちょうどいいわ」

「レモネードは?」

「これもおいしい。バスタブ一杯くらい飲めそう」


 隣どうしに腰かけ、食事中の二人はあたりさわりのない話をした。リック自慢の、肉にかける特製ソースの材料について。今日ったザリガニは、明日子どもたちが調理するらしいこと。フィルは溜まった書類仕事にうんざりしていること。 


「北部より、やっぱり早く沈むわね」夕陽を見て、リアナが言った。

「北部は……」

 フィルは問いかけてやめ、しばらくためらってから、手を握ってきた。

「……デイミオンは無事だったんだね?」

 確認する口調だった。彼のことだから、すでにそれくらいの情報は得ているだろう。


「ええ」

 リアナはうなずいた。「先にタマリスに戻ったわ」

 もちろん、彼女にとって完全に無事なわけではない。……デイミオンの中から妻に関する記憶だけが抜け落ちているということを、言うべきだろうか?

 だが、フィルはもう彼女の剣であることをやめたのだから、リアナも助けを求めるようなことをやめるべきだろう。力を借りたいといえば、フィルの中に葛藤がうまれ、苦しめることになるだろうから。


「俺がいなくて大変だった?」

 フィルはおそるおそる聞いた。

「うん」

 リアナは素直に答えた。「でも、慣れていかなくちゃね、おたがいに」


「熱があるし……ここに来てから、体調が悪そうだ」

「あなたやリックの顔を見たから、安心して気が抜けたのかも」

「うちの癒し手ヒーラーには、あなたは診せられないし……」

「明後日にはエンガス卿に診てもらうし、大丈夫よ」


 返答を聞いて、フィルは考えこむような間を置いた。そのあいだも、固い親指が確かめるように、ずっとリアナの指をなぞっている。薬指には指輪がある。「一度だけ剣として助ける」という、フィルの約束の指輪が。


「今夜はもうお開きにしよう。あなたは、もう休まないと」

「式典の打ち合わせは?」

「王配や竜騎手の立場じゃないから、参列してくれれば十分だよ。式のあいだは俺が隣にいるし、そのつど教えるから」


 フィルは気づかわしげな顔だったが、それ以上の感情は読みとれなかった。彼の本心を知るのは、いつも難しい。



 ♢♦♢  ――フィル――



 リアナの背をおして邸内に入れたところで、フィルバートははたと気がついた。これまでの滞在で使っていた場所は、領主夫妻の部屋として整えられていたものだ。婚姻関係のない彼女と自分が、そのままそこで眠るわけにはいかない。


 どうやらリアナもそれには気づいていたらしく、周囲に別の部屋を打診していた。


「客間のほうは……」

「俺とナイムが使わせてもらってるよ」と、ヴィクが答える。


「たしか庭に面したデイルームが……」

「私が使っていますよ。あそこはおじさんには暖かくてねぇ」リックがにこやかに、しかしわざとらしく言った。

「もちろん、お望みなら喜んであなたにお譲りするが、寝具シーツからおじさんの匂いがしないかなぁ。心配だ」


 リックの意図は、ワイングラスのなかにワインが入っているのと同じくらい明らかだった。フィルはあきらめて、「俺はどこでも寝られるから。あなたは領主おれの寝台をつかって」と言った。


 リアナは「フィルにまかせるけど、よければ寝台は半分使ってね」と言い、周囲に就寝のあいさつをして、部屋へ向かっていった。ヴィクとナイムもマルを連れ、満足げにあくびをして去っていく。


 フィルは複雑な思いで見おくった。いつもの彼女なら、「フィルが床で寝るなら自分も寝台は使わない」くらいの強気は言う。意地の張り合いをしたいわけではないが、肩透かしをくったせいでよけいに気にかかる。


「添い寝してやらないのか? やせ我慢もいいが、あとで辛くなるぞ」

 息子の内面を見透かしたように、リックが言った。フィルも憮然ぶぜんとして返す。

「もう、夫婦じゃない。彼女がデイミオンを選んだんだ」


「だとしても、疲れきっておまえの腕のなかに戻ってきたんだろう? 年老いた猫みたいに静かだったじゃないか、今日の彼女は」リックは壁に肘をつき、寄りかかった。


「……北部へは強行軍だったみたいだし、代理王の仕事もある。疲労はあたりまえだ」フィルは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。「俺になんとかできることじゃない」


「でも、なんとかしてやりたいと思ったんだよな」リックは優しく言った。「だから、期間限定の夫になった」


「……だけど、無駄だった」フィルは肩を落とした。「支えてほしいとリアナは言ったけど、俺は、それを断った……」

 あんな指輪を渡さないほうがよかっただろうかと、フィルは思った。彼女の身がそんなに心配なら、護衛として側についていればよかったのだ。だが、彼女がデイミオンを取りもどし、その胸の中に飛びこむのを見るのは絶対に嫌だと思った。それを自分に望むリアナは、あまりに身勝手だと思った。

「俺は、そういう愛しかたはできない」


 リックは一歩、息子に近づき、その肩にぽんと手を置いた。「おまえの決めたことだ。それでいいさ」


「あなたはどうなんだ?」フィルは迷いながら尋ねた。「昔、妻がいると言っていただろう。でも、俺がここに来たときには、もうその女性はいなかった」

の女性だったからな」リックはやんわりと答えた。「醜く年老いていくのを見られたくないと言って、俺の側から去っていった。彼女の葬式で再会したよ」

 ずいぶん前にも同じ話をしたことがあったから、そのこと自体は知っていた。


「後悔してるのか?」

「ああ」リックは、子どもたちには見せない、どこか冷たく整った顔でうなずいた。「ふたつの心臓が鼓動をやめるまで後悔するだろう。……だがその後悔があるおかげで、おまえたちと出会えた。あのは、罪悪感を軽くしたくてはじめたようなものだったからな」


「俺は嫌だ」思わず本音が漏れた。「あの人が死んだあとの俺の人生を、想像したくない」

「でも、後悔するんだよ。本当だ」

 養父の顔は奇妙に平静で、感情というものがすべて欠けていた。



 ♢♦♢


 式典の進行と警備をチェックして、服装をあわせて、とやっていると時間が過ぎていった。フィルが自身の部屋に戻ると、すでになかば灯りが落とされ、リアナは広い寝台の片側で眠っていた。ほっとしていいのか、残念に思うところなのか。


 屋敷にいるときしか使わない夜着に着替え、寝台の隣に身をすべりこませた。規則的に上下する肩に、夏用のケットを引きあげてやる。普段のリアナなら、彼を質問ぜめにするためだけに起きているだろう。

 二人の家を出てからどう過ごしていたのか。デイミオンの救出劇は知っていたのか。……問われても答えるつもりはなく、たぶんはぐらかすだけになってしまっただろうが。

(でも、もう寝てる。……疲れていたんだな)


 「疲れたの」、と言ったときのリアナの、その声のかぼそさ。養父リックのうつろな声のひびき。その二つが、交互にフィルの脳をよぎった。


「リックみたいに、あなたを失ってから後悔したくない」

 フィルは、眠る彼女に切なげにささやいた。「でも、あなたの夫にもなれない。……リア、俺はどうしたらいいんだろう? 教えてくれ……」


 それから目の下の影をなぞり、髪をなで、匂いを嗅いだ。どうしようもなく不安になり、眠りに落ちるまでずっと彼女を抱きしめていた。


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