第29話 「おまえは誰だ?」


「リアナ王配」と、デイミオンは呼んだ。


 あきらかに呼びなれていない様子の声に、リアナはショックを受けた。が、それを顔には出さず、穏やかに声をかけた。

「ナイルと話していて、来るのが遅れたわ。乾杯の挨拶はすんでしまった?」


「いや。お二人を待っていた」

 デイミオンは他人行儀にそう言うと、二人をじろじろと見比べた。「従兄妹いとこ同士なんだったか? ジェンナイル公とは?」

 夫とは思えない、その無遠慮な視線がつらい。リアナは「そうよ」とすばやく答えた。「母同士がゼンデン家の姉妹なの」


 デイミオンはその情報を自分が知っているかどうか、よく吟味ぎんみしているように見えた。くっきりした眉をよせ、しばらく考えてから、あきらめたように首を振った。


「まだ、どうにも慣れない。俺が王であるのはともかく、なぜが妻なんだ? ……思いだせない」


 やはり、まだダメか……。

 リアナは目をつむり、襲いかかってくる疲労と失望に耐えた。そして、なぜこうなったのかについて昨夜からの出来事を思いかえしていた。



 ♢♦♢  回想


 アーダルとの同期が断たれた直後のデイミオンは、たしかにリアナを認識していた。彼女がレーデルルから落下したのを助けようとしたのが、同期をとく最大のきっかけになったのだ。

 地上に降りたデイミオンは、いくらか疲れて見え、言葉少なだった。城内に戻るとすぐに医師の診察を受け、軽食をとった。いきなり固形物はよくないという進言で、パン粥と薄いエールの食事だった、はずだ。

 リアナは目を覚ました夫がうれしく、そばを離れる気持ちになれなかった。それで、デイミオンの隣に座ってそこから報告を受けたり指示を出したりしていたのだった。ただ、彼の負担にならないよう会話は最小限だったとは思う。

 それから、椅子にかけていたデイミオンは、ほんのわずか意識を失った。寝台に運ぶかどうかハダルクと話しているあいだに目を覚ましたのを覚えているから、本当にごく短い時間だったのだ。

 それなのに――目を覚ましたときには、その異常は起こっていた。


「デイ? 疲れているなら、ベッドで寝たほうがいいわ」

 そう声をかけたリアナの手を、デイミオンは驚いたようにふり払った。そして、周囲をさっと見まわすと、威圧的に彼女をにらみつけた。

「おまえは誰だ? ……私はどうして北部城塞ノーザンキープにいる?」

 手をふり払われたことと、とげとげしい声に、リアナは疑問よりも先に衝撃を受けてしまった。デイミオンからこんなによそよそしい扱いを受けたことなど、出会ったころを含めてもほとんど一度もない。

「デイミオン……」リアナは衝撃のあまり、ほとんど言葉にもならなかった。



 再びの診察。「どうしてこんなことが起こりうるの?」と医師団につめよった彼女に、エンガスは冷静に告げた。

「強い同期の後遺症として、記憶が一時的に混乱しているのだろう。それほどまれな症状ではない」

「だけど、記憶喪失なんて……本当に、よくあることなの?」

 リアナは半信半疑だった。「治療はどうなるの?」

「治療せずとも、自然に治ることが多い症状だ。おそらく、それほど長くせずに、陛下は記憶をお取り戻しになるだろう」


 エンガスの見立ては、ほぼ正しかったと言ってよい。ハダルクたちと会話するうちに、デイミオンはしだいに記憶を取り戻していったからだ。北部ではメドロートが死んでナイルに代替わりしたこと。自分がもう竜騎手団の団長ではなく、それどころか王位にあること。すでに結婚して一節になる妻がいること――


 それなのに、リアナについての記憶だけが、すっぽりと抜け落ちているらしかった。

 まだ、たった一昼夜。これから徐々に、彼女についての記憶を取り戻していくはずだ。医師団はそう請けあったが、リアナはそこまで楽観的にはなれなかった。今回のアーダルのことも、不調の原因をたどればもとはリアナの〈ばいみ〉があるという。そのことが、夫を奪還だっかんしてからも、ずっと心に引っかかっているのだった。……



 ♢♦♢ ――フラニー――


 国王夫妻にただよう緊張感を、竜騎手フラニーもうっすらと感じ取っていた。いつも、タマリスの夜会では周囲が胸焼けするほどの仲の良さを見せつけていた夫婦なのに、今夜に限って妙によそよそしいのはなぜなのだろう?


 もっとも、二人にしても疲労はあるに違いない。

 彼女自身も疲れを感じていた。種子保存庫の子どもたちからは、ほぼ一日かけてあれこれ聞きだす役割に没頭していた。さいわい竜が好きという共通項があり、エピファニーの仔竜を目の前にすると子どもたちは驚くほど協力的になった。乳母たちから大切に扱われ、栄養状態も年齢相応の教育も問題はなかったものの、外界からの刺激がほとんどなかった点が成長に影響していないかどうかがフラニーは気にかかった。

 さらにこの宴のこともあった。

 竜騎手としての任務しか頭になかったフラニーは、正装のドレスを持ってきていなかった。領主夫人のルーイがリアナの分とあわせて見つくろってくれて助かったが、急なことで肝を冷やしたのも事実である。桜貝のようなかわいらしい色味のドレスは、長身の彼女にはすこし窮屈に感じられた。


「ふーん、そういう色味も似合うな。だけど、あの緋色のドレスのほうが目立つし、おまえに似合うと僕は思うけど」

 隣からサンディが言った。この幼なじみはドレスの趣味がいいので、普段はありがたいアドバイスなのだが……フラニーは首を振った。「繁殖期シーズンの夜会じゃないのよ。今日はナイル公が両陛下を歓待する場なんだから」


「だとしても、もうちょっとアピールしなきゃ。昔は、デイミオン陛下のお妃選び会にまで出てたじゃないか。あの勢いはどうしたんだ?」

「あれは……まだ〈夏〉節に入ったばかりの、分別のない年齢の話じゃないの」

 フラニーは口ごもった。

 サンディは聞いていなかったし、聞いていたとしても傍若無人はいつも通りだった。彼女の腕をつかんで、国王夫妻の前まで引っ張っていく。

「ほらロール、おまえも来いよ」

 不在のザックもふくめ、年齢や立場が近い竜騎手として一緒に行動することが多い四人だが、音頭を取るのはいつもザックかサンディだ。フラニーはあきらめてドレスのすそをなおした。


「フラニー。おたがい、ドレスが間にあってよかったわね」

 彼女が近づいていくと、リアナは優しく声をかけた。だが、頬のあたりがこわばっているのがフラニーにはわかった。やはり……タイミングが悪かったのではと気になる。


 一方、竜王デイミオンは、一年間もの眠りが嘘のように上機嫌だった。サンディをからかう余裕すらある。

「ロールとフラニーと……うん? 隣の坊主は誰だ?」

「ひどいなぁ陛下。僕はあなたの秘蔵ひぞっ子だと思ってたのに。忘れたんですか?」王と似た雰囲気の美貌で、サンディはふくれてみせた。

「ははは」デイミオンは明るく笑った。「冗談だ、サンディ。おまえが竜騎手になったと騒いでいたのは、ちゃんと覚えているぞ」


 そして、王は彼女のほうを見た。とびぬけて長身で、威圧的で、思わずもたれかかりたくなるような安心感があって……。王配リアナと自分は、同じ節(年齢)だ。だが、彼女がまだタマリスに影も形もないころから、フラニーはデイミオン・エクハリトスに恋い焦がれている。

「今回は……私とアーダルの救出のために、尽力してくれたと聞いている。三人とも、恩に着る」

 低く優しい声に、フラニーは思わず顔を赤くしてしまう。

「彼女は、貯蔵庫から子どもたちを見つけだしたんですよ」国王にアピールするように、サンディが言う。

「ロールも大活躍だったわね。デーグルモールを戦闘不能にするのは、彼なくしてうまくいかなかったわ」隣から、リアナが言った。

 家柄や血統ではサンディやザックに隠れがちだが、ロレントゥスは優秀な竜騎手だ。それなりの努力をしていることも知っているので、同輩が認められてフラニーも嬉しかった。


 リアナが子どもたちについて尋ねてきて、二人はしばし話しこんだ。カイもエリサも賢く好奇心旺盛な子どもであること。きちんと養育されてはいるが、刺激に乏しい環境ではあったらしいこと。領主家の子どもたちは通常、成人の年までは領地で育つ通例だが、タマリスで過ごす期間をもうけるのも良いのでは、というフラニー自身の意見も伝えた。


 ふと二人の会話がとぎれ、サンディのとげとげしい声が聞こえてきた。デイミオンを含めた数名で会話していたようだ。ハンサムな独身の竜騎手が二人そろっていることもあって、女性たちも群がっている。どうやら、ロールが作戦の功労者として扱われているのが面白くないらしい。

「明日にはお帰りになるなんて、残念でたまりませんわ。ロレントゥス卿」

「こちらでずっと過ごしていただくわけにはいきませんの? そのお日さまみたいな髪を見られれば、北部の長い冬も心たのしく過ごせそうですのに」

 女性たちの甘い誘いにも、ロールはやんわりと断る雰囲気をだしていた。

「そうしたいのはやまやまなのですが、竜騎手の任務がありますし……」

「そうそう、それにどうせこいつではみなさんのご期待には沿えませんよ」


「サンディ。妙にからむのはやめなさいよ」

 フラニーはつい見かねて声をかけた。こういうときザックがいれば、雰囲気を悪くせずにうまく止めてくれるのだが。サンディは自分の忠告は聞かないのだ。


 案の定、よけい火に油をそそいでしまったらしい。

 サンディはさらに一歩、ロールに詰めよると、胸ポケットから一枚の紙を抜きだした。

「やっぱり、今日も持っていたか」サンディは勝ち誇ったように言うと、持っていた紙を女性たちに向かって見せつけた。

「こいつは男しか愛せない男なんですよ。もうずっと前から、ザックに懸想けそうしている」


「ロール……本当なの?」フラニーは思わず、サンディの行為も忘れて尋ねてしまった。


「私は……」ロールは青い顔で口をひらいたが、その後をつなぐことはできなかった。リアナがつかつかと歩き寄ってきて、グラスの中身をサンディに引っかけたからである。

 その場にいた者たちはもちろん、給仕や楽隊まで一瞬、動きを止めて静まり返った。


「わっぷ」

「あなた時々、心底から胸クソ悪い男になるわね、サンディ」リアナは淡々と言ったが、内容はなかなか強烈だった。


「ちょっと夜風を浴びてくるので、これで失礼。……この竜騎手は護衛に借りていくわね」

 そう言うと、ぼうぜんと立ち尽くしているロールの袖をひっつかんで、足音も高く部屋を出ていった。



「やぁ、紫のいかずちが通るのが見えましたね」ナイルも近づいてきて、にこやかに言った。

「なんなんだ、彼女は?」デイミオンは妻の後姿を見おくって、あっけにとられた顔をしている。

「いつもああなのか? 俺の妻というのは、もっと落ちつきがあるものだと思っていたが」

「昔っからああいう女性ひとですよ」サンディはくものを探しながら噛みつくような勢いで言った。「どうしてあんな人を選んだんです?」

 デイミオンは嘆息する。「やり方はともあれ、おまえが悪いことに変わりはないがな」


「あの……?」フラニーは、思わず疑問を口に出していた。

「記憶は、まだ完全にお戻りになっていないのですか?」

 その疑問に、デイミオンは顔をしかめた。

「彼女に関する部分だけな。つがいの誓いを立てたとは聞いたんだが、そのあたりの記憶があいまいで。……ずいぶん喧嘩っ早い婦人だな」



「ほら、やっぱり、チャンスじゃないか」テーブルクロスで服をふきながら、サンディがささやいた。



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