第28話 ブルーモーメント


 ♢♦♢ ――ナイル――



 北の城の大広間は、ひとつの小さな町ほどの広さがある。普段は意識しないが、こうして領民たちが集まっているのを上から確認すると、ナイルにはことさら広く感じられた。


 劇的なデイミオン救出作戦の成功から一夜あけ、もう午後である。この一日はあまりにも目まぐるしかった。長年の謎が一気に解決したとも言えるし、あらたな懸念が増えたとも言えるし……。ともあれ、彼は領主であり、領民たちへの義務を果たさなければならない。そのひとつが上王リアナのお披露目で、出立しゅったつの前日になって、ようやくそれが叶うことになった。ナイルとリアナは、大広間のバルコニーから眼下の人々に手を振って、友好の意をしめしていた。歓声をあげる者あり、色テープを投げる者あり、ちゃっかりと屋台を出して小金を集めようという者あり……。


 リアナはにこやかに手を振っていたが、楽隊の演奏がはじまると、腰かけてまじめな顔つきになった。なにしろ忙しい二人なので、顔を合わせると話しておくべきことが山ほどあるのだった。

「男女の親から生まれない子どもがいるなんて」

 リアナは例の子どもたちについて、そう切りだした。「しかもそれが、わたしたちの家族の……エリサ・ゼンデンとケイリーク・カールゼンデンの複製だなんて」

 それが、子どもたちの親の名前にして、彼ら本人の名前だった。三老人の話が正しければ、装置を使って生まれた子どもたちは、親とまったく同じ形質をもつという。容姿、目の色、ライダーの能力、病気のかかりやすさなどは親そのもので、後天的に獲得される経験や知識はない。

「つまり……あの少女は、リアナの母エリサの、遅れて生まれてきた双子の姉妹のようなものと言える」と、エピファニーは説明した。……それを聞いた時の二人の、畏怖いふ戦慄せんりつははかりしれなかった。


「私にも信じられない」ナイルは言った。「カイ……ケイリークについては肖像画でしか見たことがないけど、少なくともエリサは、私の知るままの少女だった。まるで、時が止まってしまったみたいで、肝が冷えたよ」

「あなたは、私の母を知っているんだったわね」

 リアナの言葉にうなずきながら、年の近かった叔母エリサの記憶をたぐり寄せる。目の色は、たしかにリアナとおなじスミレ色だった。だが、もつれたような茶髪にそばかす顔のやせた少女は、控えめに言ってリアナよりずいぶんと地味な容貌ではあった。


「ノーザンの冬の無慈悲さを、そのままうつしとったような人だった。苛烈かれつで、統率力があって……」

「子どもたちは、あの二人だけで間違いないの?」

「うん、彼らが装置から生みだした最後の二人だと言うことだよ」

 ナイルは説明した。「そもそも、北部うちは閉鎖的な場所で、身元不明の孤児は多くない。ルーイのときもそれなりに話題になったくらいだ」


「ルーイも、その装置から生まれたのかしら?」

「三老人たちは、そう主張しているけど、どうだろう……」ナイルは言いよどんだ。「彼女を養子に取った家に記録がないか見ているけど、はっきりするかどうか。なにしろ二十年以上前の話になるし、聴取しようにも、老人たちはあの通りだしね」


「協力者の目星はついた?」

 そう問われることはわかっていたが、ナイルは息を整えるための間を置かなければならなかった。

「……アイダと、スワン家の数名が関与していたと」


 リアナもまたその答えを予想していたように、小さくうなずいた。「そんなところでしょうね」


 実際のところ、疑わしい点は以前からあった。そもそも、アイダとの結婚自体、スワン家からの強い勧めがあってのことだった。ナイルはそのことを、リアナに説明した。

 ルーイと結婚するときに、まわりからアイダもめとるよう勧められたこと。子どももいない状態での初婚で、孤児のルーイに対して風当たりも強くなるという懸念があったこと。同時に、昔から姉のように思っていたアイダが病がちで子どもができないことも知っていた。教育係という名目でアイダを第一配偶者に据えておけば、いろいろとうまく収まると当初は考えていたのだった。


「そういうわけで、アイダとは実際の夫婦関係はないんだけど……」

「ルーイはそのこと、知ってるの?」

「いいや」ナイルはそっと首を振った。「今回のことがいい機会だと思うから、打ち明けるよ」

「そうね。それがいいわ」リアナもうなずいた。「跡継あとつぎをもうけるためには、どうしても複数婚という形になってしまうけど……、やっぱり、どちらかに別の相手がいるというのはつらいものだと思ったわ」


「そうだね」

 それは、一年限定とはいえ、二人目の夫をもったリアナの本心であるように、ナイルには思われた。

「私には、領主として一族の長としての責任がある。でも、ルーイ以外の女性を求める気持ちはない。……先のことはいろいろ考えてしまうけど、なかなか、割りきれるものじゃないね」 


「それを聞けてよかったわ」リアナは彼の前腕に手を置いた。

「子どもたちの行く先を決めなくてはね」

 

「二つの家で、それぞれに養育する……というのがいいのだろうけど、あの二人を離すのはかわいそうな気もしていてね」

 ナイルは思案げに言った。リアナも考える様子だった。

「二人に聞いてみるのがいいと思うわ」

「そう思う?」

「ええ。……たとえ、彼らがライダーの血統を存続させるために生みだされたとしても、家のために犠牲になる必要はないもの」


(やはり、エリサとは違う)と、ナイルは思う。

 エリサ・ゼンデンの正義は「より多くの者の幸福」だった。そのために少数が犠牲になることはやむをえないと切り捨てるのが、ナイルの知る彼女だった。犠牲を選ぶ覚悟はリアナにもあるが、それでも最善の道を探そうとする従妹いとこが、ナイルには頼もしく思えた。


 楽隊の演奏が終わった。二人はにこやかにうなずいて、拍手をした。しばらくすると、宴席の準備ができたと侍従じじゅうがつたえに来た。二人は立ちあがる。


「大変なときに、領民へのお披露目と、宴席への参加まで……悪かったね」


「いいのよ」リアナはぎこちなく笑った。「あなたの協力がなければ、デイミオンを取り戻せなかった。感謝しているわ」


「だが、完全な形ではない」ナイルは表情をくもらせた。「思いもかけないことだった……デイミオン陛下が、記憶を失ってしまっているなんて」


 リアナは黙りこんだ。

 二人分の沈黙をのせて、昇降機はあがっていく。



♢♦♢ ――リアナ――



 別れの宴席は、特別に最上部の展望広間でもよおされることになっていた。もっとも、黒竜王デイミオンが北部を訪れていることは喧伝けんでんできないので、集まっているのは竜騎手と一部の貴族だけだった。それでも、百名ほどはいるだろうか。


 リアナとナイルが広間に入っていくと、いっせいに場が静まり、期待に満ちた沈黙が広がる。ナイルは正装の白い長衣ルクヴァ姿。隣のリアナは、青みがかったローズピンクのドレス姿だった。

 二人はにこやかに場の中央まで移動していく。ガラス製のドームを通じて、夕暮れ後の薄明の空が天井を覆っている。青空とも夜空とも違う、深く濃い青の幻想的な色あいが美しい。


「デイミオン」

 リアナは大きく息をつき、いつにない緊張感を持って夫に呼びかけた。側に控えていたハダルクが、遠慮してすっと脇にひいた。


 急な旅とあって王としての正装は用意していなかったので、濃紺のシンプルな長衣ルクヴァを着ていた。伸びかけの黒い短髪はくしけずられ、リアナと同じ銀の簡易冠でとめられている。一マイル先からでもわかると言われる威圧的な長身に彫刻のような美貌は、まさに王国の誇る黒竜の王にふさわしい。だが……。


 青い目がこちらを向き、検分けんぶんするように細められた。それからわずかな間があって、「……リアナ王配?」と彼は確認した。


「ええ、そうよ」リアナは失望を隠すように強く目をつむってから、開いた。「わたしはあなたの妻。思いだした?」


 けげんに細められた青い目が、問いかけへの答えがノーであることをはっきりと示していた。

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