第30話 ロレントゥスの秘密、そして幕引きの真実
♢♦♢ ――リアナ――
薄明の青い空の下、夏場だけ使われる小さなテラスに、リアナはロールを引っぱって行った。いかにも竜騎手らしい金髪の美青年は、自分の半分程度しか体重のない女性に力なく引きずられ、大人しくベンチに腰を下ろした。
「す……すみません」
どうやら緊張の糸が切れてしまったらしい。ほとほとと涙を落とすロールに、リアナはハンカチ替わりに自分の手袋を脱いで貸してやった。
「陛下にもご迷惑を……竜騎手として恥ずかしい……」
「竜騎手のプライドがなによ。同性を好きになる人だっているわ」
リアナは
「……違うんです」ロールは鼻をすすりあげた。
「なにが違うの? 恋愛対象が女性じゃないのは、あなたの責任じゃないのよ」
リアナは、さっきのサンディの言い草にまだ腹を立てていた。
「いいえ」
ロールは弱々しく首をふった。まるでそこから力が得られるかのように、手袋をぎゅっと握りしめ、言った。「私が愛してるのはサンディなんです。ザックではなく……」
思いがけない告白に、リアナは息をのんだ。
「まさか。……本当なの?」
青年はうなずく。「あの残酷で美しい男を、私は愛し、苦しんできました」
まるで初めて口にした言葉であるように、ロールはしみじみと繰り返した。
「だって、じゃあ、あの写真は……」
「同性愛者だとサンディに知られたときに、それ以上のことは絶対に知られたくないと思ったのです。だから、別の男に恋しているふりをしようと……ザックには悪いと思いましたが……」
「そう……そうだったの……」
リアナは驚きながらも、青年の広い背中をさすってやった。しばらくそうしてやっていたが、ふといくつかの出来事が思いだされてくる。
「だから……わたしの請願騎手になりたいなんて言ったのね?」
彼女は確認する口調になった。「彼を愛するのがあんまり苦しかったから、自分のよりどころになる使命がほしいと思った。そうなのね?」
そして、フィルに似ていると感じた自分の直感にも、いくらかの真実はあったのだと思った。自分の力ではどうしようもない大きな苦しみを、自己犠牲的に耐えている。誓いは、そのために必要だったのだろう。
「はい……」ロールは涙まじりの声で答えた。「陛下にも……何度か打ちあけようかと……」
「そうだったの……」
「自分が怪物になったような気がする……汚らわしくて、おそろしい。消えてなくなってしまいたい」
リアナには、かける言葉も思いつかなかった。同性を愛すること、あんなふうに無邪気に他人を傷つけられる男を愛するのは、彼女の想像もつかない苦しみがあるのだろう。フィルやリアナにつっかかっていたのも、ある種の嫉妬のあらわれだったのかもしれない。
「あなたは怪物じゃないわ。わたしの竜騎手でしょ」
しばらく経って、リアナはそう言った。「昨日だって、すごく助けられたわ。それに……あなたを怪物というなら、わたしだってデーグルモールになってしまう。アーダルを制御できないデイミオンだって、あなたのサンディにだって、怪物と呼べるところはあるわ」
「……あなたは強いですね」ロールは鼻声で言った。「その強さをまぶしいと思っていました。竜騎手に志願した理由です」
「強く正しくあろうと虚勢をはるのもいいけれど、弱さから目を背けると、そこがほころびになってしまう」
リアナは青年の前腕をたたいて励ましてやった。「だから、弱い自分も受け入れなくちゃと思うの。……ハダルクには相談したの? もし秘密がばれて居づらくなるようなら、わたしも一緒に方法を考えるけど」
「ハダルク卿はご存知です」
ロールはようやく、笑顔の片りんのようなものを見せた。「それが、私をあなたの
なるほど。それは筋が通っている。リアナはこの竜騎手に関する引っかかりが、ようやく
♢♦♢
ロレントゥスには自室に戻るように命じ、リアナは宴席に戻るつもりだった。が、中に入ろうとしたところでナイルに呼びとめられる。彼のほうは、ちょうど広間から出ていこうとしているようだった。
「リアナ。ちょうど、迎えに行こうかと思っていた。エンガス卿が、私とあなたにだけ内密で話をしたいと、いま呼ばれたんだ」
「わたしとあなただけ?」リアナはけげんな顔つきになった。なにかあるのだろうか。
高齢のエンガス卿が宴席に出ないのはよくあることなので、二人とも気にとめていなかった。人払いののち招き入れられた部屋は乱雑で、書き物でもしていたのか、紙があたりに散らばっている。
エンガス卿は異様な風体だった。いつもきっちりと整えている白髪はみだれ、ナイトガウンだけを羽織っていた。痩せて骨の浮いた手足が痛々しい。
だが、そんなことよりも、ガウンを黒く濡らす血のほうが衝撃だった。血と、心臓があるべき部分にうがたれた杭が。
「エンガス卿!!」リアナは叫んだ。「襲撃だわ!」
「
ナイルもあわてて〈呼ばい〉をひらこうとする。が、それをエンガスの細い腕が制した。「待たれよ」
「誰から襲撃されたわけでもない。これは実験の経過だ」
「実験!? 心臓に杭を打ち込むのが?!」部屋を飛び出そうとふり返りかけたままの姿勢で、リアナは問い返した。
「そうだ」
エンガスはうなずいてから、激しく咳きこんだ。隣に立つ侍従が彼を支えたが、治療をほどこそうとはしないのが異常だった。
さらにリアナの肝を冷やしたことに、エンガスはその杭を自分の手で引き抜いた。赤黒くぬめった血がしたたり、床の上でぴちゃりと音を立てた。いくら心臓が二つあるといっても、臓器を傷つけられて普通に立っていられる竜族などいない。
「これがどういうことかおわかりか?」
信じられないことに、エンガスの声には落ちつきが取り戻りつつあった。リアナは生理的な嫌悪感で顔をそらしかけていたが、意を決して老大公の身体を見た。そう、心臓が傷つけられて立っていられる竜族などいない。
デーグルモール以外には。
「わたしと……おなじ」リアナはあえぐような声で言った。
「そうだ。デーグルモール化だ」
「でも――わたしは――わたしの父は、デーグルモールだったのよ。でも、あなたは違うはず」
「それがひとつの誤解だった」
エンガス卿は、弟子に講義でもしているように説明を続けた。「だが、デーグルモールの血統などというものは存在しないのだ。強い力をもつライダーの家系の、すべてに起こりうる変性症。それが、あなたの身に起こった変化の真実だ。いや――まだ仮説ではあるがね」
老大公は自分の腕や腹をあらため、そこにあらわれた黒い紋様を紙に書きとめた。リアナの肌の上にもあらわれる、おぞましい死の
「そんな――そんなこと――ありうるの?!」
リアナには信じられなかった。
「いいや。ありうる仮説だ。残念ながら」隣から、従兄の平静な声が降ってきた。
「ナイル? ……」
ナイルは無言で袖をまくりあげた。男性にしては細く白い腕にもまた、エンガス卿と同じ紋様が……。
「ナイル! あなたまで! ……」リアナは思わず、口を手で覆ってしまった。これ以上の衝撃には、とても耐えられそうにない。自分だけではなく、ナイルにまで、同じ症状が発現しているなんて。
「つい先日、はじめてあらわれた。ご相談できてよかった」
「では、たった今から
「感謝します、エンガス公。私はまだ死ぬわけにはいきませんので」
二人の会話からは、ナイルがこの事態を冷静に受け止めていることがうかがえた。リアナはなにも言えず、固唾をのんでそれを見まもるだけだ。
「〈
「……なにを……言っているの?」
エンガスは書きつけをひとつにまとめ、その上に手をのせた。
「これらの事実から、良い推測をひとつお聞かせしよう。あなたはおそらく子どもを産むことができる」
「それは……」リアナは一瞬言葉につまった。「エンガス卿、それはいま、わたしが聞きたい内容じゃないわ」
「さようか」エンガスはまったく気にとめていないように続けた。「では、残念な知らせにうつるが、私の心臓は今のところ復活していない」
「どういう……ことなの?」
エンガスは片方の眉だけを器用にあげ、出来の悪い生徒を見る教師の顔になった。
「あなたやダンダリオンは、ヒトの心臓を随意に動作することにより、
リアナはまばたきも忘れ、食い入るように老大公の顔を注視していた。エンガスはつづけた。
「つまり……このままでは近いうち、私は醜く膨れあがって死ぬ。昨日の半死者たちのように」
「なんてこと……」乾いた声で、リアナは断罪した。「なんてことをしたの? 自分がデーグルモール化するか確認するためだけに、心臓に杭を打ったというの?」
「ほかにもっと良い方法があれば、すでに試している」
エンガスは天気の話でもしているかのように告げた。「王国の、若いライダーたちのデーグルモール化は
「心臓を復活させる方法はないの?」
「そこが
エンガスはヤギのようなあごひげをしごきながら、リアナとナイルを交互に見た。
「リアナ陛下。ジェンナイル公。私の変化をよくご覧になることだ。そして、
「冗談じゃないわよ! 頭おかしいんじゃないの!?」
「しかと
リアナとナイルは、それぞれに返答した。そしてお互いに顔を見あわせた。老大公は正反対の二人の返答に、興味を引かれたような面白そうな顔をしてみせた。
二人を部屋から追い出す際、エンガスはもう一度、リアナに念を押した。
「よろしいかな? ヒトの心臓が完全に機能を失えば、あなたは今度こそ真のデーグルモールとなる。意志を持たぬ、ヒトの生き血をすするゾンビだ。……例の力を使うことのリスクがお分かりいただけたと思う」
このおそるべき事実を、三つ目の収穫と言えるかはわからない。だが、とにかくそのようにして、リアナの北部領での日々は幕を下ろしたのだった。
【第一幕・終わり】
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