3 北部領《ノーザン》② 揺籃の城にて
第15話 氷の城に火を抱(いだ)き
オンブリアの最北端にある山脈、〈横たわる白い巨人〉に近づいてくると、強風で飛行が難しくなってきた。渡りの性質がない古竜は、もともと長期の飛行には向いていない。さらに、上空は竜騎手たちでさえ感覚を失うほどの寒さだ。ここまで来ては休息も危険なので、一行は雪まじりの強風に耐えて空を越えつづけた。ライド用の
最初こそ、白い氷と灰色の岩で形成された山が見えていたが、その光景もしだいにあいまいになった。霧が、ゆっくりと押し寄せる波のように移動して、視界を曇らせる。下界はのっぺりと白く、飛行の手がかりになるものはなにもない。絶対的な方向感覚のある竜がいなければ、山脈にたどりつくことは困難だろう。
(皆が北部領へ行きたがらないのも、理由はあるということね)
リアナは疲労でぼんやりしながらも、そう皮肉げに考えた。
『雲は、みなが思っているようなものでね(ものではない)』
メドロートの言葉が思いだされる。
雲は、遠目には綿のかたまりのように見える。だが、そのなかに飛びこむと、すべて氷の粒だと思い知らされる。カップから立ちあがる湯気が目に見えるのは、急激に冷やされて水滴となったから。形を変える水の姿こそ、白竜のライダーが一番先に知るレッスンだ。
先を行く飛竜がさらに高度をあげ、竜騎手たちの声にならない悲鳴が聞こえた。濃い雲のなかに入ったせいで、さらに周辺の気温が下がる。
(これ以上は、とても無理だわ!)
そう思ったのと同時に、白い霧が晴れていく。どうやら、雲を抜けたらしい――と、リアナは思わず歓声をあげた。
「……山が!」
乳白色の雲海のなかに浮く、さらに白い浮島。これほど近づいても、まだそそりたつ指のように見える山々の幻想的な光景。そのなかにも、しだいに人工物が見えてきた。
(ここが、母の故郷。わたしの一族の土地――)
古竜たちの発着場を探して目を動かしていると、強いめまいを感じた。リアナは声にならない悲鳴をあげ、頭をおさえる。
〔――陛下?〕
すぐ脇を飛んでいたロレントゥスが、すかさず声をかけた。
〔どうなさったんですか――〕
だが、その声をさえぎるように、別の竜騎手の〈呼ばい〉が響いた。
〔デイミオン王が!〕
〔王の〈呼ばい〉が聴こえます!〕
複数人からの報告の正しさを裏づけるように、かろうじて顔をあげたリアナの視界にその姿は飛びこんできた。
領主の居館となる、高い岩山のさらに上空に、その一帯を夜と化すような巨大な竜の気配がある。巨大な黒い炎アーダルは、漆黒の身体でとぐろを巻いて一行を待ち構えていた。
その中心に、背の高い人影がある。まるで炎の中心のような、まっすぐな立ち姿が。
〔陛下!〕
〔デイミオン王!〕
ライダーたちの呼ぶ声が聴こえた。
だがリアナにとって、それはあまりにも強い〈呼ばい〉だった。ライダーたちの使う〈呼ばい〉の波長。竜たちの、アルファメイルを呼ぶ歓喜の声。……そして、デイミオンからの、〈血の呼ばい〉。かつて、竜の隠れ里で感じたものと似た、しかしはるかに強い『引く力』がそこにはある。なぜ、そんなものが存在するのかわからない。かつてデーグルモールと化したときに、リアナは王権を失った。それ以来、デイとの〈血の呼ばい〉も失われ、デイミオンのつぎの王権はナイメリオンのものとなった。ナイメリオンが王権を辞退したあとの流れははっきりしないが、それでもリアナとは無関係の動きのはずだった。
〔陛下!?〕
ロレントゥスの、慌てたような声が聞こえた。
〔デイミオンからの〈呼ばい〉が……〕
それだけを言うと、リアナは竜の支配を失い、真っ逆さまに落ちていった。
♢♦♢
「陛下!」
ロレントゥスの動きはためらいなかった。竜から飛び降りると、自分の竜に呼びかけて周辺の空気を支配する。リアナの落下スピードをゆるめながら、足をばたつかせて彼女を追う。何百フィートか落ちたはずだ。そう考えるあいだになんとか追いつき、腕にかかえたときにはすでに地面が目の前だった。これ以上、落下速度を落とすことはできない。灰褐色の地面の、草の一本まで見えたロールは、激突を覚悟して腕のなかの女性を抱えなおした――
「おやおや」
男性のやわらかな声とともに、竜騎手は強い風圧を感じた。そのまま、力の作用で別の方向へ押しやられるはずが、そうならずにふわりと転がる。ロレントゥスは地面すれすれで激突をまぬがれたらしかった。
「どうやら、わが
「――ジェンナイル公」
リアナを抱えたままのロールは、うまく礼を作れず、無作法に
白竜のライダー、ジェンナイル・カールゼンデン。
ひょろりと細身で、亜麻色の髪に、リアナと同じスミレ色の瞳。身分と竜種を示す
膝をついて、彼に礼を取ろうとしたロールは驚いた。
若き領主のまわりを、竜騎手たちが取り囲んでいた。その手に、鈍く輝く剣を構えている。濃紺の
「――北方公」
「デイミオン王をとらえる、三つの〈呼ばい〉を感じる。それらはすべて、貴公と同じ血の波動を持っている」
そう言ったのは、竜騎手サニサイドだった。エクハリトス家の若者である彼には、それがわかったのだろう。
青年領主は鋼の輝きに臆することなく、その刃の先にあるライダーを見ていた。
「それで?」
「竜王デイミオン陛下は、黒竜アーダルとともに、不可抗力によってこの地に呼ばれてきた。そのお姿を、われわれ竜騎手は確認した」
「これらはすべて、カールゼンデン家の――北方領主家の――たくらみではないと、今ここで、証明できますか?」
「上王陛下の
「デイミオン陛下あっての上王リアナ陛下だ」
サンディは剣を構えたまま、冷たく言った。「リアナ陛下の王権を担保していたのは、デイミオン陛下の〈血の呼ばい〉だけだ。そして、それはもう失われた。……いまの彼女は、王配の立場でしかない」
「サニサイド卿! 剣を引きなさい。ほかの者も」
ハダルクが強く命じると、ライダーたちはしぶしぶと刀をおさめた。北方領主ナイルは、その様子を興味深そうに眺めている。
「まあ。南部のかたはにぎやかでいらっしゃる。
おっとりとした、しかしたっぷりと嫌味をふくんだ声が、ナイルの後ろから聞こえた。
「われわれは王都から来たのですよ!」サニサイドが噛みついた。「南部ではない」
「はい」女性はにっこりした。「南の田舎から、はるばる、
そういえば、北の州都セントポールはかつて、王国の首都だったこともあるらしい。それこそ、神世の時代にまでさかのぼらなければいけなくなるが。北の民はプライドが高いとも聞く。ロールは興味深くやり取りを見守った。
「アイダ」
ナイルがふりかえり、彼女の名前を呼んだ。「上王リアナ陛下と、その随行のかたがたのお着きだ。歓待の準備をしなさい」
「旦那様のおっしゃるとおりに」
ふくみ笑いで去っていくプラチナブロンドの美女に、ロレントゥスは違和感を感じた。良好な関係とはいいがたいが、リアナの随身を務めて一年近くになる。ナイル卿の妻は、リアナの元侍女、ルーイ(ルウェリン)のはずだった。
そこで、気を失ったリアナの代わりというわけではないのだが、思わず声をかけた。
「ナイル卿? 彼女は、どなたなのですか?」
ナイルは困ったような優しい微笑みで答えた。「私の第一配偶者、アイダ卿ですよ」
「さ……さようですか……」
ロレントゥスは、いかにも歯切れの悪い返事をした。というのも、ナイル卿から返答を得るその直前から、別の〈呼ばい〉を感知していたからだった――
〈呼ばい〉は、若い女性の声だった。せっぱつまったようにこう言っている。
〔
〔屋敷の奥に、閉じ込められているんです! 助けて!〕
〔その女は悪党よ! 私が、ナイル卿の妻、ルウェリンです!〕と。
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