第14話 あなたの、誓願騎手にしてくださいませんか


 紅竜ガーネットは、エサル公が手塩にかけて育てた一柱らしい。

「公から立派な名前をいただきましたが、呼びづらいので愛称で呼んでいます」と、誇らしげに竜を見あげ、竜騎手フラニーはそう言った。残念ながら、紅竜の二柱はこれから帰還してもらわなければならない。


 彼女の薄いブラウンの目が、柘榴ザクロ色に発光した。竜術を使っているサインに、思わず目が吸い寄せられる。と、髪や服が風をはらんで浮きあがり、剣とベルト、ブローチの装飾が同じ赤みを帯びて輝いた。古竜の力を、術具に溜めているのだ。これで、古竜がいなくてもいくらかは竜の力を使うことはできる。


「ガーネット。ユプノーと仲良くね」

 装備を確かめながら、フラニーが愛竜に声をかけた。〈呼ばい〉の返答がこちらにも聞こえてくる。 

〔ユプノー、姉妹。一緒にヤギを食べる〕

「そうね。いい子にしていたらね」フラニーは優しく微笑んだ。「ザックの言うことをよく聞くのよ」

〔ザック。大きい声、大きい身体だから好き〕

「そう?」

〔いくつかの少し前の昼、尻尾で遊んだ、ザック尻尾でつぶれた。けど、怒らなかった〕

「まあ! ガーネット、あなたそんなことしたの」

〔した〕

「聞いてないわよ」

〔言わなくていい。俺平気。ザック言った〕

 フラニーは思わず、といったふうにザックを見あげた。ぽりぽりと頭をかいている。

「まあ、その、俺も遊んでたから。それで」

「あきれた……背中の打ち身、ぶつけたんじゃなかったのね」


 フラニーは不機嫌そうだったが、近くで聞いていたリアナは微笑ましくなった。竜騎手ライダーには古竜が及ぼす力の責任があり、本来ならヒトを傷つけた古竜とその持ち主には処罰があるはずだ。それを知っているザックは、ガーネットとフラニーにるいが及ばないよう、黙っていたのだろう。彼女の気を引きたかったのが理由としても、悪くはない。


 ザックはなにか言いたそうにもじもじしていたが、結局、「危ないことはするなよ」とありきたりなことを言って竜にまたがった。フラニーは簡潔にうなずいて、愛竜を送り出す。ぶわりと翼をはためかせ、二柱と一人は一気に宙に浮いてから飛び立っていった。



 それにしても、王都に戻るのがザックではなくサンディだったらよかったのに、とリアナは思わずにいられない。黒竜ニーベルングと竜騎手サニサイドは、遠目にはアーダルを従えたデイミオンにそっくりだった。夫を救出することに気が急いているいま、相似形のような一対を見て心みだされるのはイヤだった。

 なるべく彼のほうを見ないようにしていたが、サンディはお構いなしにリアナの近くにやってきた。彼女にではなく、近くに立つ護衛のロレントゥスに話しかける。


ザックあいつがいなくなって、残念だな、ロール?」

 ロールの肩になれなれしく手を置くと、サンディはそう言った。その声の調子が、どことなくリアナは気になった。親しげでありながら、侮蔑をはらんでいる。肉食獣が、食べもしない小動物をいたぶって遊んでいるような響きがある。考えすぎだろうか? ……だが、ロレントゥスはなにかに耐えるように、ぎゅっと目を閉じてやり過ごしていた。蜂蜜色のまつげが細かく震え、彼の動揺をつたえていた。


 ♢♦♢


 その日の逗留とうりゅう先は、竜祖をまつる古い神殿施設だった。地方領主の館はあまりにも手狭で竜騎手たちを収容できないということで、こちらが用意されたらしい。領主はカールゼンデン家からの派遣だといい、ここは実質的には北部領のはじまりということらしい。ともあれ竜祖神殿ということもあって古竜たちがやすむ広い竜舎があったし、領主家から食料や毛布が届けられたので、一行は不満を漏らすことはなかった。移動に不慣れなエンガス卿は、リアナの勧めもあり領主家で一夜を過ごすことになる。


 夕食は炊き出しのようで、礼拝用の長机を配膳に使い、温かい食事を受けとると皆おもいおもいの場所で食べすすめていた。信者席に腰かける者もいれば、立ったまま手早く済ませる者、トレイに載せて竜舎へ持っていく者。入浴の準備をするかどうか尋ねられたリアナは、感謝を伝えたものの辞退することにした。この人数分の湯を用意するのは、かれらにとって負担が大きいだろう。それに明日には北部領に着く予定だった。


 豆と腸詰肉ソーセージのスープは、とろみがつけてありいつまでも温かい。一瞬だけフィルのことを思いだし、連想的にデイミオンのことも考え、スープを味わう心の余裕はなかった。結局半分ほどを残し、リアナは今夜も竜舎に泊まることにした。


 すでに、ロレントゥスが竜舎で立ち働いていた。黒竜たちに魚を投げてやっている姿は、心なしか竜騎手たちといるときよりもリラックスしているように見える。雑用をこなすときでもきっちりと長衣ルクヴァの襟をとめ、金髪もきちんとき流していた。

 仔竜の世話も慣れているとみえ、ゴールディとドーンの二匹には柔らかく煮た魚をほぐして与えている。フィルバートに嫌味を言っていた高慢な竜騎手と同一人物とは思えない優しさだった。


 旅に出てから気分が不安定なルルだが、仔竜が食事をしているあいだは母親の習性なのか、おとなしく見守っている。畏敬いけいに打たれたようにレーデルルを見あげている竜騎手の隣に、リアナは立った。


「白竜というのは、美しいですね」 

 ロールのつぶやきに、リアナは得意げに胸をはった。「レーデルルは特別よ。オンブリアで一番の美女だと思うわ」


「それに、あなたも」

 金髪の竜騎手は、リアナを見下ろしてそう言った。「選ばれた美しさだ」


 またそれか。サンディといい、この男といい……。上王の愛人という地位がそれほど魅力的なのか。リアナはあきれ、お説教する口調になった。

「あのね、竜騎手あなたたちの繁殖期の事情は理解するけど、わたしにも夫があるのよ。忘れてないでしょうね?」


「違うんです」

 ロールはあわてて、大げさに手をふった。「あなたを口説くどきたいわけじゃない。誓って本当です」

「じゃ、おねだりなの? あのサンディみたいに野心家にも見えなかったけど?」


 実際のところ、サンディの狙いは次の五公の座だった。家柄からいえばロレントゥスは劣るが、有力な女性の後ろ盾があれば彼でも不可能ではない。そういう意味で言ったのだが、ロールは「いえ……出世にも興味はありません」と首を振った。


「じゃあ、いったいなんなの?」

 リアナはイライラと言った。「急におべっかを使うなんて、あなたらしくない。いつもみたいに嫌味のひとつも言ったらどうなの」


 ロレントゥスは彼女の剣幕けんまくに腰が引けた様子だった。仔竜たちが食べ残したあとの魚をバケツに片づけるまで間を置いてから、ようやく言った。


「私をあなたの、誓願の竜騎手ライダーにしてくださいませんか」


「なにを言いだすの? いきなり……」


「お願いします」

 ロールは思いつめた様子で言った。「書面上、あなたの誓願の竜騎手はもういないはずです」

「知っているの?」

「確認しましたから」

「……」


 少なくとも、サンディのようなお遊びで口にしているわけではないらしい。リアナはその様子をしばらく観察してから、そう考えた。

 そして言った。「書類を見たのなら、わたしの誓願騎手がどうなったかも知っているでしょ?」


 ロールが黙っているので、リアナはしかたなく続けた。

「わたしの誓願騎手ウルカは、里が襲撃されたときに自分の子どもたちを手にかけ、同輩のライダーに殺されたわ。それが、彼の誓いの内容だったから。……あなたもそうなりたいの?」


「……少なくとも、彼は名誉を守ったはずです。次代の王を守る竜騎手としての名誉を」


「そして、誰がいま、ウルカの名誉を覚えているというの?」

 リアナはたたみかけるように言った。「仮に名前が残ったとして、子どもたちを殺してまでそんな名誉が欲しかったとは思えない。誓いも、名誉も、残酷で無意味なものだとわたしは思ったわ。あなたにそういう人生を送ってほしくない」


「なにか、自分の軸になるものが欲しいんです」

 ロールはなおも言いつのった。「高貴な誰かを守るために戦うという軸が」


?」

 リアナが語尾をあげて尋ねると、ロレントゥスの肩がびくりと跳ねた。


 そのときリアナは、どういうわけかこの美貌の竜騎手が、フィルバートに似ていると思ってしまった。ハートレスでもない、恵まれた生まれのはずの、なんの苦労もしていなさそうな青年なのに。彼に似たところなどひとつもないはずなのに、不思議なものだ。

「サンディやザックと関係があることなの?」

「! ……いいえ」

 青ざめた顔で首をふる様子で、彼の否定はだいなしだった。「理由は……今は、申しあげられません」 


 青年の哀れな姿には、力になってやりたいと思わせるものがあった。フィルに似ている、というだけでほだされそうになる自分がいる。だがリアナは、熟慮のすえ首を横に振った。

「わたしはもう、誰かに守られるという誓いは欲しくない。わたしを守るなら、それはであってほしい。

 ……だから、あなたの申し出はかなえられない。いい?」


 ロレントゥスは沈痛な面持ちで、「……はい」と承諾した。だが、彼の失望は明らかだった。

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