第13話 竜たちの不満といさかい


 翌朝は、早く目がさめた。


 リアナは外套コートを肩にかけ、竜舎の出入り口にもたれてバター色の朝陽を眺めた。タマリスの春は不安定な天候になることが多いが、今日は気温は低いながら天気は良くなりそうだ。……もっとも、タマリスからずいぶん北まで飛んできている。しだいに、北部領ノーザンの気候に近くなっていくだろう。


 贅沢なつくりの天空竜舎とは違い、岸壁を利用した狭い竜舎だったうえ、おまけに昨夜は冷えた。分厚いブランケットにくるまれていても冷気が忍びこんできたし、ルルもまた眠れないようだった。しきりに鳴きながら身体を動かし、その動きでドーンとゴールディまで起きてしまった。二頭の仔竜は、今は籠におさまって眠そうに頭を上下させている。

 アーダルが昏睡状態にあったときでさえ、こんなふうに不安がることはなかったのに……。いったい、なにがあったというのだろう。リアナはいぶかしんだ。


 竜たちのあいだにも、ライダーとの〈呼ばい〉に似たものがあることは知られているが、それはオス同士の序列争いや、子育て中のメスにだけ見られるものとされていた。リアナたちライダーもそうだが、愛しあうだからといって〈呼ばい〉が自然発生するわけではない。アーダルとルルのあいだに、〈血の呼ばい〉のようなものがあるとは、考えにくい。……だとすると、ルルの不安と不調は、何が原因なのか?


 考えこんでいると、ふと、なじみのある感覚がリアナをおそった。隠れ里にいたころのような懐かしさは、ごつごつと岩ばかりの周囲の風景のせいだけではなかった。身体の中心にある〈呼ばい〉の糸が、かすかに引かれる感覚があったのだ。あまりに久しぶりで、長いこと忘れていたので、それが〈血の呼ばい〉であることもすぐには気づかなかった。北からの力だから、北の領主筋――つまり、ナイルの後の領主権――だろうと思った。が、たどっていく感覚はナイルのものとは違っていた。はるかになじみのある、体温までもよく知っている男の感覚。


〔……デイミオン?〕

 それは、かつて彼女とデイのあいだにあった、〈血の呼ばい〉によく似ていた。彼は王だから、その〈呼ばい〉はつまり王権を示している。……まさか。でも、どうして?


 動揺する間もないほどの短いあいだで、その〈呼ばい〉は消えてしまった。


 ♢♦♢


 その日の行程は順調とはいえなかった。


 まず風景が変わった。眼下から春の緑が消え、青灰色の湿地が増えてきた。光があたると鏡のように反射して美しいが、それ以外の大地は褐色で退屈な光景だ。行く手には、オンブリアの最北端に位置する山脈がうっすらと姿を見せはじめている。〈横たわる白い巨人〉というありがちな名前で呼ばれている山々で、これほど飛んでもまだ近づいている感じがしないほどには巨大だった。


 北からの冷たい風が飛竜の翼をにぶらせ、古竜たちは不平をもらしはじめた。温かい空気を作ってもすぐに後ろに流れてしまうので、暖を取るのは休憩中だけだった。しかし休憩をはさむと、その前後で時間のロスが生まれる。当初の予想どおり、紅竜たちは寒さに弱く、なかなか空の上に戻りたがらないように見えた。一方で寒さに強い白竜のルルは、つがいのいる北部に早く到着したくていらだっている。雌竜だけだとまとまりが悪いので、雄竜が先に飛んで引っ張っていく形となるが、群れを率いるレクサにも相応の負担がかかっているはずだ。



 その日の二回目の休憩では、竜たちが休めそうな適当な岩場はなかった。水たまりのような湿地に鼻先をつっこんだ黒竜が、氷にびっくりして戻ってきたとライダーが苦笑している。風よけの簡易テントの近くで、生姜いりの温かい茶がふるまわれた。


 リアナはエンガス卿の様子が気になった。毛皮にくるまれた小柄な老大公は、テントから離れた場所で、白湯さゆを手にぼんやりとしている。近寄って、声をかけた。

「顔色が悪いわ」

「〈ばいみ〉がひどい性質たちなのです」

 エンガスは体温の感じられない声で言った。「慣れておりますので、陛下におかれましては心配ご無用」


 古竜とライダーのあいだの〈呼ばい〉は強力なため、脳を揺さぶられるような不快を感じることもあり、〈呼ばい病み〉と俗に言われている。

「わたしも〈呼ばい〉には強くないので、わかります」

 リアナはそう言って、思案した。エンガス卿はオンブリア一の青のライダー、つまり医師になる。デイミオンと相対するときには、万全の体調でいてもらわなければ困るのだ。もう少し、進軍のスピードを落としたほうがいいものだろうか。……考えているうち、彼に聞きたかったこと――朝感じた、デイミオンとの〈呼ばい〉について――を聞くのを忘れてしまった。

 

〔メスたちの群れ!〕

 レーデルルが激する声が聞こえてきて、リアナとエンガスはともに顔を向けた。

〔熱くない。寒くない。わたしは行く!〕


 見ると、愛竜はいまにも飛んでいきそうに見える。その周囲に、他の竜たちがいる。黒竜たちはレクサのまわりに整然と集まっているが、紅竜たちの動きが鈍い。

 ルルはどうやら、他の竜たちの動きにいらだっているようだ。おとなしい雌竜なのに、こんなふうに興奮するのはめずらしいことだった。


〔ルル、落ちついて〕

 リアナはエンガスから離れてそちらに近寄っていき、声をかけた。〔もう出発するわ。明日にはアーダルのところに着くはずよ〕


 しかし、ルルは憤然と地面に尻尾を打ちつけた。

〔赤い竜! 弱い竜!〕


 二柱の雌竜は、挑発されたと思ったのか、ルルに向かって「シューッッ」とはげしい威嚇音を立てた。

〔ガーネット!〕

〔ユプノー!〕

 フラニーとザックが、それぞれ自分の竜を制止した。メスには、オスのようなはっきりした序列がない。ライダーがうまく手綱を取っていれば、ほとんどケンカになることもないのだが、今は両者に余裕がないのだろう。


「すみません、陛下」

 ザックが申し訳なさそうに頭を下げた。「一番雄アーダルがいれば、メスでもそれなりの序列を作るんですが。今は群れパックが流動的になってるみたいで」

「たしかに」リアナにもうなずけるところがあった。


「紅竜たちは疲れているように見えるわ」

 リアナは竜騎手たちに聞いてみた。「移動のスピードを緩めるべきだと思う?」


 サンディが腕組みの姿勢で言った。「要は、デイミオン陛下とアーダルとの精神同期を、安全に断ち切ればいいんだ。青竜公と、それを護衛する黒竜のライダーがいれば十分では?」

「だが、アーダル号の行動は異常だ。北部領ノーザンという点も気にかかる。今後不測の事態が起こったときに、黒竜だけでは対応できない可能性もある」

 ハダルクは慎重な姿勢を見せた。「早くたどり着けばいいというものでもない」


北部領ノーザンの寒さは想像を超えます」

 ハートレスの兵士、シジュンが言った。故・メドロート公を思わせるほどの長身だが、口数が少なく目立たない男だ。むさくるしく伸ばした銀の髪とヒゲが顔まわりを覆っているため、目鼻だちがほとんどわからない。「様子を見たからといって、寒さに順応じゅんのうするとは限らない。今出立しゅったつできる古竜たちだけを連れていくのがいいと、俺は思います」


「ハートレスの意見は求めていない」サンディが冷たく言った。


「彼らのほうが北部領にも詳しい。貴重な意見よ」リアナが言った。


「上王陛下は、昔からハートレスびいきでいらっしゃるらしいですね」サンディの眼光が剣呑けんのんな色を帯びた。「フィルバート卿の影響かな。口さがないことを言う者はたくさんいますからね」


「そうでしょうね」

 リアナは反論せず、ただ小さくため息をつくにとどめた。この若造(といっても、ほぼ同じ節年齢としだが)を口で言い負かすのはたやすいが、竜騎手たちの前で恥をかかせると、のちのち面倒になりそうだと思ったのである。


 女性たちにたっぷり甘やかされて過ごしてきた美青年は、誘いを断るとプライドを傷つけられたと取るタイプだとリアナはにらんでいた。そして面目が潰れたと感じると、手のひらを返して女性に攻撃的になるのだ。……実のところ、夫デイミオンにもいくらかそのケはあるので、リアナはこの男を扱いづらいとは思わなかった。夫に感じるようなかわいげは感じなかったが。……ともあれ、昨夜はすこしやりすぎた。多少のフォローはしておきたいところだった。



「わかったわ。紅竜の二柱はタマリスに帰還させましょう」

 リアナはそう決定を告げた。

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