2 北部領《ノーザン》① リアナと憂うつな問題児たち

第10話 壮麗な出発と、憂うつな仲間



 巡幸じゅんこうは壮麗にはじまった。軍楽隊が管楽器と太鼓を華々しくかなで、古竜たちの竜具は銀色に美々しく輝く。騎乗する竜騎手たちは、それぞれの紋章の入った色とりどりのマントをなびかせている。

 『お見送り』という名目で市民たちには休みが与えられ、城下街はお祭り気分で王の出立を見送った。

 王の旅程には莫大な金と人手がかかる。デイミオンの救出が最優先とはいえ、想定外の予算をいた以上それなりの効果も挙げておきたい、とリアナはもくろんでいた。華々しい出立しゅったつは、王の不在に対する市民の不安を和らげるだろう。


 一行は、北に向かって飛びたった。朝もやも晴れ、飛行には申し分ない晴天だ。


〔これから、デイミオン王を救出するという一大事なのに。虚礼には感心しませんな〕

 念話を使ってのひとりごと(に見せかけた皮肉)という、実に無意味なことをしているのは、竜騎手のロレントゥスだった。太陽神のごとく輝く金髪と美貌の持ち主で、中身は古くさく保守的で、〈当代の竜騎手〉とラベルに書いて台座に据えて置きたいような男だった。

〔ロレントゥス卿……〕

 副長のハダルクが、たしなめるように顔を向ける。〔陛下のお考えに疑念をはさむような発言は、慎みなさい〕


「なんにもわかっていないくせに、口だけは達者なんだから……頭が痛いわ」

 竜の背のリアナは、うす暗い顔でぼやいた。古竜同士、距離が離れているので、口話のほうが聞き取られないのである。


〔えっ今のって、もしかして、皮肉なの?〕

 似合わないサフラン色の長衣ルクヴァ姿で、エピファニーが呟いた。〔それとも、『ぼくは王国の運営に無関心です』って主張しておきたいの? 高度に政治的な策略なの?〕

「ぶっ」

 リアナは思わず吹きだした。ロレントゥスが地位に見合わない稚拙ちせつな発言をしたのは間違いないが、エピファニーの返しもずいぶん辛辣しんらつで、おまけに子どもっぽい。


 当人は憮然ぶぜんとした顔でそっぽを向いている。

〔どうぞご寛恕かんじょを、上王陛下〕

 ハダルクがため息まじりの念話を送ってよこした。彼女にだけ聞こえるように調節してあるようだ。〔ライダーとしても、剣士としても、能力は申し分ない男なのですが……〕

〔それに家柄と美貌もね〕リアナも返してやった。〔わかってるわ。小姑みたいな発言にうんざりしてるだけよ〕

〔面目ない〕

 ハダルクは自分の発言のように恐縮している。

〔……それにしても、なんだってこうも目の敵にされてるのかしら?〕

 堅物かたぶつ融通ゆうずうの利かない性格の男なので、そりが合わないといってしまえば、それまでなのだが……。リアナは首をひねった。


 ♢♦♢


 北に向かって飛ぶのははじめてだ。


 竜の国オンブリアは、主に南部と東部とを人間の国と接している。国境では軍事的緊張があるだけでなく、商業上の行き来も多い。そのため王都の目も、自然と南のほうに向きがちだ。実際、北部領は長いあいだ、領主のもとに平和に統治されている。その領主の一族が、自分の母の生家だということを、リアナはどこか他人事ひとごとのように感じている。


 出発する頃には朝もやが晴れ、眼下がはっきりと見えるようになった。巨大な冠のような外輪山を飛び越すと、しばらくは平野が続く。上空は気温が低く風もあり、分厚い毛皮の外套を着ていても冷たさを感じた。だが、竜の背からの眺めはやはり、すばらしい。整然とならぶ緑の毛布のような農耕地。草をはむ家畜は芥子粒のよう。遠くで銀色にきらめいている、リボンのような川の流れ……。


 竜に乗って空を駆けるのが、デイミオンを追いかけるためでなかったら、もっと純粋に楽しめたのに。頬に冷たい風を受けながら、そんなことを考える。

 王などという重圧もなければ、もっといい。王配として十年を過ごすうち、リアナは夫が王である状態にすっかり慣れてしまっていた。自分が王であったのはたった一年のあいだのことで、その後はデイミオン王の時代になる。そしてデイミオンは有能な王だった。王になる前は有能な王太子だった――自分のような、付け焼刃の田舎娘とは違う。それなのに、また好きでも向いているとも思えない王様業をやらされている……。そんなことや、出ていったフィルのことをつらつらと考えているうちに、一度目の休憩の時間になったらしかった。


〔ルル〕

 リアナは愛竜を呼んだ。〔下に降りるわよ〕

〔まだ遠い〕

 レーデルルはいらだったように返した。〔遠い遠い場所。わたしのつがい〕

〔そうね、アーダルはまだ遠い場所にいるわね。……でも、遠い場所に飛んでいくには、休憩もはさまなくちゃ。子どもたちもいるんだから〕

 仔竜たちは一緒のかごに乗せられて、竜騎手たちが順番に面倒を見ている。だから、実際には仔竜たちが疲れることはないのだが、ルルに言うことを聞かせるための方便だった。


〔飛ぶ。あなたたちが来る。そのあとに〕

〔自分だけ先に追いかけたいということ? ダメよ〕リアナは辛抱強く言った。〔あなたの食事や寝る場所を別に用意はできないの。みんなで移動するしかないのよ〕

 グルルルッといううなり声が聞こえた。おとなしい気質のレーデルルが、こんなふうにいら立ちを見せるのはめずらしい。それほど、アーダルのことが心配なのだろう、とこの時のリアナは考えていた。ただ、ここ十年ほど念話での意思疎通ができなかったルルが、再びしゃべりはじめたことは気にかかっている。

(なにか、ルルの異変の前触れじゃないといいんだけど……)



 古竜たちに「休憩」という概念を伝えるのは難しい。休息を必要とする度合いは、個体によって大きなばらつきがあるためだ。特にオスの古竜を、ライダーのタイミングで動かすには強い〈呼ばい〉の力が必要になる。その点、メスのほうがライダーの指示に素直に従いやすいため、軍事行動が必要な竜騎手団ではメスのほうが好まれる傾向にある。


(それなのに、ルルはどうしたのかしら)

 休憩地に選ばれた岩棚の上で、リアナはもの思った。ルルからすれば、つがいの黒竜が十年ものあいだ昏睡状態にあり、そして急に目ざめて飛びたった、ということになる。追いかけて気がく気持ちは、デイミオンを追う自分も同じだ。とはいえ、レーデルルは竜であってヒトではない。古竜のメスに、オスの移動についていくような習性はないと思っていたのだが……。



 かちゃかちゃと茶器の音がして、リアナはもの思いから顔をあげた。黒髪の小柄な女性兵士が立っていた。革製の簡素な鎧に、チュニックとズボンという格好で、竜騎手ではなくハートレスであることがわかる。

「お茶をお持ちしました、陛下」

 緊張しているせいか、声が固くなっている。もっとも、緊張の理由はリアナの身分ではなく、単にお茶を運び慣れていないためだった。

「ありがとう、ミヤミ。あなたも座るといいわ」

「はい」

 ミヤミは素直に腰を下ろして、自分も茶をすすった。そして、うながされる前に報告をはじめた。「飛竜たちの飛行は順調で、周囲に異常はありません」

 リアナはうなずいて、茶器を口に運んだ。

「一緒に来てくれたハートレスは、あなたとケヴァンと……シジュンだったかしら? テオは来られなくて残念ね」

「単純な護衛の能力だけでいえば、シジュンもケブもテオ隊長以上にこなせます。私は一段劣ります」

 ミヤミは卑下するというわけでもなく、事務的な口調だった。実際にそうなのだろう。

「本当は、フィルに来てほしかったんだけど……」

「フィルバート様は最強ですけど、テオ隊長と一緒にいられると命令系統が混乱します。いらっしゃらなくて正解では」

「そ……そうね……」

 ミヤミは率直すぎて、ときどき辛辣しんらつに聞こえる。とはいえフィルの独断専行っぷりは事実なので、リアナもうなずかざるを得なかった。

「その……わたしとフィルは別れたのよ。まわりにはまだ知らせていないんだけど」

 警備上必要な情報かどうかはわからないが、リアナはいちおう打ちあけた。ミヤミは元侍女で親しい仲だし、それに、ずいぶん前のことにはなるが、彼女はフィルのことが好きだと言っていたので。

「そうですか」

 ミヤミは多少驚いたものの、微妙な顔つきをした。少なくとも、「意中の男性が妻と別れて大歓喜」という顔ではない。そしてあっさりと言った。

「だとすると、フィルバート様は今まったく役に立たない状態だと思われるので、やっぱり連れていらっしゃらなくて正解です」

「そ……そうかな……」

 斬って捨てるようなもの言いに、リアナはどうも腰が引けてしまった。目を輝かせて長々とフィルのことを語っていた少女はどこに行ってしまったのか。まぁ、最近のフィルバートは戦時の英雄からはほど遠いキャラクターではあるのだろう。


 

 ミヤミが仲間たちのほうへ去ってしまったので、リアナも茶器を空にして立ちあがった。ルルのことを竜医師に報告しておこう、と思ったのだった。黒髪に眼鏡の竜医師、タビサは岩棚の中央あたりで、仔竜たちを見ていた。隣に、見覚えのある女性ライダーが立っている。


「フランシェスカ卿」

 思わず名前を呟くと、黒髪の美しい女性がふり向いた。

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