第7話 フィルバートの問い



 イーゼンテルレからの使節団が帰ると、リアナはすぐに巡幸じゅんこう(国王の旅)の計画を通達した。名目は、自身の生家がある北部領への里帰りである。デイミオン王と黒竜アーダルの失踪は、五公をふくめ限られた者たち以外は知らないことになっている。そしてリアナには、宮廷を移動するという名目で軍隊を連れていくことのできる権力がある。……とはいえ、たしかな情報が少ないだけに、随行ずいこうする者たちの人選は難しかった。


 グウィナは城の守りという名目で残しておかなければならないし、繁殖期シーズンというこの重要な時期、竜騎手ライダーたちを多数連れていくこともできない。時期が時期だけに、無理を押すと彼らの――ひいては各領主たちの――反発をまねくだろう。竜騎手は、生物兵器であるとともにオンブリアの支配者層ともいえる。


 グウィナによる報告があってから一日、リアナは追跡のための準備に明け暮れていた。夫婦共同で使っている執務室に、公式に、あるいは極秘裏にさまざまな人物が呼び寄せられては退室していく。

 春に入ってからも、肌寒い日が続いている。暖炉には火が入り、打ち合わせにやってくる者たちには温かい茶が用意された。


 リアナは意外な人物と対面しているところだった。猛禽もうきんのような薄青い目を持つ、小柄な老人だ。


 彼女には、限られた者たちしか知らないがある。ここ一年は小康状態にあるが、普段と違う環境になれば再発しないとも限らないので、侍医のアマトウを連れていく予定でいた。だが、呼びつけたはずのライダーに代わって訪れたのが、西部をおさめる五公の一人、エンガス卿だった。

 竜種をあらわす長衣ルクヴァの色は青。かれは癒し手ヒーラーたちの長でもある。


「どういう風の吹き回しなの?」

 執務室の机から、リアナは単刀直入に聞いた。この老人に、もってまわった言い回しは通じないと知っていたからだ。

 案の定、エンガス卿は煙に巻くようなことを言った。

「おや。私が同行すれば、陛下にもお喜びいただけるものとばかり思っていましたが」

「それは……」

 王都と、王国の南西部とは、利害が対立しがちだ。

 五公の重鎮をひとり王都に残せば、なんらかの悪だくみをはたらく可能性もある。かれと南部領主エサルが組んで、王だったリアナを追い落とそうと計画していたのはたった一節(竜族の十二年)前のことでしかない。まして今はあのレヘリーンもいるのだから、当のエンガスが目の届くところにいてくれるというのは願ってもない申し出ではあった。


 しかし当然、この老大公にはなんらかの目論見もくろみがあるはずだ。

「どういう目的なの? 北部領ノーザンは、物見遊山に行くような場所でもないでしょう」

 リアナは尋ねた。

「もちろん、温泉の一つもあればさぞ心楽しかろうと思いますが、それが目的ではありませんな」

 エンガスは淡々と言った。羊皮紙でできたようなこの老人に、「心楽しい」という感覚があるとは、リアナには信じがたかった。


「じきに引退する身です。老人の、多少のわがままは許していただけるものと考えておりますが」

「わたしに恩を売って、次の五公の選定の票固めをしたいわけ?」

「どうとでも」

「ふぅむ」

 老齢のエンガス卿が、リアナの権力にすり寄ろうとする動きを見せるのは、自然な流れでもある。彼女にとっても悪い話ではない。ただ、政治家ではなく、医師としては……。この老大公は彼女を、デーグルモール化の症例として見ている節がある。旅を共にすれば、つねに観察対象として見られることになりそうで、不気味としか言いようがなかった。


「まあいいわ」

 なんらかの思惑はあるのだろうが、リアナは受け入れることにした。信用ならない相手ではあるが、エンガスは医師として彼女の生命を守るだろう。『貴重な被験者として』というただし書きはつくだろうが。


「陛下の健康状態についての記録は、すでにアマトウより引きいでいます」

 つまり、断られるつもりはなかったということだろう。エンガスは涼しい顔で、小さな革袋を机上に置いた。「これは、今月分の処方です」


 リアナはさっそく革袋のなかをあらためる。貧血に効くいつもの丸薬のほかに、見慣れない液体の小瓶がある。

「……いつもと違う薬があるようだけど?」


「新しいです」

「この時期に、新しい薬?」

 リアナは疑わしい顔になった。「聞いていないわよ。アマトウからも、誰からも」

 だがエンガスは、すでに退室する動きになっていた。飲みかけの茶を置き、記録を取る文官にうなずいてみせる。従者が暖かそうなマントを持ってくる。

「すでに臨床試験は済んでいますので、ご安心を」


「また、罪人で試験をしているんじゃないでしょうね?」

 貴族牢に罪人、つまり竜の力を持つライダーやその血縁者が入ると、老大公の訪問を受ける――その噂が事実であることは、リアナみずから確認している。エンガスは、王のお膝下ひざもとで堂々と人体実験をしているのだ。

 青のライダーたちの恩恵を受けている身ではあるが、やはり王として苦言をていさずにはいられない。彼女がそう言うと、エンガスは去りぎわにちらりとこちらを向き、こう言った。

「今回の被験者は私です」


 リアナは、老大公の言葉の意味がわからなかった。『今回の被験者は私』? どういうことなの?

 だが、問いかけようとしたときには、老人の小柄な背中は扉の向こうへ消え去っていた。


 ♢♦♢


 彼女が呼んだ人物が入れかわり立ちかわりし、日が暮れるころにはなんとか巡幸の目途めども立った。リアナとしては、デイを追ってすぐにも出発したい気持ちだったが、国の中心が動くとなれば無視できない儀礼もある。


「明日の朝、明五つには出ないと」

 机上の地図をにらみながら、リアナはつぶやいた。「飛竜だけの旅なら休みは最低限でいいけど、古竜たちの食事もあるし……」


 家畜化された飛竜とは違い、生物としての古竜は主人にも行動を完全に統制することは難しい。秘書官のロギオンが、同じ地図を見下ろして言う。

北部領ノーザンまでの宿泊先となる城館には、古竜たちが食事や休息できる水場があります。随行予定の古竜はおだやかな気質のものが多いですから、三、四日の旅程なら大丈夫でしょう」

「そう願うわね。北へ行くのを嫌がらないといいけど」

「北へ……そうなのですか?」

 ロギオンはあやふやな顔をした。「私は、古竜を持ったことがありませんもので」

「古竜は、もともと領域テリトリーを離れたがらない生き物なの。飛竜のように渡りの性質もないしね」

 リアナは解説してやった。「だからこそ、軍事利用には難しい点もあって……南へ行かせるのはまだいいけど、古竜は寒い場所を嫌うのよ」

 言いながら、リアナはこの点が頭に引っかかるのを感じた。黒竜アーダルにしても、好きこのんで北部に行くとは思えない。アーダルの本能的な部分に異変が起きているとしたら……それは考えたくないが……。


 ロギオンが調整のために出ていくと、ついに部屋にはリアナとフィルだけになった。


「レーデルルとドーンが心配だわ」

 リアナは浮かない顔になる。「ルルは気分屋じゃないんだけど、子どものこととなるとね……」

 この旅に仔竜を連れていくことは気乗りしないのだが、かといってドーンを置いてルルだけが同伴するとも思えない。アーダルは彼女のつがいでもあるわけだし……。

「どう思う、フィル?」

 リアナは壁際に立つ男にむかって問うた。フィルは窓の外に目を向けていて、目線の先には一番星が見えた。もう、そんな時間なのか、と一瞬だけ思う。

「ドーンは移動に耐えられるかしら?」


「それはわからないけれど」

 フィルバートはいつものように腕を組んで背を壁にあずけたまま、平静な顔で言った。

「でも、俺は行かないよ」


「行かないって……どういうこと?」

 リアナは椅子をまわし、フィルを見上げる体勢になった。けわしい顔で続ける。「あなたが行かないっていうわけには、いかないでしょ? 道中はともかく、北部領ノーザンでなにが待っているかわからないのよ」

 

「だけど、俺には関係ない」

「関係ないって……あなたの兄なのよ!」

 リアナの声が大きくなる。ひじかけに乗せた手に力が入り、いまにも立ちあがりそうだ。

「そして、あなたの夫だ」フィルは間髪をいれずに言った。「どうして俺が――あなたのもう一人の夫が――喜んで助けに行くと思うんだ?」


「フィル……」

 リアナは、頭が痛みはじめたように指でおさえた。「繁殖期シーズンの話は、デイが無事に戻ってきてからでもいいでしょう? もう、あなたが行くつもりで護衛の予定を立てているのよ」


「これはシーズンの話じゃない。デイミオンも本質的には関係ない。俺とあなたのあいだの話だ」

 フィルは姿勢を変えず、あいかわらず腕を組んだまま、ぴしゃりと言った。

「それは――」


「リア、あなたは俺が必要だというけど、それは本当に夫としてなの? それとも、デイミオンの代わりに、彼を取り戻すために、俺が必要なの?」

 フィルバート・スターバウは、まるで世界の命運がかかっているかのように、真剣な目で問うていた。


「一本の剣じゃなく、ひとりの男として、俺を愛してくれるんじゃなかったのか」

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