第6話 追う者と、残る者たち
その半日前には一足早い飛竜での
とはいえ正式な報告も必要だったので、リアナはグウィナを休ませるあいだに
手前の長卓には、入口に近い順にエサル、エンガスの両大公が。さらに奥に、姉のレヘリーンが座していた。そして、長卓から離れ一人奥の執務机に、上王リアナが待っていた。隣に、一本の剣のようにフィルバートが立っている。代理とはいえリアナは王なので、フィルバートもいまは王配の立場になるのだろうが、そもそもリアナ自体がデイミオンから見て王配の立場である。こういった珍事はオンブリアの長い歴史でもさすがに例がないので、彼はあいかわらず〈竜殺し〉フィルバートのままだった。
「たいへんな任務を成功させてくださり、ありがとう、グウィナ卿」
リアナが堅苦しく言った。グウィナは一瞬、「甥のことですし、礼にはおよびません」と言いそうになった――が、スミレ色の目がそれを制した。もう一人の甥、フィルバートがさりげなく彼女の腕をとり、リアナに近い場所、つまり長卓の上座へグウィナを座らせた。
グウィナはちらりと姉レヘリーンの顔を見た。自分に似た白い顔はにこやかだが、グウィナのほうを見ようとはしない。ただ、内心面白くないだろうということは長年のつきあいで想像がついた。政治には無関心だが、レヘリーンはつねに場の注目を自分に集めたいタイプの女性だ。そのあたりの
「デイミオン陛下は、昨晩、黒竜アーダルとともに、
グウィナは説明した。「そこでおやすみになったところを、北部領主ナイル卿と、その家臣のライダーたちとで見張っています」
リアナの顔がけわしくなったのを見て、グウィナはあわててつけくわえた。「通常の睡眠です、竜医師たちによれば。……なにしろ一日半も飛び続けたのですから」
「アーダルとの精神同期は、まだとけていないのか?」
腕組みをしたエサルが尋ねた。すでに、普段着の
「そんなにも長く古竜との〈呼ばい〉をたもつこと自体、俺には想像しがたいが」
五公たちはみな熟練のライダーなので、エサルの意図はグウィナにもわかる。
「たしかに、通常、竜とライダーとの精神同期は何時間も続くものではありません」
エサルは男性的なあごに手を当てて、考える様子になった。「他者からの、陛下への
その可能性は、もちろんグウィナ自身も考えてみた。
「道中、わたくしから〈呼ばい〉をつかって接触を試みましたが、成功しませんでした。かれらは休憩も取らず一直線に北を目指していて――ただ、それ以外の〈呼ばい〉は感知しませんでしたわ」
グウィナの考えとしては、他の竜族の介入はないという意味だ。リアナも自身の椅子からうなずいてみせた。
「デイミオンは、オンブリアでもっとも強い竜との絆をもつ。わたしが王だったころ、〈血の呼ばい〉をさかのぼってナイル卿に命令したこともあったわ」
考える様子ながら、そう呟いた。「デイが命令することはあっても、逆は考えられない」
「では、やはりアーダルの意志なのでしょうか?」
グウィナは自分でも考えながら問うた。通常のようなライダーによる命令ではなく、むしろアーダルの側の意思で両者が行動しているのか。同期がとけていないせいで、デイミオンがその行動に引きずられているだけならば、ことはそれほど複雑ではない。(もちろん、王の不在という一大事は脇に置いておけないとしても)
「だとしても、そもそもなぜ
「たしかに、気ままな性格の竜ではありますが」と、グウィナも返す。
「アーダル号はあまり群れを離れたがりません」竜医師のタビサが言った。黒い巻き毛を乱雑にまとめた眼鏡の青年だ。
「かれは
「では、やはり何者かの意図が?」と、リアナ。
「考えられます」グウィナは言った。「ですから、陛下、わたくしの考えとしては――」
グウィナの考えとしては、みずから組織する軍をひきいて、北部に救出に向かうことをリアナに提案するつもりだった。だが、その言葉をレヘリーンがさえぎった。
「リアナ
小鳥がさえずるようなかわいらしい声で、レヘリーンは言った。いかにも名案だというふうに手を打って。
その場の全員が、あっけにとられたように彼女の顔を見ている。場の注目が得られたからなのか、レヘリーンは満足そうだ。
「
ここで竜の話が先に出てくるあたり、さすがにレヘリーンもライダーなのだなと奇妙な感慨がわいた。彼女は、もう自分の竜を持たないのだが……。しかしグウィナはあわてて首を振った。
「どのような危険があるかも予測できませんし……そもそも陛下にはタマリスで、政務をおこなっていただかなくては」
レヘリーンの意図が、リアナ不在のあいだに自身の権力基盤を固めるということにあるとすれば、賛成するわけにはいかない。もちろん、そういった意図がなくとも、トラブルメイカーの姉に王都に居座ってほしくないという正直な思いもグウィナにはある。
エサル卿とエンガス卿が、リアナの様子をちらりとうかがった。野心家の若領主エサルは勢力拡大をのぞんでいるし、エンガスは自領にきなくさい動きがあり、リアナにくちばしを挟まれたくないと思っているはずだった。さて、代理王リアナはどうするか?
領主たちと、家臣のすべての
「わたしが北部領へ行くわ」
♢♦♢
リアナとフィルバートが二人の家に戻ったのは、その日の真夜中だった。夕食も入浴もすでに城で済ませていて、寝に帰っただけというのがふさわしい。だが、ここのところ城に泊まりこんでいたフィルの不機嫌を肌で感じていたので、リアナとしてもやむを得ない帰宅だった。
そして、フィルの不満はもちろん、家に帰れないことだけではない。寝室に入ると、フィルは彼女の脱衣を手伝い、夜着に着替えさせた。薄い木綿の夜着の、背後のボタンを留めながら、彼は呟いた。
「デイミオンが戻ってきたら、俺は要らなくなる」
それは、リアナがおそれていた話題だった。できれば、いま、このときでないほうがよかった。だがフィルバートにとってはそうではないのだろう。
「これからどうするかは、三人で決めることよ」リアナは言った。「あなたを抜いて、デイと二人で決めたりはしないわ」
デイミオンが目ざめたあと、三人の夫婦関係をどうするのかは、まったくの白紙といってよかった――契約上は、リアナが第一配偶者、つまりデイミオンのもとに帰る形になるはずだ。だが、そのデイミオンが第二配偶者を作るとしたら? 夫は王である以前に一族の長であり、竜の血を継ぐ子どもは絶対に必要だった。おそらく、デイのほうにはその計画があるはずだ。そして……。
「そして?」
リアナの考えを読んでいるかのような声がした。背後から抱く姿勢のまま、フィルが攻撃的に笑うのがわかった。
「あなたは二人の夫のあいだを行き来するの? あなたがデイミオンに抱かれているあいだ、俺はどうやって耐えればいいんだ? 今だって、こんなに……」
腕に力をこめ、フィルはせつなげにささやいた。だがリアナが答えを考えあぐねているあいだに、失望したように腕が離れてしまった。
「フィル」
「……あなたは身勝手だ」
後ずさるフィルの手がドアノブにかかるのを見て、リアナは思わず近づいた。だが、彼はそれを拒否した。
「頭を冷やしてきます。……先に眠って」
そして、足音も荒く出ていった。
追いすがって引きとめるべきだったのかどうか、リアナにはわからなかった。身勝手だという彼の言葉は正しかったからだ。階下から話し声と、ドアの開閉音が続く。しばらくすると夜勤の竜騎手が申し訳なさそうに入ってきて、フィルバート卿は数刻でお戻りになりますと言った。
実際には、それほど長い時間ではなかったと思う。すくなくとも、まだ夜だった。リアナが不安なまどろみのなかにいると、ベッドに入ってくる男の気配があった。
「……起こしてごめん」
フィルの声がするほうに、リアナは身体を近づけた。抱きつくと、抱きしめ返してくれる強い腕がある。彼は肌寒い春の宵の匂いがした。ほっとして、ようやく眠気を感じることができた。何度ケンカをして、ぎこちなくなってもいいと思った。こうやってフィルが戻ってきてくれさえすれば……。
「どこかに行ってしまったのかと思った。あのときみたいに」
リアナがそう囁くと、夜闇のなかから沈黙だけが返ってきた。
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