第5話 黒竜消ゆ


 巨竜の肩口に刺した剣を足掛かりにして、グウィナはゆっくりと頭頂部へ近づいていく。ハダルクと連携して、竜ではなくライダー、つまりデイミオンを捕縛するつもりなのだろうが、うまくいくのだろうか。



 すぐにでもデイミオンのもとに駆けつけたかったが、黒竜アーダルが暴れまわる竜舎内を勝手に移動すれば護衛たちが困るのはわかりきっていた。まずは、アーダルをおさえなければ。

 リアナがそう考えたのと、エピファニーが技官たちを連れて走ってきたのはほぼ同時だった。

「ファニー、どうなっているのか説明して」

 麻のチュニックという軽装の青年が、うなずいて指さした。

「アーダルとデイは、ついさっき、ほとんど同時に目覚めたんだ。生体反応としては、覚醒といっていい。だけど呼びかけに答えなくて、意識がはっきりしない。その状態でさっき、きみのほうに報告を送った」

「そして?」リアナは、一人と一柱を凝視しながらうながした。

「急変したのは、レクサが姿をあらわしてからだ。アーダルが眠っているあいだ、王城ここはレクサのテリトリーになっていた。彼はテリトリーを荒らされたと思ったのかもしれない。……それで、両者を離して、追ってハダルク卿に言づけたんだけど……」

 リアナはうなずいた。最初の報告は受けていないが、おそらくハダルクのほうが早かったということだろう。それはいい。「どうやったらアーダルとデイを止められる?」

「二人の精神同期を解かなければ。物理的には、もうつながっていないんだけど、たぶん両者の〈呼ばい〉の絆が想像以上に強いんだ。デイミオンに呼びかけて――」

「――待って」


 リアナはファニーの話をさえぎった。今、アーダルの太ももあたりの筋肉が、ぐっと固く力が入ったように見えた。

(まずい、飛ぶつもりだわ!)


 そう思ったリアナは、とっさに竜術を使って前向きに飛んだ。背後から、「わっ」と慌てふためく声がするのは竜騎手の誰かだろう。が、気にとめている余裕はなかった。

 空中を移動するのは熟練したライダーにも難しいものだ。リアナは多少よろめきながら、見えない階段を駆けあがるように夫を目指して行った。


〔デイミオン!〕

 リアナは、自分にできる精いっぱいの強さで〈呼ばい〉を放った。〔わたしに気づいて! アーダルを制御して! デイ!〕


 せつない思いで手を伸ばす。アーダルの、さらに頭上あたりにいる彼の位置からでは届かないことはわかっていたが、夢中だった。

 一瞬、デイミオンも彼女にこたえ、長い腕を伸ばしたように見えた。だが、やはりそれは錯覚だった。竜術を使うとき、腕を伸ばす意味は決まっている――

 気づくのと同時に、炎が渦を巻きながらリアナに襲いかかった。明るいオレンジが目に焼きつくようだ。燃える火のあげる轟音が、その後を追う。

 リアナはとっさに空気を遮断して、炎をふせいだ。火は頬のすぐ近くまで達し、眼球をおそう熱さに思わず目を閉じてしまう。

 この一撃はこらえたが、続けざまに何発も出てきてはふせぎきれないかもしれない。自分はすでに空中浮遊で竜術を使っていたし、デイミオンは『無限の火種』と呼ばれるほどで、ほぼ無尽蔵に力を使うことができるからだ。


 夫の手のひらが、再びこちらに向けられた。

(また来る!)

 そう思った瞬間、金色の目が背後のあらぬ方向を向いた。すでにアーダルよりも高い位置にいるデイミオンよりも、さらに上。ドーム状の竜舎の、その天井部から、デイめがけて黒い影が降ってくる。


 竜術は人智を超えた魔法のような力だが、ある程度の質量をもつ物体がそれなりの速度で向かってきたときに、即座に対処できる方法はない。がっきりと鋼がかみあう重い音がして、ふり返ったデイミオンが剣で受けたことがわかった。

 たった一撃、真上から剣で打ちかかった相手はそのまま剣から滑らせるように手をはなし、デイミオンの肩をつかんで支えにすると、彼を飛び越えるように空中を前転した。


 フィルバート・スターバウ以外のはずがない。


 〈竜殺し〉は穀物袋をつかむようにリアナを縦抱きにかかえると、そのままさらに地面まで落下した。着地の直前に風圧を感じたのは、ライダーの誰かが衝撃をやわらげようとしてくれたのだろう。あらかじめそれを読んでいたのにしても、フィルの行動は思いきりがよすぎる。 


 隙を見たレクサとルクソルが、主人の命令どおりにアーダルに体当たりをしかけた。巨大な竜は不意打ちによろめいたものの、体勢を崩すほどではなかった。二柱の竜は深追いせずに離れ、そこにさらに、連携したコーラーたちの火矢が放たれる。

 だが、時間稼ぎは奏功そうこうしなかった。アーダルは天井のほうへ首をめぐらし、ぐっと飛び立つ姿勢になった。


 着地したフィルの腕のなかから、リアナは叫んだ。

「デイミオン!」

 伸ばした指はむなしく宙をきった。デイミオンはアーダルそっくりの金色の瞳でこちらを睥睨へいげいし、やはりなんの感情も見せることなく、竜に命じた。〔行け〕


 たしかにデイミオンの姿なのに、彼の声なのに、思うようにならない。自分の声が届かない。それが歯がゆい。巨竜のはばたきでばたばたと風を受けながら、その竜が夫をのせ、ガラスでできた天井窓を割って飛び去るのをぼうぜんと見おくりながら、リアナは誰はばかることなく怒り狂っていた。


 ♢♦♢


 ぼうぜんとしていたのは、その場の大半も同じだっただろう。


「なぜ陛下をお止めしなかったのだ!」

 ロレントゥスが怒鳴ったのが聞こえた。横髪だけ編んだ金髪と、紺色の長衣ルクヴァの美貌のライダーだ。いまは、その白い顔を怒りで紅潮させている。彼がリアナを危険にさらしたのは事実で、護衛として面目が立たないと思ったのだろう。

貴殿あなたが止めると思ったからこそ、私は――」

 

「リアナを止めるより、デイとアーダルを止めるほうが早いと思った」フィルはいつもどおりの声で淡々と答える。

「第一の竜アーダルをですか!?」

 ロレントゥスは嘲笑した。「さすが、〈竜殺し〉さまは言うことが違う」

「……君はリアナを知らない」

 フィルはそれで十分だというふうに言ってのけた。

 

 リアナは二人のいさかいを、ほとんど意識していなかった。デイミオンが消えたという事実を受けとめられず、どうすればいいのか――というより、なにを考えればいいのか、逡巡しゅんじゅんしてしまった。

「リアナ陛下さま

 情けなく震えだしそうな腕に、手が置かれた。力づけるようにぐっと握られた指は細く冷たい。「グウィナ卿」

 長衣ルクヴァに似た黒いスリット入りのドレスは、土ぼこりで汚れ、戦闘でできたらしいかぎ裂きが目立っていた。だが、さいわい彼女自身のケガはないようだ。


「わたくしが追うわ」

 まだ衝撃が残っていたせいだろう、リアナはとっさに聞き返すことができなかった。無言でハダルクのほうを見やったのだが、それでグウィナには伝わったらしかった。

「ハダルクの竜は雄竜で、アーダルをさらに興奮させてしまうかもしれない。わたくしのルクソルは小柄なメスだから、脅威とみなされないと思うの」

「そう……かもしれない」

 リアナはようやくそう返した。「でも、アーダルのスピードとパワーについていけるのは、レクサだけだわ。デイミオンに〈呼ばい〉で接触して、彼を正気に戻さなきゃいけないのよ……」

 竜騎手としての能力。古竜そのものの生態と特性。城の守り。考えなければならないことが山ほどあって……いまは王太子も不在で……五公の席は……

 混乱しはじめた頭をふって、眉間をおさえた。グウィナの手が離れた肩に、今度はフィルの手が置かれる。その重みがありがたく、リアナは無言で指を握った。……しっかりしなければ。自分が指示を出さなければ、デイとアーダルを連れ戻すことはできない。

「いえ、やっぱり、お願いします。コーラーとハートレスを一人ずつつけて。編成はまかせるわ」


「ええ」

 グウィナはすぐに準備を終え、追う体勢を整えた。てきぱきと指示を出す様子が頼もしい。ルクソルに騎乗する直前、ハダルクが彼女を固く抱擁ほうようして、ささやくのが聞こえた。「かならず無事で戻りなさい。私とヴィクとナイムのために」

「あなたと息子たちと、陛下のおんために」

 グウィナもそう返した。美貌の将軍は一瞬だけ幸福そうに微笑んだが、すぐにきりりと表情を変える。愛竜に騎乗すると、アーダルがやぶった窓から矢のように飛びだしていった。ガラスの破片がきらきらと舞って、灰色の地面に落ちていく。


 夫婦の固い絆を目の当たりにしたリアナは、場ちがいな羨望せんぼうをおさえられなかった。デイミオンだって、かつてはハダルクと同じように、自分を信頼して危機せまるケイエへ送りだしてくれたのだ。でも今は――。自分が不在のあいだの妻の安全のためにと、二番目の夫をあてがおうとしたデイミオンの考えが以前は理解できなかった。だがそれも、自分があまりにも無鉄砲すぎるからなのかもしれない。フィルだって、自分を止めるくらいならアーダルを止めるほうがたやすいと言っているくらいだし。


 陰鬱な思いにひたりそうになる頭をふって、リアナは毅然きぜんとした声を出すようにつとめた。


「エサル卿とエンガス卿、竜医師、近衛兵長をすぐここへ呼んでちょうだい。対策を立てなくては」

 彼女は周囲に命じた。

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