1 夢の家の終わり

第4話 激突! アーダル対レクサ



 野掛けに出ていたリアナと一行は、飛竜を駆り、あわてて城へと戻った。岩山に張りついたカサガイのような城の上空に、黒い雲が渦を巻いているのが不吉に見えた。

 

 城のすぐ手前まで来ると、前を飛ぶハダルクの飛竜が旋回せんかいする姿勢になった。王の黒竜、アーダルとそのつがいが棲む天空竜舎には、生態系で下位にある飛竜を着陸させることができない。かれらは力ある生き物の気配に委縮いしゅくして、最悪の場合には竜乗りを落としてしまう。――鋭くカーブした地点で、ハダルクはぱっと空中に身をおどらせた。遠目には、城のてっぺんから岩山の陥没かんぼつ部分へとかかる場所で、岩肌や植生の少ない風衝ふうしょう地にまじって人工の緑地がある。


 そこはすでに、黒竜たちの領域テリトリー。竜の力を使うライダーにとって、重力のない者のようにび、なにもない場所から炎を燃えさからせることのできる魔法の場所だ。熟練のライダーは紺の長衣ルクヴァをひらめかせ、見えない翼で滑空するように、なめらかに竜舎の入口へと着陸した。着地の勢いのまま、岩山をくり抜いて作った竜舎へと駆けこんでいく。

 その後を追うように、リアナとフィルも飛び降りた。かれらの背後では、旋回した飛竜が発着場へと向かうのが見えるはずだ。リアナが竜術で調整しなくても、背後のフィルは彼女の作った空気の流れが見えているかのように、なんなく着地した。他の竜騎手や随身たちもあとに続く。


 入った瞬間、リアナは異変に気づいた。

 地鳴りのような音に、奥からは低くとどろく咆哮ほうこうが聞こえてくる。

(いったい、何が起こってるの?) 

 走っていくリアナは気がいて、足首にまとわりつくワンピースがうっとうしかった。ふだんのスリット入りのドレスなら騎竜ライドの邪魔になることはないのに。それもこれも、レヘリーンのせいだ。

 フィルがすぐに彼女を追いこし、剣を抜ける位置に手をやったまま奥へ走っていった。その張りつめた空気には、年下の妻に甘える男の面影はない。いまのフィルは文字どおり、生粋きっすいの兵士だった。



〔リアナ! 来てはダメよ!〕

 りんりんと鳴る鈴のような声が、〈呼ばい〉をつうじて伝わってきた。通路からは、まだ声の主は見えない。

 本来なら、第二の竜ベータメイルのものであるはずの領域に、目ざめたアーダルの強い思念が侵攻して、ライダーたちが思わず顔をしかめるほどに力が対立しあっている。

 目には見えない、巨大で超自然的な力のぶつかり合いだ。


〔グウィナ!〕

 リアナは、信頼する義理の叔母を呼んだ。

〔何が起こっているの?! アーダルは!? デイミオンは――〕


〔すべての兵士はリアナ陛下のもとへ!〕

 グウィナはリアナに答えなかった。その余裕がないとでもいうように、ふだんの優雅さをかなぐり捨てて、強い命令の〈呼ばい〉をはなった。〔竜騎手たちはわがもとへ来い!〕

〔はい閣下!〕

〔アーダル号は私がおさえる。おまえたちは援護をしろ!〕


 その号令は、とてもグウィナのものとは思えないほど大きく、力強かった。これほど緊迫した場面でなければ、「デイミオンに似ている」と思っただろう。夫デイミオンは即位の前、グウィナと同じく竜騎手団を率いていたことがある。


 通路から、アーダルとデイミオンが眠っていたはずの中央竜舎へとついに出た。リアナは息を整えるために一度、立ちどまらなくてはならなかった。目の前がさっと開け、巨大な竜が棲まうための巨大なホールが出現する。そこは、今朝リアナが見た光景とはまったく違っていた。


 それは黒竜同士のはげしい争いの真っ最中だった。小山とみまごうほどの巨大な身体の、肉と肉とをぶつけあう竜たちの衝撃音は、まるで地割れのようだ。アーダルとレクサ、群れの中の一番雄と二番雄とが争っていた。たがいにたがいの首を噛み、おさえつけようと暴れまわっている。レクサがたたらを踏むと、その衝撃が地面を通じてリアナたちにまでつたわってきた。


「レクサ!」思わず、といったように、ハダルクが口話で叫んだ。「アーダルと離しておいたはずなのに」


「おそらく、ルクソル号を攻撃しようとしたのでしょう」

 リアナの随身で、竜騎手団のひとり、ロレントゥスが言った。

「ルクソルは雌だぞ」

 ハダルクはそう言ったものの、みずからの目で確かめたようだった。

 グウィナ卿の黒竜ルクソルは、にび色で首回りに藍色のしまが入っている。持ち主の絢爛けんらんたる美貌とは違い、どちらかといえば地味な雌竜だった。そのルクソルの首から上腕にかけて、かぎ裂きができていた。


「信じられない」ハダルクはリアナに向かって説明した。

「雄竜が戦うのは、繁殖期、メスを争うときだけです。だからあの二柱を離しておけば安全と思ったのですが……ルクソルを襲うとは」

 おそらくはそれが、二番雄レクサがアーダルに向かっていった理由なのだろう。群れのなかで順位の高いオスは、メスや仔竜を守る意識が高い。だが、しだいに不利があきらかになってきた。レクサは黒褐色の凛々しい雄竜だが、アーダルとは体格がまるで違う。そのうえ、今は縄張り争いをする時期でもなければ、その相手でもないのだ。


「アーダルは覚醒したばかりよ。まだ混乱してるのかも」

 リアナはそう言いながら、黒びかりするアーダルの身体に目をこらした。「デイは……デイミオンはどこなの」


 オンブリアの王は、自身の竜を見下ろす場所に直立し浮いていた。眠りにいたときの、普段着の生成きなりの長衣ルクヴァのままだ。伸びかけの黒髪がかかる端正な顔には、およそ表情というものがなかった。


「デイミオン!」

 リアナの呼びかけに、黒竜王はこたえなかった。目はあいかわらず金色に輝いているが、ぼんやりと視線を宙にただよわせている。

「デイ、しっかりして! わたしはここよ!」

 デイミオンの首がわずかに動き、金色の瞳が妻のほうに向けられた――かに思われた。だがそれは間違いだった。

 黒竜王はアーダルと同じ方向を、つまり自分を攻撃しようとしているグウィナを見ていた。リアナはその意味することに気づいた。「グウィナ、よけて!!」


 空気が揺らめいて炎が出現し、赤毛の女性に向かって吹きつけられた。竜の吐く息ドラゴンブレス、と呼ばれるが、実際には竜自身が生み出すものではない。例外はあるが、古竜はライダーの命令によって炎を出現させるだけだ。つまり、デイミオンが(おそらくは無意識に)命じたものと思われた。


「グウィナ卿!」

 リアナは叫んだ。夫たちにとっては、グウィナは疎遠な実母以上に大切な叔母である。「ハダルク、援護しなくていいの!?」

「しています」

 ハダルクは律儀に答えた。胸ポケットから術具らしきものを取りだし、口に放りこむ。青い目が明るいグリーンをおびて輝き、竜術が作動したことがわかった。ライダーたちは、特殊な術具を使うことで自分の竜種以外の力を使うこともできる。この場合は、肉体を強化する青の竜術と思われた。



 炎を吹きかけられそうになったグウィナは、ルクソルの頭上から跳びあがってアーダルの肩に着地した。だが手と膝をついた瞬間、黒竜が大きく身体をよじって彼女を弾き飛ばした。振り落とされたのは、おそらく、狙ったよりも低い位置に着地してしまったためと思われた。

 直前まで使用していた竜術の効果もあって、グウィナの身体はボールのようにかるがると宙に放り出された。見事な赤毛が目に焼きつく。


「グウィナ!」

 リアナは思わず駆けだそうとして、ロレントゥスに抑えられた。ハダルクの動きはすばやかった。助走もなく跳びあがり、二階の回廊の手すり――彼女の着地点と予測される場所――で腕をかまえた。腰をしっかりと落とし、吹き飛ばされてきた彼女をキャッチ!

 まるでヴァーディゴで穀物袋シープをキャッチするときのような、見事な動作だった。

 無事に妻を受けとめたかに見えたが、ハダルクの動きはそれだけではなかった。なんと、彼女を抱えたまま手すりの上でぐるぐると回転しだしたのだ。四、五回も回ったところで、戦斧でも投げるように、勢いよく彼女の身体を放り出した。

「な、何やってるの!!?」

 熟練の竜騎手がついにおかしくなったのかと思ったのもつかの間。弾き飛ばされたアーダルに向かってふたたび放り投げられたグウィナは、なんと空中で回転しながら体勢を立て直し――そして――抜刀しながら、着地! 今度は、剣がアーダルの肩に刺さった。

「なんてことなの……」

 安堵よりも驚きのほうが大きかった。この優雅な叔母がかつて、〈黒竜将軍〉と呼ばれていたことは知っていたが、それにしても復帰直後とは思えないおそろしい身体さばきだった。それを受けとめるハダルクのほうも手慣れている。一度や二度の連携で、ああはできるまい。


「卿は昔、最初の団勤めのころ、私のことを『発射台』と呼んでおられましたよ」

 案の定、グウィナのあとを追って二階から着地したハダルクは、移動の途中でそう言った。

「あきれたわ、わたし以上の無鉄砲じゃないの」

 リアナのその言葉を、ハダルクはもう聞いていないだろう。こちらも肉体強化でおそろしくすばやく動き、グウィナの援護にまわっていた。


「どうやら、〈竜殺しスレイヤー〉の出番はなさそうだな」

 ロレントゥスが当てこすったが、そのフィルは剣をおさめることなく、警戒したままだった。


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