第2話 あなたを棄(す)てた母親よ

 どこまでも続くような青空の下に、竜の国の最高権力者たちが集結している。


「アエディクラ産の、安価な小麦が自領うちに流入している。去年の冬から目立つようになった」

 会の口火を切ったのは、南部領主のエサルだった。「値崩れが進むと、税が払えず農耕地を放棄する者も出かねん。リアナ陛下におかれては、いかがお考えか?」


「把握しているわ」

 リアナは額を指でおさえるようにしながら答えた。「東部領のエクハリトス家からも同様の報告と、減税の嘆願が」

 リアナとエサル、エンガスの三名によって、今年度の予算をふりわける駆け引きがはじまった。ここでの決定に王の裁可が加われば、次は竜騎手議会が実際の予算配分を決めていく。実際にはリアナが王の権限を代行している。

 野原ののどけさのなか、異国の服装をした権力者たちが円座になって真剣な話し合いをしているさまは、知らない者たちにとってはどこかこっけいに映るかもしれない。


「今年の小麦が実るまで、まだ時間はありますわ」

 唐突に、軽やかな声が割って入った。レヘリーンだ。ピクニックの延長のような、のんびりした調子だった。

「それよりも、エンガス卿のあとの五公はお決まりになったの?」


 レヘリーンの青い目と、スミレ色の目がぶつかり合った。 

「エンガス卿のあとの、とは……」

 言いたいことはわかったものの、リアナはあえて言葉をにごした。

 老齢のエンガス卿が政治的な引退を考えているのは周知の事実だったが、かといって待ちのぞむような発言はしたくなかったからだ。王と五公という立場で、いろいろと衝突は多いものの、老大公エンガスは国を率いる上での重要な同盟者である。しかも政治家のおそろしさはここで、後継者のほうが手玉に取りやすいとも限らないのだ。……デイミオンだって、かつて同じようなことを言っていたっけ。


「レヘリーン卿のお心をわずらわせまして、心苦しいことです」

 リアナの隣から、当のエンガス卿が淡々と言った。「後継の話もまとまりつつあるところで、よき日を選んでご報告ができると思います」

 暗に、「おまえの知ったことではない」と返したわけだが、レヘリーンはにこにことうなずいていた。

「よい後継が得られることを、微力ながら祈っておりますわ。……ところで」

 彼女は隣にはべらせている男性を、場に紹介するように引っ張った。イーゼンテルレ風のしゃれた服を着てはいるが、金髪の竜族男性だ。

「ここにいるハズリーは、ニシュク家そちらとも血縁が深いとか聞いておりますわ。乗り手ライダーの力をお持ちなのに、さらにイーゼンテルレで医学を修めた優秀な方ですの」


「そのような噂は耳に入っておりますな」エンガス卿は、やはり感情の読めない顔でそう返した。「が高い若者であると」

「わたくしたち一度、西部領にも行ってみたいと思っていますのよ。ね、ハズリー?」

 レヘリーンの笑顔は輝くばかりだった。

「わがきみのお望みとあれば、喜んでおともしたく」ハズリーと呼ばれた男が、にこやかに答えた。レヘリーンをはさんだ逆側に座るエサルが、犬の食べ残しでも見るような目つきになっている。


(そういうことね)

 うすうす、そうではないかと勘繰かんぐっていたところに確証が得られて、リアナは苦々しくも納得しないわけにはいかなかった。(愛人から、五公の座をおねだりされたってわけ? それでわざわざ、タマリスまでやってきたの??)


 それ自体は、別にいい――タマリスにとどまる貴族たちの多くが、似たような政治的野心を持っているのだから。ただ、何年も素通りするだけだった王都にわざわざ立ち寄った理由がそれだということには反感を感じずにはいられない。息子たちのためでなく、愛人のためだとは思いたくない。リアナはぎゅっと拳を握りこんだ。


「五公の選定については、王とわれわれだけでなく、グウィナ卿、ナイル卿、エピファニー卿をふくめた五名での採決が必要だ」

 エサルが不機嫌そうに告げると、レヘリーンは気にしたふうもなくうなずいた。「もちろん、そうですわね」


 リアナが開いたのは「五公会」だが、実際にこの場にいた五公は代理を含む三人だけだった。王国随一の工業都市を抱える南の領主・エサルと、西部領主にして貴族たちの重鎮でもあるエンガス、それに北部領主ナイルの代理であるリアナだ。残りの二名は不在である。

 もちろん理由はあった。ナイル・カールゼンデンは希少な白の竜騎手ライダーとして、王国の農業を庇護する立場にある。つまるところ多忙で、五公のつとめは十全に果たされているとは言いがたかった。

 グウィナ卿は、息子ナイメリオンが昨年起こした不祥事のため、一時的に五公としての権限を停止されている。現在は竜騎手団の団長として、王国の安全を預かる要職にある。

 そして〈黄金賢者〉エピファニーといえば――彼は、五公会よりもさらに重要な仕事を任されていた。リアナにとって、という前書きがつくが。


 王国の第一の竜アルファメイル、アーダルを目ざめさせるために、デイミオン王とともに竜舎に詰めているのだった。そのデイミオンは、遺物とも呼べるほど古い謎めいた設備のなかで長い眠りに就いている。リアナが、城を出てこのようなのんきな野掛けピクニックに参加するのにまったく気が進まない、最大の理由だった。

 夫が城で眠っているのなら、できるかぎりその場にいたい、というのが彼女の自然な気持ちだ。竜王デイミオンが冬眠に似た睡眠状態に入って、この春で一年になる。本来ならば、もう目ざめると考えられていた時期だ。

 「兆候ちょうこうはあるよ」と、親友ファニーはリアナをなぐさめた。「アーダルは活性化しつつある、少なくとも数値の上では。そしてアーダルが復活すれば――デイミオン王も目を覚ます」

 何度も説明され、理解しているつもりでも、リアナはじれったく不安な思いをぬぐい去ることができないでいる。


 それなのに、母親であるレヘリーンは、ただの一度しかデイミオンの顔を見にいっていない。そのたった一度のあと、レヘリーンはかよわく泣き崩れて、「息子がこんなふうになっているところは、見ていられない」と言ったのだった。


 リアナにはその気持ちはさっぱり理解できなかった。

 彼女は毎日、毎朝、執務の前に彼のもとに足を運んでは前日の出来事を報告した。聞こえているかどうかは関係ない。昼食を彼のいる竜舎で取ることもしばしばだった。リアナが来るよりも先に、叔母のグウィナが来ていることもよくあった――ふたりは肩を寄せて励ましあい、愛する者が目ざめるだろう朝を指折り数えて待っているのだ。


 レヘリーンが退位したのは戦争責任を問われたせいでもある。謹慎の意味合いもあるのだから、デイミオンの即位式や二人の結婚式に来なかったことはまだいい。だが、フィルバートが国を出奔したとき。そしてデイミオンが、自分の竜アーダルの昏睡に心を痛めているとき。レヘリーンは誰はばかることなく息子たちの側にいてやるべきだったのだ。


 それが、リアナが義母に対して抱いているいつわりのない思いである。



♢♦♢

 

 結局、五公会の議題はほとんど片付かず、中途半端な幕引きとなった。味方の少ない場で自分たちの側に不利な採決が出たらとリアナはおそれたが、エサルもエンガスもそれほど自領の利益を持ちだすことはなかった。レヘリーンが竜王だった時代の統治を思いだして暗澹あんたんたる気分だ、と顔に書いてある。手玉に取りにくくとも、国政に熱心なリアナのほうがまだマシだと思われたのかもしれない。フィルバートはあいかわらずにこにこと聞いているばかりで、政策への意見を出すことはなかった。こればかりはどうしてもデイミオンと比べてしまう。味方をしてほしいわけではなく、少しばかり王配としての存在感を見せてほしいだけなのだが。

 せっかく戦時の英雄として一目置かれているのに、フィルはまったく政治的な野心というものがない。〈ハートレス〉として貴族社会から疎外されてきたせいではないか、とリアナは考えている。


 レヘリーンが「ベリー摘みに行きたい」とのたまったので、リアナはこれ幸いと案内(という名の監視役)をつけて彼女を追いはらった。どのみち、こんな場所ではまじめな会合にもならない。……エサルは疲れたように肩を回しながら飛竜たちのほうへ歩いていく。エンガス卿が、去り際にリアナに話しかけた。


「リアナ陛下。……最近は診察を受けておられないと、アマトウが案じておりましたが」

「忙しいの。時間が惜しいのよ、エンガス卿」

 エンガスのガラス玉のような薄青い瞳は、猛禽もうきんに似ている。リアナはなんとなく後ろ暗い思いで目をそらし、老大公の長衣ルクヴァの胸あたりに落ちているシロツメクサの葉を見ていた。

「それに……妊娠のことは考えていないわ、少なくとも今年はね。フィルも子どもを望んでいないし」

「……」

 老大公が、白いひげのある顎に手を当てて、なにか考える様子になった。

 リアナはそっと付けくわえた。「……そもそも、子どもができるかどうかもわからないわ。だってわたしは……」

 不気味な半死者、デーグルモールなのだ。おそらく、その血の半分は。そしてこれまでにも何度も、竜族とは思えないおぞましい回復能力を見せていた。愛する男たちの血をかてにして――そう考えて、思わず身震いする。


 老大公の目線が自分に刺さっていることを、リアナは痛いほどに感じた。

「あなたの存在には、大きな意味がある」エンガスは言った。

「実験動物として?」

 皮肉げに問い返すと、黙って首を振られる。

「……いずれ、お分かりになる。近いうちに」思わせぶりなことを言うと、老大公は去っていった。



 そして、側近や随身ずいしんをのぞいては、フィルとリアナだけがその場に残った。どうにも腹にすえかねるので、リアナは〈竜殺しスレイヤー〉と呼ばれる男を木立こだちのほうへ引っ張っていった。ひと目があっても本人は気にしないだろうが、リアナは立場上、夫の対面が気になるのである。


「どういうつもりなの」

 ひょろひょろしたシラカバの樹のあいだで立ちどまった。指を突きつけると、フィルは「どうって……?」と、きょとんとした顔になった。レヘリーンが選んだらしいモスグリーンのジャケットはたしかに似合っていたが、砂色の短髪もあいまって、村の素朴な青年にしか見えない。

「レヘリーン卿のことなら、俺なりに旧交を温めているつもりだけど」


「旧交!?」リアナはすごんだ。「あなたをてた母親よ! あんなふうに愛想を振りまく必要なんてぜんぜんないわ」


「昔のことだよ」フィルは肩をすくめた。「いろいろあっただろうけど、根は悪い人じゃないんだ」

「養子に出すだけじゃ飽き足らず、あなたのことをなかったことにしたのよ! 自分が生んだ子どもの身体に、見えもしないがひとつ足りなかったくらいで。悪意がなければいいっていう話じゃないでしょ!?」

 いちおうあたりをはばかって小声にはなっているが、リアナは怒りがおさまらない。この場にデイミオンがいれば、彼女に肩入れしてくれたに違いないのに。歯がゆくなる。


「俺としては、いまの自分に満足してるし、彼女に恨みもないんだけど……」

 フィルはリアナを腕にかこい、なだめるような苦笑になった。「でも、あなたが俺のために怒ってくれるのは嬉しい」

 シラカバの細い幹にそっと押しつけられ、剣だこのある固い手のひらが頬にふれた。男性の熱量が近づく。よく見ると整った顔だちが、さらに間近に迫ってくる。

 ハシバミ色の目がうかがうように合わされたかと思うと、口づけられた。


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