白竜の王妃リアナ② 薄明をゆくプシュケ (リアナシリーズ5)

西フロイデ

第一幕

序章 権力者たちのピクニック

第1話 もう一人の上王陛下


 白く細い指が、花茎をつまんで編みこんでいく。

「こうやってねじって、前の花と寄りあわせるようにして……」

 どこまでも続くように見える青空の下に、女性の声が楽しげに響いた。「ほら、できたわ」


 彼女のまわりには、春の野花が絨毯じゅうたんとなって広がっている。タンポポ、黄いろいカタバミ、控えめなスズラン、そしてシロツメクサ。王都の西にある名もない野原のひとつである。


 男性たちの歓声が、とあがった。

「みごとな出来ばえですなぁ!」

「花冠といえど、陛下の手にかかりますと金細工のようでございます」

「しかし、いかな冠も、上王陛下のお美しさ、衰えを知らぬ可憐さにはかないません」

 男たちは歯の浮くようなお世辞を言い、口ぐちに「陛下」と呼ばれる女性をめそやした。


「まぁ。お上手だこと」女性はきゃしゃな手を口もとにあてて、ころころと笑った。

「上王陛下だなんて、堅苦しい呼び名はやめてちょうだい。五節(竜族の六十年)も老けた気がするわ」

「まさか!」

「陛下に限って、おとろえなどとは無縁でございます」

「そうかしら?」

「まったくそのとおり。ご夫君となられる男性は、よほど前世で功徳くどくを積んだのでしょうな」

「まぁ……そのお言葉、夫に聞かせてやりたいわ……」

 茶目っ気のある口ぶりで、女性は花冠を胸もとに抱えた。美しく高く盛ったとび色の髪から意図的に垂らされたひと房が、豊満な胸もとにかかっている。目はヤグルマソウのような青だった。

「でしたら、名前で呼んでいただきたいわ」


 取りまきの男性たちが、たがいに探るような視線を交わした。

「では、おそれながら――」

 いかにも世慣れた風情の一人の中年男性が、儀礼的なお辞儀をしてほっそりした指に口づけを落とした。

「上王、陛下」


「陛下はやめてと言ったのに!」女性、つまり上王レヘリーンは声をあげて笑った。



 ♢♦♢



「この茶番を、いったいどうしろっていうわけ?」


 この場でもう一人「上王陛下」と呼ばれるべき女性――つまり、リアナ・ゼンデンが不機嫌に呟いた。レヘリーンと取りまきたち同じく野原に座した姿勢で、近くに生えるシロツメクサを怒りにまかせてとちぎっている。竜族の長い青年期のあいだにも、一度も花冠など編んだことはないわれらが主人公である。

 もっとも、今では「上王」と呼ばれることはめったにない。現在の公的な立場は、「王配にして代王」、対外的にはオンブリアの君主だ。王としての在位は短かったリアナだが、その後、黒竜王デイミオンの妻として、また上王の立場で、国政に深く関わってきた。名実ともに、オンブリアの支配者たる自覚があるリアナである。

 しかし、そのリアナに普段の威厳はなかった。竜たちの王にはおよそ似つかわしくない、百姓娘が収穫祭のために用意したような服を着せられていたためだ。胸もとが開いて盛りあがったブラウスに、きゅっと腰をしぼったワンピース。刺しゅう入りのエプロン。これから乳しぼりにでも行くなら、まさにうってつけの服装だろう。



 隣から、リアナとおなじくらいうんざりした調子の声が降ってきた。「まったくだ」

「エサル卿」

「俺はこの薄紙みたいなティーサンドで腹をふくらませなきゃならんのか? 荷運び竜ポーターみたいに草でも食えと?」

 同調者は、意外な人物だった。南部領主、エサル卿だ。リアナ同様「収穫祭の若者」風の衣装を着せられ、野原の上に投げやりにあぐらをかいている。その衣装は短く刈った金髪と野性味のある美貌には意外と似合っているが、長衣ルクヴァ以外を着せられるのは本人には不本意なことだろう。手には本人の言葉どおり、腹の足しにならなさそうな優雅でごく小さいサンドイッチがあった。このピクニックは人間の国、イーゼンテルレ風を模しているということだが、人間はこんな少量の食事で満腹になるのだろうか?


 リアナは黙って、従者用という名目で持ってきていたパンの固まりを渡してやった。「敵に塩を送る」ならぬ、「政敵にパンを送る」だ。

「恩に着る」かぶりついたエサルの言葉には、珍しく本心がこもっていた。



 レヘリーンが、ささげ持った花冠を老齢のエンガス卿の頭に置き、また「どっ」という笑い声が湧いた。それを、リアナは憂うつな思いで眺めている。

 人間の国家イティージエンと戦争状態にあったとき、その最初の君主が、このレヘリーン・トレバリカ・エシカであった。リアナの母エリサが王太子であった時代の王であり、悪化する戦況に責任を感じてみずから退位を選んだことになっている。王家がなく、封建制度が未成熟な竜の国オンブリアでは、君主としての竜王の権限はさほど大きくない。そのため、責任ばかり重い君主の座に嫌気がさして〈血の呼ばい〉を返上し、退位した王はレヘリーンがはじめてというわけでもなかった。ただ退位の実際のところは、王太子エリサから脅されたなどという噂もあったが……そのあたりは、戦後の生まれであるリアナにはあずかり知らぬところであった。

 そして何の因果か、彼女は愛する夫デイミオンとその弟フィルバートの母親でもあった。要するに、彼女はリアナの、義理の母親なのだった。で。


「そろそろ釘を刺しに行くべきかしら?」


「ほっておけ」口いっぱいにパンを詰めこんだまま、エサルが言った。

「あれくらいを侮蔑と受け取っていては、レヘリーン陛下の臣下は務まらん。七人もの王につかえたご老体だ、公も骨身にしみてるだろうよ」

「だけど、仮にも五公の最長老を、笑い者にしておけないわ。五公の権威にかかわるもの」

「あの高貴な女性は毎年の野分のわき(台風のこと)みたいなものだ。その一日だけ耐えれば、あとは解放される。たまに爪痕つめあとが残るが」

「……」

 エサルの言うことは正しい。エンガス卿は、羊皮紙のような乾いた皮膚の下に冷たい微笑みを浮かべたまま黙って座していた。そして、花冠が絶望的に似合っていない。リアナはため息をつき、草花の中から立ちあがった。やはり、放っておけない。



「花を編むのがお上手でいらっしゃいますね、

 にこやかに場に入っていきながら、リアナは周囲にさりげなくにらみをきかせた。この場で「上王陛下」と呼ばれるべきは自分一人だ、という無言の主張である。取りまきの何人かは、露骨に目をそらした。リアナは胸中で悪態をつき、彼らの名前をしっかりと記憶しておいた。


「まぁ、陛下。その服やっぱりお似合いになるわ。わざわざイーゼンテルレからタマリスまで運ばせてきたかいがあったわ」

 レヘリーンは、とても三人の子を産んだとは思えない、無邪気そのものの声で言った。「ね、マル……いいえ、フィルバート卿?」


「ええ」立ちあがりざまに、フィルバートがにっこりと返した。違う名で呼ばれかかったことなど、まったく気に留めていないというふうに。そしてリアナをエスコートする形で隣に座らせる。

 砂色の短髪に、本心の読みづらい笑顔。〈剣聖〉とも〈竜殺し〉とも呼ばれる、リアナのもう一人の夫だった。期間限定の、というただし書きはつくが。


「オンブリアのドレスも素敵ですけど、あなたにはイーゼンテルレ風の服も似合うな」とろけそうな笑みとともに、フィルが言った。


「ね、そうでしょう? わたくし、服を選ぶ目にだけは自信があるの」

「閣下の服も、よくお似合いですよ」

「ありがとうフィルバート。あなたもモスグリーンのジャケットがよく似合うわ。あなたに合う色だと、前から思っていたのよ」

「光栄です」

 生物学上の母と息子は、にこやかに会話を交わしている。リアナは見知らぬ者たちを見るような思いで、彼らを凝視していた。この二人のあいだに、親子らしい情が通っているなどとはとうてい信じられなかったからだ。……フィルバートが名乗る家名は、「スターバウ」のみ。デイミオンと同じ出自を持ちながら、エクハリトスの家名を名乗れない原因は目の前の女性にあった。



「本題に入っても構いませんか、レヘリーン卿?」 

 いちおうは礼節をたもってリアナが尋ねると、レヘリーンはかわいらしく首をひねった。

「本題と申しましたら? なんだったかしら」

です」リアナは力をこめて言った。「今日は、定例の会合日。打ち合わせる予定の議題が山積していますので」

 本来ならば、王城のいつもの小部屋が会合の場となるはずだった。それを今朝、レヘリーンの突然の来訪によって中断されたのである。周遊旅行中だったイーゼンテルレから山ほどの土産物をもって現れた高貴な女性は、「息子の顔を見に来ましたの」と告げたが、城内の誰一人それを信じる者はいなかった。


 ともあれ彼女は権力者である。引退した竜王、かつ現王デイミオンの母親というこの上ないカードを持って現れたレヘリーンに、リアナは形の上だけでも従うそぶりを見せなければならなかった。その結果が、この馬鹿馬鹿しい野掛けピクニックである。


「まあ……」

 レヘリーンは手を打った。「そうでした。わたくしも、王だった時分には、五公会をずいぶん頼りにしておりました」

 それは、さぞになったでしょうね、とリアナは思った。リアナ自身とデイミオンがそうだったように、王と五公とはその性質上利害が一致しないことが多い。皮肉のつもりで言っているのでないのなら、レヘリーンはまったく国政に興味がなかったと言っているも同然だった。


「どうぞ、わたくしに構わずはじめてちょうだい」

 少女のように無垢な笑みとともに、上王レヘリーンはそう言った。


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