第3話

結局、薫は自分の財布から金を取り出した。

  ところでさ、ちょっと話があんねんけど、と薫が切り出した。

くいくいっとおばさんを手招きした。

「はい、なんでしょうか」

  ――アホかな病気かな、両方だよなって思うかもしらんけどさ。ケン、説明したって

  ――めっちゃ説明しずらくなった

   俺は折り畳んだパラフィン紙を取り出した。その中に一枚の写真がある。

 「これ、ここであってるやろ」

  写真は携帯で隠し撮りしたものだ。手ぶれがひどいものの、積まれた本の上でぼんやりしている性別不詳のガキである。

  「おばさんさ、このガキ知ってるやんな。その子、ゆずってくれへん?」

  「そんな子、知りません」

  「このパラフィン紙、たぶんここのと同じやと思うねんな。んで、この本屋のレシートやろ? これ」

  写真と一緒にくるんでいたレシートを出すと、さすがにおばさんの表情が険しくなった。

  「仮に、うちの子やとして」

  「認めるん?」

  「仮にやって言ってるやろ。よその人に、はいそうですかって譲るわけないやろ」

  「人の子ならそうかもな。なぁ、ばあさん。わざわざ聞いてるだけで、俺らにそんな戯言通じると思ってないよな?」

  俺は煙草に火をつけた。

  ――本屋で吸うなや

  ――うるせえ

  「すいません、当然うちは禁煙です」

  「こいつと同じこと言うなや、面倒やなぁ」

  おばさんは虚をつかれたような顔をした。この人にも薫の声は聞こえないのだろう。

  ――こんなにはっきり聞こえているのにな

  ――耳に届かなかったら、何も言っていないのと一緒

  俺は煙を天井に向けてはいた。蛍光灯を包むように紫煙が立ち込める。

  「だいいち、座敷わらしなんて。いるわけないでしょ」

  「そうかもな。そんな都合の良いことがあってたまるか」

  ――なに言ってるの?

  ――なんの成果もなしでした、なんて言えないやろ

  「こんな本を買いに来たわけやなくてさ、座敷わらしがいるんやろ? それを受け取りに来た。分かるやろ?」

  「うちにそんな妖怪いまけん。帰ってくれませんか?」

  「こっわい親父が面倒やからさ、こうやって真剣にお願いしてんねんって」

  ――どこが

  「お引き取りください」

  「座敷わらしで、日本が変われるんやろ? 頼むから俺らに譲ってくれよ」

  紫煙が肺にいきわたる。口内に飲み込みたくない臭くて汚い涎がたまる。

  ――本屋では吐くなよ

  ――親父に、それはチョンのやることやって言ってボコボコにされた

自分は痰を吐き捨てるくせに。

  「座敷わらしなんていません。冷やかしなら、ほんとに、帰ってください」

  煙があがり、灰が露出していく。じわじわと燃える先端を、おばさんの黒い瞳の延長線においた。

  「でも頼むで。俺、あんたの目玉を焼いて朝飯にしたいとは思わんねんな。それとも座敷わらしの方には日本語が通じないとかか? オ ジュシル ス オプスルカヨ?」

  ――それあってるの?

  ――さっき適当に調べただけ

  「クソガキ、いい加減にしやな警察呼ぶぞ」

  「手ぶらで帰っても殺されるっちゅうねん」

  薫は俺の手首を睨み付けた。どうやらやり過ぎたらしい。

  右手の手根骨、つまり手首から指先の第一間接まで全てをねじ曲げられた。

  手を閉じようとしても、鉛玉をくくりつけられたように動かない。

  テーブルに煙草を落とした。


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