ブレイクタイム

1 ヘルプを呼ぼう


「――えーっと、ここは確か俺んだよな」

 キッチンの作業台とカウンターに所せましと並べられた調理中の料理とまだ手の付けられていない食材、さほど多くはない調理器具、大小さまざまの食器を眺めて、芹沢は目を丸くした。

「――なに、どういう意味?」

 一条は野菜の入った鍋をかき回しながら言った。

「相撲部屋かと思った」芹沢は真顔で言った。「誰が食うんだよ、こんな量」

「え、大した量じゃないでしょ?」

「……みちる。おまえの基準はおかしいんだって、いつも言ってるよな」

 一条はいわゆる痩せの大食いである。しかもケタ外れの。学生時代はアマチュアフードファイターを自認していて、今もその『実力』は衰えていない。

 芹沢は眉を上げ、上着を脱いだ。「おまけに、まだ作ろうとしてるだろ」

「だって、貴志にわたしのレパートリー、食べてもらいたくて」一条は嬉しそうに言った。「今のところ、結構うまくできてるの。乞うご期待」

「にしたって、いっぺんに全メニュー披露してくれなくていいよ。何品あるわけ?」

「えっとね、今作ってるのはポトフ。それから唐揚げとサーモンフライが下ごしらえしてあるわ。ステーキ用のお肉も買ってあるし、パスタはボロネーゼで、あと冷蔵庫にポテサラとオードブルのマリネが作って――」

「っっだから、そんなに食えるわけねえじゃん――!」芹沢は頭を振った。「無理――!」

「食べる前から言わないでよ」一条は口を尖らせた。「ワインでも飲んでゆっくりつついたら、いけるでしょ? 明日は休みなんだし」

 本気で言ってるんだから恐ろしいよなと芹沢は思った。みちるには悪いが、食べる前から胸やけがしてくる。ネクタイを緩めながらゆっくりとカウンターの椅子に腰を下ろした。

「……ちなみに、いくらかかった?」

「材料費?」

 一条は手を止めてエプロンのポケットをごそごそとかき回し、レシートを数枚取り出した。「ざっと――三万八千円」

「……値段も豪快だな」芹沢はため息をついた。「出すよ」

「いいわよ。これはわたしが自分の意志でやってることだから」

 一条は言うとやや怒り顔で芹沢に振り返った。「あなたには明日、きっちり出してもらうわ」

「…… そうだった」

 芹沢はがっくりと肩を落とした。一条はふふん、と得意げに笑って、揚げ物の付け合わせ用らしきミニトマトを洗い始めた。

「――で、なんで鍋島たちを呼んだのさ」

 カウンターに置いてあった苺を一つつまんで、芹沢が訊いた。

「あっそう、それ。実は夕方、三上さんと電話しててね――」

「……してんのかよ電話とか」

「わたしが料理に奮闘中なのって言ったら、鍋島くんなら手際よく作るコツを知ってるから、分からないことがあれば訊いてあげるって三上さんが言ってくれて、だったら、どうせなら二人で来てって誘ったの。たくさん作っておくからって」

「それで増量されちまったわけだ」

「鍋島くんのところに三上さんから電話があったでしょ?」

「ああ」

「そもそも今夜は二人で食事する予定らしかったから、ちょうどいいって三上さん、言ってた」

「だからって、勝手に俺ん家に――」

「なに」一条はまた冷ややかな真顔を芹沢に向けた。「何か文句あるの」

「……いや、いいです」

 一条はにっこりと笑った。「いいわよね。明日はあなたたち休みだし、三上さんも大学の講義はないって言ってたから、ゆっくりお食事しましょうよ」

 そこへタイミングを見計らったかのように、一階のエントランスからの呼び出しチャイムが鳴った。

「――来た。貴志、出て」

 芹沢は立ち上がってドアのそばのモニター画面を確認し、ロック解除ボタンを押した。


 一分ほどして鍋島が麗子を伴って現れた。出迎えた一条は麗子と久しぶりの再会を喜び、キャピキャピ言いながら廊下を進んだ。部屋に入ると、鍋島はリビングのソファでビールを飲んでいた芹沢と黙って視線を交わした。

 そして、キッチンを眺めた鍋島はリビングを見渡して言った。

「……えーっとそれで、はどこにいてはるん?」

「……コンビで同じこと言わなくていいわよ」一条はむっとした。

「でもほんと、すごい量ね」麗子がため息をついた。「一条さん、これ全部一人で?」

「うん。だからまだまだ終わらなくって」

「手伝うわ」

「やめろ! どの口が言うてる」鍋島が手を上げて制した。「どう考えたって俺の台詞やろ」

「……じゃあ、どうぞ」

 麗子はしまったという表情で肩をすくめ、手を差し延べた。本気で手伝おうとしていたのだ。

「三上サン、こっちでビールでも」

 芹沢が言って、手にしていた缶ビールを顔の横に掲げた。「冷蔵庫に入ってるから」

「あ、ゴメン、車で来てるから。それに、そもそもあたし飲めないの」

「え、そうだっけ? 家にワインセラーがあったよね」

「あれは趣味」そう言うと麗子は手に提げていた細長い紙袋を引き上げた。「これ、その中から適当に選んできた」

「お、サンキュ」

 芹沢は麗子から紙袋を受け取り、中のワインを取り出してラベルを見た。「――え、結構いいやつだ」

「分かるの? 芹沢くん」麗子は嬉しそうに微笑んだ。

「芹沢は老舗の酒屋の五代目や」鍋島が言った。

「へえ、じゃあ跡取り?」

「跡は取ってねえじゃん」芹沢は笑った。「ただの放蕩息子」

 ああ、そうそうと三人がそれぞれに頷き、芹沢はなんだよとふてくされた。

 鍋島はシンクで手を洗いながら、作業台を眺めて一条に訊いた。「――で、何を手伝えばいい?」

「とりあえず、先に進めて欲しいの」一条は困ったように笑った。「鍋島くんなら見れば分かるわよね? この危機的進捗状況」

「まぁ、何となく」

 鍋島は大きなボウルの中でに醤油ベースらしきタレに漬け込まれた大量の鶏肉を見た。「これ全部唐揚げにする気?」

「そうだけど」

「え、ここって弁当工場?」

「だから、いいわよもうその例え」

「全部唐揚げは飽きるやろ。でも漬け込んでしもてるから、半分は照り焼きと――」

 鍋島は冷蔵庫を開けて中の食材を眺めた。「……なんとかなるか」

 そして、玉葱やキャベツ、人参などの野菜を作業台に集めると、下の扉を開けて包丁を取り出した。

「――それ、あまり手入れしてないけど大丈夫?」一条が訊いた。「わたしのを使う? 今日買ってきたの」

「全然大丈夫」鍋島はふんと鼻を鳴らした。「弘法筆を選ばず」

「……さすが。カッコいい」一条はにっこり笑った。

 その様子を見ていた麗子は芹沢に振り返って得意げに微笑んだ。芹沢は目を細めて肩をすくめただけだった。


 一時間もしないうちにだいたいのメニューが完成した。そもそも一条が買った食材の量が常軌を逸していたのだが、それらを可能な限り無駄にしないようにと頑張った結果、予想通りかなりの品数とボリュームになった。いくら大食いクィーンの一条がいるとはいえ、残りはいたって普通の成人、むしろ麗子は少食の部類に入る。これはもう、まさにフードファイトだ。

「――さて、どこまで頑張れるか」

 並んだ料理を前に芹沢がぽつりと言った。

「調理者あるあるやけど、作ってるうちに腹いっぱいになってたりする」

 調理器具を洗いながら鍋島が言った。

「ンなの許さねえぞ」

「まぁ、出来るだけ頑張るけど」

「でも……さすがに限度があるわよね」麗子が言った。「完食するには、食べ盛りの腹ペコ男子が二人くらい必要かも」

「ほんとだよな――」

「――って、いる!」鍋島が振り返った。「呼べ、琉斗や!」

「え?」芹沢は顔を上げた。「……あ、そうか。だな」

 芹沢はスマートフォンを取ってメッセージアプリの琉斗のアカウントを選択し、メッセージを送った。

「……え、誰?」

 戸惑った表情の一条が鍋島に訊いた。

「仕事で知り合った高校生。芹沢の行きつけのバイク屋で働きながら定時制に通ってるんやけど、もうそろそろ授業が終わる時間かも」

「返信来た。さすがに早い」芹沢はメッセージを確認した。「――来れるって。両親が二人とも夜勤だから、晩メシ一人で食うところだったって」

「ここの場所知らんよな。迎えに行ってやらんと」

「――そうだ、あともう一人呼べるかも」

「もう一人?」

「ああ。予備校終わったらいつも腹ペコだって言ってた」

 芹沢はスマートフォンを操作しながら言った。「琉斗に誘わせるよ」

「……あ、なるほど」鍋島は頷いた。

「え、さらに誰?」と今度は麗子。

「琉斗の友達。受験生」芹沢が答えた。「あーでも、お坊っちゃんだからなぁ。親の許しが出ねえかも」

「未成年に無理は言えないわね」

「わっもう返ってきた。ワカモノ早ぇ」芹沢は画面をスクロールした。「メッセージ送ったって。向こうも行けるようなら、どっかで落ち合って行くってさ」

「あたし、車で迎えに行くわよ?」麗子が言った。

「え、でも――」芹沢は顔を上げた。

「大丈夫。ほら、どうせあたし、ここじゃ役に立たないんだし」

「ダメダメ、麗子さん。いくら相手が高校生でも、男二人よ。密室状態の車に乗せるなんて危ないわ」一条が割り込んできた。「鍋島くん。あなたも反対しなさいよ」

「え? 俺?」

 鍋島は自分を指差し、それから芹沢を見た。「大丈夫やんな、琉斗とその友達は」

「もちろん」

「あなたたちそれでも刑事? 仕事での教訓、活かしなさいよ」一条は憤慨していた。「どれだけの‟意外な犯罪者”を見てきてるの?」

「……じゃあもう、自分たちで来させよう。近くまで来たら、俺が迎えに行くよ」

 明らかに面倒臭くなった芹沢が言って、この件は落着した。一条はまだ怒っているようで、不満げな顔で鍋島を見ると、彼のそばに来て小声で抗議した。

「……あなた、まだよく分かってないでしょ。自分の彼女がどれだけ美しいかってこと」

「え? 分かってるけど」

「分かってない。なんか、あったりまえのことだと思ってる」

「いや、思ってへんけど」

「思ってる。そうじゃないと『大丈夫やんな』とか呑気に言わないし」

「呑気に言うてないよ」

「言ってる。それとも何? わざとそんな言い方して、余裕ぶっこいちゃってるわけ? フツーに美人ですけどそれが何か? 特別なことじゃないですよね? みたいな」

「え、なに? もう」鍋島は眉をひそめ、芹沢に振り返った。「おい、だいぶめんどくさいんやけどこのコ。酒も飲んでないのにめっちゃ絡んでくる」

「腹減ってんだよ」芹沢は即答した。「それでイライラしてんだ」

「……あ、そうなんや」

 鍋島は一条に振り返った。一条は口を歪め、ぷっと頬を膨らませてエプロンを外していた。

「……先に食べる? 買ってきたケーキ」鍋島は冷蔵庫を指差した。

「いい。あれはデザートだもん」一条はブン、と頭を振った。「最後に食べるのっ」

「……可愛い」麗子がふふっと笑って芹沢を見た。「ね」

「――あ、来た」

 芹沢も表情を崩しながらスマートフォンを見た。「二人とも今、終わったそうだ。天六駅で落ち合って、そこからまた連絡するって」

「受験生くんも来れるのね」一条が頷きながら言った。「――よし。負けないように気合い入れて食べないと」

「……なんか、すごいもん見れそう」

 鍋島は目を丸くした。



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