6 牽制球飛んできた


 府警本部を出た二人は天満橋まで歩き、目の前にOMMビルが迫る蕎麦屋に入って遅い食事を摂った。


・被害者 岡本信哉(二七) ミュージシャン 倉敷市出身

・被疑者 坂口郁代(二七) スナック従業員 東大阪市出身

・参考人 峰尾昭一(五一) ㈱東栄商事部長 大阪市出身

・ 〃  内田啓介(三一)    〃  社員 神戸市出身


「――佐伯葉子は、この四者のうちの誰かか、もしくはその関係者に脅かされてたんかな」

 蕎麦を食べ終わったあと、四人の名前を書いた手帳のぺージを広げながら鍋島は呟いた。

「それを解くには、まず彼女がどういう視点から取材を進めてたかを知る必要があるな。そうでないと脅迫の根拠が分からねえし、イコール誰の関係者がやったかも推察できねえ」

「岡本以外の三人を当たっていこう。きっと彼女もこの三人を取材してるはずや。坂口の場合は直接会えへんとして、弁護人やな」

「俺の想像だけどよ。真偽のほどはさておき、佐伯葉子自身は坂口郁代が無実だと思ってたんじゃねえか」

「坂口がアリバイを主張してるからか?」

最初はなっからそれを鵜呑みにしてるとは思わねえけど、何て言うか――ほら、マスコミにありがちな弱者救済精神とでも言うの? そんで、その前に立ちはだかる、横暴な国家権力の象徴とも言える警察の糾弾。そういう構図が彼女の頭の中にあったんじゃねえか」

「その割には、他の誰も記事にしてないぞ」

「彼女はそういうネタが好きなんだって。マイナー志向なんだ」

「つまり、佐伯葉子は何らかの理由で坂口郁代が無実なんやないかと考えて、彼女の主張するアリバイを証明しようとした。峰尾や内田もその過程で取材する。そこで誰かに脅迫された」

「彼女に坂口のアリバイ主張が正しいことを証明されちゃ困る人物さ」芹沢は言うと鍋島を見た。「つまり、誰だ?」

「つまり真犯人ホンボシや」

「そう。彼女の読みは正しかったわけだ」

「断定するのは危険やけど、そう考えたら辻褄が合う」鍋島は小刻みに頷きながら言った。「あの大牟田の態度もな」

「それはちょっと考え過ぎだぜ」と芹沢は首を傾げた。「俺は、大牟田は坂口が犯人だと確信してるんだと思う。確かに俺たちに対する態度は友好的と言うにはほど遠かったけど、あれは本人も言ってたような、つまらねえ縄張り根性さ。あるいは捜査に多少の強引さがあったのかも知れねえ。だから俺たちが首を突っ込むのを嫌がったんだ。ただそれだけだろ」

「確かにあいつは強引なおっさんや。俺はその強引さが引っかかるんや」

「いくら何でも、十五年以上も殺しを扱って来たデカ長が、それと分かってて誤認逮捕すると思うか? そんなことしたら後で取り返しのつかねえ責任を負わされることになるんだぜ。刑事人生を棒に振るようなもんさ」

「けど、アリバイ主張をあまりにもあっさりと却下してるのが気にかかるんや」

「裏が取れなかったんだから、却下するしかねえだろ。他にもいくつかの状況証拠があったわけだし、別の容疑者も浮かんでこなかったとなれば、坂口がクロだと判断してもまるっきりの無理はないと思うぜ」

「そうかな」

「おまえの気持ちは分かるよ。あそこまで言われたら、誰だって腹が立つ」

 鍋島は何も言わなかった。

「半分は俺に対する嫌味でもあったんだぜ」

「分かってる」鍋島は頷くと表情を緩めて芹沢を見た。「顔のことでも言われてたしな」

「あんなのは気にもならねえ」と芹沢は腕を組んだ。「ってやつさ。今に始まったことじゃねえ」

「それはそれは」鍋島は苦笑した。

 そのとき、芹沢の胸元で電話の呼び出し音が鳴った。ジャケットをめくって内ポケットからスマートフォンを取り出すと、画面をタップして耳に当てた。

「はい」芹沢は平坦な口調で言った。「……天満橋です」

 やがて彼は席を立って店の出入口に向かった。二人が座っていたのがちょうどテレビのすぐそばの席だったため、電話の声が聞き取りにくかったのだ。

 鍋島はグラスの麦茶を飲み干し、後ろの席で丼の鉢を引いていた店員に振り返ってお代わりを求めた。そしてテーブルの隅っこに置かれた灰皿を引き寄せ、あたりを見渡して客が誰もいないのを確認すると、煙草に火を点けた。

 長い煙を吐き出して、真正面の棚に設置された十四インチほどのテレビを見上げた。物騒な見出しのついた、ワイドショーの事件レポートが流れていた。


 今や、一億三千万総探偵と言われる時代である。小説や映画も、ヒット作品ランキングの上位は多くがサスペンスものだ。子供の世界でも、推理的要素を取り入れた漫画やゲームが氾濫し、そのせいと言うわけでもないのだろうが、子供たちはゲームのキャラクターが戦闘で死んでしまっても愉しそうに笑う。リセットボタンを押せば生き返るからだろうが、死があまりにも軽い扱いを受けている世の中の風潮が反映されているのではないか。

 そしてこのワイドショーだ。昔から、この手の三面記事的事件レポートは芸能ニュースと並んでワイドショーの定番ネタではあるが、報道の手法にかなりの変化が起こった。かつては事件の概要と背景、周囲の反響などを伝えて終わりだったのだろうが、今では犯罪心理学や社会学の研究者、弁護士、医師、警察OBなどを引きずり出して、事件を深く――実際にはかなり無責任に――掘り下げて見せる。そこに、ご意見番と言われる芸能人や文化人のコメンテーターが好きなことを言い、さらにはSNS上の匿名の連中ならではの身勝手な反応までを紹介して、視聴率稼ぎに躍起になっているのだ。『報道の自由』とかいう伝家の宝刀の前では、被害者や加害者及びその家族の人権などは無きに等しい。その言葉を水戸黄門の印籠みたいなものだと思っているらしい。さすがの鍋島たち現職警察官も、印籠を持った彼らの取材力、捜査力には恐れ入る。

 はたして、佐伯葉子はどうだったのだろうか。誠実な記者だったろうか。真実を伝えることよりも、記事を売ることを優先させる、行き過ぎた‟トップ屋”だったのだろうか。鍋島は画面上の女性レポーターを眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えた。


 芹沢が戻って来た。微かに強張った表情で鍋島を見つめながら席に着き、ふっと短いため息をついた。

「何や」鍋島が訊いた。

「さっきの大牟田の話な。俺もおまえの意見に同意することにした」

「理由は?」

 芹沢は手にしたスマートフォンを指で叩いた。「菅原町すがわらちょうの高架下でまた強盗だって。急行しろとよ」

「何でや。それは湊さんと北村の担当やろ」

「……分からねえのか?」芹沢は苦笑した。「早速来たんだよ。捜一からのが」

「……手際がええな」

 鍋島は舌打ちした。


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