4 三十三.三三...パーセントの可能性


 課長のデスクまで来ると芹沢は真っ直ぐに背筋を伸ばし、その分だけより高い視線で課長を見下ろす形となって、不愛想にひと言、「何ですか」と言った。

 そんな部下の子供じみた反抗など意に介さず、課長は手元の書類を見ながら言った。

「今、おまえの報告書を読んだが――たぶん鍋島のも似たようなもんやろうけど――この前の空き巣の被害者と、一昨日おととい夜の暴行事件の被害者と同じというのは、これはただの偶然か?」

「いえ、今のところまだ確証はないんですが、そうは見ていません」

「関連があるというわけやな。ストーカーか」

「脅迫です。被害者とは無関係な理由で」

「無関係な理由? どういうことや」

「脅迫者、つまり空き巣犯と同一人物だと思われますが、その人物が被害者と隣の部屋に住む女性とを取り違えてるみたいなんです」

「その隣人は犯人に心当たりがあるのか」

「隣人は数日前に失踪しています」

 課長は(なに?)と言わんばかりに眉を上げ、芹沢を睨んだ。

「……おまえな。いつも言うてることやが、何で肝心なことはあえて報告書から外すんや」

「意図的じゃありません。裏付けができてないだけです」

 課長は深くため息をついた。「……それで、どうするつもりや。個々の事案に緊急性は認められへんようやが、このまま続けるつもりか」

「ええ」と芹沢は小さく笑った。「そうした方が、課長も肩の荷が下ろせるんじゃないかと思って」

「何やて?」

「例のヤク中がまだイキがってるんでしょう。それで検察が俺たちを外せって言ってきてるらしいですね」

「……もう耳に入ってるんか」

「やつは真誠会しんせいかい幹部の愛人宅を使って、競馬のノミ行為をやってた。つまりヤクザの息のかかったやつが、なぜああも執拗にたかだか五十万の郵便局強盗をかくまうのか。真誠会の、泉南せんなん地域への進出に伴う地元暴力団との抗争を是が非でも阻止したい四課としては、そのへんのところを徹底的に吐かせて、組の壊滅への糸口にしたいとの思惑がある。それを郵便局強盗なんてショボい案件を追ってる所轄の一係の刑事なんかにかき回されて、やつを釈放する羽目にでもなっちゃかなわない、だからさっさと俺たちを外せって、わざわざ検察を通してそういうおふれがあったんでしょ?」

「……そこまで分かってるんやったら、もう何も言わん」

「言っときますが、俺たちがやつをボコボコにしてやったのは、何も俺たちも同様にあいつにやられたからってわけじゃない。あの野郎、こともあろうに自分の娘を人質にして、挙げ句にその中学生の娘の小指を切り落としやがったんですよ」芹沢はかなり怒っていた。「それでも俺たちを暴力行為で訴えるって言うんなら、俺は構わねえ、府警には迷惑のかからねえようにさっさとバッジを返して、あいつと争ってもいいですよ」

「おまえの言いたいことはよう分かってる。検察も、おまえらの行為を違法捜査として問題にするつもりはないと言うてた」

 芹沢は不敵な笑みを浮かべた。「検察の言うことをとことん信じてるようでは、課長、ひどい裏切りに遭いますよ」

「おまえに心配してもらうようになったら、俺もおしまいやな」課長は自嘲気味に笑った。「もうええ。上司思いのおまえのご厚意をありがたく頂戴することにしたから、そっちの脅迫事件の捜査をせえ」

「分かりました」

 芹沢は規律正しく一礼をして、デスクに戻った。

「見事やな。これでまた芹沢くんはモテモテや」

 パソコンの画面を覗き込んだままの鍋島がまた茶化した。

「うるせえ。それよりまだ見つからねえのか、例の名前は」

 鍋島はぱっと振り向き、顔じゅう口だらけにして笑った。「見つかったよ」

「ほんとかよ?」芹沢は身を乗り出した。

 鍋島が得意げに示した画面には、ある殺人事件の概略が記されていた。


阪急はんきゅう東通り商店街雑居ビルにおけるバンドマン刺殺事件』

 一月三十一日深夜二時頃、大阪市北区堂山どうやま町にある閉鎖中の雑居ビル『東梅田ビルディング』非常階段三階踊り場で、若い男が刃物で左胸を刺されて死亡しているのが、隣接するビルの警備員によって発見された。捜査一課と東梅田署は同署内に捜査本部を設置。

 司法解剖結果――死因は刃物で左胸部を刺されたことによる失血死。血液型はО型。激しい抵抗の跡は見られない。倒れたときに階段のコンクリートで強打したらしき打撲痕が左上腕部に見られたが、直接死因に結びつくものではなかった。死後約五時間、犯行時刻は三十日の午後八時半から九時半のあいだと断定。

 現場検証結果――現場は阪急東通りアーケード街の裏通りに面した廃墟ビル。周辺に争った形跡は見られなかったが、現場から約五十メートル離れた立体駐車場のトイレのゴミ箱から、刃渡り十五センチのナイフが発見されており、ナイフに付着した血液と被害者の傷口の状態から、このナイフを凶器と断定。被害者の指紋のみを採取。なお、被害者の着衣等からも本人以外の指紋や毛髪は検出されなかった。

 被害者――岡本おかもと信哉しんや、事件当時二十七歳。ロックバンドのギタリストで、バンドはインディーズレーベルから楽曲の発表はしているものの、メジャーデビューには至ってない。主に京阪神のライヴハウスで演奏し、SNS上にも演奏動画を投稿しており、一定数の固定客(=ファン)がいる。曾根崎二丁目の楽器店でアルバイト勤務。都島みやこじま中野なかの町のアパートに居住。岡山県倉敷くらしき市出身。

 事件当日の被害者の行動――この日はバンドの活動もバイトもなく、昼過ぎに扇町おおぎまちの友人宅を訪問、午後五時頃まで過ごしたあと、「夜に女性と会う約束がある」と言って友人宅を出る。六時半頃にバイト先の近所にある馴染みのお好み焼き店に現れ、四十分ほどで店をあとにしている。そのあいだ、しきりにスマートフォンで話をしたりメールをチェックする様子が店員や数人の客によって目撃されている。しかし、それ以降の行動ははっきりしていない。

 捜査経過――被害者が事件当日に「女に会う」と漏らしていたことから、被害者の女性関係を中心に交友関係を調べた結果、被害者の女友達で、飲食店従業員坂口さかぐち郁代いくよ(二十七歳)が以前から被害者との関係に悩んでいたことが周囲の証言で判明。また事件の数日前から被害者のスマートフォンに同人からの留守番メッセージやメール記録が残っており、その内容が被害者を厳しく非難するものだったため、同人を二月二日に事情聴取。同人は事件への関与を否認、犯行当夜のアリバイを主張したが、その証言は裏付けされず、その他の状況証拠により、二月四日に逮捕。被疑者容疑否認のまま二月六日、大阪地方検察庁に送検。


「――どう思う?」

 食い入るように記録を読んでいた芹沢に、鍋島が訊いた。

「どうって――残りの二人、ミネオショウイチとウチダケイスケの名前が見当たらねえからには、何とも言えねえよ」

「この坂口郁代が同姓同名ってことも大いにあるしな。三人のうち一人だけでは、三十三.三三…パーセントの可能性か」

「公判中の殺人事件の被疑者。一応彼女の取材傾向には当てはまるみたいだな」

「犯行を否認してるっていうのが気にならへんか」

「なる」芹沢は頷くと鍋島に振り返った。「探ってみる価値はあるかもな」

「三十三.三三…パーセントに賭けるんやな」

「そうと決まりゃ、どうする? 先にメシでも食うか」芹沢は腕時計を覗きながら言った。

「明日にしよ」

「明日?」

「ああ。だってよう考えたら、本来俺ら今日は非番やで。今頃のんびりできてるはずや」鍋島は言うと大きな欠伸をした。「おまえも帰って、今夜のビルボードライヴに備えといた方がええのと違うか」

「そうだな」

 芹沢もつられて欠伸をした。


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