みなころし
僕らが最初に狙ったのは下野だった。この娘は簡単だ。バスケットボールのたくさんあるところを張っていれば必ずやって来る。老人が戦争を始めてボールの仕入れが難しくなったから猶更だ。
「あ、まだ生きてたんですか」
僕の顔を見た第一声がそれだった。とある市民体育館の倉庫にて、下野はいつものようにバスケットボールを頬張っていた。
「君は、今も万代さんのところにいるのか」
「そうですよ。寝る時だけですけどね」
「居場所を教えてくれないか」
「イヤですよ。坂本さんはもう敵なんでしょ」
下野の声には抑揚がなく、食事を続けることの他は何も心を動かされぬ様子だった。
「そう、僕は敵だ。たまっころを滅ぼす側に回ると決めた」
「あっそうですか。それじゃあ、帰ってください」
「……話を聞いていないのか。僕は君の敵だと言っているんだぞ」
そう言って初めて、下野の口が止まった。
「なんで……」
固くこわばった瞳が、僕の背後に控える薫の姿を捉えた。薫の手に持つ刃物もよく見えたはずだ。
「私、誰も殺したりとかしてないです」
「そうだろうな。君はバスケットボールにだけ夢中で、たぶんこれからも、人食いなんて決してやらないだろう。その一途さには頭が下がるし、信頼もしている。けれど君があくまで万代さんや比丸の味方であるのなら話は別だ。万代さんは、君を比丸の花嫁にすると言っていたからな」
下野はゴクリと唾を呑み、顔を伏せた。こんな変態にも羞恥はあったのだ。言い訳をするようにぼそぼそと喋り出した。
「それは、別に深い意味はないんです。私はこんなだから、普通の恋愛とか出来ませんし、同じ家でお世話になっているんだからついでに付き合ってあげたら、なんて言われて……。今まで変な事されてないですし」
「彼らの目的は繁殖よ」
薫が冷たく言い放った。こういうことは出来るだけ非情な言い方をした方が効果的ではないかと提案したのは僕の方だが、こっちまでひやりとするほど冷え切った声だった。
「変な事をされてないのは、あなたがまだ未成熟な体だからっていうだけ。その時が来たら確実にあなたは取り返しのつかない事態にさせられる。それでもいいの? ねえ、今まではあの人たちがあなたの庇護者であったかもしれないけれど、もうこんな状況になってしまったら、身体を犠牲にしてまで義理を果たす必要はないんじゃないの」
「それは……」
下野は口籠り、食べかけのボールに顔を埋めた。僕はこの人と出会って以来初めて、この人を不憫だと思った。
突如、下野はボールを抱いたまま立ち上がった。抵抗するのかと身構えた僕らに対し、下野はある場所の名を告げた。
「あの人たちは、そこにいます。……もういいですか」
「いいよ」
急な事で僕は咄嗟に言葉が出なかったが、薫が代わりに答えてくれた。さっきまでの冷たさを謝るような、温かな答えだった。
「珊悟君が信頼しているから、私も約束する。今後二度と私たちはあなたの命を狙わない。組織や警察から逃げ切れるかどうかは、あなた次第だけど……」
「頑張ります。えと、薫さん、でしたっけ。ここのボール、持って行ってもいいですか?」
「私のじゃないけど、どうぞ」
女同士で話がついて、下野は大きなバッグにボールを詰め込んで去りかけた。その背中に僕は尋ねた。
「ところで、君のお父さんはどうしているんだい」
「食べられました。ウォンって人に」
そう言い捨てて下野は去って行った。僕と薫はわざとその場にしばらく佇んで、やがてどちらかともなく顔を見合わせ、頷いた。
「仇が増えたね」
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