げー
ひょっとすると人生で一番努力したかもしれないし、生まれて初めて本気で自分を叱りつけた。
それでも六つが限界だった。
「烏龍茶なくなったみたいだから、ひとっ走り買ってくるよ」
「そんな、慌てなくていいのに」
驚く薫を置き去りにして部屋を飛び出す。今の僕には逃げることしか出来ない。アパートの階段を全力で駆け降りる。途中で体格のいい男とぶつかりそうになったが、相手はサングラス越しにジロリと睨みつけただけで、それ以上絡んでくる事はなかった。
自販機はアパート前の坂を下りてすぐ近く。本当の目的はその手前の公園。その中の公衆トイレ。
便器に辿り着くなり吐いた。人がいないのを幸いにゲエゲエと吐き散らした。吐きながら涙も出た。薫があんなに笑顔で拵えてくれたご馳走を、こんな汚いモノにして吐き出しているなど、決して許されることではないし、薫に知られてもいけない。だからここまで逃げてきたのだが、なんと惨めな有様か。何が愛だ。何がイメージだ。たまっころという化物の本能の前には、そんなもの無意味な建前でしかないのか。
いや――。
一通り吐くものを吐いて、呼吸を整えながら考える。今は愚痴を並べ立てている場合ではなく、冷静に分析をするべきだ。何がいけなかったのか。
玉子はどうにかなった。ぐちゃぐちゃに潰されてパンに挟まれていても、玉子自体はどうにかボールの一種として食えたように思える。問題は他の具材で、ハムもレタスもどれもこれも、まるで体が受け付けない。気に入らぬものを無理やり入れられた胃袋が怒り暴れているようで、そのまま放っておくと内臓まで吐き出してしまいそうな激痛に見舞われた。
どうしてこんな事に、という疑問への答えは一つしかない。僕がたまっころになってしまったからだ。ボールならば何でも食べられるが、それ以外はロクに食べられない妖怪。そんな存在になってしまったからだ。
ならば、どうしてそんな事に。これがわからない。どうして僕は唐突に、たまっころ等という化物に変じてしまったのだ? 今まで真剣に考えて来なかったが、これは重大な問題だ。ボールが食えるようになったことは良いが、他のモノが食えなくなるのは大いに困る。薫のサンドウィッチが食えなくなるなど僕の幸福にとって死活問題だ。
やはり、あの老店主に話を聞かねばならない。あの老人自身も何者なのか不明だが、たまっころについて非常に詳しい人物のようだ。
そう考えながら水道で口を漱いでいると、スマホが鳴った。きっと薫だ。濡れた手を慌てて拭い、まともに画面も見ずに通話に応じた。
「薫ちゃんゴメン。ちょっと手間取ってて……」
『ブブー。下野です』
スマホをぶん投げてやろうかと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます