第23話 過敏の原因

 その怪異は己の姿を透過させ景色と同化していた。

 最早、他者に視認することは不可能、それ以前に眼下がんかの連中は争いに溺れてこちらに気づきもしない。


『ヒヒヒィ』

 ああ、愉快愉快。

 ちょっとばかり心をいじっただけなのに、ああも簡単に知性をかなぐり捨てるとは。

 特にあの怪異融合者の小僧は、既に闘争に支配されかけていた、今はもう眼前の小鬼しか見えていない。

 

 さあ争い傷つけ貪り尽くせ。

 無駄で無意味な闘争で弱った後、肉と霊気をゆっくりと馳走させてもらおう。


「鬼さん、見ぃつけた♪」

 

 天から届く声。

 底冷えするほどの冷笑を浮かべ、駐車場の屋根に黒音が降り立つ。金色の瞳が透過している何者かを見据えている。


 アリエナイ、こちらが見えている? 完全に消えている……筈だ。


「アレ? 返事してよ――君に言ってるんだヨ?」


 しかし奴の目は確かにこちらを見ている、どうする?


「ねえ、ねえねえねえねえ、ねえ、てば!!」 

 沈黙する何もない空間に痺れを切らしたのか、黒音は大鎌を袈裟懸けに振るう。

 刃の霊気が三日月を形作り飛翔する――飛ぶ斬撃、それは何もない空間をかすめた。


『ヒッ、ビイイー⁉』

「アハハハハハハ!!」


 肩口を切り裂かれ直後に襲い来る痛みにたまらず叫ぶ。その影響か透明化の術が解ける。

 黒音から数メートル先の空間がぶれて歪み、その何者かが姿を晒した。


 栗の様に刺々した灰色の毛並み。

 黒音の二倍以上もある人型の巨体。

 幾重いくえものしわが刻まれた手足の指。

 そして、真っ赤に染め上がった顔から覗く


 異形の巨大猿

 その者は穢れの血がしたたる肩傷を抑えながら、怨めしそうに黒音を睨む。


「無視はダメ絶対、折角お膳立てされた舞台なんだからさ、お互い役者にてっしようよ」

 男性たちと小鬼たちの雄叫びが足元から届く中、両名は対峙する。


「まぁ役者は役者でも、僕は舞台床を引っぺがえしに来た傾奇者かぶきものなんだけど、ネ!」

 先手は譲らない、黒音はゆらりと脱力して、体勢低く大猿へと襲い掛かった。

 迫る二者の距離――。


『ヒィイイアアーー!!』

 しかし大猿もただの木偶でくに甘んじるつもりは無い。

 大きく裂けた口を開き、黒音に向けてはち切れんばかりの悲鳴を浴びせた。


 大気を震わせ引き裂く濁った音圧、それはここに居る皆を狂わせた不協和音。人間も怪異も関係なく、魂の奥底を揺さぶり自我を奪う。

 闘争過敏――自身が死ぬその時まで、ただ戦いだけを求め続ける本能の異常。

 この悲鳴は闘争過敏を無理矢理に引き起こす、大猿の怪異としての力だ。

 

 誰であろうとこの声の前では平静を保つことは不可能!


「――そーゆうの、効かない!」


 何事も無く突き進む黒音。

 あっという間に大猿に肉薄し、防御を取ろうともしない胴体目掛けて大鎌の刃を斬り上げた。


 斜めに走る蒼い閃光。

 鋭い斬撃は大猿の胸を斬り、足元の屋根に大きな切れ込みを作る。

 ぷつりと開いた傷口から噴き出る穢れ、大猿の悲鳴は瞬く間に止み、激痛に顔を多彩に歪めながら後方に後ずさる。


「命ある者を狂気に陥らせる怪異の嘆き、君がここに都合よく居るのは偶然? それとも、誰かの指示カナ?」

 黒音は一歩一歩ゆっくりと歩みながら語り掛ける、その言の葉の一つ一つが大猿の心に冷たく探りを入れる。


「まあ、それは後でいいカ、今は只純粋に殺し合いに興じよう♪」

 戦闘の継続を望み、黒音は無邪気な笑顔で大鎌を振り上げた。

『……ヒヒ!』

 大猿もまた、足の筋肉を膨らませ黒音向かって突撃するっ――……のではなく、いきなり後方へと大きく飛んだ。

 フェイントを入れられた為、大鎌が空を切った。


「え? あれ? もしかして……逃げちゃうノ⁉ こんなにいい場面で⁉」

 予想外の行動に黒音は目を瞬かせ、慌てて追撃しようとする。

 しかし、大猿は一早く後方に飛び、高速道路の外、しげる高い木々の中へと一目散に逃げて行った。


 ……。

「……………………えーーーー」


 意気揚々と暴れようとしたのに中途半端に逃げられた。取り残された黒音は落胆に項垂うなだれる。

「そんなー、達磨だるまにした後、頭掻っ捌いて情報引き出そうと思ったのにー、戻ってこーいカムバーック」


 獲物が居なくなり黒音の戦意が宙を彷徨さまよう……ここで、ふて寝しようかと思考放棄し始めた時、下の道路に変化が起きた。


 小鬼と乱闘して大声を張り上げていた男性達、突然スイッチが切れたかのように黙り込み次々と倒れ始めた。

 遠目から見ても彼らの意識が無いことは分かる、しかし小鬼たちに変化はなく狂気は健在、無防備になった男性達に喰らいかかる。


「【春疾風!!】」

 獣の爪牙の如く鋭き烈風。

 状況を見計らい飛翔したホタルが振るう一撃が的確に小鬼だけを吹き飛ばす。男性達が倒れると同時にも行動を起こしのだ。


「みんな退いて! 【いろはにほへと、ちりぬるを!】」

 ホタルの隣から天奈が稲荷の光を放つ、風を免れた小鬼は体内の穢れを浄化されちりとなり舞っていく。

 

『ギキキ!!』

 しかし、仲間が消滅した惨状を目の当たりにしても小鬼は恐れを見せようとしない、そんな感情は闘争によって塗りつぶされてしまっている。

 標的を天奈に切り替え、小鬼たちは速足で回り込む。


「ええーい!!」

 そんな小鬼から天奈を守るために、前に走り出た潤子が霊剣アメンボを振り下ろす。

 

 心地よい打撃音。

 見事アメンボは小鬼の脳天を凹ませる、そしてそれだけでは終わらない。木の刃の霊気が脳天から内部に流れ込む。

『ギ⁉ ギャアア⁉』

 すると苦痛の声と共に小鬼の頭に次々とひびが入り、その切れ目から光が漏れだす。


 パン! 小鬼の頭は風船みたいに膨らみ破裂した。


「うわあ! グロッ⁉」

 小鬼の予想外の死に様に潤子は悲鳴を上げる、隣の天奈も思わず眉をひそめた。

「でもこの剣ホントに凄い……よ、よし、かかってこーい!」

 潤子は気を持ち直し、残る小鬼たちに向けてアメンボを構える。


 二人一羽に残った十数体の小鬼の視線が集まる……が。

 背後から僅かに足音が一つ、そして小鬼たちの体を閃光が通り抜ける。

「あーぁ満たされなーい」

 屋根から降り立った黒音が、背中を見せる小鬼に向かって大鎌を数度振るったのだ。

 小鬼は何が起きたのか分からないまま四肢を分断した。


「テンションダダ下がり脳内チューニングはバラバラ……もうここに用は無いなぁ」

 その様子はまるでおもちゃを取り上げられた童子どうじ、的確に首を跳ねながらも目線は明後日の方を向いている。

 

 小鬼の数も減り場が静まりだしたことに天奈は安堵する。

「ホタルさんこの人達は、大丈夫ですか?」

 黒音が料金所の屋根に飛び上がり、そこに突然大猿が現れ……逃げた。

 そんな一連の流れを見守っていたら、暴れていた男性達が倒れ始めた。天奈と潤子は動揺したが「行きますよ!」と、ホタルの掛け声で男性達を助けに向かった。


「あの猿に正気を奪われていたのでしょう、狂わせていた元凶が逃げたことにより術の効力が解け、無理やり動かしていた肉体と魂に限界が訪れた……命に別状はありませんが、念のために天奈様の力で癒してください」

 その指示に頷くと、丁度黒音が最後の小鬼の首を跳ねた。


「ふぅ…………アハッ、気分切り替えよっと、この人達もちゃちゃっと運ばないとねー」

 萎えていた心に喝を入れ、黒音は天奈達の元へ歩みを進める。


 あれ? そう言えば、あの怪異融合者の少年はどうした……?


「らああああっ!!」   


 黒音の頭上、数メートル上から車輪が叩き落される。

「ワオ♬」

 黒音は半歩分だけ体を逸らす、紙一重の距離で車輪が地面に落ちた。


 今の一瞬、天奈と潤子は何が起きたのか理解できなかった。

 ホタルは静かに様子を窺い、黒音は足元の車輪を操作した少年に振り返る。


 料金所の左端、血走った眼と荒い息。

 怪異融合者――大柿道広がこちらを睨みつけていた。

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