第146話 ミストの脅威

 セリアのストーカーとして疑われた夜光だったが、彼は真っ向から否定する。

そして最有力容疑者である笑騎を問い詰めるマイコミメンバー達だったが、彼の犯行を認めることはなかった。

そんな中、エアルが忠告を伝えるとゴウマの前に現れたのであった。



「・・・まずは中に入れ。 このままでは落ち着いて話せん」


 施設長室に招くゴウマの誘いに、エアルは軽く頷き、その場で立ち上がる。

木の枝を軽く蹴り、施設長室の床に飛び移った

窓から施設長室までの距離はさほどないとはいえ、ビル3階分の高さがある木から助走もなしに飛び移るのは、並みの人間ではできないだろう。


 

「お茶でも入れようか?」


 来客への最低限の礼儀としてお茶でもてなそうとするが、エアルは首を横に振る。


「構わん。 用が済めばすぐに立ち去る」


 エアルの性格上、そう答えるのはなんとなく察していたため、ゴウマは「そうか」とすぐに引き下がった。

2人は施設長室のソファに座り、改めて対面する。


「それで、忠告とはなんだ? お前が直接ワシを尋ねると言うことは、よほどのことなんだろう?」


 余計な世間話等は省き、単刀直入に本題に入るゴウマ。

エアルは1度、呼吸と整えてから、ゆっくりとその口を開いた。


「・・・”ミスト”が荒れ始めている」


「!!!」


 そのたった一言でゴウマは一瞬、言葉を失う。

だが、エアルは構わず続ける。


「お前もよく知っているだろう? この世界に満ちる魔のエネルギー、『ミスト』。

今、ミストの力が徐々に強まってきている」


 ミストとは、心界の約8割を埋め尽くしていると言われている未知のエネルギー体。

人間の五感では感じることができず、一部の研究者等を除き、心界に住む住人のほとんどがその存在すら知らない。

このミストは、1000年前に封印された影の魔物が、封印の際に体から放出された膨大な魔力が心界に満ち溢れている人間の欲望と偶然合わさって生まれた強力なエネルギー。

現在のエネルギー源として使われている心石よりもはるかに強い力を持ち、無限に近いエネルギー量なので、尽きることはない。

多くの研究員が、ミストを生活の資源や武器の応用に用いようと試みたが、未だに成功例はない。

唯一の例外として、ミストをエネルギーとして用いることができているのは、エアル達が持つシャドーブレスレットとアーマーだけ。

アストにはない特殊な能力やアストと互角以上に戦うことができるのは、このミストによる強化も大きい。


「・・・ミストが荒れているとはどういう意味だ?」


「グレイブ城で散ったマスクナ ビュール・・・彼女があのような姿に変貌したのも、荒れたミストの力だ。 ミストの持つ”欲望の強い人間に集まる”特性が、彼女の美に対する執念に反応したのだろう」


 ミストはエアルの言った特性で、強い欲望を持つ人間の体に入り込んでしまうことがある。

ミストを取り込んでしまった人間は常人以上の身体能力や知力を持つようになり、無限に湧いてくるミストによって疲労すら感じなくなる。

だがそれと引き換えに、己の欲望を満たすことを最優先に考えてしまい、攻撃的な性格に変貌してしまう。

自分優先で他人のことなど一切頭にないため、ミストに取りつかれた人間は犯罪に手を染めることがほとんどで、ディアラット国で起きる犯罪のほぼ全てにミストが絡んでいると言う調査記録も存在している。

ちなみに、人間以外の異種族にはミストが取りつくことはほとんどないが、これは人間の欲望が最も強いからだと言われている。


「・・・なんとなく予想はしていたが、ミストの力であのような魔物の姿になるなど、前例がないぞ?」


 ミストによる事件は多くあるが、マスクナのように魔物の姿に変わったと言う事例はない。

そのため、ゴウマもこれまで半信半疑にミストを警戒していた。


「あれが今のミストの力を得た人間、『デウス』だ。 デウスは姿形だけではなく・・・アストを追い詰めるほどの力まで備わっている・・・お前も知っているだろう?」


 エアルの言う通り、弱体化していたとはいえマスクナはアストを全滅まで追い詰めていた。

常人以上の力とはいっても、それはあくまで人間としての能力の範囲内で、マスクナのように人らしからぬ力が備わることなど、これまで集めたミストの情報ではありえないことだった。


「あぁ・・・! もしかして、マッドコーチもミストに?」


 エアルは静かに頷くと、現実を一時遮断するかのように目を閉じる。


「あの男には確かに強い欲望が心に宿ってはいたが、大した精神力は備わっていなかった。

現にアスト達によって軽く足蹴にされたからな・・・だが、あのような半端者すらデウスに変えてしまい・・・一時的とはいえ、ミストを視界にとらえることができてしまったことは・・・それだけ今のミストが濃くなっているということだ」


 エアルの視界にとらえたと言うのは、マッドがデウスに変貌する際に体中を包み込んだ黒い光のことだ。

ミストは本来、視界に映ることはないが、人間の欲望に取りつく際に力が濃くなり、一時的に人間の五感で感じることができる。

この現象自体は前例がいくつかあったが、視界に映るミストは蛍の放つ光程度の輝きしか確認されておらず、人間1人の体を包み込むほどの強いミスト等、考えられないことであった。


「・・・お前はどう考えているんだ? このミストの異常さについて」


 ゴウマがそう問いかけると、エアルは閉じていた目をゆっくりと開く。

エアルはミストの力で殺人を繰り返している影にメンバー。

そんな彼に対し、ゴウマは一切疑惑を抱いていなかった。


「私がミストの力に手を加えているとは考えないのか?」


「お前はそんなことをする男じゃない。 殺人を犯す理由はわからないが、少なくとも、お前は人の人生を狂わせるようなことは絶対にしない・・・これだけは胸を張って言える」


 それはエアルに対するゴウマ個人の信頼ゆえの言葉であった。

エアル自身、表情の変化はないが、「甘い男だ・・・」と皮肉めいた言葉を漏らす。

そして、ソファから立ち上がり、窓の前まで歩く。


「私の忠告は以上だ。 理由はどうあれ、現状人間がデウスに変化しやすくなっていることは事実。

彼らアストにとって、デウスはある意味私達よりもやっかいな敵になりうるかもしれん。

これからの戦い・・・さらに過酷なものとなるだろうな」


 エアルはそう言い終えると、窓の淵に足を掛け、最初に腰かけていた木の枝に再度飛び移る態勢を取る。


「もう行くのか?」


 エアルは静かに頷き、飛び移る直前にこんな言葉を残す


「家族を守ってやれ」


 それは、エアルが1番伝えたかった言葉だったと、ゴウマは感じていた。

エアルに確かめたい所だったが、木に飛び移った後、すぐに近くの民家の屋根を伝って去って行ったため、それは叶わなかった。

エアルが立ち去った後も窓から外をぼんやりと眺めるゴウマ。

その時、強い突風が窓から侵入し、ゴウマの机に飾っていた写真立てを落としてしまった。

写真を保護していたガラス面は砕けたが、写真その物は無事であった。

その写真は、ゴウマが亡き妻、ルビと共に撮った最後の写真。

両脇にはまだ幼かったセリナとセリアが太陽のように微笑んでいる。

ゴウマは落ちてしまった写真立てを拾い、胸にこみ上げてくる不安と恐怖を写真に写るルビに打ち明ける。


「・・・ルビ。 ワシは家族のために何をすべきなんだ?」


 普段見せない弱気な表情のゴウマがそこにいた。

写真の中のルビには、ゴウマの悩みを解消することはできない。

だが彼女が向けてくれる笑顔を見るだけで、ゴウマの心は癒されていた。

そして彼の視線は、写真の端に映る”男性”に向けられる。


「・・・」


 そこに写っていたのは今より少し若いエアルであった。

その顔には優しい笑顔で溢れており、今とはまるで別人のようであった。


「・・・ウィン」


 ゴウマは悲しみに満ちた声で写真の中のエアルを呼ぶ。

それは、”かつて失ってしまった家族の名”であった。



 

 「・・・はぁ!? ボディーガード!?」


 地下施設内で、夜光の声が鳴り響いた。

周囲にはマイコミメンバー達が集まっている。


「はい。 お昼にお聞きしていたストーカーの件で、セリア様は大変心を病んでいます。

ですので、ホームから城までそばについていてくれませんか?」


 夜光は手に持っていた段ボールを一旦床に置く。

これには、地下施設で不要になった部品等が入っており、夜光達スタッフが現在回収作業に取り組んでいる。


「なんで俺なんだよ! お前らがやればいいだろ!?」


 当然の如く、素直に応じない夜光。

もちろん、マイコミメンバー達もこの反応は想定内。


「1日中暇なあんたと違って、あたし達は実習やら勉強やら忙しいの!」


 嫌味ったらしいライカのセリフに、眉をひくつかせる夜光。

そこへセリナが、両手を合わせて夜光に懇願する。


「お願い夜光! セリアちゃんに協力してあげて! 夜光がそばにいてくれたら、森の熊さんだって逃げ出すよ!」


 セリナなりに夜光をフォローしているつもりだったのだが、素直に受け取るには少々戦意が感じられない夜光。

いっそのこと無視して作業に戻ろうかと考えていると、当事者であるセリアが手をもじもじさせながら頭を下げる。


「あっあの・・・私のわがままでご迷惑をお掛けして申し訳ありません。

夜光さんがお嫌なら、無理に頼んだりはしません。 ストーカーがいると決まった訳ではありませんし・・・」


 ゆっくりと顔を上げるセリアの目は、一見いつも通りに見えるが、その奥にストーカーに対する恐怖が見えた。

口では丁寧に迷惑を掛けたくないと言っているが、どうしても一緒にいてほしいと言う本音が、その目からにじみ出ていた。

そんなセリアの性格に、夜光はどこかしら”共感”するところがあった。


「・・・わかった、わかったよ。 帰り道に同行すればいいんだろ?

引き受けてやるから、とっとと出ていけ。 仕事の邪魔だ」


 やむを得ず引き受けると言うことを態度で現わすかのように、右手で頭を抱えながら、鬱陶しそうに、左手で「しっしっ」と地下施設から出るように促す。


 割と素直に引き受ける夜光の態度に、セリア以外のマイコミメンバー達は不気味さを感じるが、ひとまず引き受けたということで、お礼を言ってその場を後にする。

そしてセリアも……。


「あっあの・・・ありがとうございます。 報酬は後日お支払いいたしますから」


 ボディーガード代を出すと宣言するセリアに、夜光は手を横に振る。


「いいってそんなの。 ただでさえお前には借金を重ねている訳だからな。 これ以上搾り取ったら、誠児辺りに、地下労働に放り込まれかねない」


 女遊びやギャンブル等で浪費が激しい夜光は常に金欠状態で、心界に転移して間もない頃は、セリアからよく生活費としてお金を借りていた。

現在は誠児やマイコミメンバー達の監視が強くなって、借金ができず、ほぼ踏み倒していたセリアからの借金も、少しずつ給料から差し引かれるようになっていた。

最近では、夜光の給料を誠児が管理するほど徹底されている。


「わっわかりました。  ではよろしくお願いいたします」


 セリアは再度頭を下げた後、マイコミメンバー達を追ってその場を去って行った。

夜光はため息を付きながらも、作業に戻るのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る