第135話 もう1つの理由

 シノビフォームとなったキバのトリッキーな力で翻弄されるマスクナ。


無敵に近い彼女の体は、キバが作り出した大樹の養分として吸収された。


わずかに残ったマスクナの体と心は、全ての力を失ったことで醜い老婆となり、夢うつつと狼狽し、この世から姿を消した。


こうして、アストとマスクナの決着はつき、限界を向けたアスト達は奈落の底へ落ちるかのように、深い眠りについた。






「・・・うっ! ここは・・・」




 鈍い頭の痛みと共に目が覚めたキルカが最初に見たのは、見慣れない天井であった。


まだ意識がはっきりしていないため、視界が若干歪んでいる。


起き上がれないほどではないが、体もダルさで重く感じる。




「ホームの医務室だ」




 突然耳に入った声が、キルカのはっきりしない意識に活を入れた。


完全に意識が覚醒したキルカはこの時初めて、自分がベッドで横になっていることに気付いた。


そして、頭だけを動かして右隣のベッドに目を向けると、夜光が上半身だけを起こして、雑誌のような書物を読んでいた。


キルカの位置では表紙しか見えないが、そこには半裸の女性が男性を誘惑するポーズを決めており、中身がどんなものかはこの時点ですぐに分かった。




「なぜ我はここに・・・マスクナを倒した所までは覚えているが・・・」




 キルカは再度天井を眺めてぼそっと呟く。


夜光は雑誌に目を通しながら、独り言をつぶやくようにキルカのその後の経緯を話し始めた。




「お前とライカがマスクナを倒した後、2人仲良くぶっ倒れたから、ホームの連中がここに転送したんだと。


幸い、ケガは大したことはなかったが、疲労がひどくて意識が戻らねぇって、周りはパニくってたらしいぜ?


その時、ついでに俺もここに放り込まれたみたいだがな」




「そうか・・・我はどのくらい眠っていたのだ?」




「今日入れて1週間だ。 親父達も観客や団員と一緒に騎士団が手配した汽車で戻ってきてる。


ライカは昨日目が覚めて、今、医者に診てもらいにいっている。


まあ、俺と取っ組み合えるくらいには元気みたいだから、問題ねぇとは思うぜ?」




「取っ組み合い?」




「昨日、何をとち狂ったのか、ここで着替えをしていやがったんだ。


まあ、俺は寝ていたんだが、タイミングが良いのか悪いのか着替えている途中で目が覚めちまって、


結果的に望んでもいない裸体を見るハメになった。


おまけにあいつは痴漢だの変態だのバカの1つ覚えにギャーギャー喚きながら俺をひっぱたきやがった!


まあ俺も仕返しにあいつのパンツを引きちぎってノーパン状態にしてやったがな」




 恨めしそうにひっぱたかれた頬をさする夜光。


キルカはいつものことと軽く聞き流し、夜光にさらなる質問を送る。




「あいつらは・・・どうなった?」




夜光が「あいつら?」と誰のことか聞き返すが、キルカは目を閉じて答えようとしない。


だがその態度を見て、キルカが聞いているのはジルマとルコールのことだと察することができた。




「あいつらは、親父がしばらくホームで身柄を保護するんだとよ。


男の方は左腕のケガがひどくて治療を受けているって聞いたがな」




「・・・そうか」




 キルカはそれ以上何も言わなくなった。


自分の中で、うごめく様々な感情が、彼女の口を塞いでしまっている。


ライカに励まされて少し気が楽になったとはいえ、気持ちの整理がはっきりとついた訳ではない。


黙ったまま天井を見上げるキルカに、雑誌を閉じた夜光が質問を投げ始めた。




「お前、復讐しなくていいのか? 今なら簡単に殺すことができる。 場所もスタッフに聞けばわかるはずだ」




 復讐を後押しするような夜光の言葉に驚きつつ、キルカは静かに目を閉じてこう返す。




「・・・以前なら、迷うことなくそうしていた・・・だが、今はわからなくなった」




「お前を母親から助けたって言う話はライカ達から聞いた。


でも、それが事実だって言う証拠はないんだろう?


仮にそれが事実だとしても、あいつは母親を殺したことに変わりはねぇだろ?


お前にとって、母親ってのは誰よりも大切な存在だろ?」




「そうだ。 今でも我にとって、母上は大切な存在だ。


だからこそ、それを奪ったあの男に復讐しようと決意した・・・だが、その話が本当ならば、復讐になんの意味がある?」




 キルカは苦悶に満ちた顔を浮かべ、歯を食いしばっていた。


彼女にとって、これは人生最大と言っても過言ではない選択。


自分をずっと愛してくれた憎き父と自分を殺そうとした愛する母。


何が本当で何が嘘なのかがわからず、キルカの心は果てのめえない荒野を歩いているような感覚に支配されていた。






「・・・じゃあ、復讐なんてやめておけ」




 先ほどまで復讐を後押しするような発言を繰り返していた夜光が、突然意見を翻して、復讐を否定する。


あまりにすばやい意見の変わり身に、キルカは若干軽蔑の視線を横目に夜光を睨む。




「復讐を企ててきたかと思えば、復讐を否定するか・・・男と言うのはつくづくいい加減な発言しかしない軽薄な生き物だな」






「復讐するのかしないのかはっきりしない女に言われたくない。 だいたいお前は復讐が何なのかまるでわかってねぇ」




「・・・どういう意味だ?」






 夜光は冷めた目で雑誌を再び開き、ページをペラペラとめくる。




「復讐は傷ついた奴にだけ許された権利だ。でもそれは、”やられたからやり返す”単純な話とは訳が違う。 復讐は全てを捨てた奴にだけできることだ」




「全てを捨てる?」




「これから自部が生きる未来も関係を持ってくれた連中も、自分の意志さえも捨てて、ただただ復讐を成し遂げた時に得られる達成感や快楽のためだけに生きていく・・・それが復讐だ。


復讐する相手が何をしようと関係ない。


そいつを苦しめ、追い詰め、死にたいと思うほどの絶望と恐怖を与えて、自分はそれを見てほくそ笑む。


そいつにとってそれがたまらなく気持ちいいんだ。


そして次第に、それだけが自分の全てだと思うようになる」




 夜光が語った言葉は、単なる同情から出る言葉ではなかった。


言うならば”経験者は語る”。


夜光は誰かに復讐したことがある。


キルカは直感的にそう感じ取り、睨んでいた目のまぶたを少し緩めた。




「貴様・・・誰かに復讐したことがるのか?」




 キルカの質問に、夜光は雑誌に目を通したまま軽く鼻で笑う。




「復讐なんて大層なことはしてねぇよ。 かと言って良い人生だったかと聞かれると、そうでもないがな」




 あやふやな回答にも聞こえるが、夜光が誰かを恨んで復讐したことはキルカにも察することができた。


そして、復讐を果たしてもその先に幸せは待っていないことも……。




「我に復讐はできない・・・貴様はそう言うのか?」




 夜光は読んでいる雑誌を再度閉じ、ベッド脇のテーブルに置く。


そして、冷めた目をキルカに向けて続ける。




「お前、さっきから同じようなことを聞いているけど、本当は自分の中でもう答えが出ているんじゃないのか? それを俺に察しさせて、俺の口からお前の答えを出させようとしているんじゃないのか?」




「・・・」




 キルカは何も言えなかった。


夜光にそう言われたことで、心の奥底に眠っている自分の本音に初めて気付いたからだ。


それは”父を信じる”ことだった。


再会時から自分に向けられていた温かな眼差し、愛のある言葉。


そして、命がけで守ってくれた父の姿。


それらは全て、娘を愛する父親にしかできないことだ。


だが長年積み上がっていた憎しみが、それらを全て否定してしまった。


父親を受け入れたら、今度は死んだ母親を憎んでしまうかもしれないと臆したからだ。


老いによって狂ったとはいえ、キルカにとってはかけがえのない母親であることに変わりはない。


だが、父親を憎む気持ちはどんどん薄れていく。


その葛藤から逃げたいがために、夜光に自らの答えを悟らせようと、無意識に言葉を流していた。




「・・・フッ。 そうかもしれないな」




 キルカは自身の臆病さに呆れ、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、鼻で自分を笑う。


すると突如、重い体に力を入れ、上半身を起こした。


その時、テーブル脇に置いてあった自分のマインドブレスレットが目に止まる。


キルカはそれを手に取ると、夜光の布団の上に軽く放り投げる。




「お前に・・・お前達に1つだけ詫びておくことがある。


我がアストに入った理由・・・我にはもう1つだけあった」




「どういう意味だ?」




「美しい少女達に近づきたいと言う気持ちに偽りはない・・・だがそれは、単なる興味本位によるものではない。


奴に母上を殺されてから、我は奴と同じ男と言う存在に嫌悪感を抱くようになった。


視界に入ることさえ、鳥肌が立つくらいな。


だからこそ、女しかいないマイコミに入れたのは、幸運だと喜んだ・・・貴様がいたせいで少し興ざめしたがな」




「文句なら親父に言え」




「そしてもう1つは、”アストの力であの男を殺すため”。


ゴウマ国王からアストとしての素質がある聞かされた時、神が我に”仇を討て”と告げているように聞こえた気がした。 だから我はアストに入る代わりに、父親を捜してほしいとゴウマ国王に取引し、アストとして戦いに身を投じた。 生き別れた父親に会いたいという名目でな。 まさかあんな形で再会するとは思いもしなかったがな」




 キルカは両足をベッドから降ろし、そろえて置かれている自分の靴に足を入れてゆっくりと立ち上がる。




「だが、復讐から手を引く以上、我がアストとして戦う理由はもうない。


アストでない以上、我がマイコミにいる理由はない」




 キルカはアストとマイコミから抜けようと考えていた。


マインドブレスレットを夜光に投げたのは、その決意の表れ。


マイコミはあくまでもアストの仮の姿。


アストをやめた者がマイコミに在籍し続けて良い訳がない。


・・・少なくとも、キルカはそう考えていた。




「それに情が湧いた奴らが処罰される姿はあまり見たくない」




 ジルマは多くの命を奪った影のメンバー。


そのジルマが捕まったとなれば、処刑は免れない。


ルコールもマスクナの犯罪行為の片棒を担いでいるため、処罰は決して軽いものではない。


それがわかっているからこそ、キルカはここから離れて、現実から目を背けたいと思っているのだ。




「皆にはお前から離してくれ・・・」




 キルカが立ち去ろうとした時だった。


夜光が突然雑誌から手を離し、キルカの左腕を右手で掴んだ。


もちろん、男嫌いのキルカにとって男に触られるのは気持ち悪いもの。


怒りが湧き、手を振り払おうとするが、その前に夜光が思い切りキルカの腕を引き、キルカは夜光のベッドに倒れてしまう。


キルカが怒って何かを言う前に、夜光は自分の顔をキルカの顔に近づける。


その目にはどこか怒りに近い感情が灯っていた。




「ちょっと付き合え」




 夜光は万全でない体にムチ打ち、ベッドから飛び降り、キルカの手を引いて医務室を出てしまった。






「貴様! 何のつもりだ!?」




 夜光はキルカの問いに答えようとせず、キルカを引き釣ったまま地下施設の通路を歩き続ける。


何度か夜光の手を振り解こうとするが、キルカの細腕では、腕力のある夜光にはかなわない。


周囲のスタッフが何事かと2人の周囲に集まろうとするが、夜光の底知れぬ気迫に負けて道を開ける。






「ここか・・・」




 夜光の足が止まったのは、【治療室】の前であった。


ここは主に、戦闘でケガをしたアスト達の治療を施す部屋。


この部屋を作ったのは普通の病院では、アストの正体が表沙汰になる危険性があるためである。


ちなみに夜光とキルカが今までいた医務室はその後の経過を診るためのいわば病室。




「失礼しまーす」




 夜光はドアを3回ノックした後、無礼講にドアを開ける。




「なっ! キルカ」




 そこにいたのは医者の治療を受けているジルマであった。

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