第128話 罪と向き合う者


 マスクナの血液から愛する娘を守るために、左腕を犠牲にしたジルマ。


それでもなお憎しみの炎が消えないキルカに、マスクナは真実を語り出す。


それは、キルカの愛する母の真実であった。






 キルカの母、アールと異種族ハンター達との取引が行われた悪夢のような夜からアールは自室にこもり、若返りの薬の調合に没頭していった。


あの夜以降、月に2、3度、異種族ハンター達から調合に必要な薬草を提供してもらう代わりに、同胞であるダークエルフ達を次々と拉致していった。


取引を始めた時は、連れ去れていく同胞を見て多少の罪悪感はあったが、それも3度目以降の取引からは、目も合わせず、提供された薬草を持って家に帰っていき、同胞を売る己の行為に、罪悪感どころか興味すら失っていった。


ダークエルフが次々と行方不明なっていき、森では神隠しだと噂が広まって行った。


異種族ハンターの存在も認知されていたが、誰も入れない森のダークエルフを拉致するなど不可能だと誰も彼らを疑わなかった。




 ジルマとルコールは影から取引を何度も目撃し、そのたびに変わっていくアールに心を痛めていた。


何度も彼女を止めようと思ったが、2人にはその勇気がなかった。


それはただ単に臆していただけではない。


アールが多くの同胞を己の欲望を満たすために異種族ハンターに売り渡したことを森の同胞達に知られたら、彼女は間違いなく処刑される。


どれほど変わろうとも、どれほど罪を犯そうと、アールが家族であることに代わりはない。


それゆえ、どうしても彼女を死なせたくないジルマとルコールはこの事実を森のダークエルフ達に打ち明けることができなかった。




 取引が始まって数週間後、アールはすでに10人以上の同胞を売り渡してしまった。


そして、調合に必要な薬草の中で、最も高価なものを取引することになった夜。


彼女はまた1人、ダークエルフを売り渡そうとしていた。


影から見ていたジルマとルコール。


これ以上もう罪を犯さないでくれと祈りながら、黙って見つめる2人。


そんなことなどつゆほども知らず、アールは薬草と引き換えに眠っているダークエルフを茂みから引っ張り出した。




「「!!!」」




 ジルマとルコールは我が目を疑った。


なぜなら、彼女が引き渡そうとしているのは、キルカと同い年くらいの女の子だったからだ。


これまでの取引では成熟した女性が主であったが、子供の方が価値は高いと欲を出した異種族ハンター達が子供を要求したのだ。




「くっ!」




 いても立ってもいられなくなったルコールが、子供を助けようと物影から飛び出そうとするが、ジルマが羽交い締めにして止める。


だがその際、草木をゆらしてしまい、わずかな物音を立ててしまった。




「誰だ!?」




 異種族ハンターの1人が物音に気付いてしまい、闇雲に1発の弾丸を放った。


幸い、弾丸は外れたが、異種族ハンター達が銃を構えて近づいてきたため、


2人は気配を殺してその場から立ち去った。






 そして、運命の日の夜。


ジルマとルコールは家の裏の川辺で密会していた。


もちろん、アールのことについてだ。


2人はお互いに悩みぬいた結果、アールに自分の罪と向き合うように説得することを決意した。


その様子を偶然見ていたキルカには、2人がお互いに惹かれ合っているように見えたのだ。






 そして今……。


2人はアールの元へと趣き、彼女と言葉を交わす。




「アール・・・もうこんなことはやめてくれ。 森のみんなに全てを打ち明けて、罪を償おう」




 ジルマが泣きそうなほど震える声で、アールに罪を向き合うように告げるが、本人はどうでもいいと言わんばかりにつまらない顔を浮かべていた。




「正義の味方気取り? 私は若さを取り戻そうとしているだけ。 罪を犯した覚えはないわ」




 罪の意識がまるでないアールに対し、ジルマの声は悲しみから怒りに震えた。




「君は森の仲間達の命と引き換えにハンター達と取引したんだぞ!!・・・挙句の果てに子供の命まで・・・」




「だからなに? 得るために代償を払うのは自然なことでしょう? だいたい私にほいほいついてくるあいつらがバカなのよ」




「みんな、君のことを心配してくれていたんだ!! 僕達だって、君のことを心の底から心配している!! なのになぜ君は、そんな人達をバカ呼ばわりできるんだ!?」




「心配? 自分達が老いないからって、上から物を言うのはやめてくれる? はっきり言って頭にくるわ」




 その言葉に我慢できなくなったルコールがジルマの前に立ってこう叫んだ。




「姉さん!いい加減にして! 私達も森のみんなも家族でしょう!? 家族が家族の身を案じる気持ちを感じて、どうして怒りがこみ上げるの!? 誰よりも家族を愛していた姉さんのことが、私は大好きだった! なのに、なんでそうなってしまったの!?」




 涙ながらに押し殺していた気持ちを訴えるルコールを、アールはうっとおしそうに息を吐く。




「・・・よく言うわ。 私からジルマを奪った女が・・・」




「「!!!」」




 アールの口から出た言葉に、2人は硬直した。


ジルマは「何を言っているんだ!?」と驚きながらも問いかけると、アールはベッドに腰を下ろしてこう返した。




「ルコール。 あんたが前からジルマのことが好きだったのは知っていたわ。 でも、あんたは家族の仲を壊したくないからと、その気持ちを押し殺していたんでしょう? 私もあんたのことを信用していたけど、私が老辛症になった途端ジルマに接近し、彼の気持ちを傾けようとするなんて、とんだ泥棒猫だわ」




 ジルマとルコールの仲を疑うアールだが、その不気味に浮かぶ笑みからあふれ出ているのは嫉妬でも怒りでもなく、喜びであった。


ルコールは「私はそんなこと・・・」とアールの疑いを否定しようとするが、アールはそれを無視してジルマに視線を向ける。




「ジルマ。 あんたも老いて醜い私より、若くてきれいなルコールに蔵替えしようとしていたんでしょう?・・・別に怒ってはいないわ。むしろ感謝してる。 女にとって美しさと若さが全てだと、あんた達の想いが教えてくれたんだから」




 狂喜に満ちたアールの笑顔に、ジルマとルコールは心から震え上がった。


彼女にとって、ジルマとルコールの関係などどうでも良かった。


美しさと若さへの執念だけが、今の彼女を動かしている。


同胞を売り飛ばしたことよりも、その心変わりの方が2人の胸を痛めつけていた。




「姉さん・・・もうやめて・・・わたしたも一緒に罪を償うから・・・お願い・・・」




 止まらぬ涙をぬぐい去ることも忘れ、ルコールは両手を広げて歩み寄る。


変わっていく姉をどうにか正気に戻そうと無意識にとった行動であった。




「知った風な口を利かないでよ!!」




 アールはベッドわきのミニテーブルの上にある薬瓶を取ると、その中身をルコールの顔にぶちまけた。




「あああぁぁぁ!!」




 ルコールは顔に今まで感じたことのない激痛を感じ、両手で顔を覆い、その場でに倒れた。




「ルコール!!」




 ジルマが倒れたルコールの顔を確認すると、彼女の顔は皮膚が溶けて真っ赤になっていた。


顔を覆っていた手も腫れ、わずかだが白い煙がうっすらと立っている。


顔耳障りな肉の焼けるような音まで聞こえ、まるで酸で焼かれているような光景であった。




「アール!! ルコールに何をした!!」




 ジルマは激しい怒りの言葉と共に、殺意に近い感情を宿した目をアールに向ける。


だがアールは他人事のようにこう返す。




「若返りの薬を掛けただけよ。 もっとも失敗作だからどうなるか知らないけど」




 それだけ言うと、アールは苦しむ妹を無視して、部屋から出て、キルカの部屋の方に歩いて行った。


ジルマは「待てっ!!」と静止するも、彼女はそれも無視した。




「一体どうすれば・・・!! これは!!」




 ジルマの目に止まったのは、ベッドの上に落ちていた1冊の本であった。


それはアールが異種族ハンターから受け取った若返りの薬の調合法が記載されている本であった。




「くっ!」




 ジルマはすぐさま本を取ると、返りの薬についてのページに急いで目を通す。


本によると、調合に失敗した若返りの薬は健康な皮膚を破壊する劇薬に変化するようで、皮膚の薄い顔やのどに掛かると、火傷と同じ症状に見舞われる。


ジルマはすぐさま効果を中和できる薬草が記載されているページを見つけ、幸運にもその薬草が調合されている薬瓶は部屋の棚に置いてあった。


すぐさまそれをルコールの顔に塗りつけていくと、すぐに症状は治まり、顔の痛みも徐々に和らいでいった。


そして、口が効ける状態に戻ったルコールがジルマにこう伝える。




「私のことはいいから、姉さんを追って!」




「でっでも、君を医者に診てもらわないと・・・」




「お願い! 私なら大丈夫だから・・・姉さんを・・・」




 まだ痛む顔を抑えながらも、姉の身を案ずる彼女の心に根負けしたジルマは「わかった・・・」とルコールを置いてアールを探しに向かった。




 だが、アールが歩いて行った方向にあるのはキルカの部屋だけなので、必然的に居場所の検討はついていた。


そして、ジルマがキルカの部屋に入ると、そこいたのはベッドで眠っているキルカとベッドの横で、ジルマを待ち構えていたかのように、立っていたアールだった。






 「・・・来ると思ったわ」




 アールの手にはキルカの部屋に飾られていた弓と矢をが握られており、彼女はそれを構えると、ジルマに矢先を向ける。


装飾用とはいえ、矢の先には鋭い石が付けられているため、下手をすれば致命傷になりかねない傷を負うことにもなる。




「アール! 何のマネだ!?」




「あなたに邪魔をされてくないだけよ」




「邪魔? まさかキルカに何かする気なのか!?」




「若返りの薬には、どうしても必要なものがあるの。 なんだかわかる?」




「必要なもの?」




「若い生き血よ・・・それも若ければ若いほど効力を増すわ。 子供ならなおのこと・・・」




「まっまさか・・・キルカを調合の材料にする気か!?」




 この時、キルカは100歳を少し超えていたが、ダークエルフでいえばまだまだ子供。


その上、キルカはかつてのアールに似て美しい少女、薬の調合には申し分ない存在と言えた。






「バカなこと言うんじゃない!! キルカは僕達の大切な娘だろう!?」




「大切? 私にとって大切なのは若さと美しさだけ。 第一、親が自分の子供をどうしようと勝手でしょ? それに、子供がほしいなら、若さと美しさを取り戻した後に、また作れば良いだけよ」




 それは母親が口にするべきではない言葉であった。


子供を工作物のように扱い、なおかつその命に価値すら見いだせないアールは、もはや母でも妻でもなくなっていた。




「キルカッ!」




 弓矢に構わず、ジルマはキルカの眠るベッドに駆け出す。


それを許さないアールは躊躇なく矢を放った。




「がっ!」




 矢はジルマの腹部に刺さり、その反動でジルマは倒れてしまった。


体内から流れ出る血は床一面を真っ赤に染める。


アールはジルマの生死も気にせず、持っていた弓を捨て、キルカに両手を伸ばす。




「さあ、キルカ。 ママに命を返してね」




 その笑顔は子をあやす母の顔であったが、にじみです醜い欲望が、その顔を歪ませて、悪魔へと化していた。


そして、その指がキルカの顔に触れようとした直前!!




「あがっ!・・・あ・・・」




 アールの胸を突き破ったのは先ほど彼女が放った矢。


そして、刺したのはジルマの血まみれの手であった。


ジルマに命中した矢は偶然にも急所を外しており、致命傷にはならなかった。


そして、キルカに魔の手を伸ばすアールを見て、ジルマは我を忘れて矢を抜き、愛しい妻の体を背中から突き刺した。




我に返った彼が感じたのは、生温かいアールの血と彼女の命を奪った矢の感触。




「・・・」




 言葉を失うほどの悲しみと後悔が胸をよぎる。


だが涙は流れなかった。


涙を流す力すらなくなったのか、妻への愛が冷めたのか、その理由はわからない。






 そして、目を覚ましたキルカに母を殺した裏切り者と罵られたジルマは、事実から逃げたいがために、その場から逃げ出した。




 アールを殺した時、彼の心には何があったのか。


娘を守りたい純粋な気持ちか、家族を傷つけた妻への憎しみか、


闇の中を走るジルマは何度も自分に問うが、それは現在もはっきりしない。


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