第109話 開幕

 グレイブ城に飾っていた1枚の美女の絵。


それはかつて、自らの美貌のために多くの命を奪ってきたグレイブ夫人だった。


狂気な彼女の話に誠児は心から震えあがった。


そして、舞台の幕が開かれようとしていた……。






 まもなく開幕時間となるので、ライカは控室にて準備に取り掛かっていた。


彼女は天使の役のようで、純白の衣装の背中に白い羽を背負い、頭の上にはそれらしい輪が付けられている。


舞台衣装を身にまとったライカは、メディルにメイクをしてもらっていた。


メイクが趣味の彼女は、この劇団ではメイク担当者の1人でもあるのだ。




「・・・んっ? なにこれ?」




 鑑を見ていたライカは鏡の隅に張られているシールに気付いた。


それには【忘れず笑顔・リン】と書かれていた。


グレイブ城に来てから、何度かこの鑑を使ったことはあるが、シールがかなり小さいことと、舞台に対する緊張と不安で見逃してしまっていた。




「ねぇ、メディル。 このシールって何?」




 ライカの言葉で、シールに気付いたメディルは、「あっ・・・」とメイクの手を止める。




「それ、リン先輩のモットーです」




「リン先輩って、あたしの前任者だった人のこと?」




「はい・・・そうです」




 リンと言うのは、以前トレック劇団にいた舞台女優である。


役者としての実力はもちろん、若々しい肌とうっとりするような美貌の持ち主で、将来を期待されていた。


ところが、2ヶ月ほど前に突然退団してしまったのだと言う。


理由は、”女優と続ける自信がなくなった”とのこと。


そこで急遽、代役としてライカが呼ばれたと言う訳である。




「リン先輩はとっても優しい人で、私はもちろん、ほかの団員達ともすごく仲が良かったんです。


それなのに、急に何も言わずに出ていくなんて、信じられませんよ」




「何も言わずって。 やめた理由は聞いたんでしょ?」




「理由はマスクナさんから聞きました。 やめることを言ったのも、マスクナさんだけみたいで。そのシールは、リン先輩が自分のモットーを忘れないようにって自席の鏡に張っていたのを、そのままにしているんです・・・みんな、先輩のことが好きでしたから」




「そう・・・」




 その度、メディルは止めていた手を動かして、メイクを進める。


ライカはメイク中、なぜかリンのシールから目を離すことができなかった。






 メイクが完了し、控え室から出るライカ。


メディルは他の役者のメイクも担当しているので、控え室に残った。


ほかの役者達もちょうど舞台袖に移動しようと、控え室からぞろぞろ出てくる。




 その道中、舞台裏を通って舞台袖に行こうとしていたライカの目に、見覚えのある顔が写った。




「あっあの・・・もうすぐ幕が上がるので、観客席に戻っていただけますか? それに、ここは関係者以外立ち入り禁止です」




「申し訳ありません。 あなたを一目見てから、気持ちが抑えきれなくて・・・」




 それは、舞台女優が夜光に口説かれているシーンであった。


逃がさないように壁際に追い詰めて、右手を壁に突き付けている(いわゆる壁ドン)。


夜光は普段は見せないような穏やかな表情で、こう続ける。




「どうでしょう? 舞台の後に、私とベッドの上で夜の公演会を開くと言うのは。 今度は感動ではなく、快楽を私に感じさせてくれませんか?」




 次の瞬間、「何してんのよ!!」とライカの鉄拳制裁が夜光の頭にクリティカルヒットした。


夜光は「ふぎょっ!!」とマヌケな声を上げて、目の前の壁に顔をめり込ませてしまった。




「カッコつけて何を堂々とド下ネタ披露してんのよ! このセクハラ常習犯!!」




 夜光は壁から顔を離し、手で押さえながらライカを睨みつける。




「このガキ! 人のハンティングを邪魔しやがって!!」




「何がハンティングよ! って言うか、あんたどっから入ってきた訳!?」




「普通に観客席から舞台を通ってもぐりこんだだけだぜ? そうしたら、俺好みのいい女がゴロゴロしてんだから、手を出さねぇ訳がないだろ?」




 反省の色を全く見せない夜光をすぐにでもギタギタにしたいライカ。


だが今は舞台が最優先。


怒りを抑え、ライカは「いいからさっさと席に戻りなさい!」と夜光の背中を押す。


それと同時に、開幕5分前のベルが鳴り響く。


さすがにこれ以上留まるのはまずいと判断した夜光。




「わかったわかった。 大人しく戻るよ」




 そう言うと、夜光はその場を立ち去ろうとする。


ライカは疲れたと言わんばかりに、大きなため息をつく。


すると、夜光が「あっ!そうそう」と急に引き返してきて、ライカの耳元でこうささやく。




「随分可愛い天使だな。 思わずホレちまいそうだぜ」




 その言葉を聞いた途端、ライカは顔を真っ赤にして「なっなっなっ!」と言葉に表せない胸の高鳴りを感じた。


夜光は「それじゃあな」とその場を去る。




 その場に残ったライカは顔を赤らめたまま小さく「・・・バカ」と呟いた。


これは彼女なりのありがとうと言う意味だった。






 舞台裏を去った夜光が誠児達のいる席に戻るその道中。




「おっと!」




 急ぎのあまり、灰色のフードを被った若い男性と肩をぶつけてしまった。


夜光は軽く「悪い。 急いでいたもんでな」と片手を顔の前に出して軽く謝る。


男性は「いえ、こちらこそよく前を見ずにすみません」と夜光と違って、丁寧な謝罪を述べる。


フードで顔の半分は隠れているが、男性は見た目20代くらいの若者。


褐色の肌をした黒髪の美男子だ。






「悪いけど、急いでいるからこれで」




 夜光はそう言い残すと、その場をさっさと走り去ってしまった。


男性の方も足早にその場を後にした。


・・・この時、夜光は気付かなかった。


彼が左腕に付けていた”見覚えのある機械”を……。






 開幕2分前に、夜光は誠児達のいる席に到着した。


夜光達の席は舞台を見下ろせるバルコニー式のVIP席。


国王であるゴウマや姫君であるセリナとセリアがいるのはもちろん、レッドフェスティバルでのお礼とお詫びの気持ちを示したいと、マスクナが用意したのだ。




 誠児達から「時間を守れ」と厳しい注意を受けつつ、拍手喝采と共に舞台の幕が上がった。






 劇の名は、【奇跡の雪】。


内容はこのようになっていた……。




 舞台は精神戦争終結直後の小さな町。


主人公はその町に住む1人の女性シーラ(演:マスクナ)。


彼女は夫を戦争で亡くし、14歳になった1人娘ユウ(メディル)と2人で暮らしている。


戦争終結直後であるため、働き口はほとんどなく、配給で配られるパンや水で飢えを凌ぐ貧しい生活を送る毎日。


それでも2人は一緒にいるだけで幸せだった。


とことが、ユウの誕生日を迎えてから3日後、突然彼女は重い病に掛かった。


きちんとした治療を受けさえすれば、完治する病気であったが、医療技術のある医師はほとんど戦争で傷ついた兵士や民間人の治療に専念しているため、ユウのような貧しい子供の治療をしてくれる医師などいなかった。


シーラはなんとか治療を受けさせようと、親戚中に頭を下げて金を工面してくれるように頼んだが、「そんな金はない」と全員に断られてしまった。




 日に日にやつれていくユウを見ながら、シーラは涙が枯れるまで泣き続けた。




 ある日、ユウが窓を見ながらこう呟いた。




「雪が見たい・・・」




 2人のいる町は雪が降ったことは1度もないため、ユウは白く美しい雪を見ることを夢見ていた。


ユウの願いを叶えてやりたいシーラであったが、そんな現実味のない願いを聞き受けることはできなかった。




 シーラは最後の望みにと、町で唯一建っている教会で、神に祈りをささげた。




「主よ。 私の愛する娘、ユウが重い病に倒れました。 どうか私からあの子を奪わないでください。


もし、それが叶わぬと言うのなら、あの子に雪を見せてあげてください」




 しばらく祈りをささげた後、家に戻ろうとすると、シーラの頭上から、光と共に天使たちが舞い降りた。


天使の中の1人ライカが、シーラに語り掛ける。


「初めまして。私達は天の世界の遣いです。 あなたの愛に満ちた祈りを聞き入れた神が、私達を遣いわたしました」




「では、ユウをお助けくださるのですか!?」




「それはできません。 命とは神がお決めになった限りあるもの。 どのような理由があろうと、それを覆してはいけないのです」




 その言葉に泣き崩れるシーラ。


そんな彼女に対し、別の天使がこう言う。




「ですが、ユウ様の望みをほんの少しだけ叶えることはできます」




 天使が言うには、彼らの力で町に少しの間だけ雪を降らすことができるのだと言う。


しかし、それには条件がある。


実はこの町に、シータ達と同じ境遇の親子がいて、その家の娘も病に苦しんでいるのだが医師に診てもらおうにも金がない。


シーラはその子が病を克服し、生き続けることを今日から1ヶ月間、この教会で祈る。


それが、雪を降らせる条件だと言う。




 シーラはその条件を素直に飲み込めなかった。


いつ死ぬかもしれない娘を放置して、会ったこともない子供のために1ヶ月も祈りを捧げなければいけないのだ。


もし祈りを捧げている間にユウが死んだら? 祈りを捧げてその子が助かってもユウは死ぬ。


シーラは1日だけ考えさせてほしいと言って、教会を後にした。




 家に戻って、シーラはユウに天使から言われたことをそのまま伝えた。


ユウにどうしたいかを決めてもらおうと言うことだ。


ユウは小さな笑みを浮かべてこう言う。




「・・・お母さん、祈ってあげて。 私のためだけじゃなく、その子のためにも・・・。


だって・・・家族なら、一緒にいたいのは当たり前でしょ?」




「・・・ユウ」




 「ユウ・・・」




 娘の優しい言葉に、シーラは涙を流しながら祈りを捧げることを決心しのであった。




 それから1ヶ月間、シーラは祈りを捧げ続けた。


ユウの看病をしつつ、寒さで震える体にムチ打ち、誰かもわからぬ娘のために祈り続けた。






 そして、祈り続けてから1ヶ月後の朝。


2人の町に、初めて真っ白な雪が降り注いだ。


しかも、奇跡はそれだけではない。


病でベッドから起き上がることすらできなかったユウが、自らの力でベッドから起き上がって立ち上がることができた。




 ユウは外に出て、降り注ぐ雪を体中に浴びて、こう言う。




「私・・・幸せ・・・」




 病に倒れてから初めて、ユウは満面の笑みを浮かべたのであった。


その姿を見て、シーラはユウを強く抱きしめながら心の中で天使たちに感謝した。




 それからまもなくして、ユウはこの世を去った。


それと同時に、町では1人の少女が難病を克服し、【奇跡の少女】と町から讃えられた。




 そして、1人になったシーラが教会で天の国に旅立ったユウに語り掛ける。






 辺りは暗くなり、照明はマスクナ演じるシーラにのみ注がれる。




「・・・ユウ。 あなたの優しさが、1人の尊い少女の命を救ったのです。


あなたが生まれた時から14年の時間は、本当に幸せでした。


本当にありがとう・・・お母さんはユウの分まで精一杯生きます。


どうか空の上から、お母さん・・・いえ、この町を見守っていてください。


・・・さようなら、ユウ・・・私の天使・・・」




 その言葉と同時に、照明がゆっくりと閉じて行き、最後には静寂な闇が辺りを包み込んだ。


その静寂も、観客席から鳴り響く嵐のような拍手喝采が消し去った。




 照明が再びマスクナを照らし、彼女はゆっくりと頭を下げる。


舞台袖にいたライカも、観客からの拍手に誇らしげに胸を張っていた。




「(よかった・・・本当によかった・・・」




自分達の舞台は成功したのだと、ライカはただただ嬉しかった。


そして、舞台袖にいた役者達も観客達にあいさつするために舞台へと向かおうとする。




・・・その時であった。




「えっ!」




 夜光達の向かい側にあるVIP席に人影が見えたライカ。




「(あのVIP席って空席のはずじゃ・・・)」




 そう考えているのもつかの間、人影は舞台上にいるマスクナ目掛けて飛び降りた。


手に刃物のようなキラリと光る物が見えたライカはとっさに「危ない!!」とマスクナに飛びついて、間一髪人影を回避させる。




 何事かと観客達が動揺する中、劇場の全ての照明が輝きを取り戻した。




その光が照らした舞台にいたのは、マスクナとライカ。


そして、槍を手に握りしめていた人物・・・影の1人、ウォークであった。

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