第5話 スタートライン

 医務室で眠っていたセリアが見ていたのは、忌まわしい過去であった。


つらい学び舎での生活と醜い心を持つクラスメイト達・・・そして、殺人者となってしまった幼馴染のゼロン。


過去に捕らわれた少女は今も苦しんでいる。




 その日の夜、ゴウマは医務室のセリアを迎えに行った後、夜光と誠児を城に招待した。


宿泊先が見つかるまで、城の客間に泊まっても良いそうだ。






 城の豪華な食堂で、高級ステーキをごちそうになっている夜光と誠児。


ゴウマは賑やかになったと喜んでいたが、セリアは2人から距離を置いて食事を取っていた。


躊躇なく肉にかぶりつく夜光に、「少しは遠慮しろ!」と注意する誠児。




「いいだろ? こっちは花見の手伝いをしてやったんだから」




 セリアが医務室に行ったあと、夜光と誠児は花見の準備をしているスタッフの手伝いをしていた。


そのおかげで、予想より早く花見の準備ができたので、ステーキは報酬のようだ。




 一足先に食事が終わったのはセリアであった。


食べるスピードが速い訳ではなく、ほかの3人よりも食べている量が少ないだけである。




「お父様、お姉様はお出かけですか?」




「あぁ、先ほどセリナから電話があってな? 今日は友人と食事して帰るそうだ」




 それだけ聞くと、セリアは「・・・わかりました」と自室へと帰って行った。




 セリアが去った後、誠児がおそるおそるゴウマに尋ねる。




「あの・・・もしかして私達、歓迎されていないのでしょうか?」




「そんなことはないよ。 あの子は人との接し方がよくわかっていないだけだ。 決して君達を嫌っている訳ではないよ?」




 ゴウマに優しく返答されるも、誠児はセリアに話しかけてしまったことを軽率な行動であったと悔いていた。




 「(誠児・・・)」


横で落ち込む親友に、掛ける言葉が見つからず、夜光は静かに水を飲んだ・・・






 食事が終わると、ゴウマは自室に戻り、夜光と誠児は使用人に案内された客室に案内され、寝る準備を始めた・・・






 自室に戻ったセリアは読書をしていた。


本の世界に浸っている間だけは、地獄のような過去やつらい現実から逃げ出せるからだ。


無意識に表情も少し穏やかになっている。




 しかしそこへ、ドアをノックする音が部屋中に響き、セリアを本の世界から引き釣り出した。


こんな夜遅くに部屋を訪ねる人間に、セリアは心当たりがなかった。


ゴウマを含め、城の者達はすでに休んでいるので、部屋を訪れる訳がない。




 「どっどなたですか?」




セリアがおそるおそる来訪者をドア越しに確認する。




 「・・・俺だ。 さっき食堂でメシを食っていた時橋夜光だ」




 ドアの前に立っていたのは夜光であった。


食事の後、誠児と共に客室へと案内されたのだが、誠児に「用事ができた」と言って、出てきた。




「どっど・・・どう・・・」




 ”どうされましたか?”と聞きたいのだろうと察し、夜光がここに来た目的を話す。




「大したことじゃねぇ、 落ち込んでいる親友の代わりにちょっと頭を下げてに来ただけだ・・・驚かせちまって悪かった」




「いっいえ、その・・・きき、気にしないで・・・」




 ドア越しに話すことはマナー違反だと思うが、人と顔を合わせて話すことが怖くて、ドアを開けられないセリアにはこうしてでしか話すことができなかった。


その気持ちを察したのか、夜光は怒鳴ったりせず、ドアを背にしてもたれ掛かり優し気な口調で語り掛ける。




「・・・嫌いか? 人と話をするのは・・・」




 意外な質問に、セリアは思わず「えっ?」と聞き返してしまうが、夜光は構わず続ける。




「俺は死ぬほど嫌いだ。 コミュニケーションなんて、いろんなことを考えなきゃいけねぇし・・・相手を気遣って言葉を選ばないといけねぇし・・・こんな面倒でダルいことを平然とできる奴の気が知れねぇ」




「・・・」




「だけどな? 面倒でも苦痛でも、それは大切にしないといけないことだ。 どうしてだかわかるか?」




「いっいえ・・・」




「コミュニケーションっていうのはさ、言ってみればスタートラインみたいなものだと思うんだ」




「スタートライン?」




「・・・あぁ、仕事も遊びも人間関係も、全部コミュニケーションから始まる。 どれだけ1人で頑張っても、他人とのコミュニケーションを大切にしなければ何も変わらないし、何も生まれない。 それを知っているから、国王はお前に人と接してもらおうとしてるんじゃないのか?」




 「でっでも私・・・どうしたらいいのか・・・」




 セリアの脳裏に、ゴウマとの記憶が蘇ってきた。


事件後にふさぎ込んだセリアを、何度もホームに連れて行くゴウマに、セリアは内心嫌気がしていた。


人と接することが嫌なことを、ゴウマは理解しているはずなのに、人のいるホームへ連れて行くその行動の意図がわからなかった。


だが夜光の言葉を聞き、改めて思った。


人と話すことを拒否してしまったために、いじめはなくならず、その結果、ゼロンを殺人者にしてしまった。


そのことをセリアはずっと後悔していたのに、話す勇気が出ない自分を恥じていた。






 「コミュニケーションは誰かに教えてもらうことじゃない。 生きていく内に自分で学ぶことだ。 お前は理解できないんじゃない。 理解するのが少し遅れているだけだ。 それは全然恥ずかしいことじゃない」




 夜光は持たれていた背中をドアから離し、ドアに目線を向け、その向こうにいるセリアにこう言う。


「だからと言って、早く理解しようとは思うな。 誰にだってペースという言うものがあるんだ。


絶対に忘れてはいけないのは、自分自身の気持ちを偽らないことだ。


そうすればきっといつか、変われる時が来る」




 黙って聞いていた夜光の話に、セリアは自分自身に「(私はどうしたいですか?)」と問う。


このまま1人で生きて行けば、誰とも話さずに済む。


でもそれは、これからもあの惨劇の悪夢から逃れることができない。


セリアにとって、それは死ぬよりつらい苦痛である。


だがコミュニケーションで今の自分が変わるか、自信が持てない。


セリアは勇気を出してドアを開けた。




 開けた先にいたのは、昼間のダルそうな目から一変、真剣な眼差しでセリアの目を見る夜光であった。




「・・・かっ変われますか? 私・・・」




セリアのこれから先の人生を決めると言える質問を夜光はゆっくりと息を吐いた後こう返す。




「自分を変えるなんて、そう簡単にできることじゃない。


今は変われるかどうかよりも、変わりたいという気持ちが大切なんじゃねぇか?」




「私は・・・変わりたい・・・このまま苦しんで生きていくなんて嫌・・・」




 大粒の涙を流しながら、自分を変えたいと願うセリアに、夜光はどこか共感のようなものを感じていた。


それを放っておけなかった夜光は、セリアを優しく抱きしめる。


セリアは最初、戸惑っていたが、特に抵抗することもなく、そのまま立ちすくんでいた。


実は子供の頃から軽度の男性恐怖症で、ゼロンとゴウマを除いて、男性に触れられたり話しかけることに抵抗感があった。


だが今、男である夜光に抱きしめられているにも関わらず、セリアの心には嫌悪感ではなく、安心感が芽生えていた。




「よく聞け。 言葉で話すことがコミュニケーションの全てじゃない。言葉で伝わらなくたって、こうやって行動で相手に伝えることもできる。 1回で伝わらないなら、10回でも100回でも、相手に伝えていけばいい。 それがコミュニケーションってやつなんじゃねぇか?」




「・・・私にできると思いますか?」




「それは行動した人間だけが言える質問だ。 答えがほしいなら、それに見合うことをしないといけない」




夜光はセリアからゆっくりと体を離し、「急に来て悪かったな」とその場を去っていった。


残されたセリアの体には、まだ夜光のぬくもりが残っていた・・・






 客間に戻った夜光がベッドに入ると、ベッドで横になっている誠児が夜光に尋ねる。




「長いトイレだな。 何かあったのか?」




 夜光はあくび混じりに「ちょっとしたデート」とだけ返し、そのままいびきをかいて寝てしまった。


誠児はなぜか笑顔で「・・・そうか」とだけ言い、眠りの世界へと旅立っていった・・・。






 翌日の昼……。




 ホームでお花見が開催された。


大勢のスタッフやデイケアメンバー、訓練生が桜の舞う世界で、楽しく過ごしている。


騒がしい所が嫌いな夜光であったが、うまい酒が出ると聞くと、お花見そっちのけで酒ばかり飲んでいた。


最初は1人で飲んでいたが、酔いが回るにつれ、いつの間にかほかのスタッフ(多少の酔いはる)に絡み始めた。




 誠児は酔っている夜光を抑えつつ横に座らせ、ゴウマや周りの人達と楽しく談笑していた。


しかしそこへ、意外な人物が誠児に話しかけてきた。




「あっあの・・・」




 夜光と誠児が視線を向けるとそこにいたのはセリアであった。


かなりこわばってはいるが、何かを言おうと必死になっているのはわかった。


夜光と誠児はあえて何も言わず、セリアの言葉を待った。


「わ・・・私は、せせセリア ウィルテットともっ申します。 よよよろしくお願いします」


それは最初に会った時にできなかった自己紹介でした。


普通の人ならばなんてことない自己紹介であるが、セリアにとっては自分を変えるためのスタートラインであった。




「こちらこそよろしくお願いします」




「よろしく・・・」




 自己紹介を済ませたセリアは疲れたのか、人が多い場所に耐えられなくなったのか、軽くお辞儀をすると、また医務室へと向かっていった。




「(なんと・・・あの子があいさつをするとは・・・)」




 今まであいさつを軽く返すことはあったが、自分からあいさつをするのは、父親であるゴウマでも見たことのない光景であった。






 セリアが去った後、ゴウマが満面の笑みを浮かべてこう言う。




「2人共ありがとう。 初めて見たよ、セリアが人に話掛ける所なんて」




 娘のわずかな変化に喜びを感じているゴウマに誠児は「私は何もしていませんよ。 お礼なら・・・」と謙遜しつつ、視線を夜光に向けた。




 視線に気づいた夜光が「・・・なんだよ。 なんか用か?」と尋ねる。




「お前、昨日彼女と何かあったのか?」




「別になんにもねぇよ、少しちょっかい掛けただけだ。 チョロそうだからヤレるかなと思ったけど、ガードが固そうだからやめた」




  誠児は夜光の言葉の真意に気づき、「相変わらずだな」と夜光の肩に手を回した。


夜光は「やめろ! 男に密着されても嬉しくねぇ!!」とかなり嫌そうだった。




 その光景を見ていたゴウマは内心思った。


これまで開くことができなかったセリアの閉ざされた心を、開くことができた夜光と、この世界に来て間もないにも関わらず、セリアや大勢の人達と分け隔てなく接する強さのある誠児。


何よりも言葉を交わさなくても互いの気持ちがわかる2人の絆は、ホームだけでなく、この心界に新たな変化をもたらしてくれると信じることができる。


そしてゴウマは「2人共、いいかな?」と2人の視線をこちらに向け、改めて2人にこう言う。




「時橋 夜光君、金河 誠児君。 2人にはぜひ、このホームのスタッフになってほしい」




 ホームの活動に興味が出てきた誠児は「はい、私でよければ」と2つ返事でOKした。


夜光は少し渋い顔をしていたので、誠児が背中を押すようにこう言う。




「夜光、やってみようよ。 セリア姫も頑張って変わろうとしているんだ。 お前だって頑張ったら、変われるかもしれないだろ?」




「変わる・・・ねぇ~」




 元いた世界でも働いた経験がない夜光にとって、異世界で働くことは不安でしかない。


それはもちろん誠児も同じだ。


だからこそ、一緒に同じ場所で働きたいと誠児は思っている。




「それに、もしかしたら見つけれるかもしれないだろ?」




「何をだ?」




「”お前の夢”だよ」




 それは何の才能も趣味もない夜光にとって、不要な言葉であった。


子供の頃からずっと、夢を描くことができるのは、生活と心に余裕がある者だけだと思っているからだ




「今更夢なんて遅すぎるだろ?」




「夢に早いも遅いもないさ。 俺だって精神科医師になりたいって言う夢を抱いたのは最近だぞ? だから夜光にも絶対夢を持てるさ」




「・・・」




 夜光自身は、夢を持たなければいけない理由は何もない。


夢はなくても生きてはいける。


だが”過去に深い借りがある”誠児が投げてくる言葉と、自分に向けられる笑顔に、夜光はどうにかして応えたいと思った。


そして夜光が下した決断は・・・




 「・・・わかった、夢なんて興味もねぇが、どの道仕事しないと生きていないからな・・・」




 こうして夜光と誠児はホームで働くことになった。


そしてここから夜光と誠児の物語はゆっくりと動いていく……。

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