第3話

 ちんっ。軽快な音がスピーカーから鳴り響いた。

 帝都タワービルへと侵入した撤兵は一目散にエレベーターへと乗り込むと、それで行ける所まで上がって行ったのだだった。

 幸いのこと、途中で無縁衆生にも母体にも妨害を受けなかった撤兵はそれを怪訝に思いながらも今はそれを胸に秘めて最上階へと足を踏み入れる。

 そこは通路であるが、人気は無く静かであった。外から聞こえてくる母体のものと思わしき悲鳴は遠く、内部はしかし異様な静けさであった。まるで人はもちろん、無縁衆生の一つすら居ないかのような。

「争った形跡すら――」

 通路を行きながらスーツに搭載されたセンサーを用いて締め切られた各個室の様子を調べつつ、ここには本当に何も居ないと知ると、撤兵は天井を見上げた。

「屋上、か」

 エレベーターは屋上までは続いていなかった。恐らくはこの階から別の手段で上がるのであろう。撤兵はそう考え、通信の先に訊ねた。

 あいよという軽い返答の後、すぐさまヘルメット内部のモニターに見取り図が表示される。突き当たりまで行けば屋上に上がるための階段があるようだった。

 そうして撤兵は急ぎ屋上へと向かう。声はまだ反応がそこにあることを彼に伝えた。

 階段を一跳びし、屋上へを隔たる扉を勢いのままに蹴り破ると撤兵は遂に帝都タワービルの最も高い場所へと躍り出た。

「――よォ、遅かったじゃねェか犬ころ」

 そして、そこに居たのはしわの寄った顔をし、口元を白髪交じりの髭で被った老齢の男であった。

 くたびれたシャツを着て、しゃがれた声で老人は撤兵へとその目を向けて言う。姿形は年老いながらも、眉に隠れようとしてるその眼光はいまだ鋭く、真剣の切っ先のようであった。

 撤兵は言葉を失う。老人の眼光に刺されたからだけではない、その彼が持ち上げた右手に掴んでいるものにであった。

「あんまり遅いんで、先にふん捕まえておいたよ。後は焼くなり煮るなり好きに――おおっと」

 老人が掴まえているのは撤兵が追い掛けていた落胤であった。

 彼はそう言うと落胤を撤兵へと放ろうと腕を振るうのだが、その手が落胤を手放す直前、屋上へと母体の群れが這い上がってきた。

「ムサシ、何があった。母体がみんな上に――落胤を補足したのか」

 女兵士からの通信が届く。撤兵はそうだと答えると、両手を腰の鞘へと近づける。

「お手並み拝見」

 老人はそう言って笑みを見せると、同時に横合いから襲い掛かってきた母体の爪を躱す。だがその為に手にしていた落胤を放していた。

 落胤はその母体に抱えられるようにして老人から離れると、群れの中へと紛れていった。

 しかし老人にはそんなことはもはやどうでもよく、ただその興味を撤兵へと向けるのであった。

 老人が襲われたように、撤兵のその背後にも母体が迫りつつあった。ただ剣を抜いているのでは間に合わない。しかし撤兵は焦る様子も無く、片手で大小の内、小の柄を握り締めると唯一浮かせた人差し指で以て柄に備え付けられた引き金を引く。

 ばぁんっ。すると銃声のような爆発音が轟き、弾かれたように小太刀が鞘より抜き放たれた。撤兵自身も独楽のように回り、もはや目視することも叶わぬ神速の一振りが母体のくびれを薙いだ。

 更にもう一度爆発音が響くと、今度は大の太刀が鞘から射出される。小で薙ぎ、そして大で割る。神速の二連撃。くびれを断たれた母体の左右の乳房が生き別れになった。

「――抜かば二天、振らば示現。二天一流、確かに継いだようだな。富士の倅よ」

 ならば。魅せよう。老人が吼える。

「この天城禅次郎、鬼為りて。今こそ救い無き魂、無縁衆生むえんしゅじょうを滅亡せしめんっ」

 “礼”、“仁”、“信”、“義”、“勇”、“知”。

 老人が唱えるそれぞれの言葉は言霊となり、紫炎を伴い宙を漂う。そしてその中心たる老人が独特の刀印を結び、九字ならぬ六字を切ると、その動きに連動するように燃え上がる六文字の言霊が彼の背後にそれぞれ――“知”を頭部。“勇”を胴体。“信”を右腕。“礼”を左腕。“仁”を右脚。“義”を左脚に人形に連なった。

 紫炎はそれぞれの言霊を繋げ、より明確に人の形を描いて燃え上がって行く。やがてその炎の中より現れ出でるものがあった。

「――あれが、鬼武者。その化身具足」

 それは長く鋭い一角を有した、赤い体躯の鬼。そう表現する他にない姿形をした偉丈夫であった。その鬼は鋭い牙を列べた顎を開き、雷鳴や炎の燃える轟々という音を雄叫びとして挙げる。

 それを聞いた母体らは狂乱ぶりが嘘のように大人しくなり、後退りすらを始めていた。

 その様子を見て老人こと天城禅次郎は片腹痛いと鼻を鳴らす。

「とくと見よ。これが――“鬼装填鎧きそうてんがい”」

 禅次郎の呼ぶ声に応と応えるように鬼が再び吼える。その姿形を創る六つの言霊の輝きが強さを増すと、鬼の姿は次第に硬い質感を備え始め変形。やがて鎧甲冑の様相を成した。これを“化身具足”と呼ぶ。

 そしてその化身具足はそれぞれの言霊を各部位に備え、それの導きにより展開。刀印を解き、手足を大の字に広げた禅次郎にまるで噛み付くかのように纏わり付くと、その身を包み再び鎧甲冑としての様相を取り戻した。

 それまで生気を持たず沈んでいた鬼の形相のそのぎょろりとした眼に生気が、輝きが灯ると共にそれは禅次郎の嗄声で雄叫びを挙げると名残惜しげに燃えていた紫炎を吹き飛ばす。

「鬼武者、禅次郎。またの名を啼かぬ赤鬼、“赤鉄”。推参っ」

 一角を携え、牙と爪を備えた、それはただの鎧武者に非ず。

 それはその名の通り、鬼武者。鬼の威を纏う、鬼人。鬼そのものである。

 禅次郎改め赤鉄は、牙を剥き歯を食い縛った鬼面を怖じける母体らのその影に隠れる落胤へと向け、炎の揺れるその瞳でそれを射貫く。

 そして今まさに飛び掛からんとする獣が如く、姿勢を低くした赤鉄。屈めた膝、両脚の具足はしかし具足にあってらしくなく、まるでそれが肉のようであるかのように膨れ上がった。

「いざ尋常に――参る」

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