第2話
禍宴の中、母体を抜け出した落胤の捜索は難航した。
落胤は小さく、暴れ回る無縁衆生たちの処理を行いながらでは補足できない。
警察や“いろは組”までも総動員した大捕物であったが、やはり無縁衆生がそこに居るとなれば先の二つでは手に負えず、必ず兵士たちの到着を待ってからでなくては探索は捗らない。
そんな中で、個人的な追跡を始めた撤兵だけは先程から数回ほど落胤の尻尾を見掛けていた。その都度無縁衆生の邪魔が入り落胤には逃げられていたが、確実に彼はそれに迫りつつあった。
何故か、それは彼に協力する警察でもいろは組でも、もちろん兵士の元締めたる軍部でもない“協力者”が居るからである。
「あ゛あ゛ぁ~、いいぞいいぞ。近付いてるな。んぐっ、っはぁ~――ん゛ん゛っ、ん゛ふんっ。そこっ、そこの路地に入れっ」
その声を耳元で聞く撤兵は不快そうに顔をしかめる。まるで通信機を通じて酒の匂いがヘルメットの内部に充ちるような気がしたからであった。
酒焼けした声はそれは酷いものであった。妙齢の麗人が放つ声とは、それだけを聞いたならば誰もが思いもしないことであろうほどに。
しかし頼りになるのはその声の他に無く、撤兵はスーツがもたらす驚異的な速力で街を駆け、無縁衆生を駆け抜け様に切り伏せて行く。
無視をしろと声は言ったが、それだけは出来ないと撤兵も譲らなかった。「馬鹿に付ける薬は無いと言うな」 かしゃっという、恐らくは安酒を開封する音であろう。それを響かせながらその声は言った。
「――ついたぞ」
両脚を止め、ソールより突出した杭を地面へと突き立てると共に体を傾け片手のその指先をも地面へと噛ませては、ごりごりとアスファルトの床を削りながら撤兵は速度を落として行く。
そして十分に速度が落ち、残る勢いを利用して傾けた体を起こしては撤兵は指定された路地の先を見詰めた。
「帝都タワービル。あそこに」
撤兵が訊くと、声の主は「げぇぷっ、お゛ほんっ。そそ。あの中か、多分屋上だろうな。馬鹿と何とかは高いところが好きと言うな」 と言いつつ、再びかしゃっという軽快な音を通信に響かせた。
「動いていないのか」 更に撤兵が訊ねる。「動いてない。なんでかな。不思議だなー」 声はそう発した後、ずびずびと狭い口から酒を啜る不快な音を撤兵の耳に届け、彼はやはり眉間にしわを寄せるのであった。そして「何故だ」 と問うと声は「馬鹿だな。不思議だなぁって言ったよな。それはつまり――げぷっ――つ、ま、り。分からないって意味だよな。普通に考えたら分かるよな」
その物言いに撤兵は鼻を鳴らすが、声は早くしないとまた動くかもしれないぞとまともなことを言うので、黙り撤兵はそびえ立つ帝都タワービルへと向けて駆け出した。
――路地を向けると帝都タワービルはもうすぐ目と鼻の先であり、正面入り口も眼前にまで迫っていた。
そしてその出入り口の扉はひしゃげ左右へと転がされており、明らかに何者かがそこに侵入したことを示していた。
撤兵もまたそこに飛び込もうと身を前のめりに、駆ける脚に更なる加速を与えようとしたときであった。
「むっ――」
帝都タワービル、破壊された正面出入り口の前へと落下する影があった。
それは四肢を振り乱し跳躍すると、走る撤兵へと飛び掛かる。撤兵は左の腰に装着されている浄化鞘へと手を伸ばすと、それに納められている大太刀の柄を握り締めた。
速度は緩めず、飛び掛かり遅い来る無縁衆生の影にも怖じけず、撤兵が取った行動は体を仰向けに寝かした状態での滑走であった。
がりがりとアーマーが地面と擦れ飛び散った大量の火花が闇を照らし出す。無縁衆生は姿勢が極端に低くなった撤兵の上方を飛び越えようとしていて、しかし撤兵はそれを逃すまいと鞘から太刀を引き抜いた。
浄化を済ませた刃は本来の切れ味を取り戻していた。一切の抵抗無く、刃は大の字を描く無縁衆生の体を股ぐらから頭部にかけて切り裂いた。
この際に撤兵は柄を握り締める右手の握力を調節し、手中から柄が滑るようにしていた。すると当然間合いが伸びて、刃は更に斬り進み無縁衆生は綺麗に真っ二つと相成るのであった。
雑魚かと通信の声が訊ねると、起き上がった撤兵は否と言葉を濁した。彼が見詰める先で地面に横たわるは元は一つであった二つ。彼の視界はカメラを介して通信している方にも届いており、そこからほほうという感心の溜め息が流れた。
「げぷ、ん゛っ――っはぁ、こりゃあ――ぅぷ――こりゃ、落胤の奴は随分と力を付けてるな」
「――母体、のみ」
そこに転がっていたのは先刻落胤がその身を埋めていた母体であった。しかし今回両断したそれの髪は茶色く短い。最初の一体は黒い長髪であったと撤兵は思い返す。
通信の声によれば落胤は女を無縁衆生として変質させ母体とし、自らの配下にし操っているらしい。たかだか落胤の揺り籠でしか無い母体であるが、有象無象の無縁衆生に比べれば強力だ。それを複数作り出せる此度の落胤はこれまでに無い力を持っていると警告を撤兵に告げる。
やがて土へと還って行くそれに向けて、血を払い剣を鞘に収めた撤兵は合掌をし黙祷する。哀れなり、と。
ただならぬ気配を感じ、帝都タワービルへと振り返る撤兵が見上げると、タワービルの一面ガラス張りの壁面、透けて見える向こう側で母体と思われる影が幾つも確認できた。彼の存在に気付き活性化したのであろう。がしゃんと音を立て、外に出てきた母体の幾つかがアリのように壁面を伝い降りてこようとしていた。
「――相手取るなよな」
声が告げる。見上げたままの撤兵は静かに右と左、それぞれの腕を交差させ腰に提げたる大小を納めし鞘へとその先の両手を掛けた。
声は以降口を利かず、撤兵は大小の柄を今まさに握り締めようとした。その時であった。
「抜くなよ、“
「チッス、ひとつよしなにヨロシクス」
彼の両脇へと駆け付けた二人の兵士。撤兵に代わりその二人が腰に提げるものを煌めかせると、先んじて駆けて行った。
呆気に取られていた撤兵であったが、はっと思い至り「呼んだのか」 と訊ねると「呼んだな」 と通信の声がまるで他人事のように言うのであった。
「さっさと落胤ぶった切って手柄挙げてこい。クビんなりたくなきゃあな」
声が言うが早いか、撤兵は駆け出していた。露を払う二人を抜けて彼は遂に帝都タワービルへと侵入する。目指すは最上階。向かうは一つだ。
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