第10話 それを平穏というべきか






 ふわりと、潮風にわが身を靡かせながら、港へと己を引き寄せる。同時に、並行して己を青空へと引き寄せながら、眼下の漁船をも引き寄せる。


 傍目から見れば、何とも異様な光景に映った事だろう。


 何せ、空を飛ぶ少女だけでなく、その下にある漁船も海面より少し上を浮上したまま、少女の位置に合わせて前に進んでいるのだ。


 それを事実のまま受け入れろと言われて、いったいどれだけの人が、眼前の光景をありのまま受け入れられるのだろうか。



 大概の人は、己が幻覚を見ているのだと疑うだろう……だが、違う。



 これは、紛れもない現実で。一切の道具を使用せず、魔法のように漁船を吊り上げている……俺は、三つの手応えに注意を払いながら……港へと向かっていた。



 ……どうして俺がこんなことをしているのかといえば、だ。



 一言でいえば、お手伝い、というやつだ。でも、強制されたものではない。


 時間を持て余した俺が、何か出来ないかとたまたま出くわした漁師たちに話を持ちかけ……こうなったというわけだ。


 当然、最初は『馬鹿を言っちゃあいけないよ』と笑って流された。


 けれども、俺が宇宙人という話はここら一帯に広まっていた。


 次いでに言えば、空を自由自在に飛び回る俺は、物体を引き寄せる不思議な力も持っているということも、知れ渡っていた。



 ……だから、漁師たちもそこは考えたのだろう。



 しばし迷いを見せた後、『ちょっと、見に来るか?』という提案を受けた俺は港へと向かい……そこで、集まっていた漁師たちの内の一人からこんな話が出た。



 ――魚を取った網を、引っ張ってくれたら燃費が良くなるんじゃないか……と。



 その提案に、漁師たちは一斉になるほどと唸り声を上げた。しかし、意味が分からない俺は首を傾げ……それを見て説明してくれた漁師の話を纏めれば……だ。



 ……どうも、漁船というのは兎にも角にも燃料代が馬鹿にならないらしい。



 考えてみれば、当然だろう。車だって、運転席に一人乗るだけなのと、荷物もぎっしり詰まった車。どちらがより燃費が悪いのか問われれば、間違いなく荷物満載の方だ。


 加えて、捉えた魚を詰め込んでも止まらずに走れる漁船ともなれば、馬力を相応に出せるエンジンが搭載されている。と、なれば、ただ動かすだけでも必要となる燃料も……必然的に、多くなる。


 漁師たちからすれば、この燃料代はどう頑張っても削減できないコストだ。だから、そのコストを削減できれば、それに掛かる経費が丸々浮く……というわけだ。


 その金額、だいたいひと月あたり……万円以上。そんなに安くなるのかと目を剥く俺以上に、真剣な面持ちとなった漁師たちはぽつりぽつりと話し合いを始め……5分も経たない内に結論は出された。



 ……物は試しだ、とにかくやってみよう。



 そんな一言で始まった、この『お手伝い』。最初は網だけを空から引っ張って燃費向上の手助けだけだったが、何回か繰り返すうちに慣れていき……何時しか、船ごと運ぶ今の状態になった……というわけであった。



(……そんなに怖がらなくても)



 ちらりと、視線を下ろす。漁船には、おっかなびっくりといった様子の船員が、操縦席の中に隠れるようにしてしがみ付いている。


 彼らとて、これが初めて(まあ、回数なら3回目だけど)ではない。しかし、怖い物は怖いのだろう……まあ、無理もない。


 俺自身は自分の事だから何の不安も無いが、彼らは受ける側なのだ。そのうえ、俺みたいに自由自在に外を飛び回れるわけではない。


 これで俺が巨大ロボットや巨大なヘリコプターだったら彼らも少しは安心しただろうが、俺の見た目が見た目だ。むしろ、怖がらない方が変なのかもしれない。


 そうして……港へと到着した俺は、無言のままに漁船へと目を向ける。船員たちが頷いたのを確認した俺は、指定された場所へと自分事漁船を誘導し、向きを変える。


 それから、大小様々な魚介類をたらふく抱え込んだ漁船を引き寄せる力を、徐々に緩めて行く。港にいた漁師たちが、「オーライ! オーライ!」と声を張り上げて誘導してくれる。


 その声を耳にしながら、高度を一定に保ち続けていた漁船は徐々にその身が下がり始め……ばちゃん、と音を立てて海面へと着地した。



「――今日も助かったよ、ありがとうよ!」

「また、良いやつを持って行くからな!」



 そう笑顔を向ける彼らに、俺は軽く頭を下げる。あくまでお手伝いなので、俺はココでお終いだ。


 というか、俺が出来るのは『引き寄せるこの能力を使って』、船を運ぶまで。それ以降は、いるだけ邪魔になるだけだ。



「この後、どうするんだ?」



 尋ねられた俺は……首を傾げる。やることはあるのだが、それは夜になってからの話だからだ。



「一郎のやつと、あかねちゃんが戻るまで暇か?」



 そう続けられた言葉にも、俺は首を傾げた。それは『暇だ』というわけではない。

 ただ、あの二人には少々懐かれていることを自覚したうえでの、返答であった。



 ……まあ、十歳以上年下とはいえ、だ。損得抜きで懐いてくれる年下というのは、くすぐったい反面、どうにも可愛く思えてしまう。



 多分、あの二人も薄々と俺が(アンノウンが)年上であるというのを察しているのだろう。


 見方を変えれば、年上のお姉さんに甘える少年少女……といった所だろうか。ここでは同年代の数なんて少ないだろうし、まあ、俺も嫌ではない。



 ――けれども、今はそれよりも、だ。



 大きく手を振る漁師たちに手を振り返しながら、俺は……己が身体を青空へと引き寄せ、音も無く大空へと向かった。



 ……風を切ることなく、青空の下へと一気に浮上する。



 車で上るのも大変な傾斜も、自由自在に空を飛び回る俺には関係ない。ふわりと木々の頭上を越えて、傾斜の頂上……小山の頭上にまで飛んだ俺は、そこで大きく息を吸って……吐いた。



 空から見下ろすその景色は、感無量としか言いようがない。



 駅や役所へと伸びる、身をくねらせる蛇のような道路。在る所は剣山のように、有る所はクッションのように、青々とした葉っぱを生い茂らせ、大きく枝を広げた木々たち。


 その向こうに見えるのは、俺がこの地にやってきた時に利用した電車の線路だ。


 現在の時刻は、既に朝一の電車が動いた後。都会よりも電車の本数が少ないから、電車が来る前後を除けば、駅前周辺はがらんとしている。それが、遠目にもよく分かる。


 一郎君とあかねちゃんは、既にいない。中学校が遠いから朝一の始発電車に乗るからだ。なので、俺は一人、こうしている。



 何気なく、電車から視線をずらせば、だ。



 この辺りでは唯一の漁業用の港(先ほど、俺がお手伝いしていた所)から出発する第二陣、漁船の群れ。びゅう、と吹き付けられる風によってエンジン音は聞こえないが、徐々に離れて行くのが見える。


 そこからまた視線をずらせば、ちらほらと畑が見える。その合間に、これまた、ちらほらと見受けられる農作業に従事する人々……潮風が来るであろうこの場所でどんな作物が……まあ、いい。


 俺は、そこからさらに上へと飛ぶ。ぐんぐんと、瞬く間に俺の身体は青空の向こうへと舞う。吹きつけられる風が、はっきり分かるぐらいに強まったが、平気だ。


 今の俺の身体には、何の異常も見られない。この身体(アンノウンの)は、熱さだけでなく寒さにも強いようで……風が冷たくなってきたというのは分かるが、それだけであった。



 不思議な事に……いや、今更か。呼吸も、地上と何ら変わらない。



 というか、この高度まで飛ぶようになってから気付いたのだが、どうやら呼吸も必要ないらしい。


 つくづくデタラメな身体だと……蟻のように小さくなった地上の建築物を見て、俺は苦笑し……もう一つ、上へ。



 そうして、距離にして……三千メートルを超えただろうか。



 さすがに、この高さになると俺の視線を遮る物体はほとんど無くなる。はるか彼方に見える大きな山の先は見えないが……我ながら、相当な高さまで来たのが分かる。


 夜でも構わず飛び回れるが、やはり、青空の下は格別だ。いや、この場合は青空の下というより、青空の中……まあ、それもいい。


 そんな言葉遊びなどどうでも良くなるぐらいに、この景色が素晴らしいモノであるのは事実であって。ただ、眺めているだけで……俺は時を忘れるぐらいに夢中になれた。



『――竜司、何を考えている?』



 しばし、ぼんやりしていると……アンノウンが話しかけてきた。そっと胸に手を宛がえば、ほわっ、と熱が生まれた。



(……何も、考えてないよ)

『嘘を付け。私には、分かるのだぞ』

(嘘なんてついていないさ。色々有り過ぎて、自分でも何を考えているのかが分からないんだよ)



 素直に頭の中で返事をすれば、アンノウンは納得しているのか、していないのか……いや、これはしてないか。とにかく、不満ながらもそれで納得した素振りを見せた。



 ……第三者から見れば、俺は一言も声を発していない。



 そう、俺は、この場では一度として声を発していない。そう、気付けば俺は、声に出さなくともアンノウンと対話が出来るようになっていた。


 キッカケが何なのかは、分からない。もしかしたら、長く融合し続けているこの状況なのかもしれないが、何時からそれが出来るようになったのかも分からない。


 ただ、気付いた時にはもう、俺はそれが出来ていた。出来ていたと俺が気付いた時にはもう、ごく当たり前のこととして俺は事実を受け入れていた。


 ……気付いた当時、少々驚きはした。だが、そこまで驚きはしなかった。


 だって、声に出さなくて会話が出来るようになっただけだから。むしろ、周囲に目を配らなくてもアンノウンと話が出来ることが、俺は嬉しかった。



(――で、まだお前は、浜田のやつが気になるのか?)



 つらつらと思い返した後、俺はあえて別の話題を……というより、ここに滞在する理由となっている話を持ち出した。



『気になっている。理由は分からないが、私はあの男に並々ならぬ興味という感情を抱いている』



 すると、アンノウンは今しがたの話など興味が失せたかのように、スパッと切り替えた。(――それは、前と変わらず?)続けて尋ねれば、もちろんだ、という返事がされた。


 それはつまり、滞在期間が再び延長されたということ。と、同時に、連続融合時間をさらに更新するというわけであり……知らず知らずのうちに、俺はため息を吐いた。



 ……別に、融合している今の状態が嫌になったわけではない。



 むしろ、逆だ。見た目のおかげか、ここの人達は俺に良くしてくれている。今までそういう経験が無かった俺にとって、それらは実に心地良く、安らいだ気持ちを覚えた。


 だがしかし、それが有ったとしても……さすがに一ヵ月も自宅を離れることになるとは……一ヵ月前の俺は、思わなかった。



 ……。


 ……。


 …………そう、そうである。旅館に滞在して、早一ヵ月。俺がこの地にやってから、あっという間に一ヵ月の月日が流れていた。



 どうしてそんなに長く滞在する事になっているのかといえば、それはアンノウンから『もう少し滞在したい』というお願いが出たからだった。


 何故、アンノウンは滞在したいと思ったのか……それは、一ヵ月前にここにやってきた(というか、この場合は戻ってきたの方が正しい)、浜田透が理由であった。



 ――浜田透(はまだ・とおる)。その人物について、俺が知っていることはそう多くはない。



 同じ会社にて派遣社員として働いていた時の同期であり、個人的な交流は無い。顔を合わせた時に挨拶ぐらいはするが、それだけ……なのだが。



(……精神病を発症しているのだろうか?)



 それでも、以前とはあまりに様子が異なっているのは分かった。というか、知らなくてもアレが普通の状態でないのは一目で分かった。


 何せ、聞いた話では、まともに意思疎通が出来ないようなのだ。


 地元の友人が話しかけても、家族が話しかけても、全く返事をしないのだ。○○をしろといった感じの命令なら少しは動いてくれるようだが、基本的には何もしない。



 ――いったい、何があったのか。こんな状態で、どうやって戻って来られたのか。



 誰も彼もが分からないまま、会話が一切出来なくなっている浜田は現在、実家のかつての自室にて、何をするでもなく一日中ボーっとしている……らしい。



 ――その浜田を、アンノウンは気になると話した。



 とても興味が引かれると口にし、滞在の延長を申し出たのが今から一ヵ月前。つまり、あの日の夜、人だかりの中心にて俺が浜田を目にした、その瞬間から。



 ……正直、アンノウンの考えていることが読めない。



 いや、まあ、元から分かりはしてないのだが、それは世間知らずな部分が原因だ。しかし、今回ばかりはそこではなく、根本的に分からないのだ。


 浜田透の何がそこまでアンノウンの気を引き付けるのか。当初の予定を変更してまで何を確かめようとしているのか……俺には、さっぱり見当も付かなかった。



(――とはいえ、アンノウン。俺はいったい何時まで此処に居ればいいんだ?)

『出来る限り長く、ここに留まって欲しい』

(元々は、俺のストレスとやらを解消するための旅行……だったんじゃないのか?)

『……その事については謝る。だが、どうしても気になるのだ……理由は分からない。どうしても、どうしても……』

(あー、分かったよ。お前には色々と良くして貰っているし、出来る限りは付き合うよ。だが、限度はあるからな)

『――ありがとう、竜司』



 ほわっ、と。温かみが増す胸の熱を撫でた俺は、苦笑した。


 色々と考えなければならないことはあるが、ある意味、現時点で俺が最も気にしているのは、そこであった。


 この場所の気風というか風土が、俺の性根には合っているのだろう。だから、滞在する事自体は嫌ではない。



 だが、このままずっと……というわけにもいかない。



 ……正直な所、他人の私生活を覗き見しているみたいで、気は引ける。出来る事なら、こんなことはさっさと終わらせて欲しいというのが俺の本音だ。


 だが、当のアンノウンに気になる理由を尋ねても、『気になるから、気になるのだ』という返事しか来ない。だから、俺なりに色々と考えて浜田の様子をこっそり見に行ったりはした。



 だが、どの時間に行っても、浜田の様子に変化はない。



 ボーっとしていて、動きがない。まるで、心を抜き取られてしまったかのようだ。


 何時も自室の中央にて座り込んでいるだけで、窓の外から声を掛けて見たりはしたが、今の所は何の進展も見られない。



(幸いにも、浜田の部屋が二階だったから窓の外から声を掛けるぐらいは出来たが……それ以上となると、余所者の俺が尋ねるのも変だしなあ……)



 そもそも、声を掛けること事態、あくまで、この場所における俺の立ち位置が『何を考えているかよく分からない、女の子の姿をした不思議な宇宙人』という扱いだから見逃されているだけだ。


 たった一か月間だけとはいえ、せっかく友好的な関係を築けて来たのだ。ここで不信を招いて……となったら、目も当てられない。



 ――せめて、アンノウンが何を気にしているさえ分かれば良いんだがなあ。



 そう思いながら、ため息を吐いた俺は、かくん、と高度を下げる。



 ――何が気になっているのかは知らないが、何事も起こらなければいいんだがな。



 徐々に近づいてくる地表に目を細めながら……俺は夜が来るのを待った。


 理由は、特にない。


 ただ、これまで何度か昼間に見に行ったから、今度は夜にしようという程度の話であった。







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