第9話 果たして、それは真似ているというのか




 ……目が覚めた俺は最初、自分が何処で目が覚めたのかが分からなかった。





 まず、景色というか内装が違う。そのうえ、身体を預けている寝具の具合も違うし、何より……こう、横たえた己の感覚が違う。


 まるで、羽のように軽いのだ。それでいて、何と言い表せばいいのか……とにかく、スッキリしている。


 眠気はばっちりあるのだが、それですら心地良いと思えるほどに、健やかな気持ちになれている……何だか、不思議な気分だった。


 そうして、眠気と戦いながらぼんやりと身体を起こした俺が……ようやく己の状況を思い出したのは、それからしばらくしてのことであった。



(あー、そういえば旅行に来ていたんだったな……)



 大きな欠伸を、一つ。次いで、掛布団を退かす……途端、反動で身体がふわりと浮いた。何時もならすぐに身体を引き寄せるところだが、眠気が残る俺はそのままふわふわと空中を漂う。


 窓の外へ目を向ければ……まだ、薄暗い。


 けれども、くん、と鼻を鳴らせば……味噌汁の匂いがする。こんな早くから朝食の用意を始めているんだなと思っていると、ふと、廊下を歩く幾人かの足音を俺の耳が捉える。


 数と大きさからして……確か、昨日見掛けた男性たちの団体客だ。全員が70超えで、たまたま廊下に出ている所を見かけただけだが……その足音が、階段を下りていく。


 食事は各部屋にて取るので、食事を取る為に全員が一斉に降りたのではないだろう。入浴も……定められた時間以外は清掃と換気を行うとかで、使用不可のはず。

 それだったら、帰るのだろうか?



 いや、しかし、こんな時間に?



 始発で帰るにしても、いくら何でも早すぎるような気がする。


 そんなふうに、つらつらと、様々な疑問が脳裏に浮かぶ。だが、浮かぶだけで気力が出てこない。欠伸を零した俺の身体は……ふわふわと、布団の上に落ちるだけ。


 ……意識がはっきりしないせいだろうか。まるで、水中の中を漂っている気分だ。嫌な気分ではないが、どうにも……考えが纏まらない。


 けれども……そのまましばらく黙っていると、自然に眠気が取れてくる。


 どうやら、アンノウンの身体は二度寝しない性質のようだ。眠気は残るが二度寝する程ではない程度に目が覚めた俺は、ぽん、と布団を叩いて……立ち上がった。


 それから、アンノウンを呼んでみる……が、反応が無い。何度か呼んでみるが、結果は同じ。


 もしかしたら……寝ているのだろうか。つまり、睡眠という刺激に浸っているのかもしれない。


 二言目には刺激が刺激がと喧しいやつだが、静かになるとそれはそれで……こう、味気ない気持ちになる。まあ、そのうち勝手に目が覚めるだろう。



 ……とりあえず、テレビを付けて見る。



 でも、正直つまらない。元々、テレビは見ないし、都会のニュースを見せられた所で何の意味があるのか……テレビを消した俺は、がりがりと頭を掻いた。


 ……そうして、ふと。俺の視線が、というか、興味が、階段を下りて行った団体へと向いて……そのまま、廊下に出る。


 静まり返った廊下は既に、人の気配はない。しかし、耳を澄ませれば、階段下の方から談笑する男たちの声や、昨日耳にしていた従業員(女)の声が聞こえて来る。



 ……何処かへ出かけるのだろうか?



 気になって上から顔だけを覗かせて見れば……うむ、見えない。いや、階段下は見えるのだが、肝心の、その先が見えない。声は、その見えない先から聞こえて来るのに。


 話しかけに行こうか……いやいや、それは無理だ。初対面の相手に話しかけるほど、俺は社交的ではない。



 ……覗きに行って……見つかるのも、気まずい。



 何せ、その声の中には……だ。おそらく、昨日の少年の声が混じっている。恥ずかしいというわけではないのだが、何というか……無駄に気を使ってしまう自分が、容易に想像出来てしまう。



 でも、正直気になる……よし。



 トン、と。階段上部の壁に張り付く形で逆さになった俺は、グイッと首から上を伸ばす。


 逆さになった視界に映ったのは、声から察していた通り、宿泊客たちと従業員(女)であった。よく見れば、昨日風呂場で出くわした少年も混じっていた。



(……釣りにでも、行くのか?)



 会話と恰好(というか、釣竿を持っていた)から察するに、朝釣り(いや、夜釣りと言うのか?)に行くのだろう。



 ……そういえば、ここの客のほとんどは釣り目的だったな。



 ようやく合点がいった俺だが、はて、どうしたものか。昨夜は『釣り初体験』といこうかなと思ってはいたが、他の客のあまりに本格的な恰好(装備)を見て……気後れしてしまう。


 よくよく考えてみたら、釣り目的で来る客ばかりなこの場所に、釣り具屋なんてあるのだろうか……いや、まあ、有るには有るだろうけれども……おっ。



 ――そういえば、昨日聞いたんだけど、宇宙人の女の子が泊まっているんだって?



 澄ませていた俺の耳が盗み聞いたのは、俺の事に関してであった。



 ――何でいきなりあんなことを言いだしたんだ? そりゃあ、あの爺さんがSF好きってのは知っていたけど……わざわざ改めて言い出すなんて、初めてだぞ。

 ――俺はてっきり、酒に酔っているかと思っていたんだけど……どうしたんだ? 素面だったし、もしかして、とうとうボケたんか?

 ――それがね、嘘じゃないの。本当に、あの子は宇宙人みたいなのよ。

 ――爺さんもそう言っていたけど、あんたまで同じことを言うのか?

 ――だってあの子、浮いたり飛んだり、普通じゃないの。見た目も、何て言えばいいのか……お客さんたちも、一目見たら分かるわよ。

 ――宇宙人何て、いるわけないだろ。俺たちをからかっているんか?

 ――違いますよ。本当に、あの子は……その、宇宙人なんだと思いますよ。



「……、――っ!?」



 どうしたものかとグチグチ悩んでいると、振り返った少年の視線が……俺を捉えた。瞬間、少年はビクッと肩を震わせた。


 そんな少年の反応に気づいた他の人達も、視線を追いかけ……俺に気づき、一様に肩を震わせた。


 ああ、見つかってしまった……そう思っていると、「お、おはようございます……」最初に我に返った従業員(女)の一人が話しかけてきた。



「……おはよう」

「あ――は、話せたのね」


 ――いや、話せるよ。



 そう言い掛けた俺だが、あえて何も言わなかった。というか、思い返してみたら昨日は(ボロを出したくなかったとはいえ)無口に徹していたから、誤解を招いても仕方がない。


 それに……さすがに、滞在中ずっと無口(要は、会話が通じない状態)でいるのは俺もキツイし、いらぬ警戒心を与えかねない。


 とりあえず、いきなり流暢に話しかけるのも……と思った俺は、「……何処へ、行く?」少し言葉を学習したよという感じで話しかけてみた。



「あ、え、えっと、お客さんたちは釣りに行くんだよ。俺は、そこまでの荷物持ちと準備とか……色々」

「つ、り?」

「魚とかを釣竿で……えっと、分かるのかな。こう、釣竿っていう棒で、泳いでいる魚を針で引っ掛けて捕まえるんだ。それを、釣りっていうんだけど……分かる?」

「……分かる」



 ……我ながら、意外と演技の才能があったのかもしれない。



 思いの外あっさり無知な宇宙人と思って騙されてくれた少年が、細かく説明してくれた。



 ……こういう時、やはり子供の方が、脳とか考え方とか、色々柔軟なのだろう。



 身振り手振りで説明する少年を他所に、傍の客人(推定平均年齢70以上)は誰一人口を挟めず、何処となく困惑した様子で俺と少年とを交互に見やっている。



 まあ……無理もない。



 ちらりと、客人の恰好を改めて見やる。真新しい部分もあるが、どれもこれもに年期を感じる。素人目から見ても、レンタルではなく自前であるのが伺える。



 ……釣り道具一式のレンタルって、ここらにはないのだろうか。



 さて、それをどう尋ねるべきか……そう思って見つめていると、「……あー、お嬢ちゃん、もしかして釣りをやりたいんか?」客人の一人(帽子を被っている)がそう話しかけてきた。



 ――ぶっちゃけ、やってみたい。



 だから、レンタル屋を教えてくれよと俺は頷く。すると、帽子を被った客人は、連れの人達に目配せし、全員が頷いたのを確認した後。「それじゃあ、俺たちんとこ、くっか?」そう、提案してくれた。



 ……そう来るとは、思っていなかった。



 いや、訂正しよう。もしかしたらそうなるかもとは思ったが、思った通りになるとは思わなかった。正直、誰かに誘われる経験がほとんど無かったから、余計に。



 どうすればいいのか……迷っていると、また、少年と目が合った。



 途端、「俺が教えるから!」少年がいきなり声を張り上げた。頬が、ほんのり赤い。


 こいつ、昨日の事を思い出しているなと思ったが、「――おう、それがええ!」他の客人も賛同した辺り……もう、断れる雰囲気ではなくなった。



『竜司、これは中々の刺激になりそうだな!』



 加えて、アンノウンまで行くのが当然と遠まわしに宣言し始め……俺は、頷くしかなかった。



(子供に教わるのは恥ずかしいが、せっかくの機会だ……お言葉に甘えようか)



 とはいえ、嫌だというわけではない。結局は己のプライドの問題だと恥じた俺は、するりと張り付いていた壁から降りて、「――ちょ!? あのっ!?」少年の前へと――何だ、どうした?



 驚かせないよう、ゆっくり着地したつもりだったが、少年は飛び退くようにして俺に背を向けてしまった。


 こいつ……やはり、昨日の事を思い出しているようだ。


 まあ、年齢的に興味津々な年頃であるから仕方がない。そう思って少年から視線を外すと……何故か困った様子で俺を見やるその他の人々と目が合った。



 ……とはいえ、何だその反応は?



 意味が分からずに首を傾げると、「あの、ね……昨日、着ていた服はどうしたの?」唯一の女性である従業員さんが、代表するかのように俺に尋ねて……ん?



(着ていた……服、だと?)



 視線を己の身体に向けた俺は、一瞬ばかり……いや、待て、これはどういうことだ。指摘される今の今まで、全く気付かなかったぞ。


 いくら寝ぼけていたからって……いや、これはもしかして……コンロで炙られても平気なこの身体は、そういう皮膚感覚が疎い……のか?



 ――アンノウンに問い質したい気持ちになったが、俺はそれをしなかった。



 尋ねたところで、そういうものだ、としか答えてくれなさそうだし。ひとまず俺は無言のままに例の服(病院服風、アレ)を生成して身に纏った。


 ……そうして黙っていると、「……ね、言った通りでしょ」従業員がポツリと呟き、客人たちは一斉に頷いた。言い返したかったが、俺は何も言えなかった。



「……本当に宇宙人なんかも知らんが、年頃の坊主にゃあ、ちょいと刺激が強い子だな」



 ――いや、これは不可抗力ってやつなんですよ。



 そうも言ってやりたかったが……俺は、黙って客人の評価を受け入れるしかないのだった。







 ……。


 ……。


 ……そうして、時刻は夕方。旅館の一室……というか、旅館には、旅館の人達だけでなく、近隣住民の人達まで集まっていた。



 どうしてなのかといえば、答えは一つ。



 それは、釣りに同行した俺の成果が大量過ぎて……旅館の人達を含めた全員が総出で食べても大量に余らしてしまうからで。


 捨てるぐらいならと旅館の人達(もちろん、客人たちの了承を得たうえで)が近隣の人達に声を掛けたから……という経緯があったからだった。



 ……素人の俺が、いったいどうやってそんな大物を?



 やってみて初めて分かった事なのだが、釣りというのは実に奥が深い。ただ、釣竿を垂らしていれば釣れるなんていうわけでもないのは、今日一日でよく分かった。


 事情を知らない者からすれば、いったいどんな手品を使ったのかと、当然の疑問が脳裏を過るだろう。俺が第三者の立場だったなら、同じことを思う。


 ……まあ、何をやったかと言えば、魚を手元に引き寄せてから網で掬い取っただけで……マグロに至っては素手で掴んで岸まで持って行っただけである。



(すっかり忘れていたけど、そういえばこの身体になった初日に、素手でテーブルを軽々ぶっ壊せたんだよなあ……ほんと、自分でも驚きだ)



 さすがにマグロを片手に飛行するのはバランスが崩れて些か大変だったが、慣れれば意外と平気だった。


 それよりも、最初から最後まで呆気に取られている彼らの顔の方が万倍も面白くて……止めよう。



 ――そんなわけで、だ。



 今回の功労者である俺は『一番上等な席(という名の、分厚い座布団)』に腰を下ろして、だ。


 思い思いに集まって談笑する、見慣れぬ地元の人たちの気配に耳を傾けながら……ぼんやりと、並べられていく眼前の料理を眺めているわけであった。



 ……実際に入るまで俺は知らなかったが、どうやらこの旅館には一人用の『鈴の間』が二つと、客人たちが泊まっている『亀の間』の三つしか部屋がないようだ。



 『亀の間』の広さは、『鈴の間』の4倍近くある。いちおう、男女のペアで分けて泊まれるようにという話らしいのだが、今のところはそのような使われ方は一度としてないらしい。


 そうして、今……俺の眼前にあるのは、テーブルを二つ重ねて用意された即席の巨大テーブル。その上には様々な食器や、カセットコンロが置かれている。


 一目で、大人数で食事をするのだというのが分かる。そして、既に所狭しと乗せられているのは……魚料理の数々であった。


 焼き魚であったり、刺身であったり、煮付けであったり、メインが魚であることは同じなのだが、その食材が鯛であったりマグロであったり、名の知らぬ魚であったり。


 高級な食材が使用された豪華な夕食である事実は変わりなく、今の俺(つまり、融合したアンノウンの姿)でなかったら盛大に腹を鳴らしていただろう光景であった……と。



『――竜司、見られているぞ』



 曰く、ワクワクしているお前の刺激に浸ると言って沈黙していたアンノウンが、唐突に話しかけてきた。


 振り返ってみれば、廊下の向こう……階段に身を潜め、縁からこちらを覗いている少女と目が合った。


 少女は黒髪セミロングの、垢抜けない顔立ちをしている。「――っ!」目が合った事で観念したのか、恐る恐るといった様子で階段を登って来た少女は……そうして、俺の前に来た。



 ……言うなれば、田舎の少女、といった感じだろうか。



 美人というよりは、健康的で可愛げのある雰囲気を纏っていた。年齢は……あの少年に近しいように見える。


 ……ちなみに、あの少年の名は『清水一郎(しみず・いちろう)』である。漁船に乗る際に自己紹介されたのだが……まあ、それは今はいい。


 今は、少女の事だ。いったいどうしたのかと見上げていると、少女はしばし視線をさ迷わせた後……意を決した様子で、こう言った。



「あの、貴女って、本当に宇宙人なの?」

「……そう」



 またか、と思いつつ、頷く。「――やだ、本当に!?」途端、少女は自分から確信を持って尋ねて来たにも関わらず、白々しく歓声を上げた。



 ……見知らぬ少女(おそらく、この近くの子なのだろう)にすら知られている辺り、本当に田舎というやつはこの手の伝達速度が速い。


 最初は半信半疑だったのだろうが、ここに来るまでに色んな人から俺について話を聞いたのだろう。その目には、不審の色は欠片もなかった。



 ……いよいよ、宇宙人というこのキャラを脱げなくなってきたな……とりあえず、帰るまでは宇宙人として振る舞い、キャラに徹しよう。



「――私、秋坂あかね。中学2年よ――貴女の名前は?」



 そう思った俺を他所に、少女はさっと自己紹介を済ませると、俺の隣に座った。



「ねえ、名前は?」



 ずいぶんと距離感の近い子だなと思ったが、俺は尋ねられるがまま答えた。



「……アンノウン」

「アンノウン……っていう名前なの?」



 頷けば、また少女……いや、あかねちゃんは歓声を上げた。



「ねえ、ねえ、宇宙の何処から来たの? 宇宙船とか、あるの!?」

「……遠く、船はない」

「じゃあ、そのままで来たの? ねえ、何しに此処へ? 侵略とか?」

「……観光。侵略は、しない」



 次々に質問を重ねてくるのを、俺は一つ一つ答えていく。まあ、答えるといってもそれっぽい事を言うだけなのだが……あかねちゃんは、それら一つ一つにいちいち目を瞬かせていた……と。



「――ほら、あかねちゃん! 料理が出来たから、ちょっとそこを退いて!」



 最後の料理が運ばれてきた。大きな土鍋のそれがコンロに続々と置かれ、火が灯る。合わせて、続々と室内に入って来たのは客人と……近隣住人の人達であった。


 老若男女の区別なく、次々に席が埋まって行く。全体的に若年層の数が少ないのは……まあ、仕方ない。


 そうして、あっという間に数十人近い人たち(部屋に入れないのは、廊下で食べるのだとか)が収まった室内は……何といえばいいのか、蒸し暑さすら伴っていた。



 ――乾杯!



 黙っていると、あれよあれよという間に始まったお食事会。


 ノリが良いというやつか、それともそういう旅館であるからなのかはさておき、誰もが(客人も含めて)気に留めた様子もなく、これまた思い思いに料理に手を付け始めた。目の前に並べられた料理は、どれも美味しそうだ。



「…………」



 その中で、俺一人だけ……どうしたらいいのか分からず、黙って周囲の人達を見やるしか出来なかった。



(他の人を押し退けて料理を取る……のは、何か失礼だし……)



 どう言い表せばいいのか……そう、どのタイミングで料理に箸を伸ばせば良いのかが分からなかった。


 今まで、俺は大勢で一つの料理(鍋に限らず)に手を伸ばした経験が無い。だから、何が駄目で、何が許されるのか、どうすればいいのかが分からない。


 同じ鍋を個人の箸で突くとか、そういう意味では特に気にはならない。よほど不潔な振る舞いをしていない限りの前提はあるが、少なくとも……この場に、それを感じる相手はいない。



(子供だって、気兼ねなく箸を伸ばしているけど……)



 チラリと横目で見やれば、箸を伸ばしていないので、(おそらくは)親側を除けば……俺ぐらいだ。だいたいの人が、遠慮なく箸を伸ばしている。



『――どうして、食べないのだ?』



 ぼんやりしていると、焦れたのかアンノウンが話しかけてきた。俺は、無言のままに片手を胸の上に宛がった。



『何を気にしているのか知らないけれど、今のお前ならそう気に病む必要はないと思うぞ』


 ……ん?


『何故なら、お前はその為に、その姿になったからだ』


 ……アンノウン、それってどういう意味だ?





 何か今、聞き捨てならない事を――。



「――こっち向いて!」



 ――と、問い掛けようと思った直後。



 横合いから突然、話しかけられた。反射的にそちらを見やった俺は、同時に、光が視界に煌めいた。


 思わず目を瞬かせた俺の眼前には、スマホを手にした子供……少年が、「わあ、すっげぇ!」驚きに目を見開いていた。



「――お姉ちゃん、写真に写らねえ! すっげえ、本当に宇宙人だ!」



 呆気に取られている俺を他所に、少年のテンションは瞬く間にヒートアップして……いや、もうしていた。


 見て見て、と。傍に居た人に、俺の姿が映し出されているであろうスマホの画面を見せている。


 何が映っているのかは知らないが、普通ではないのだろう。何せ、画面を見せられた誰もが驚きに目を瞬かせ、俺と画面を交互に見やるからだ。



 ……しかし、そこまで驚きを露わにする辺り、いったい何が映っているのだろうか。



 我が事ながら不安を覚えていると、「ほら、お姉ちゃんも見て!」少年が俺の所へ戻ってきた。そうして、画面を見せられた俺は……思わず、軽く目を見開いた。



 ――何故なら、画面に映し出されていたのは、『人の形をした白い靄』であったからだ。



 その姿には、はっきりと見覚えがある。最初の夜……アンノウンが今の姿(少女)になる前に、俺に見せていた姿であった。



 ……どうしてだ?



 思わず、俺は少年の手からスマホを掠め取る。「あっ!」驚きに目を見開く少年を他所に、俺は改めて画面を見やり……そっと、画面を指差した。



「こう、見えているのか?」

「え、僕にはそうは見えないけど……ねえ、スマホ返してよ」



 言われて、スマホを返した……直後。



「お姉ちゃんは、ちょーのうりょくって出来るの?」



 いきなり、話題が変わった。画面越しにはこう映るのかと思考を巡らせようとしていた俺は、思わず目を見開いた。


 けれども、少年は構わず「ねえねえ、宇宙人って、ちょーのうりょくってやつ、出来るの?」話を進めてきた。



 ……子供特有の、この距離感の詰め方は……本当に凄いな。



 目を瞬かせるしかない俺を他所に、今の俺よりも幾らか幼い顔立ちの少年は、興味津々な様子で座っている俺を見下ろした。


 視界の端で、母親らしき人物が慌てた様子で腰を上げたのが見えたが……ふむ。


 子供と接した覚えはないが、今の俺の見た目は子供にとっては警戒心を解き解すのだろう。「ねえねえ、どうなの?」子供特有の遠慮なき質問に、俺は……無言のままにコップを両手で持つと、その手を……ゆっくり、離した。



 途端――その子は目をまん丸に見開いた。



 何故なら、俺の両手から離れたコップは床に落ちることなく、その場に静止しているからだ。まるで、見えない何かで固定されているその様は……その子の好奇心を刺激するには十分過ぎたようであった。


 わあ、と驚きに溜息を零したその子は、コップの周囲にぐるりと手を入れる。たぶん、糸か何かで固定していると思ったのだろう。



 ……しかし、当然ながらそんなものは無い。



 何故なら、俺は両手を使って、コップを両方向から引き寄せているだけだから。


 出来るかなと思ってやってみたら、意外とあっさり出来た。これが、超能力に分類されるのかは分からないが、実質、超能力みたいなものだから、コレが答えである。


 そんな事など知る由もないその子は、何一つ指先に掠らないので、今度はコップを掴む……が、動かない。


 驚いたその子はまた目を見開くと、腰を入れて引っ張った……が、ビクともしない。傍目からは、この子がパントマイムをしているかのように見えただろう……と。



「――こら、何やってんの」



 ようやく子供の下へ来た母親が、有無を言わさずに子供を抱え上げた。(抱き上げるには大きいのに、すげえな……)しかし、感心している俺を他所に、子供は不満そうであった。


 まあ、子供にとっては『これからが良い所』なのだろう。何となくではあるが、内心を察せられた。



「――食べないの?」



 連行されて行く子供を見送っていると、いつの間にか、遠くの席にいたはずのあかねちゃんが傍にいた。「もしかして、魚介類は苦手?」心配そうに尋ねられたが、俺にとっては結果的に良かった。


 何故なら、箸を伸ばす理由が出来たからだ。俺は……己の椀に急いで入れ、次いで、頬張った。昨日とは少し違う、淡い味付け。



 ……美味い。普通に、美味い。



 昨日食べた料理は余所向けという感じだったが、今回はどちらかといえば……家庭向けという感じだろうか。


 どちらも美味いのは変わりないが、何だろうか……どうしてか、こちらの方が美味く思えてならなかった……ん?


 視線を感じたそちらを見やれば、ほぼ同時に、俺を見ていた様子の少年……いや、一郎君が顔を逸らした。次いで、何処となくわざとらしく白米を掻き込み始めた。



 …………?



 いったい、何だろうか。たまたまこちらを見ていたにしては、反応が不自然過ぎる。かといって、こちらから話を振る程、互いに仲良くなったわけでは……。



「――一郎と仲良くなったの?」



 ……すると、またもや、あかねちゃんが気付いて話しかけてくれた。


 だが、先ほどとは少し違う。何処となく低くなった声色に、何処となく険しくなったように思える表情。不機嫌、というわけではないが……いきなり何だ?



「さっきも、一郎が見ていたけど、何か有ったの?」



 どう反応すれば分からない俺に業を煮やしたのか、あかねちゃんはさらに言葉を続ける。いや、何か有ったって、そんなのあるわけが……あっ。



(もしかして……昨日の風呂のアレか?)



 え、マジで、まだ気にしてんの? もうすぐ丸一日経とうとしているのに?



 思わず……思わず、俺は頭を掻いた。「……やっぱり、何があったの?」それを目敏く見つけたあかねちゃんは、覗き込むように顔を近づけて来た。





 ……。


 ……。


 …………言うべき、なのだろう。



 下手に誤魔化して不信を買うのは嫌だし、そもそも誰が悪いという話でもないし。そう結論を出した俺は、こちらに向けられたあかねちゃんの耳元に……そっと、囁いた。



「――むっ、うぅ!?」



 直後、顔どころか首筋まで一気に紅潮させたあかねちゃんを、俺は寸でのところで押さえた。


 至近距離だった故に、あかねちゃんは一声すら出せないまま、俺の掌に怒声をせき止められたのであった。


 当然――気づいたこの場の何人かが、驚いた様子であかねちゃん(というか、この場合は俺に)に視線を向ける。



 だが、その誰かが動くよりも前に、そっと手を外してやれば、だ。



 我に返ったあかねちゃんが「大丈夫、大丈夫だから……」逆に周りを宥め……次いで、「……それって、事故?」改めて俺に尋ねてきた。



「……事故、仕方ない」

「本当? 本当に事故?」

「そう、事故」



 だから、俺は率直に一郎君を擁護した。けれども、あかねちゃんはどこか納得がいかない様子で……やれやれ、仕方がない。


 論より証拠だと思った俺は、裾を捲り上げて病院服を脱いだ。

 途端、「――ちょ!?」傍で見ていたあかねちゃんも、横目でちらちら盗み見していた一郎を始めとした幾人かの人達が、一斉に咽た。それに反応した人が次々に……あっという間に、全員の視線が俺に向けられた。



 しかし、俺は構わない。というか、見て貰った方が速い。



 なので、脱いだ衣服を傍に放って肌から離す。いったい何をしようとしているのかと訝しむ人たちの視線を他所に、俺は無言のままに衣服を見て……いた、その時。


 時間にして、一分にも満たない時間。けれども、俺の肌から離れてしまった衣服は、空気に溶けこむように薄まり……瞬く間に、消えてしまった。


 これには、あかねちゃん達も驚いたようだ。思わずといった様子で服があった辺りを叩いたりしているが……当然、そこに服はない。


 なので、俺はすぐに衣服(病院服)を生成する。既に幾度となく経験したことだから、さっさと新しい衣服を用意した俺は……どうだと言わんばかりに、あかねちゃんを見やった。



 ――その、時であった。





 「――大変だ、大変だぞ!!」




 眼下……というか、一階から。旅館全体に響くほどの大声は、ぽかんと静まり返っていた室内にはよく響いた。



 ……今の声、○○の所のおじさんじゃないのか?



 誰が呟いたのか分からないその言葉に反応したのは……誰が最初だったか。一人が下の階へと様子を見に行った直後、幾人かが廊下の向こうへと飛び出し、階段を下りて行った。


 ……呆然とするしかない俺と宿泊客(まあ、当然だろう)を他所に、誰が来たのかが分かっている地元の人達はみな、口々に何事かを囁き始め……その中で、気になった俺も下に様子を見に行くことにした。



 背後で、俺を呼ぶあかねちゃんの声が聞こえたが、構うことなく玄関を出て外に出る。


 すると、敷地の外のすぐの場所に車が停まっていて、そこに人だかりが出来ているのが見えた。


 いったい、何があったのだろうか……警察……という雰囲気ではなさそうだ。


 とりあえず、人だかりの下へ向かう。今の俺の背丈は低いから、当然、背伸びしたところで何も見えない。だから、目に付いた人に(見慣れない子だね、と言われはしたが)尋ねれば、すぐに教えてくれた。



「――何年か前に都会に行った子が、道路の真ん中で座り込んでいるのを見つけたらしいんだよ」

「都会に行った子?」

「スポーツ推薦で行った子でね。私も子供の頃からその子の顔を知っているけど、いったいどうして……」



 困惑した様子で首を傾げるその人から視線を外す。見れば、その人だけではない。集まっている誰も彼もが事態を理解出来ず、いったい何があったのかと口々に話し合っている。


 ……つまり、地元を離れた(上京した)人が、連絡もせずにいきなり地元に戻って来て、何をするでもなく道路に座り込んでいた……と。



(確かに、不可解だな……)



 聞こえて来る会話から推測出来る限りでは、俺もこの場に集まっている人たちと同意見であった。



 ――しかし、いったいどんな人物なのだろうか。



 顔を拝んでおこうと思った俺は……するりと人垣の合間を縫って奥へ。こういう時、この小さい身体は便利だなと思いつつ、人だかりの先頭へと出た俺は。



「……え」



 その中心に居た人物を見て、言葉を失った。


 何故なら、そこにいたのは見覚えのある……というか、ここに来る前に見かけた。



(……どうして、お前が?)



 浜田透、その人であったからだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る