第7話 とにかく、疲れた




 ……。


 ……。


 …………ふわり、ふわり、と。



 しばしの間、動かなくなった大男を遠目から観察した後。今ので息絶えたのだと判断した俺は、フラフラのままに……道路へと降り立つと、その場にべったりと座り込んだ。


 罪悪感は……無かった。何もかもがいきなり過ぎて、考える暇が無かった。というか、人間を殺したという気持ちが欠片も無かった。



 そもそも、アレは人間なのか……止そう。



 今は、考えるのが億劫だ……そうして、俺はげほげほと咳き込んでから少しばかり息を整えた後……アンノウンへと問い掛けた。



「今のは、何だ? お前の知り合いか?」

『――分からない。見覚えが無いのは、確かだ』



 困惑……そう、困惑だ。胸の奥から伝わって来る熱の淡い震え。それがアンノウンなりの『困惑の印』であることに、俺は今更になって思い至る。



「……何で襲って来たんだ? お前、もしかして誰かから恨みでも買っているのか?」

『それも分からない。始めて見る、初めて相対する存在だ……竜司こそ、見覚えはないのか?』

「あるわけないだろ、あんな化け物……ていうか、口の中が痛いぞ。血の味がするし、さっきも吐いたし、どっか切れたのかも……おい、アンノウン、身体が今、どんな感じになっているか分かるか?」

『少し待っていろ』



 そう告げると、俺の中は静かになった。


 何をどうしているかは知らないが、俺自身が自覚していなかったストレスを調べた時と同じだろう。


 そう思った俺は……海岸と道路の間に設置されているガードレールに身を預ける。


 設置されてから長いのだろう。所々ペンキが剥げた部分は例外なく錆びだらけで粉を吹いており、軽く摩るだけでぼろぼろと欠片となって零れ落ちる。



「……気付けば、もう夜か」



 何気なく見上げれば、既に水平線の彼方に太陽はない。残照が淡く彼方を明るくしていたが、それもすぐだろう。


 頭上に広がる星々は壮大という言葉以外が思いつかず、そのあまりの美しさに……しばし、言葉を忘れた。



 ……すげぇ。



 辛うじて絞り出した言葉は、それだけ。だが、それ以上に、それ以外に、俺の今の内心を当てはめる言葉が思いつかなかった……と。



『……待たせたな、竜司』



 呆けていた頭に、アンノウンの声が響いた。「……どうだった?」我に返った俺は、軽く頭を振ってから胸を叩いた。



『良い事実と、よろしくない事実があるのだが、どちらから聞きたい?』

「……良い方は?」

『負傷は、ほとんど治癒を終えている。融合した私たちの身体は、相当な回復力を有していたようだ』



 ……何か、他人事みたいだな。



 そう言い掛けた俺だったが、どうせ分からないと返事をされるだけだろう。とりあえず、「……よろしくない方は?」その言葉は口に出さなかった。



『負傷した傷を回復させたことで、酷く消耗している。早急に身体を休めた方が良い』

「……そうかい。ところで、一旦分離した方が良いのか?」

『いや、それはもう少し落ち着いてからの方が良いだろう。下手に動けなくなっても、私の方からはどうにも出来なくなるからな』

「ああ、それもそうか」

『ところで……どうやって戻るつもりなのだ?』

「は、そんなのお前――」



 尋ねられた俺は、首を傾げながら背中のリュックからスマホを……スマホ……ん?



「……おい、アンノウン」

『なんだ?』

「お前、俺のリュックを知らないか? いや、正確には、辛うじて背中に掛かっている、残骸と化したリュックの中身が知りたいんだが……」

『それなら、最初に攻撃をなされた際に穴が開いて、落としていったぞ。林のどこかに落ちているはずだ』



 ……無言のままに、俺は林の向こうを見やる。



 既に、辺りは暗い。外ですらこうなら、中はそれ以上だろう。そんな場所の何処かに落ちているスマホと現金(大量の紙幣)を拾ってくる……うん、無理だな。


 というより、今は正直な所、林の中に入りたくない。


 トラウマといえばそれまでだが、またあの大男みたいなやつが出てきたらと思うと……いや、待てよ。



(逆に、俺へ引き寄せることも出来るのだろうか?)



 ……今まで、俺はそれを試したことはない。だが、試してみる価値はあるだろう。


 駄目で元々だと思った俺は、俺がソコへ引き寄せられるのではなく、ソコにあるモノが俺へ引き寄せられるのを強くイメージする。


 すると……何というか、手応えのようなモノを俺は覚えた。


 これは上手くいくかも……そう思い、さらに引き寄せるイメージを強める。しばらく、そうしていると……不意に、林の向こうから掌大の何かが飛んできた。



「……あー、うん。まあ、こうなるのも仕方ないよな」



 それを片手で受け止めた俺は……がっくりと肩を落としてしまうのを抑えられなかった。何故なら、飛んできた物体は変形して使い物にならなくなった……残骸であったからだ。



 コレはもはや、修理すればどうなるという問題ではなさそうだ。



 堪らず、大きく息を吐く。けれども、憂鬱な気分はそこまで続かなかった。次いで、飛んできた物体が……破けて駄目になっているだろうと思っていた紙幣(万札)であったからだ。


 しかも、一枚だけじゃない。パッと見ただけでも、数えきれない枚数が飛んできている。


 さすがに、全てが無事というわけではない。だが、十枚二十枚三十枚と、餌に群がる鳩のように、瞬く間に俺の下へと集まってくる様を見て……俺は、深々とため息を零した。


 たかが紙切れ、されど紙切れ。


 紙幣(お金)というのは、明確な力であり武器であり防具であり、心の安定剤でありながら活力剤にもなる、最高の特効薬だ。


 身体を起こした俺は、紙幣を一つ一つ確認し、揃えてゆく……無事なのは、半分にも満たない。


 けれども、少しばかり折れ曲がったり傷付いていたりはしたが、手渡しなどで使う分には問題もないだろうと結論付け、元々の目的である旅館へ……と。



「……?」



 光が、遠くから飛ばされてきた。


 それが車のライトである事に俺が気付いたのと、走行音を俺の耳が捉えたのはほぼ同時で。黙ってそちらを見ていると、影に浮かぶ両目は、瞬く間にその姿形を俺の前に表した。


 車は、かなりの年期を感じさせる白い軽トラだった。どどど、と特有のエンジン音を立てながら、緩やかな減速を始め……俺の傍に止まる。きい、と、サイドブレーキの引かれる音がした。



「――お嬢ちゃん、こんだら時間になんでえだ?」



 直後、運転席から降りて来たのは……7、80代であろう、暗闇の中でも分かるぐらいに白髪が目立つ男性……爺さんであった。


 Tシャツに半ズボン、地元の老人らしきその爺さんは……ジロリと、上から下に向かって視線を向けた後、「……見んねえ顔だか」小首を傾げた。



「父ちゃんと母ちゃんとで、観光にさ来たんか?」

「…………」



 どう、答えれば良いのだろうか。というか、どう振る舞えば良いのだろうか……分からず、俺は首を傾げるしか出来なかった。



 今の俺の姿は、普段の俺の姿ではない。


 この爺さんに限らず、見慣れぬ子供が一人でこんな場所にいれば、不審に思って当然だろう。というか、思わない方が不自然だ。


 俺が爺さんの立場だったなら、気にはなっても声を掛けたりはしなかっただろう。


 昨今は物騒だし、下手に声を掛けて誘拐扱いされれば、一方的に不利益を被るのも……いや、今はそれよりも、だ。



「……どんした?」



 眼前の爺さんをどうするか……それが問題だろう。無視して離れようと思ったが、こうも見つめられていると……どうにも、悪い気がしてならない。


 ……心配してくれているのは、分かるのだ。


 屈んで俺と視線を合わせる、その目には……何だろうか。どう表現したら良いのか分からないが……優しい目をしていると、俺は思った。



『――竜司、この老生体の助力を借りてみては?』



 そんな俺を他所に、アンノウンは暢気な様子でそんなことを提案してきたが……そう簡単に出来るかと俺は内心にてため息を零した。



(……とりあえず、女の子のように振る舞う真似は、俺には無理だ)



 ならば、極力こちらから言葉を発するようなことはせず、相手のリアクションに合わせよう。それで、勝手に納得して貰えればいける……のかな。


 ……不安だが、やるしかない。最悪、飛んで逃げよう。


 そう覚悟を決めた俺は、ひとまず頷いてみる。


 すると、眼前の爺さんは「……?」俺の意図が読めないようで、何度か首を傾げた。そうして、しばし俺の目を見た後、「……観光で来たんか?」そう、俺に問い掛けて来たので、頷いてやった。



「父ちゃんと、母ちゃんは?」


 首を、横に振る。



「ここには、いねんだか?」


 首を、縦に振る。



「そいじゃあ、何処にいんだか?」


 無言のまま、爺さんを見つめる。



「まさん、一人で来たんか?」


 首を、縦に振る。



「……一人で、か?」


 首を、縦に振る。



「…………」

「…………」

「…………」

「…………」



 俺が一人で来たと頷いた瞬間、爺さんの目つきが鋭くなった。「……ここに、嬢ちゃんの友達がいるんか?」加えて、その問い掛けに、首を横に振れば……明らかに表情が強張ったのが分かった。


 いかん、このままでは警察を呼ばれる……そう思った俺は、抱えるようにして持っていた紙幣を、爺さんに見せた。



「……本物、だか」



 一枚、俺の手から受け取った紙幣を、車のライトに透かして見た爺さんは、「……なあ、お嬢ちゃん」グイッとズボンを引っ張ると、改めて俺と目線を合わせた。



「このお金もそうだか、そのお金ば、どうしたか? 疑うわけじゃねんど、お嬢ちゃんぐれえの年頃に、そんか大金ば、持っているんは変だか」

「…………」

「何か、悪えんか、したか?」



 ……俺は、首を横に振った。少しばかり間が開いたのは、このお金の大本が……アンノウンが用意したお金であるからだが……まあいい。



「……髪の色もそうやか、お嬢ちゃん、外国から来たんか? 何処から来たんか?」



 返された紙幣を、受け取る。(……返してくれるんだな)この時点で、俺はこの爺さんは悪い人でないと思っていると、出身地を尋ねられた。



 ……普通に答えていいのだろうか。


 ……それとも、誤魔化せばいいのだろうか。



 黙ったままで勝手に納得してくれるかな……いや、無理だな。先ほどよりもずっと真剣な眼差しになっている爺さんを見て、俺は諦めた。



(でもなあ、何処から来たって言われても、俺は関東からだし、アンノウンに至っては何処からなのか分かんないし……ふむ)



 まあ、この場所に足を置いた時は、空からなので嘘では……そう思いながら、俺は夜空を指差した。



「…………?」



 当然といえば当然だが、爺さんはワケが分からないという様子で俺が指差した先……つまりは夜空と俺を、交互に見やった。



「……あー、外国から、来たんか?」



 しばし悩んだ後、そう尋ねてきた。


 ……とりあえず、それでいいかと頷いてみれば、「……あー、ちょっと待ちんさ」爺さんは曖昧な笑みを浮かべて、車の方へと戻って……ん?


 助手席から携帯電話(スマホではない)を取り出した爺さんが、何処かに電話を掛け始める。


 いったいどうしたと思っていると、「――あ、駐在さん、俺だよ! ちょいとさ、来て欲しいんだか!」爺さんははた迷惑なぐらいの大声で通話を始めた。



(あれ、もしかしてこの爺さん、警察を呼ぼうとしていないか?)



 ――いや、それはまずい。警察沙汰は、まずいぞ!



 我に返った俺は、反射的に爺さんの携帯電話を引き寄せる。直後、爺さんの手からすっ飛ばされた携帯電話が、俺の手に収まっていた。



「……はぁ?」



 呆然と……己の手と俺の手に収まっている携帯電話を交互に見やった爺さんは、状況が理解出来ずに困惑した様子を見せている。


 ……加減したつもりだったが、引き寄せる力が強すぎたようだ。


 通話を終了してから、爺さんに投げ返す。「お、おう……」慌てて受け取った爺さんは、再び俺と電話を交互に見やった後……再び、番号を押し始めた。


 ……なので、もう一度電話を俺の手に引き寄せる。


 さすがに、二度目は予感していたのだろう。一度目とは違い、幾らかスムーズに引き寄せられた感覚であった……再度、携帯を投げ返してやる。



「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 爺さんは、何も言わなかった。俺も、何も言わなかった。


 どっどっど、と。車のアイドリング音だけが、この場に響いている。ライトに照らされた俺と爺さんは、黙ったまま互いを見つめていた。




 ……。


 ……。


 …………そのまま、どれほどそうしていただろうか。



 何気なく、爺さんの視線が俺から外れ……夜空を見上げた。直後、大きく目を見開いた爺さんは、俺と、携帯電話と、夜空を交互に……それはもう激しく順々に見やった後。



「お嬢ちゃん、まさか――」

(まさか?)

「――宇宙人、なんか?」

(……はい?)

「宇宙人……なんか? もしかすんと、宇宙人なんか!?」

(……あー、そうきたか)



 爺さんの頭の中で、どのような経緯の果てにその結論が出たのかは分からない。本当に何が何だか分からないが……とにかく、爺さんは嬉しそうだ。


 とりあえずは、何やら、よく分からないままに納得してくれた事に……ひとまず、俺は安堵のため息を零したのであった。







 ……。


 ……。


 …………それから、10分後。俺は、爺さんが乗って来た軽トラの助手席に座っていた。どうしてかといえば、答えは二つ。



 一つは、爺さんの運転する車の向かう先が、俺がこれから向かおうとしていた旅館であったこと。



「――おう、お前か! 聞いてくれ、宇宙人の女の子を拾ったんだか! 部屋ば空いてんただか! そこに泊まあてもらんか、軽く晩飯を用意して――ああ? ボケてねえか! 本物だんけ、連れていくから用意せんや!」



 そして、もう一つは……この爺さんが、その旅館の客……ではなく。



「――おお、そうだ。お前さん、名前は!?」

「……アンノウン」

「あんの……アンちゃんか、アンちゃんと呼ぶか、今日は止まってゆかんか!」



 大治(だいじ)さんという、その旅館の料理人兼支配人でもある人物だったのは……いくら何でも、予想外の展開であった。



『――計算通りだな』



 嘘を付けと……俺は、ほわっと熱を放つ己が胸を上から、強めに叩いたのであった。



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