第6話 暴力

 



 ……。


 ……。


 …………そうして、ガタンゴトンと電車に揺られ続け、夕方過ぎ。



 するりと撫でる夕陽を片手で遮りながら、駅員が居るのか居ないのかよく分からん改札口を出る。それから、俺が最初に感じ取ったのは……むせ返るほどの、浜風の香りであった。


 駅に向かう電車の中で、何処までも続いている水平線に見惚れていたのは、少し前。さすがに歩いて5分で駅前なんてのは無理なようで、海岸まで徒歩で30分以上は歩く必要があるみたいだ。



 駅前を出てすぐの道路……道路?



 周辺を見回していた俺は、首を傾げざるを得なかった。何故なら、広いのだ。道路というよりは広場……いや、道路なのだろうか。とにかく、駅前が広いのだ。


 なのに、何もないのだ。コンビニも、ATM窓口も、マクドナルドや吉野家といったチェーン店も……とにかく何もない。閉まっているのではなく、建物自体が無いのだ。


 加えて、バスはおろかタクシーすら止まっていない。いや、まあ、電車を降りた時というか、俺が今しがた乗っていた電車に、俺以外誰も載っていなかったから予感はしていたが……だとしても、だ。



(あれ……蒼浜ホテルって、かなり人気の高いホテルなんだよな?)



 駅前に店が無いのは、まあ仕方ないとする。要は、ホテルの傍にあれば事足りるのだから……だが、タクシーやバスすら無いとは、どういうことなのだろうか。



 ここからホテルまで……歩いて行くのか?



 それは……いくら何でも嫌だ。


 だが、見渡す限り近くにそれらしい建物はない。ぽつんと、かなり離れた所に他とは異なる大きな建物が見えるが……え、まさか……アレなの?



『……どうした? 行かないのか?』

「あそこまで歩いていたら、到着する頃には日が暮れるわ!」



 思わず、俺はアンノウンを怒鳴りつけた。誰もいないのに大声で見えない何かに向かって怒鳴りつける少女……傍から見なくとも、相当に気味が悪い。


 町中だったら周囲の視線を独り占めする奇行だろうが、ここには人の気配がない。駅構内に戻れば駅員がいるだろうが……まあ、わざわざ俺の様子を見に出来てたりなんてしないだろう。



 というか、そんな事よりも……だ。



 嫌な予感を覚えた俺は、改めてスマホでホテルに関して調べる。ホームページはあっさり見つかり、リンクをタッチした俺は…………えっ?



「……へい、かん?」



 怖れていた文字に、俺は言葉を失った。『……どうした?』訝しむアンノウンの言葉にも耳を貸す余裕がなくなった俺は、急いでページをスクロールし……堪らず、その場にへたり込んだ。



「……問題が起こったぞ」

『ようやく返事をしたかと思ったら、それか……で?』

「蒼浜ホテル、先月の終わりぐらいに閉館しているんだ」

『――なんと、それは想定外』

「俺もだよ……ていうか、何でレビューサイトにはそれが記載されて……あったよ畜生……!」



 金はあるから最悪一番高い部屋でも泊まれるだろうと高をくくっていた結果から起きた、痛恨の見落としであった。


 レビューの中でも最初の三つ四つぐらいしか目を通していなかったが、よくよく目を通して見れば、ある。月末に営業終了するらしいので~という文面が、確かにある。


 ……何ということだろうか。タイミングが悪いにも、程がある。よりにもよって、先月……時間にして一週間ほど前に閉館してしまったとは……アンノウンの言葉を借りるわけではないが、想定外であった。



(……今から戻れるのか?)



 とにかく、何時までもここで座り込んでいるわけにもいかない。何だか悪い意味で肩の力が抜けたような感覚と共に、えっちらおっちら駅構内へと戻り……やはり、と舌打ちした。


 駅員から話を聞けば、思った通り、次の電車が来るのは1時間以上も後だ。しかもそれが終電で、それに乗ったとしても結局は……途中でビジネスホテルなり何なりに泊まらないとならないようだ。



 ……おそらく、俺の様子を見て不安に思ったのだろう。



 心配そうに「……大丈夫かい?」尋ねてきた年配の駅員に大丈夫だと手を振ってその場を後にする。そうして、相変わらず人の気配が全くない駅前広場に戻ってきた俺は……どうしたもんかと、頭を抱えるしかなかった。



(ここまで来て、今から引き返すのもなあ……)



 ガリガリと、頭を掻く。己の物とは思えない滑らかな手触りだが、俺はもう安らぎを覚えるほど初心じゃない。というか、4ヵ月も今の状態を体験すれば、嫌でも慣れる。



 ……顔をあげて視線を向ければ、辺りは静かだ。



 だが、無音というわけではない。さすがに海岸まで距離があるから波の音が聞こえるようなことはないが、臭いがする。駅から降り立った時に強く感じた、浜風の臭いだ。



 ……どうにも、勿体無い気がしてならない。



 個人的に、泳ぐのが好きというわけでもない。海に対して思い入れがあるわけでもない。


 けれども、せっかく海が見える場所にまで来たのだ。もう少しだけ、浜風というか、潮風というか……そういうのを感じていたい。



(……あのホテルじゃなくても、小さい旅館か何かあるかもしれない)



 そう思った俺は、スマホで検索を掛けてみる……が、近くには無い。


 やはり、この辺りでは、あの蒼浜ホテル一強というか、有名なようだ。閉館しているというに、だいたいソレばかりが検索に引っかかる。


 けれども、根気良く探してみれば……一軒だけ、小さな旅館が引っ掛かった。


 その旅館名で調べてみれば、どうやらそこは釣り好きの人達の間ではけっこう利用されている宿らしく、釣った魚を追加で料理してくれるのが特色なのだとか。


 ホームページに載っている写真も(当の、ホームページすらも)古臭く、御世辞を入れても……まあ、一見さんお断りみたいな空気を醸し出している。


 値段は……相場が分からないから何とも言えないが、広告などで見る値段よりは、幾らか高い。


 まあ、回転率が高いビジネスホテルとは違い、安ければそれでいいという客ではないだろうし、この値段が妥当なのだろう。利用したことが無いので、実際の所は分からないけれども。



『――行ってみるべきだな』



 悩んでいると、アンノウンが俺の背中を押した。『何を、悩む必要がある?』続けて、そう問いかけられた俺は……一つ頷いて、広場を出て旅館がある場所へと向かった。





 ……。


 ……。


 …………駅から歩き続けて50分……いや、一時間強。



 ひたすら道なりにまっすぐ進み続け、海岸沿いの、彼方まで続く一本道に出てから、さらに20分ほど。水平線の彼方に半分以上身体を隠している太陽に目を細めながら、俺はひたすら旅館を目指して歩き続けていた。


 左側には、彼方まで伸びている水平線が見える。右側には、伸びっぱなしの雑木林。聞こえて来るのは、波風の音と、虫たちのざわめきだけであった。



 ……案の定というべきか、何というべきか。駅前広場の閑散とした空気に予感を抱いてはいたが……それが当たっていることを、俺は痛感していた。



 それが何なのかっていえば、人の気配が無いのだ。


 というか、そもそも家が無い。


 遠くの……湾曲した一本道の先に、傾斜の掛かっている土地に合わせて住宅が密集しているのは見える。地形を上から見れば、ちょうどフック状だ。


 直線でいえば住宅街まで数百メートルしかない距離を、ぐるーっと大回りしているところなのだが……これが、予想外に時間が掛かっている。


 途中でバス停なりタクシーなりが有れば良かったのだが、全く無い。なので、こうして歩き続けているわけだが……正直、飽きて来たなと俺は思い始めていた。



 ……いや、だって、考えてもみて欲しい。



 最初は、片側が濃厚な海の臭い、片側が濃厚な緑の臭いという、ある意味対極的な光景に目を奪われてはいたが、さすがに一時間以上も見ていると慣れてくる。


 何かしら変化があれば気も紛れるのだが、それが無いのだ。よくよく目を凝らせば分かる変化があるのだろうが、その程度の違いなんて、さっぱり分からない。


 幸いにも、融合している今は疲れも何も感じないから、そういう意味で苦にはなっていないが……正直、退屈であった。



「……ん?」



 そんなふうに、持て余していたからだろうか。


 何気なく……隣の雑木林の方を見ていた俺の視線が、ぽつりと僅かばかり見え隠れしている石畳を見つけた。「……?」小首を傾げながらも駆け寄ってみれば、それは……雑木林の向こうへと、てんてんと続いていた。



(……何だろうか?)



 ちょっとばかり、気になる。まるで、秘密基地への入口を見つけたかのような……『――気になるのだろう?』アンノウンも俺の内心を察したのか、行ってみれば良いと促してきた。



 ……行ってみようか。



 そう判断した俺は、草木をかき分け雑木林の中へ。


 入った瞬間、物凄い数のやぶ蚊が俺の眼前に集まってくる。「お、おう!?」反射的に身体をビクつかせたが……不思議なことに、蚊が俺の身体に纏わりつくことはなかった。


 いや、むしろ逆だ。まるで俺を……いや、今のこの身体を拒絶するかのように、一斉に俺の視界から消える虫たちの羽音すら聞こえなくなって……思わず、俺は首を傾げた。



 ……まあ、考えるだけ無駄か。



 虫刺されに悩まされない分、得をしただけだ……そう納得した俺は、等間隔で埋め込まれている石畳を追いかけるように、雑木林の中へ。


 歩いてみてすぐ分かったのは、どうやらこの道……ほとんど使用されていないようで、石畳周辺の雑草も放置されている。


 周囲の木々が夕陽を遮っているせいで、中に入って数十メートルも進めば辺りは真っ暗になる。


 けれども、今の俺にとっては大した問題ではない。


 伊達に、夜空の下をぶつかることなく自由自在に飛び回れるわけではないということだ。


 一般的な基準よりもはるかに夜目が利く今の俺にとって、文字通りの暗黒でない限りは、何があるのをばっちり目視することが出来るのだ。



『――竜司、これは何だ?』



 進み続けた石畳の終着点には、寂れた神社がポツンと有った。神社というには些か小さく、辛うじて神を祀る社だけが取り残されている……といった印象を覚える有様であった。



「……たぶん、神社か何かだろう。何を祭っているのかは……あ~、達筆過ぎて立札が読めないな」



 とりあえず、見たままと思ったままをそのまま説明した俺は、社へと歩み寄る。古ぼけて砂が被っているそれは、かなり長い間放置されているのが分かる。



(……この姿になる前の俺だったら、気味が悪くて近寄りすらしなかったんだけどなあ)



 考えてみたら、今の俺の状況なんてSFの世界そのものだ。そんな状況だからか、真っ暗な中で社を前にしても、何ら怖くはない。


 変な所で度胸が付いたのか、それともこの身体のおかげか……内心にて苦笑を零しつつ、俺は……軽く一礼だけをすると、踵をひるがえし――ん、と目を見開いた。



 ――視線の先に、人影があった。



 それは、普通の人影ではなかった。まず、明らかに大きい。背丈だけでも純粋に……いや、高すぎる。距離があるので正確な高さは分からないが、2メートルを優に……2メートル半近い。


 背丈でそれなら、体格もそうだ。


 明らかに、肩幅がある。そのうえ、胸板も厚い。鍛えている……なんて言葉が生易しく思えるほどに発達した筋肉の鎧。それを全身に見に纏った、半裸の大男が……こちらを見つめて立っていた。



 ……いや、見つめているというのは、間違いだ。



 反射的に、俺は身構えた。それは巨体が生み出す大男の威圧感を恐れたから……ではない。


 もっと直接的な、『お前を今から害してやる』という、押し潰さんばかりの敵意を……大男の瞳から感じ取ったからだった。



「……はぁぁぁぁ」


 そして、それは――。


「――おおおお、おあああぁぁぁぁ!!!!」



 ――俺の思い込みでも何でもなく、突如奇声を上げてこちらへ駆け出した大男自身が、それを証明してくれた。



『――竜司!』

「――っ!」



 我知らず硬直しかけていた手足が、アンノウンの声によって動き出す。と、同時に、あっという間に眼前へと迫って来ていた巨体が振り上げた拳が――俺へと放たれようとしていた。



 ――考える間もなく、俺は背後の社へとこの身を引き寄せる。



 瞬間、俺の身体は音もなく背後へ飛ぶ。眼前スレスレを横切る、太い指、太い腕――その根元に当たる巨体が、第二撃を放とうと身体を捻った――っ!



 空へと、この身を引き寄せるイメージ。それは、夜空を舞う時に散々行ってきた俺の身体は、一瞬にして大地を離れ、木々の向こうへと飛び出す。



 感覚的な話だが、見なくても俺には分かるのだ。



 どこに枝葉が伸びて、どこと絡み合っているのかを。瞬時にそれらを認識した俺は、針に糸を通す正確さで素早く夕焼け空の向こ――えっ?



 ――巨体が、動いた。



 そう思った時にはもう、遅かった。


 巨体が、飛んだ――いや、ジャンプしたのだ。そう俺の頭が認識したのと、右に左に木々を蹴りつけて高度を上げ、俺の眼前へと迫るのが、ほぼ同時で。



「――っ!!」



 反射的に顔を庇った両腕ごと、衝撃が俺の顔面にぶち当たり――背中に痛みが走り、頭に痛みが走り、身体中に痛みを覚え、上下左右に動き回る視界がようやく動きを止めた頃……俺は、ぐらぐらに揺らぐ視界の中で、小首を傾げていた。





 ……何が、起こったんだ?





 パラパラと、何かが身体に降りかかっている。振り払いたいのだが、身体が上手く動いてくれない。周りが、揺れている。ぐらんぐらんと揺れる大地に両手をついた……途端、強烈な吐き気がそのまま口から飛び出した。


 びちゃびちゃと、何かが俺の口から滴り落ちる。これまで経験したどれよりも酷い二日酔いに陥った気分に、何度も瞬きをして、ぼやけた目の前を元に戻そうとした……俺の、手に。



「……っ」



 赤い、生暖かい液体が降りかかっていた。


 それが何か……考えるまでもなく、己がたった今吐き出したモノである。

 鉄臭いそれらに咳き込んだ俺は、傍の木々に縋りついて立ち上がる。



『――竜司! 大丈夫か!?』



 途端、声が響いた。アンノウンの声であることに俺が気付いたのは、おそらく数回ほど呼ばれた後であった。


 取り乱し、焦っている。淡々とした何時もの口調とは異なる、初めて聞くその声色に、俺はげほっ、と赤色混じりの唾液を吐き捨てた。



「…………っ」



 何とか返事をしたいのだが、声が出ない。まるで、自分の身体を、わざわざコントローラーで操作しているかのような気分だった……と。



 ――遠くの方から、雄叫びが聞こえてきた。



 一拍遅れて、感じ取れる……気配。こちらを探しているのだと理解した瞬間、「――っ!?」俺は再び身体を引き寄せる――が、今度は上じゃない。


 下手に上に逃げると、追い付かれる。さっきは木々の枝葉がクッションの役割を果たしてくれたが、次も同じことになるとは限らない。


 ワケが、分からない。何が起こっているのか、どうして俺が襲われているのかも分からない。


 分かるのは、俺は今……命を狙われているという、ただそれだけ。



 ――とにかく、一度林の外へ。



 ただ、その一心に任せて全力で飛ぶ。先ほどとは比較にならない速さで繁茂する木々の枝葉を掻い潜り、外へ、外へ、外へ――いっ!?



 ――視界の端から、何か来た。



 反射的に頭を下げた、俺の頭上を――岩石が飛来した。木々の幹にぶち当たって砕けるそれらが後方へと遠ざかってゆくのを横目に……岩石が放たれたであろう方向を見やった俺は、堪らず舌打ちした。



 ――あいつ、もう来たのか!?



 大男は、唸った。と、同時に、走り出す。まっすぐ、俺の方へと向かって来る。合間に立ち塞がる枝葉を微塵も気にすることなく蹴散らし、俺の方へと向かって来る。



 その速度は、明らかに大男の方が速い。



 悔しいが、縦横無尽に繁茂し枝葉を伸ばす木々の隙間を掻い潜りながら逃げる俺とは違い、相手はその必要がない。


 どうしても減速しなければならない場合がある俺と、最初から最後までトップスピードで迫る大男。単純な速さなら俺の方が上だが、地の利があまりに悪過ぎた。



「――よし!」



 だが、それも林を出るまでだ。間一髪、俺が林の外へと飛び出す方が速かった。


 辺り一面が、一気に明るくなる。カッと真横より叩き付けられる夕陽に一瞬ばかり目が眩むが、構うことなく俺は全力で空へと飛ぶ。



 少しばかり遅れて、大男も飛び出して来た。



 だが、もう遅い。林の中とは違い、林の外には中継出来る足場が無い。そのうえ、俺の身体はもう海の上……逃げ切ったのだと、俺は――あっ!



 距離にして、数十メートル。高さにして、十メートル近く上。その位置にいる俺に向かって、大男は跳んだ……ジャンプした。


 それだけなら、先ほどと全く同じだ。しかし、違う。異なっているのは、その速度と距離。


 驚くべきことに、アスファルトを蹴って飛び上がった大男の腕が、瞬く間に俺へと迫って――残り一メートルというあたりで失速し、空気を掴んだ。



 大男は、形容しがたい雄叫びと共に落下する。



 俺のように、空は飛べないようだ。頭を下にして、真っ逆さまに落ちてゆくその背中を見た俺は――カッと、怒りが爆発した。



 俺の中にいるアンノウンが止めようとしたが、遅かった。



 気付けば、怒りのままに俺は自らを大男へ引き寄せていた。これ以上ないぐらいの全力の加速をそのままに、俺は……渾身のキックを、その背中に叩き込んでいた。



 ――べきり、と。足の裏から伝わって来る、鈍い感触。



 それが、大男の背骨を砕いた音なのだということを理解した時にはもう、大男は海岸の岸壁へと向かって行き――ぐしゃりと、顔面から落ちて、血飛沫が舞ったのが見えた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る