第3話 それなりに仲良くなったと思ったら





 ……とまあ、そんな感じで俺とアンノウンの日々が始まったわけだが……それからの日々は、何というか、色々と大変であった。



 色々な言葉が思いついたが、とにかく大変だったとしか言いようがなかった。



 というのも、コイツは……いや、『アンノウン』は、その翌日から一日足りとて欠かすことなくディスプレイの画面を占領しやがったのだ。


 朝起きてパソコンを付ける前に、アンノウンの顔がでかでかと映し出されているのは当たり前。


 仕事を終えて帰れば当然のように画面にはコイツが映っていて、一週間も経つ頃には……驚いた事に、スマホの画面にまで姿を見せたのだ。



 ……まあ、さすがにスマホの画面はコイツにとっても小さかったらしい。



 顔の一部や体の一部ぐらいしか映らず、曰く『窮屈でお前が見えにくい』ということらしいが……まあ、それはいい。



 ――問題なのは、そのせいで、俺はあの夜から一度として映画を見る事が出来ないでいるという点だ。



 何せ、ディスプレイの画面いっぱいに顔が映っているのだ。誰がって、アンノウンの顔が、だ。


 悔しい事に、アンノウンの見た目だけは美少女なのが救いだが……はっきり言えば、それだけだ。


 何をどうしたってアンノウンの顔を隠す事が出来ず、最前面に姿を見せる。そのうえ、俺の言う事を欠片も聞いてくれない。



 ……とてもではないが、落ち着いて映画を見られる状態ではない。



 だから、それからの俺は……はっきり言って、静かとは言い難い毎日を送ることとなってしまった。


 顔を合わせる度、二言目には『さあ、融合しよう』と言い放ち続けるのを宥め、急かされる食事を終え、融合というやつをして、アンノウンの姿になる。


 それから、再三にわたってアンノウンに急かされるがまま、出会った日と同じように夜空へ飛ぶ。いや、この場合は、夜空へと己を引き寄せ……まあいい。


 初日は、必死なあまりワケが分からないままに終わっていた。しかし、さすがに毎日繰り返せば慣れてくる。


 最初の頃は様々な意味でおっかなびっくりではあったが、三週間が経つ頃にはすっかり気にも留めなくなっていた。


 そうなると、飛ぶことへの不安や恐怖心も同じように無くなって……いや、正直に言おう。



 ――確かに、映画が見られないのは、当初の問題だった。



 実際、あの日から映画を見る機会は激減(というか、0だ)した。最後に何を見たのかだって、覚えていない。あまりにも見られないから、金の無駄だと思って一旦は会員を止めた。


 だが……それから、今まで。


 そのうち戻るだろうと思っていた俺は、未だに、一度として有料会員にはなっていない。気付けば、自覚出来ないうちに、俺はその事をあまり苦に思わなくなっていたのだ。


 どうしてか……そんなの、すぐに分かった。


 それよりも、空を飛ぶ事の方がはるかに楽しいと思うようになったからだ。


 パラグライダーやスカイダイビング等が世界中で行われ、人々を魅了する理由を、俺はアンノウンが来た事で知れた。


 最初は幾らか引けていた腰も、すぐにピシッと伸びるようになった。


 よりなめらかに、より速く、より高く、より遠くへ。


 飛べるようになるにつれて、俺は『融合』というやつに抱いていた潜在的な抵抗感……いや、抵抗感があったのだということを自覚した時にはもう、無くなっていた。


 そうして、アンノウンと出会ってから一ヵ月が過ぎた頃。


 その頃には思う存分、アンノウンの方から『今日はこれでお終いだ』とお達しが出るまで、夜空を飛び回った。


 時には、俺の方からもう少しだけ飛びたいとすら申し出たぐらいで……どちらが我が儘を言っているのか、分からないと思う事すらあった。





 ……。


 ……。


 …………それから、さらに時間が流れ……かれこれ三ヶ月も顔を突き合せれば、それなりに打ち解けてくる。それは、アンノウンを信用した……というのとは、少し違う。



 何と言えばいいのか……そう、コイツは悪いやつじゃないのだ。



 ……いや、まあ、自分でも変な事を言っているのは自覚していた。


 何せ、何者なのかすら分からない相手から超常的な現象を……自分でも何を言っているのか分からなくなるが、俺が言いたいのはそういうことではない。


 人を見る目なんていう大したモノなんて持ち合わせていない俺だが、それでも、コイツは悪いやつじゃない(良いやつでもないが……)というのは分かる。


 その証拠に、コイツは事あるごとに『刺激が欲しい、融合しろ』と訴えては来るが、無理強いはしてこなかった。


 あくまで、俺の自由意思が前提だ。俺が嫌だといえば、コイツは必ずそこでお終いにした。説得はしてくるが、無理だと伝えれば……けっこうすぐに諦めてくれた。



 ……俺がコイツを悪いやつじゃないと思った最大の理由が、そこだ。



 だから、俺はコイツがいったい何者なのかということを改めて考えたりもしたが、それをわざわざ訪ねようとはしなかった。


 例えば、俺がアンノウンと名付けたお前は、いったい何者なのか。


 例えば、どうして俺の前に姿を現し、何の目的で来たのか。


 例えば、お前が居るその場所は、どのような場所なのか。


 気になる点は多々あったが、俺は気になるだけに留めることにした。下手に問い詰めて問題が起こるのが嫌だったのもそうだが……今の関係が、心地良いと思えるようになっていたからだ。


 我ながら、このよく分からない状況によく適応出来たものだと思いながら……気付けば、出会ってから早くも四か月ほどの時間が流れていた。







 ――地獄の釜底のような蒸し暑い夏が終わり、残暑とするなら些か過ぎる気温がそのままな10月初頭の……晴天が続いた、三日目の朝だった。


 ……正確な時間は、分からない。


 酷い眠気の最中、目が覚めた俺はまず、まるで全身を泥の中へ浸しているかのような重み身体と戦わねばならなくなった。


 ……ああ、というか、普通に負けた。スマホの目覚ましで一旦は目を覚ましたような覚えがある。だが、それだけだった。


 アラームを止めなくてはと思って手を伸ばした時にはもう、限界だった。


 フッと意識が途切れ……次に目を覚ましたのは、昼を少しばかり回った頃であった。



 ……この時俺は、サーッと頭の血の気が引く感覚を久しぶりに覚えていた。



 燻っていた眠気は、一瞬でぶっ飛んだ。反射的にスマホを手に取れば、着信が数件。慌てて掛け直せば……出迎えたのは、怒声であった。


 相手は、派遣先の担当者だ。有り体にいえば、現在の上司に当たる。


 こちらを公然と見下す上司の姿を思い返しながら、俺は只々謝罪を続けた……が、駄目だった。



 ――もう来なくていい、派遣会社にもこの件は報告する!



 その、一言。それだけで、俺は職を失った。最後にひと際酷い罵詈雑言を叩き付けると、一方的に通話を切られた。俺は、しばしの間……何をすることも出来ず、布団の上で座り込むことしか出来なかった。



 ……そうして、だいたい10分ほどだろうか。



 呆然としていると、再び電話が鳴った。表示されている番号を見た瞬間、俺は……スマホを放り投げたくなった。まあ、実際にはしないけど。



「……もしもし」



 さすがに、無視するわけにはいかない。だから、電話に出る……相手は分かっていたが、俺が登録している派遣会社の担当者だった。


 内容は、言われなくとも分かっていた。どうせ、今しがたクビにされた派遣先の雇い止めだろう。実際、担当者の話はそれであった。


 もちろん、担当者もいきなりはそれを告げなかった。体調が悪かったのかとか、急なトラブルが発生していたのか等、無断欠勤した理由を尋ねてきた。



 ……まあ、当然だろう。



 当たり前といえば当たり前なのだろうが、俺はこれまで一度として休日以外で休んだことがない。何か理由があるのではないかと思っても、不思議ではない。



「すみません、急な高熱が出て……はい、はい……病院に行く気力もなく、意識が朦朧としていたみたいで……市販の風邪薬で……はい、はい……」



 だから、俺はもっともらしい理由で誤魔化す事にした。



「……はい、今の派遣先は今日でお終い、ですね。はい、はい……分かりました」



 そうして一通りの前置きの後、話は雇い止めへと移った。さすがに担当者も言い辛いのか、少しばかり濁した言い回しであった。


 ……分かっていたから、その件については特に何も思わなかった。



 相手も慣れたモノなのか、俺が受け入れたことを察した時点で、淡々とした口調になった……だが、話はそこで終わらなかった。



「――え、次は未定、なんですか?」



 今回の無断欠勤が、よほど会社の評定に響いたのだろうか。これまた物凄く遠まわしではあるが、『しばらくは仕事を紹介出来ない』という結論が、派遣会社の方から出たようであった。


 ……それについても、俺は何も言わなかった。


 言った所で、事態は何も好転などしないからだ。好転なんてするのは、稀だ。当たり前のように状況が良くなるなら、誰だって物を言うようになる。ならないから、誰もが口を閉ざす。


 ……次に仕事を紹介されるのが何時になるかは分からないが、いちいち印象を悪くさせるつもりはない。


 そう思った俺は、適当に話を合わせた後……通話を切った。そうして、再び訪れた沈黙と……窓の外から聞こえて来る『社会の音』を耳にしながら……背中から、布団へと倒れ込んだ。



「…………また、無職か」



 ぽつりと零れた溜息の中に、俺の呟きが紛れた。いや、呟きの中にため息が……まあ、どっちでもいい。とにかく、もう一眠りしたいと思った俺は、そのまま目を――。



『――おはよう、竜司。約11時間ぶりだな』



 ――瞑った瞬間、スピーカーから、今はあまり聞きたくなかった声が響いた。目を開けていないのに、俺の脳裏には、はっきりとアンノウンの顔が浮かんだ。





 ……。


 ……。


 …………気のせいということにしたかった俺は、そのまま目を瞑り続けた。正直、俺は疲れていた。精神的な意味だけではなく、身体も疲れているのだ。


 筋肉痛云々はないが、とにかく疲労感が重い。たっぷり半日近く寝たのに、まだまだ寝足りない……というか、今も凄く眠い。


 もしかしたら、先ほどの雇い止めの電話がよほどキタのだろうか……この調子だと、おそらくそうなのだろう。なら、余計に今は休んだ方が良い。


 喉も乾いたし腹も空いたような気がする。でも、今はそれよりも、とにかくもう少しだけ寝たいと……俺は、そのまま……眠りに……。



 ――その、時であった。傍のスマホの着信音が室内に響いたのは。



 これはもう、条件反射というやつなのだろう。「――はい、もしもし!」今にも寝入りそうになっていた意識が、一気に覚醒した。考える間もなく、俺は反射的にスマホを耳に当てて――。



『おはよう、竜司。目が覚めたか?』

「……おかげさまで」



 ――すぐに、後悔した。



 何故なら、スマホのスピーカーから聞こえてきたのはアンノウンの声で、この着信は紛れもなく……コイツの仕業であることが分かってしまったからだ。



 ……やれやれ、コイツは何時の間にスマホの番号を調べたのだろう……考えてみれば、口座の数字を自由に書き換えるようなやつだ。



 ネットバンクのセキュリティをあっさり突破するようなやつが、たかが一個人の電話番号を調べる事ぐらい、朝飯前なのだろう。


 ひとまず通話を切った俺は、大きくため息を吐く。


 次いで、重たい身体で這って……パソコンの前に腰を下ろした。ディスプレイには案の定、アンノウンの顔が映し出されていた。



『……どうした? 昨日とは、様子が違うようだが?』

「溜まっていた疲れが噴き出したんだろう。人間には、良くあることさ」



 こちらからアンノウンが見えるということは、アンノウンもこちらが見えるということ。『疲れ……?』俺を見るなり、アンノウンは不思議そうに小首を傾げた。


 俺の体調不良を察し(どうせなら、機嫌も察してくれたら良いのだが)て、案じてくれている様子なのは嬉しいが、この状況は嬉しくない。


 ……何せ、仕事をクビになった直後だ。


 今は一人にして欲しいという思いを込めて、とりあえずは何しに出て来たのかと尋ねてみた。



『――刺激が欲しい。融合するぞ、竜司!』



 薄々分かってはいたが、やはりアンノウンの目的は何時もと同じであったようだ。無表情なのは変わりないが、何処となく機嫌が良いように見える。



(俺も最近は楽しみになってきてはいるが、コイツは本当に際限がないな……)



 昨日も、それが理由で融合とやらを限度ぎりぎりまで粘って俺を開放しなかったのは、コイツだ。むしろ、それ以外の理由が別にあるとしたら、それはそれで怖い。



「――却下だ。今日は休む」



 まあ、それはそれとして、だ。ガラス玉のような無機質な瞳を前に、俺はきっぱり断った。



『……何故だ?』



 当然……という言い方も何だが、アンノウンが抗議の声を上げた。何処となく、声色が低くなったような……いや、そんなことは置いといて。



「さっきも話しただろ。今日は、凄く疲れているんだ」



 正直に、俺は理由を告げた。誇張云々はなく、今日は一歩も外に出たくないぐらいに、俺は色々とぐったりだ。『それは、昨日の話だろう?』けれども、アンノウンは納得しなかった。



『それは、『疲労』というやつだな? しかし、お前は睡眠を十分に取った。これまでと同じく、疲れは取れているはずだが?』

「お前は俺を何だと思っているんだ。こっちは、もう三十を超えているんだぞ。積もり積もった疲労ってもんがあるんだよ」

『……何故、年齢の話が出て来るのだ?』

「人間ってのは、そういうものだからだよ。とにかく、今日は無理だ」



 意味が分からないと小首を傾げるアンノウンに、俺はきっぱりと言った。


 実際、俺の全身に圧し掛かっている疲労感は、気合で誤魔化せる度合いを大きく超えていた。


 それは、無理なモノは無理だと言い切った事で、アンノウンにも伝わったのだろう。


 何処となく不満そうにはしていたが、そこからさらに反論してくる『――竜司、画面にて掌を当てろ』ようなことは……って、おい。



「お前、人の話を聞いていたのか?」

『聞いていた。融合はするが、昨日とは違う。お前がどのような状態になっているかを知りたいから、少しばかり言う事を聞け』

「……どういう事だ?」

『いいから。大丈夫だ、今のお前なら、ほとんど負担は掛からない』



 尋ねるが、アンノウンはそれ以上何も言わず……そっと、画面にアンノウンの掌が現れた。昨日も見た、細くて白い、綺麗な手であった。


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