第63話side:反省会



「ロバルトってのは、自分が騎士団長になりたいからって、公爵家の花嫁を暗殺しようとしたんだろう。汚い男だよあいつは」

「騎士団の人間がそんなことをねえ。でも、どうして公爵家の、しかも花嫁を? 嫁なんて、騎士団とは直接関係ないだろう」

「それが複雑な事情があるらしくってよォ。なんでも事件にはあの夢喰いが関わっているらしくて……」


 酒杯を傾けながら、酒場の客たちが赤らんだ顔でそう語り合う。店の外にまで届く声を耳にして、男はふと足を止めた。


 あの結婚式の夜から、1週間と少し経つ。今や王都中が、騎士団団長候補による公爵家花嫁暗殺未遂事件で持ちきりだった。誰もが8年ぶりに現れた暗殺者の存在に恐怖し、騎士団に怒り、若い公爵夫妻に同情し——そして、毅然と犯罪者たちに裁きを下さんとする国王を賞賛した。

 我らが王は、貴族が相手であっても容赦はしない。あの方は公平で偉大な方なのだ、というのが、多くの国民たちが抱いた意見だった。


「……だが、今回は何と言っても、国王陛下の公正さに感銘を受けたね。前王陛下が都合が悪いからって隠した事実を、現陛下は全て公表したんだぜ。いくら王様でも、こんなことなかなかできないよ」

「下手すりゃ、王室への信用がガタ落ちになりかねない話だからなあ。……しかし、親が殺されたっていうのに、前王陛下の言いなりになっていた公爵も公爵だよ。ちと情けなくないか。陛下が助けてくれなきゃ、ずっと泣き寝入りするつもりだったってことだろう」


 ……事情を知らぬ人々の声に、哀れむような笑みを浮かべつつ、男は再び影の間を縫うように街路を進む。やがて、住宅街の隙間にひっそりと立つ、小さな民家の前にたどり着くと、ノックもせずに扉をくぐった。

 まだ日没して間もないというのに、すでに炉の火は落とされており、室内は暗く冷たい。家具はまばらに点在しているのみで、生活感は極めて乏しい。


 男は慣れた様子で更に奥へと進む。すると、暗がりのなか、燭台の明かりを頼りに書を読む老人の姿があった。

 老人は男の到来を気に留める様子もなく、ページを捲る。男も何も言わず、黙ってその場にまっすぐと立つ。


 しばらく紙の擦れる音を響かせたあと、やっと男に声をかけることを思い出したように、老人は視線を書物に落としたまま、ぽつりと呟いた。


「……君か」

「師父、お待たせしました。遅くなって申し訳ございません」


 男は恭しく頭を下げる。そして老人が頷くのを見ると、その向かいの椅子に、息を吐きながらゆっくりと腰掛けた。

 疲労を露わにする男の振る舞いに気づいて、漸く老人は顔を上げる。


「負傷しているようだが、戦闘になったのか」

「まさか。ほら、一週間ほど前、私もヴラージュの城館に忍び込んだでしょう。そのとき、例の花嫁の無茶振りに巻き込まれてしまったんです。そのせいで、腕とあばらをやられてしまいました」

「どういうことだ」


 男は何も言わず両肩を竦めてみせる。そして「あいたっ」と短く悲鳴を上げ、体を強張らせた。

 目の前の惨状に、老人は眉根を寄せた。


「……散々な様子だな」

「いやあ、今回は大失敗もいいところでした。まさか、計画を全て台無しにされてしまうとは」

「だから、バルト家の人間を相手にしてはならないと言っただろう。……で、どうだった?」


 老人に向かって、男は神妙な面持ちで深く頷く。


「師父の仰る通りでした。あれは、ループしていますね。“バルト家の人間は、死ぬと同じ時を繰り返す。決して他者が殺すことはできない”——まさか、本当だったとは」

「バルトの人間全てが殺せないわけではない。だが、儂の忠告を聞いてこの計画から手を引いていれば、ここまでの損害は出なかっただろうな」

「そう責めないでください。8年も前から仕込んでいた計画ですよ? それを、『バルト家の人間は殺せないかもしれないから諦めろ』なんて言われても、そう簡単に納得できませんよ」


 男はもう一度、今度は慎重に肩を竦めた。

 芝居掛かった男の調子に、老人は口角を歪める。


「——ふ。まあ、儂も若い頃はバルト家の噂を年寄り連中の戯言と断じて、痛い目に遭った口だからな。偉そうなことは言えないが」

「女騎士ガルデニアのことですか」


 男の問いに、老人は小さく頷く。


「ああ。あの女も、何をしようとしぶとく生き残った挙句、まるでこちらの思惑を全て見通したように、計画をことごとく潰してくれたものだ。それこそ、同じ時を繰り返しているのではと思わせるほどにな」

「今回はそれ以上でしたよ。カトレアは、こともあろうにイネスの正体を見破り彼女を捕らえ、セレニアを連れ出しライゼルを無力化して見せました。そのせいで、私は長年少しずつ送り込んでいた部下たちを、全て撤退させなくてはならなくなった」

「ほう」


 老人は興味深そうに眉を動かして、広げていた書を閉じた。燭台の炎が揺れ、老いた瞳がぎらりと光る。


「——それだけじゃない。私は実際、彼女がイネスに向かって“香”の詳細について、事細かに語っているのを聞きました。……あの晩、我々は一切香を使用していないというのに。これはもう、確実にループしていると考えていいでしょう」

「そこまで把握されていたか」

「残念ながら。おそらく彼女は、何度か香で殺されたのでしょうね。私が香を見せてやっただけで、ひどく警戒していましたから」

「城館に残されていたという香の現物はどうした?」

「カトレアにあげちゃいました。回収する必要性もなくなりましたので」


 男は椅子の背もたれに体を預け、左手で胸元を摩る。そして、痛みを思い出したように少しだけ顔に皺を寄せた。


「……花嫁を殺せないなら、せめてセレニア・ヴラージュくらいは殺しておきたかったな。セレニアを殺して次は公爵の番だとでも脅せば、ライゼル・ロッソは引き続き傀儡として活用できましたし、それが失敗しても、彼女の死は確実にヴラージュ家の中に不和をもたらしたことでしょう。公爵も妹が死んでは、騎士団がどうこうとは言っていられなくなっていたはず。カトレア殺害に比べればセレニアの殺害で得られるものなど微々たるものですが、少なくとも計画は続行できたでしょうね」

「過ぎたことをあれこれ言っても仕方あるまい。我々は奴らと違って、時をやり直せぬのだからな」


 投げやりな台詞を吐いて、老人は憮然とした表情になる。

 師弟揃ってバルト家にしてやられた事実に、男は苦笑を禁じ得なかった。


「それはそうなのですが、それなりに私もショックでして……。まあでも、師父のご忠告を受けて、計画を一部変更しておいて良かったとは思います。カトレア殺害に固執していたら、今頃こうやって情けない反省会すらできなかったでしょうし」

「ループする人間を逃れようのない死の袋小路に落とせば、自覚のないまま永遠の時を繰り返すことになる可能性があるからな。それではあまりに不毛だ」

「そう言われたからこそ、ループについては半信半疑だったものの、あえてカトレアを自由にさせました。そして、彼女に計画察知の気配が少しでもあったら、カトレア殺害は断念して速やかにセレニア殺害に移行せよという指示も出しておいた。何度もループされたら、それだけ学習されますからね。

 とにかく、カトレアが死ぬとループする可能性を念頭に置いて、彼女に情報を与えず、対応される前に殺害対象を切り替える、というのが今回の計画の肝だったのです。……だから、カトレアがそう何回も死ぬことはなかったはず。潜伏させていた部下たちにも、彼女に暗殺者だと悟られるような動きは見せないよう徹底させました。それなのにどうして、ああも事細かに手の内が暴かれたのでしょう」

「我々の存在を察知して、計画を阻むために何度も自ら命を絶ったのかもな。やはりバルト家の人間は頭がどうかしている」

「そこまで考えているようなお嬢さんには見えなかったのですがねぇ」


 男は、件の花嫁を思い出す。

 彼女が、バルト家の人間にしては珍しく武術の心得がないということは、下調べで知っていた。貴族の子女にしては、少々型破りなところがあるというのも聞き及んでいた。

 だが、大した身体能力もないくせに、窓を飛び降りた男を追って、自身も窓から外に出ようとするとは。とんだご令嬢である。

 彼女のあの無茶な行動に、ループを重ねられた原因が垣間見えるような気がしたが、男はそこで考えることをやめた。

 それ以上考えると、やるせない気持ちになるような気がしたのだ。


「……あの頭の軽そうなお嬢さんに色々台無しにされたと思うと、なんとも無念ですね」

「珍しい。随分未練がましいではないか」

「未練も溢れますよ。つい1週間前までは、全てが順調だったのですから。8年前、計画のために派手な殺しをいくつか手配しましたが、その中でも前ヴラージュ夫妻の殺害は大成功でした。彼らを殺めたことで、愚かな王家は勝手に公爵家との対立を深め、ヴラージュ家は貴族社会の中で孤立した存在に、騎士団は汚職と怠慢の温床になった。

 いずれヴラージュ家を中心として、再び大きな波紋が生じることは目に見えていました。そして読み通り、今回は上手く8年前の関係者を唆すことで、ライゼル・ロッソによる花嫁の殺害という、大きな仕事を受けることができた。このまま上手くいっていれば、ヴラージュ家は瓦解し、その財を狙う貴族同士の争いが勃発。しかし、より腐敗の進んだ騎士団と王家は大した抑止力になることもできず、国内に更なる殺しの連鎖が生み出されていたでしょうね」

「で、最終的にはこの国は崩壊していたと?」


 老人の問いに、男はにやりと笑う。だが、すぐにいたずらっぽい笑みを自嘲に変えて、力なく首を振った。


「……結果は、この通りですが」

「そもそも、国家転覆などという計画自体が、暗殺者には過ぎたものだったのだ。所詮我々は人殺しだ。策謀は専門ではない。……もう少し、分を弁えるべきだったな」

「仕方ありません。8年前、この国を内から崩壊させてくれと、隣国からそれはもう魅力的な報酬を前払いで頂いてしまったものですから。斜陽な組織を維持するためと、私も一大決心をしてこの依頼を引き受けました。実際、この依頼がなければ、とっくに組織は財政難で崩壊していたでしょうね」


 男の歪んだ口元からため息が漏れる。


「だから、何としてでもこの依頼を成功させようと、夢喰いだなんて小っ恥ずかしい通り名を名乗り、毒香なんて面倒な方法を用いて殺しを繰り返しました。……なのに、今や夢喰いと言えば、大勢揃っていながら令嬢1人も殺せない無能な集団の代名詞です。これでは、隣国に移っても大した仕事にはありつけません」

「元々我々の組織に名前はない。その名は捨てることだな」

 

 老人は顔に刻まれた皺を深くしながら、顎を撫でる。


「ただの名無しに戻って、普通の暗殺《しごと》をこなせ。西の方に、小競り合いを繰り返している国があっただろう。あそこなら、まだ仕事があるかもしれん」

「暗殺稼業が下火なこのご時世に、慣れ親しんだ土地を離れて、新天地での再チャレンジですか。こうなったら、副業として日中はレストランでも開業してみますかね。幸いなことに、人手は豊富ですし」


 男の笑えぬ冗談に、老人は眉を顰める。それから遠い目をして、吐き捨てるように言った。


「……全く、忌々しい。ガルデニアが田舎に引っ込んでせいせいしていたというのに、まさかその孫が公爵家に輿入れして、組織の邪魔をしてくるとは」

「後悔は尽きませんが、もう潔く諦めます。殺せない人間と暗殺者なんて、相性が悪すぎる。これじゃあリベンジする気にもなれません。ここは、ロバルトとヴラージュ家が争いあっている隙に、尻を捲って逃げさせて頂きましょう。……それで、よろしいでしょうか」

「儂はほとんど引退した身だ。組織の長である君が、好きに決めればいい」

「……本当に、面目ございません」


 男は再度、首を垂れる。動くと痛みが走ったが、それを表情に出さぬよう努めた。


 ——どうせなら、この事件がどの方向に転がるか、近くで見届けたくはあった。だから、男はわざわざ毒を城館に残して行った。

 毒香があれば、8年前王家が隠した事実を蒸し返すことができる。頭に血が上った公爵がそれを利用して、王家や暗殺首謀者たちに喧嘩を売ってくれれば、暗殺者たちそっちのけの貴族間闘争が起きたことだろう。そうなれば、想定していた道筋とは違うが、国家転覆計画を次に繋げることは可能だ。

 ……そんな淡い期待を男はこっそり抱いていたわけだが、結局公爵は王家と対立しない道を選んだ。それどころか、憎いはずの王家に無理やり花を持たせ、事態の収束を図った。王都中に広がっている噂も、もしかしたら王が“賢君の役割”から逃れられぬよう、公爵自身が流したものなのかもしれない。

 結果として、王は人々の尊敬を集め、奸臣たちは裁かれることになった。王妃も取り巻きを失って、しばらくは大人しくせざるをえないだろう。

 これでは、国家転覆などとうてい無理な話である。

 男にとって、これも結構な誤算であった。


 ……だが、己の失態を悔やむ気持ちはあるものの、男の中に、不思議と憎しみの気持ちはなかった。

 

 どちらかというと、現実感のない不可思議な現象に対する興味が湧いて、男はぽつりと疑問を口にした。


「それにしても、先代たちはどうやってバルト家のループの秘密を知り得たのでしょう」

「……連中の始祖はただの傭兵だったが、戦時中に大将首をとり、その褒美として貴族位を得たという。だが、雑兵に等しい存在が、敵将の首を落とすに至るなど、普通に考えればあり得ぬことだ。そして、そのような存在、王や戦果を狙う将兵たちにとっては、さぞかし目障りであったろうな」


 意外な老人の言葉に、男は目を丸くする。


「つまり、バルト家始祖はループすることで武勲を重ね、我々の始祖はそのお邪魔な英雄殿の処理に度々失敗し、バルトの秘密を知ったと?」

「仮定の話だ。真相は知らん。数多の殺しの中で、連中に辛酸を舐めさせられることが度々あり、たまたまループという結論に至っただけかもしれん。何にしても、儂と同じで先代たちに確証はなかったはずだ」

「あるいは、あの一家はループ能力があるかもなんてお伽話のような話、暗殺者が口にするのは恥ずかしくて、なかなか強くは主張できなかったのかも」


 からかうような発言に、老人は目元を鋭くする。……が、1つ咳払いをして、男の言葉を横に受け流した。


「代々囁かれてきたバルト家の噂が本物だったと分かったことは、大きな収穫と考えられなくもない。二度とこのような失敗が起こらぬよう、バルト家とループのことは組織の掟に組み込んでおくといい」

「掟、ですか。……そうですね」


 男は、己の右腕を見下ろす。折れた腕は、負傷して一週間経った今も、果実が熟れたがごとく熱を持って赤く腫れあがっていた。

 少し関わっただけでこの樣だ。他国に移ればバルトの人間と関わることはないかもしれないが、後継たちのためにも、『暗殺者泣かせの一族には決して近寄るべからず』と、後の世にしっかりと伝えていくべきだろう。


「では、その掟には、今回の失態を忘れないよう、彼女の名前を借りて“カトレア規定”なんて名付けるのはどうでしょう」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る