第62話王城にて



「——此度の件、誠にロバルト卿が仕組んだことと申すのか?」


 玉座の肘掛けを撫でながら、気怠げに王が問う。それに、クリュセルドは淡々と答えた。


「断言はできません。ですが、暗殺者より入手した文書に、彼と一部関係者の関与を示唆する記載が多く含まれていたことは事実です」

「……そうか」


 王は厳かに頷いてみせるが、その灰色の瞳はきょろきょろと落ち着きなく動き回っている。彼に余裕がないのは目に見て明らかだった。


 ——騒動から数日後。クリュセルドは王に謁見すべく、王宮へ赴いていた。

 長く待たされた挙句、いざ玉座の間に踏み入れば、王の横にはそこにいるのが当たり前のような態度で、王妃が佇んでいた。逆に、本来であれば兵と家臣が部屋の隅にずらりと並んで謁見の様子を見守るのが常であったのに、今は王の腹心と近衛が数人、まばらに立っているのみ。話の内容を察して、人払いさせたのだろう。


 事件の詳細をクリュセルドが口にすると、室内は徐々に、重苦しい緊張感で満たされていった。更に、暗殺者がもたらした依頼人の名を告げられると、王は気まずそうに隣の妻の様子を伺い、王妃は口元を扇で隠しつつ、怒りを孕んだ冷気を漂わせた。

 ——そして、今に至る。


 王は目の前の面倒ごとに大きくため息をつき、それから隣の王妃に視線を送る。すると王妃はわざとらしく頬に手を当て、呆れたように頭を振った。


「ご多忙な陛下のお手を煩わせぬよう、諸侯にはある程度の武力と裁判権を許しているというのに……。屋敷に入り込んだネズミごときに惑わされた挙句、それに逃げられたからと陛下に泣きつくなんて、なんと情けない。お話になりませんわ」

「領内で片付けられることであれば、私もわざわざ陛下にお時間をとらせる真似は致しません」


 王妃の挑発に眉も動かさず、クリュセルドは言う。


「ですが、今回の事件にはロバルト卿ほか複数の騎士団関係者が関与している可能性が非常に高い。被疑者が領外の、それも王国貴族の人間となると、私の独断で事を運ぶわけにはいきません。ですから国王陛下には、彼を拘留した上で王宮裁判官に此度の事件についての審議をお命じ頂きたい」

「なんて愚かな!」


 扇をぴしゃりと閉じて、王妃は声を張り上げる。突然の甲高い声に、隣にいた王がびくりと跳ねた。


「その文書、暗殺者が自ら残したものだというではありませんか。そんな不確かなものを根拠に、陛下に動けと? ここ最近のヴラージュ公の驕りぶりは目に余ります」

「暗殺者がロバルト卿と彼の側近たちの名を挙げたのは事実。文書の真偽を確かめるためにも、彼らの調査と公正な審議の場を設けることは必要です」

「審議の結果、彼が潔白であったらどうするつもりですか。確かロバルト卿は、騎士団団長候補の1人であったはず」


 取り巻きの1人が候補であると知らぬはずがないのに、王妃は恥ずかしげもなくそう言う。そして、王にしなだれかかるように、玉座に手を置いた。


「陛下がお命じになれば、ロバルト卿は喜んで審議に協力してくれることでしょう。しかしそうなれば、例え無実であったとしても、彼が騎士団長に就任することはまず不可能になります。ヴラージュ公は彼ほどの忠臣を、たかが暗殺者のもたらした証拠とやらで潰すつもりですか」

「候補者が疑惑を残したままの状態では、団長選の続行自体が難しいと思われますが」

「それは」

「それに、本件は8年前に惜しくも逃がした夢喰いが関わっております。何にしても、この話を自領の内に留めておくわけにはいきませんでした」


 いつになく強引に話を進めるクリュセルドに、王妃は眉をきりきりと上げた。だが、すぐに新たな隙を見つけたと言わんばかりに、口角を上げる。


「先ほどから、夢喰いなどと随分古い名前を持ち出してきていますけれど、ただ暗殺者がそう名乗っていただけでしょう。大した確証もないのに、夢喰いが現れたから国に動けと騒ぎ立てるなんて、あまりに軽率では?」

「……」


 クリュセルドは、玉座の横でせせら笑う王妃を黙って見据えた。そして、王の方へと向き直る。


「実はその件に関して、陛下にご相談したいことがもう1つございます」

「もう1つ……?」


 公爵と王妃のやりとりを呆けた顔で眺めていた王は、再び自分に注意を向けられたことに遅れて気づき、慌てて姿勢を正した。


「我々は今回、文書だけでなく暗殺者が残した毒物も入手しました。その毒は香のような見た目をしていて、火をつけると、甘い芳香を伴う煙を発します。その煙を多く吸い込むと、呼吸がままならなくなり、最終的には息絶える効果があるのだとか」


 そんな毒がなんだと言いたげに、王妃はふん、と鼻を鳴らす。

 王もクリュセルドの意図を測りかねて、首を傾げた。


 夫妻の理解など御構い無しに、クリュセルドは更に続ける。


「香が燃え尽きれば僅かな灰しか残らず、甘い香りもすぐに消え失せます。つまり、密閉した部屋にこの香を焚けば、目立った証拠を残さず対象の命を奪うことが容易に可能となるのです。

 だが、この毒香は起きている人間に使用しても、煙のせいですぐ異常を悟られてしまうという欠点がある。それでも、出入り口を封じて、相手が逃れられない状況を作れば殺害は可能ですが、いちいちそんな細工をしていれば、部外者の痕跡を残しかねない。

 ——だから連中は、この香を睡眠中の人間に使用したのでしょう。眠っている人間ならば、近くで煙が立ち上っていることにも、己の呼吸が止まっていることにもすぐには気がつかない」

「まさか……」


 クリュセルドが語る途中で、王が腰を浮かせて口を挟む。古びた玉座が、きしりと小さな音をたてた。

 事の成り行きを見守っていた数人の臣下たちも、顔を見合わせる。


 皆の胸中を肯定するように、クリュセルドは話す声に力を込めた。


「おそらくこれは、8年前、王都で多発した暗殺事件で使用された毒です。苦しみもがいて死に至るという条件も、証拠が残らないという条件も、かつての夢喰いによる犯行と一致している。——この香だけでも、十分夢喰いの関与を主張する根拠になると考えられます」

「……」


 彼の言葉に、異を唱える者はいなかった。王は額に汗を滲ませ、今にも立ち上がりかねない勢いで、クリュセルドを見つめる。

 王妃は平静を装っているが、先ほどの余裕はとうに消え失せていた。


「未だこの香の詳細について不明な点は多い。現在も、医師たちに毒香の検証を進めさせております。彼ら曰く、毒香の成分調整や発生させる毒煙の量、室内の環境によっては、もはや苦痛すら与えず対象の命を奪うことも可能ではないかと」

「ヴラージュ公!」


 クリュセルドが口にしかけた言葉を、王妃は焦燥を露わにしながら遮る。


「前王陛下の御下命を忘れたのですか! 貴方の両親は、事故で亡くなったのですよ」

「承知しております。それが何か」


 あっさりクリュセルドは頷く。

 肯定されては、王妃も口を閉じるしかなかった。紅い唇が、強く噛み締められる。


 王妃が退いたのを確認して、クリュセルドは再び口を開いた。


「今の話はただの憶測です。ですが、一度私の手によって夢喰いと毒の詳細を世に広めれば、あらぬ勘ぐりをして、私の両親の死や、8年前多発した事故死・病死に疑問を持つ者が大勢現れることでしょう。毒香の調査が進めば、更にその疑惑は深まるかもしれません。

 そうなれば、陛下と王妃殿下にご迷惑をおかけすることは必至です。……たとえそれが、お二人に直接関係のない、話であっても。そのため、この毒をどう扱うかご相談すべく、こうして御前に参りました」

「どう扱うか、だと?」


 思わず王はそう聞き返す。


 毒香はクリュセルドの手にある。それをどう用いるかは、彼次第だ。今なら彼は、毒香と夢喰いの存在を理由にして、8年前の王家による隠蔽を蒸し返すことができるだろう。

 なのに、どうしてわざわざ毒の脅威をちらつかせながら、王の判断を仰ごうとするのか。その真意を読み取ろうと、王は食い入るようにクリュセルドの瞳を見つめた。


 探りの視線を見返して、クリュセルドは答える。


「私としても、陛下のご威光を損なうような真似はしたくありません。ですから、もし、公正な調査と裁判を行い、全ての真実を詳(つまび)らかにするとお約束して頂けるなら……此度の沙汰を、全て陛下にお任せするのも1つの手かと、私は考えております」

「——な」

「もちろん、陛下の不都合に繋がるような真似は一切致しません。真相が解明され、然るべき人間に然るべき裁きが下されるのであれば、己の名誉などどうでもいい。お命じいただければ、多少の方便も厭わぬつもりです」


 ようやくそこで、王はクリュセルドの意図を理解したようだった。

 王妃も同じようで、顔を引きつらせながら扇の端を噛み締めている。


 遠回しな発言が続いたが、つまるところ、彼は王に選択を迫っているのだ。

 ヴラージュ家と対立し、王家の威信を落としかねない真実の隠蔽を試みるか。それとも、公正明大な王を演じ、腐敗した騎士団を切り捨て、真実を白日のもとに晒すか——どちらか選べ、と。

 そして後者を選ぶなら、王家に都合のいい筋書きの台本を用意して、自分も道化を演じてやるとまで言っている。


「陛下……」


 王妃が王に向かってかぶりを振る。しかし、それ以上の言葉は続かない。

 あれほど口やかましくロバルトを擁護していたはずの彼女だが、今やすっかり勢いを失っていた。

 王妃も、簡単にクリュセルドの提案を跳ね除けることはできないと理解しているのだ。


 いずれの道にも、少なからず不利益がある。

 クリュセルドの案に乗れば、王はロバルトを含めた騎士団の一部面々を処罰することになる。そうなれば、騎士団内部のみならず、王政全体に大きな波乱が生じるだろう。

 だが、クリュセルドの手によって8年前の真実を明らかにされたら、王は前王の泥を被る羽目になる。


 どちらが、より損失が少ない道か、王は頭の中で、必死に計算した。

 そしてしばらくの逡巡のあと、返答を待つクリュセルドに弱々しく訊ねる。


「……もし、私が断ったらどうするつもりだ」

「その場合は——」


 碧い双眸が光を放つ。

 そして冷ややかに、覚悟に満ちた声音で、クリュセルドは言った。


「ただ、死力を尽くすのみです」


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