第58話その後7




「それで、奥様はどうしてイネス・カロンが暗殺者であるとおわかりになったのですか」

「勘です」

「……。いや、勘というのはちょっと」

「イネスの足運びが常人のものとは違っていて、この人怪しいなって思っていたんです。しかも私にずっと殺意を向けてくるし。だから試しに無力化してみたんですけど、本当に暗殺者だったみたいでラッキーでした」

「はあ、ラッキー……。ですが、他の方々のお話によりますと、奥様は暗殺計画の詳細を事細かに把握していらっしゃるご様子だったとか。ライゼル・ロッソ殿の事情についても、どうして……」

「勘です。パーティーのときから私に殺意を向けてきていて、この人危ない奴だなって思っていたんです。だから試しにカマをかけてみたら、本当に私を殺そうとしていたみたいで。ラッキーでした」

「しかし」

「勘です」

「……」


 領兵が困ったように私を見つめる。その瞳を強く見返すと、彼はそっと手に持っていたペンを置いた。

 ……勝った。


 自室に戻ってすぐ、公爵が言っていたとおり、聴取の領兵が訪ねてきた。

 とりあえず、自分が最後のループでどう行動したのか、何を知っているのかを「フガッ」が出ない範囲で一通り説明した。夢喰いが毒を使うかも、とさりげなく注意喚起もしておいたけれど、「毒物らしきものは見つかっておりません」とあっさり返されてしまった。イネスの所持品からも、短剣以外に怪しいものは出て来ていないらしい。

 証拠となるようなものは全て、逃げた暗殺者たちが回収してしまったのだろうか。仕方がなかったとはいえ、自分の籠城作戦により逃したものが予想以上に多くて、ちょっとだけ罪悪感が残る。


「で、では、とりあえず今のところは勘ということで。次に、消えた使用人についてですが、何かご存知のことはございませんか」


 そう言いながら、兵は紙を手渡してきた。受け取った紙には、人名がずらりと並んでいる。これが全て、消えた使用人の名前らしい。


「知っていること、と言っても……。私、ここに来たばかりだから、側付きの侍女たちの名前しか分かりません」


 そう言いながらも、一応リストの名前を確認する。10人ほどの名前が羅列していて、その全てが暗殺者なのかと思うと少しぞっとした。

 これだけの暗殺者を抱えている夢喰いは、どれほどの規模の組織なのだろう。最終的な彼らの戦果はライゼルさんいじめくらいだけど、恐ろしい集団であることに変わりはない。


 でも、結局イネス以外の暗殺者と対峙することはなかった。他の暗殺者は、どこに隠れていたのやら。なんだか1匹見つけたら10匹は潜んでいると言われているアレみたいだ。


「んん?」


 ふと用紙の一部分に目が止まる。

 知り合いなんていないはずのリストの中に、覚えのある名前があった。


 アマンダ・デニエ。——セレニアちゃんの、側付き侍女だ。









 確かにアマンダは怪しかったけれど、あっさりセレニアちゃんの連れ出しを許してくれたから、容疑者から外したのに。どうして彼女はあの場で私とセレニアちゃんを見逃したのだろう。やる気がなかったのだろうか。

 ——いや、これはアマンダに限った話ではない。あの夜私は大した障害もなく、わりと自由に行動することができた。私の行動を阻止してきたのは兄様くらいだ。身内の方が、暗殺者たちよりよほどしっかり仕事をしているとは。


 ライゼルさんのことは手厚く追い詰めたくせに、私の行動にはほとんど干渉してこなかった夢喰いたちの手口に、どうしても疑問が残る。何かそこに、別な思惑があるような気がしてならない。


 これはもう、暗殺者(イネス)本人を直接問いただすしかない。


 聴取が終わったあと、私は行動を起こすことにした。もうとっくに日は落ちていたけれど、明日なんか待っていられない。現在イネスは城内に囚われているけれど、いつ他の場所に移送されるかもわからないのだ。


 この頃には鼻の痛みも治まっていて、忘れかけていたアージュさんのとんでもない話はしっかり思い出されていた。本当、なのかな……。私を大人しくさせるためについた嘘、という可能性もあるけれど、こんなこと、確かめようがないし。

 とりあえず、無茶と夜更かしはなるべくしないように注意しよう。


 部屋を抜け出すのは簡単だった。お手洗いに行く際に、護衛の兵に「お腹を壊して大変なの。恥ずかしいからお手洗いから離れてちょうだい」と、面と向かって告げてみたら、兵は複雑そうな顔をして、お手洗いの扉から離れてくれた。そのわずかな隙に、私は音もなくその場を走り去った。

 今頃あの兵は「なげーな」と思いながら、誰もいないお手洗いの前で私の帰還を待っていることだろう。


 確実に何かを失う作戦ではあったけれど、仕方あるまい。


 それから、牢があるという東棟地下へ移動し、堂々と地下牢入り口の扉を叩いた。真夜中の公爵夫人登場に見張りたちは動揺していたけれど、「夫の許可はとってある」と強引に押し通したら、なんとかイネスのもとに案内してもらうことができた。


 いかにもここ数年使われていなかった様子の牢獄は、薄暗く埃っぽい。石壁の隙間には、蜘蛛の巣が張っている。物置がわりになっていたのか、鉄格子で区切られた各部屋には古びた木箱が積み重ねられている。

 そんな雰囲気最悪な牢の一画で、イネスは椅子に腰掛け静かに佇んでいた。


「……奥様」


 私の登場に、イネスは少しだけ目を見開く。……が、すぐに表情を消して、私から視線をそらした。


「イネス、貴女に聞きたいことがあって来たの」


 時間が惜しいので、さっそく本題に入る。

 腹痛作戦もゴリ押し作戦も大した時間は稼げまい。私が牢に押し入ったという話は、すぐに公爵に伝わるだろう。そうなる前に、イネスと2人だけで話しておきたい。


「アマンダは貴女たちの仲間だそうね。実は私、昨日の夜セレニアちゃんの部屋の前で、彼女に会ったの。でも、そこで不可解なことがあってね」


 こちらが話を始めても、イネスは何もない石壁をじっと見つめたまま微動だにしない。

 私は彼女の無視など御構い無しに続けていく。


「貴女たちの計画は、セレニアちゃんを人質にしていることが大前提だったはず。なのに、アマンダは私がセレニアちゃんを連れ出すのを強く引き止めなかったの。その結果、ライゼルさんは私を殺す必要がなくなり、暗殺者たちは貴女1人を置き去りにして、姿を消すことになった。……これって、おかしいわよね?」

「……」

「ねえ、イネス。もしかして貴女、裏切られたんじゃないの? アマンダのやったことは、どう考えたって暗殺者たちにとってマイナスの働きにしかなっていないもの。自分だけ殴られて縛られてこんなばっちい場所に置き去りにされて、腹が立ってこない? ここでいっちょアマンダにやり返そうと思わない? 捕まるなら1人より2人の方がいいでしょう? だったら——」

「……奥様が仰る言葉の意味が理解できません」


 畳み掛けるようにあれこれ言うと、うんざりした声が返ってきた。


「何度も申し上げておりますが、私は暗殺者ではありませんので」

「いやいや。ならあの刃物を仕込んだブーツはなんなの」

「ただの護身用です」


 護身のために、刃物を靴に仕込む女性が世の中にどれほどいるのだろうか。

 きつすぎる言い訳だけど、イネスは真顔でそう言い切る。

 

「でも、ライゼルさんと同じ短剣を持っていたわけだし」

「兵の方々からもそのお話を聞きましたが、短剣のことなど知りません。誰かが私の私物に紛れ込ませたのでしょう。大体、暗殺者がわざわざライゼル・ロッソ様と同じ短剣を持つ意味などあるのですか」

「う」


 動揺を見せないあたり、ライゼルさんとは格が違う。脂汗を流すくらいしてくれればまだ可愛げがあるのに、イネスはちょっと無理のある主張を、さも当然のように口にする。

 あまりに堂々としすぎていて、一瞬「一理あるかも」なんて思いかけてしまった。


 だめだ。イネスのペースに飲まれてはいけない。

 私にはまだ、とっておきの手札があるのだ。


「……貴女が短剣をどう使うつもりだったのかはわかるわ」


 私がイネスを暗殺者だと断定したのは、ライゼルさんから合図の話を聞いたからだ。

 でも、それだけじゃない。


 2回目のループ。あのときだけ、私は毒煙によって殺された。

 夢喰いの存在を知るまで、あれはずっとライゼルさんによる犯行だと思っていたけれど、今思うとそんなわけない。あの人にそんな器用な真似が出来るはずがない。

 あれはどう考えてもイネスの仕業だ。

 よくよく考えると、セレニアちゃんが殺されたときは、どちらも私があからさまに警戒していて、かつそばには兄様や公爵がいた。あの状況下で私を殺すなんて、凄腕の暗殺犯でも難しかっただろう。一方で、2回目のループのときは、私は状況を理解しておらず、横にはペトラがいただけ。まだ、私を殺す余裕が暗殺者たちにあった。


 だから、イネスは自分の手で私を殺害することを決意し、毒煙を使用した……と、考えれば辻褄が合う気がする。


 いやいや彼女も他の侍女たちと一緒になって倒れていた、そんなのおかしいだろう、という疑問が湧いてくるが、これは実体験が正解を導いてくれた。


「貴女たち夢喰いは、毒煙を使うでしょう」


 イネスが顔を上げる。表情を動かさないようにしているけれど、彼女の目の奥にわずかに驚きの色が見えた。


「あれ、ちょっと吸い込んだだけでも喉が詰まったようになって、そのうち声も出なくなる効果があるわよね。でも、あのとき貴女は毒煙の中で『うぅ』って声をあげた。咳き込むならまだわかるけど、あの煙立ち込める中で『うぅ』なんて、とてもじゃないけど言えるはずないわ。2回ももろに嗅いだから、よくわかるの」

「……は? 嗅いだ?」

「でも、息を止めていればしばらくは毒煙の中でも動くことができる。だから貴女は予め部屋に毒煙を充満させ、中にいるテレサとハリエを手にかけた。そして、私とペトラが戻ってくるタイミングで、息を止めて部屋の中で倒れているふりをした。でも、貴女も長時間毒煙の中に留まっていられるわけじゃない。だから、部屋の外にいる私とペトラを中に引き込もうと、わざと声を出した。そうすれば、貴女を助けようと私たちは中に入らざるを得ないからね。そしてまんまと部屋の中に誘き寄せられた私は、毒煙を吸い込み、倒れてしまう。けれどそれで死ぬだけじゃ、私を殺す意味がない。何か、ライゼルさんに繋がる痕跡を残す必要があった。

 ……そこで、貴女はライゼルさんに渡したものと同じ短剣を、瀕死の私に突き立てた。つまり、短剣はライゼルさんに罪を着せるためのものだったのよ!」


 とはいえこの方法は、ライゼルさんに完璧に罪を着せるにはやや弱い。いくら脅されてライゼルさんが「自分がやった」と罪を認めたとしても、疑問は残るし、別の人間による犯行だとばれてしまう可能性だって高い。暗殺者たちとしても、自分たちの手による私の殺害は最後の手段としていたのだろう。


 ……すごい。私今、最高に冴えているんじゃないだろうか。

 よくよく考えると、この名推理をイネスに披露したところで、正解なのか確かめようがないけれど。


 でも、イネスの顔は今や驚愕で満ち満ちていた。身に覚えのない殺人計画を暴かれ、使用していないはずの毒煙の存在を指摘されては、驚くなと言う方が無理な話だろう。


 ここで一気にトドメを刺してやる。私は鉄格子の先にいる暗殺者に向けて、右手の人差し指をびしりと突きつけた。


「私には全てお見通しよ。——犯人は、お前だ!」

「当たり前だ。だからそいつは牢に入っている」


 気分を盛り下げるような横槍が入れられる。

 いや、そうなんだけどそういうわけではなくて。


 私の名推理に無粋なツッコミを入れる野太い声は誰のものかと振り返る。

 そこには怒りで顔を真っ赤にさせた父様と、公爵が立っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る