第56話その後6
「どうしてそいつをぶん殴らなかったんですか!」
「ぐおっ!」
ライゼルさんから脅迫の経緯を聞いたあと、我慢ならなくなって床を一回踏みつけたら、隣に立つ公爵の足を巻き添えにしてしまった。
旦那様の悲痛な声を聞いて、噴火間際だった怒りが瞬時に冷える。
「ああぁ、ごめんなさい」
「だ、大丈夫だ。気にしなくて、いい」
そう言いながら、公爵は腕を組んで歯を食いしばる。周囲の視線がある手前、大げさに痛がることを必死に我慢しているようだった。
この空気の中で何やってんだ、という兄様の思念が伝わってくる。
わざとじゃない。でも、腹が立って仕方がなかったのだ。
敵に都合よく利用されたライゼルさんに腹がたつ。何より、セレニアちゃんを便利な脅迫の材料として扱った、夢喰いの仲間だという男に腹がたつ。
私は、実際にセレニアちゃんが殺された場面を目にした。
彼女の死が、そんな——身勝手な計画の、失敗への見せしめのためだけにもたらされていたなんて。
「人質をとって脅迫されていたのに、ぶん殴れというのは無茶な要求すぎるだろう」
兄様がもっともなことを言う。
それはわかっている。でも、私はそういうことを言いたいんじゃない。
セレニアちゃんのことを好きなくせに、彼女をこけにされても何もやり返そうとしなかった、ライゼルさんの意気地のなさを責めているのだ。
「……ライゼルさん。その最高に腹の立つ男とは、その後も会ったんですか」
「いや。男と顔を合わせたのは——というか、私が夢喰いの姿を直接見たのは、イネス・カロンを除いて、その時一度きりだ。それ以降の指示は、全て手紙で送られてきたから」
指示、というのは私を殺害するための指示、ということだろう。公爵がぴくりと反応して、眉間に皺を寄せる。
ライゼルさんはずっと視線を下にしていたけれど、意を決したように私をまっすぐと見据えた。そして胸に手を置き、ゆっくりと頭を下げた。
「本当に、君には申し訳ないことをした。私は、暗殺者どもに屈して、罪のない君の命を奪おうと……」
「私に謝る前に、もっと他に謝るべき人がたくさんいるでしょう!」
情けない謝罪にイラっとして、ついそんな言葉が口をつく。
……ん? やっぱり、私が一番真っ先にごめんなさいと言われるべきかな? 思いつめたこの人に何度も殺されたわけだし。
いや、ループのことを話せない以上、その理論は通用しないか。
ライゼルさんは、もう少しで公爵を、自分の先生を、そしてセレニアちゃんすらも裏切るところだった。本当に悪いのは脅してきた奴であって、ライゼルさんもまた被害者ではあるわけだけど。
彼に別な覚悟があれば、こんな暗殺未遂事件なんて、起きることもなかったのだ。
「前にも言いましたが、ライゼルさんがうじうじ1人で悩んでいなければ、こんなことにはなりませんでした。ね? 公爵様!」
「ああ、その通りだ」
表情を険しくして、公爵が同意する。
「全てを犠牲にしてもいいくらいセレニアちゃんのことが好きでたまらないくせに、自分なんかじゃ釣り合わないなんて、思いも告げずに諦めたふりをして。でも結局諦められなくて、未練たらたらでいるのがバレバレだったから、そこを敵に利用される羽目になったんです。ね? 公爵様!」
「あ……ああ。そう、だな」
公爵は頷くけれど、少し歯切れの悪い返事だった。
「ぐだぐだ悩むくらいなら、好きってちゃんとセレニアちゃんに伝えていればよかったんです! それで駄目だったなら、ライゼルさんもしっかり諦めがついて、敵につけ込まれることもなかったかも。逆に、もし告白が上手くいっていたなら、ライゼルさんは人目なんか気にせず、堂々とセレニアちゃんのそばについて、彼女を守ってあげることができたでしょう。
……つまり。今回の件は、好意を変な方向に拗らせた、ライゼルさんのうじうじが悪いんです! ね? 公爵様!」
「……」
とうとう公爵は何も言わなくなってしまった。彼は何故か苦々しい表情をしている。
情けない親友の姿に、ショックを受けているのだろうか。
「その話題は、当人たちだけで後ほど議論してもらうとしてだな。消えた使用人とやらの行方はどうなっている。そいつらが、暗殺者である可能性が高いんだろう」
兄様が訊ねると、ファロー執事長も空気を変えようとしてか、それに便乗した。
「姿を消した使用人たちは、領軍の方々に捜索して頂いております。……ですが、今のところ1人も発見できておりません」
「近隣の他領にも、協力を要請している。簡単に逃げられる状況ではないと思うが」
公爵や執事長の反応を見るに、芳しい結果は得られていないようだった。
これは、私が強行した籠城作戦が主たる原因だろう。籠城してから朝がくるまでの時間、暗殺者たちは完全に自由な状態だった。
暗殺者たちはおそらく、自分たちの計画が露見したことを察知して、行方を眩ましてしまったのだ。
誰もそうとは言わないけれど、これって……私のせい、なのかな。
「婿殿。人員の整理は終わっているのか。まだ城館の中に暗殺者の仲間が残っている可能性だってあるわけだろう」
「確実に信頼できる者の選別は終わっている。だが、いかんせん人員が足りず、判断のつかない者はまだ大勢いる状況で——」
「つまり、まだこの城館内も完璧に安全とは言い切れない状況というわけだな」
兄様は頭を掻きながら、少し棘のある物言いをする。
公爵は難しい顔で、それに応えた。
「……これが、夢喰い共の狙いなのかもしれない。我々が、存在するのかどうかわからない敵に翻弄されている内に、完全に姿を消すつもりなのかも」
「あるいはそう考えさせて、こちらが油断した隙に、残った暗殺者が寝首を搔く算段なのかもしれんぞ」
「兄様、さっきからどうしたんです」
らしくない発言の数々に、少し非難を込めて声をかけるけど、兄様は首を振るだけで口を止めない。
「とにかく、夢喰いとやらの尻尾を掴まないことには、その黒幕の正体にもたどり着くことはできないわけだろう。このままじゃ、ジリ貧なんじゃないのか」
「黒幕については、ある程度の目星をつけている。師の騎士団長就任を阻み、かつ私と師の関係に亀裂を走らせたいと考える人物——。ライゼルに接触してきた男の話が全て真実ならば、実際に暗殺の指示を下したのは、おそらく8年前の事件に関与した、騎士団上層部の関係者だ」
だんだんと、話のスケールが大きくなってくる。
私は、本来なら関わることすらなかったはずのお偉い方々に、命を狙われたというのか。
……私を殺したいのではなく、ライゼルさんが私を殺したっていう事実が欲しかっただけ、ということだけど。
「単純に、師の騎士団長就任を阻むだけなら、他にも手はあったはずだ。だが、私の影響力を排除し、師を完全に遠ざけようとした、ということは……。師の手によって、8年前の事件が明るみに出ること恐れた何者かの思惑が噛んでいると考えられる。加えて言うなら、王妃と懇意にしている王妃派貴族である可能性も高い。あくまで、憶測だが」
「憶測じゃ安全は確保できない。厳しい物言いになるが、このままでは暗殺者にも黒幕にも逃げられたまま、全てがうやむやになる可能性だってあるぞ」
「……わかっている、義兄上。だが、こちらにはカトレアが捕らえてくれた、暗殺者がいる。奴が口を割れば、夢喰いの足取りを掴むことができるかもしれない。とにかく、今は捕らえた暗殺者の尋問と、消えた使用人たちの捜索を急がせている。進展があるまでは、どうか待ってもらいたい」
「それで、その暗殺者から、何か情報が得られたのか」
「……いや。しかし、奴が携帯していた所持品の中から、ライゼルが夢喰いから渡されたものと同じ、短剣が出てきた。それが、奴が暗殺者であるという、動かぬ証拠になる。短剣の出所についても、現在調査中だ」
イネスは、短剣まで持っていたのか。仕込みブーツといい、随分物騒な人が近くにいたものである。先制攻撃で倒すことができて、良かった。
でも、彼女が暗殺者だってことがはっきり周囲に知らしめることができたからって、何かが大きく変わったわけじゃない。
……なんだか私が考えていた以上に、事態は深刻なようだった。
せっかく、殺伐としたループから抜け出せたのに、今度は小難しい陰謀とやらにぶち当たってしまうとは。
誰も傷つかない未来とイケメンの旦那様を手に入れたのに、これじゃあ素敵な新婚生活を満喫することができない。
「そうだ! 『ごめん、誤認逮捕でした』って言って、イネスを解放してみるのはどうでしょう。そうすれば、仲間が潜むアジトに帰ろうとするかも。それをこっそり追えば、夢喰いの連中を一網打尽にできるかもしれません!」
「……」
名案が舞い降りてきたのでとりあえず口にしてみたら、何故か室内が静寂に満たされた。
あれ?
「お前は暗殺者を蟻か何かかと思っているのか。馬鹿にしすぎだろ」
兄様が面倒くさそうに言う。
「蟻? どういうことですか?」
私が首を傾げると、兄様はしばらく呆れたように私を見つめたあと、これ見よがしにため息をついた。
「……いや、何でもない」
「なんですか、感じ悪い。ちゃんと教えてくださいよ」
「義兄上は、蟻の帰巣性について言いたかったのだろう。この状況で暗殺者を簡単に解放しても、きっと警戒して蟻のように本能の赴くまま巣に戻ってくれはしないだろうと……」
「待ってくれ、婿殿。解説してくれるな。こいつが蟻並だという証明になってしまう」
随分と失礼な会話が頭上で繰り広げられている気がする。何が蟻並だというのか。
現状を打開できる素晴らしい作戦だと思ったけれど、却下のムードが流れている。ならば次はイネスを囮にした作戦を提案しようと口を開きかけたら、兄様に頭をぐわしと掴まれた。
「とりあえず、事情と今の状況は把握した。俺たちは、そろそろ退散させてもらおう」
「え、ちょっと兄様」
「わかった。だが、彼女にはまだ確認したいことがある。後で部屋に聴取の者を向かわせるので、自室で待機してもらいたい」
引き止めようともせず、公爵は頷く。そして、引き摺られていく私を、辛そうな表情で見送った。
「巻き込んですまなかった、カトレア」
◇
兄様に頭を掴まれたまま、自室へと戻る。
脱出を試みようと何度か頭を振ってみたけれど、兄様の大きい手のひらが離れることはなかった。
「兄様! 私、まだ話し足りません!」
「俺はお前の兄貴ってだけで、ここじゃただの部外者だ。そして、お前はここに嫁いだばかりの新参者。俺たちがあの場で出しゃばっても、ただ邪魔になるだけだろ」
「でも」
「断言できるが、あの場で蟻ん子大作戦を提唱するような奴に、できることなんてねぇよ」
ううう、なによ、蟻ん子大作戦って。そこまでひどい作戦とは思えないけど。
何にしても、このまま部屋に引きこもって事件が解決するまでじっとしているなんて、できやしない。
ループからは抜け出せたけど、黒幕の正体もはっきりしていないし、暗殺の脅威も未だ拭いきれていないのだ。
「邪魔しませんし、なんなら隅っこにいますので……マスコット的なかんじで、あの部屋に残っちゃだめでしょうか……」
「……」
信じられないものを見るような目を向けられる。
分かっている。今の発言は我ながらきつかった。
流石の兄様もマスコット云々について掘り下げる気力はなかったらしく、私の発言は軽く流された。
「お前が奇跡的に大人しくしていても、婿殿や執事長が気を遣うだろうが。気持ちはわかるが、自分の部屋で待機していろ」
「私だって、ここの人間になったのに、何もしないでいるなんて……」
「できることならある。知っていることを、全て領兵に話せ」
「……」
兄様はたぶん、どうしてお前が暗殺者のことを知っていたんだって言いたいのだろう。そして公爵が私に確認したいこと、というのもおそらくそのことだ。
私だって、話してしまいたい。けれど「フガッ」となってしまう以上、どう足掻こうと私は自分がどうして暗殺計画を阻止することができたかなんて、人に説明できないのだ。
黙りこくった私に反抗の意思がないと判断したのか、兄様はようやく頭から手を離してくれた。そして、「とんでもないことになったもんだ」と小さく呟く。
「いや。お前がここに嫁ぐこと自体がとんでもない話だったな」
「……そういえば、兄様。さっきのあれ、何ですか。人の旦那様に、随分と突っかかってくれちゃって」
「はあ? あれは、仕方ないだろう。親父がここにいない以上、俺が詳しい状況を聞いておかなきゃならないだろうが。でなきゃ、俺だってこんな面倒な話に首を突っ込みたくはねぇよ」
「む」
ここにきて、思いのほか兄らしい答えが返ってきた。
そう言われては私もこれ以上文句は言えない。
「お前の暗殺未遂事件があったなんて聞いたら、親父も飛んでくるだろ。そうしたら、ここで引き篭もっているわけにいかなくなるかもしれないからな。聞けることは聞いて、抱えている情報は全て話しておくべきだ」
「それって、どういうことですか」
「……」
兄様は答えない。
すっきりしない気持ちのまま、私は再び自室に押し込められる。
結局、何かが進展したわけではなかった。むしろ、むか腹の立つ話を聞かされて、余計に怒りが蓄積されただけだった。
このまま、いつか安全になる日を待って大人しくしているなんて、出来るわけがない。
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