第55話side:彼の事情3



 深夜のサファ通りには、通行人どころか、道端で微睡む浮浪者の姿すら見えなかった。


 明かりが消えた家々に見下ろされながら、ライゼルは死んだように静かな道を進む。

 やがて突き当たりへとたどり着くと、そこには、1人の男が穏やかな笑みを湛えて佇んでいた。


「昨日は来ていただけなくて、がっかりしました。ライゼル・ロッソさん」

「……お前が、あの箱の送り主か」

「今日の贈り物はお気に召していただけたようでなによりだ。こちらも頑張った甲斐があります」


 男は馴れ馴れしく言って、一歩前に進んだ。

 ライゼルは周囲に他の気配がないかを探りながらも、男の姿を観察する。


 妙な男だった。声は若いが、顔は若いようにも、ある程度の年齢を重ねているようにも見える。仕立てのいい服を着て、小ぎれいな身なりをしているが、遜った態度が鼻につく。人懐っこい笑顔を浮かべているものの、その奥にどんな感情を抱えこんでいるのか、まるで読むことができない。


「お前は何者だ」

「あの鳥、何か分かりますか」


 男は勝手に喋り続ける。こちらの疑問に答える気はないらしい。

 苛立ちを抑えつつ、ライゼルは男の問いに付き合った。


「セレニアが飼っていた鳥、だろう」

「その通り。正確には、貴方が2年前セレニアさんに贈ったインコのリリちゃん、ですね」


 「いやあ、リリちゃんには可哀想なことをしてしまいました」と男はぬけぬけと言いながら、表情を伺ってくる。平常心に少しさざ波を立たせながらも、ライゼルは辛抱強くさらに訊ねた。


「どうやってあの鳥を持ち出した」

「どうやって? そんなの、セレニアさんのお部屋に忍び込んで、鳥籠を——」


 ライゼルは素早く腰元の剣を引き抜き、切っ先を男の喉元へと突きつけた。

 流れるような動作に男は避ける暇もない。——そして、避けようという気もないようだった。

 一歩動けば喉を貫かれそうな状況にありながら、男は「ふむ」と刃とライゼルを交互に見て、それから他人事のように言った。


「私を殺しますか。あまりお勧めはできませんが」

「殺しはしない。お前を捕らえて兵に引き渡す」

「連行する前に、こちらの目的くらい聞いてくれてもいいのでは」

「王都騎士団は犯罪者の戯言になど耳を貸さない。くだらぬ目的は、尋問の際にでも吐き出すことっだ」

「はあ、王都騎士ですか。王への忠誠心など欠片もないくせに」

「……なんだと」


 剣先がわずかに揺れる。ライゼルのわずかな動揺を見抜いて男はくつくつと笑った。


「知っていますよ。8年前、ヴラージュ公爵夫妻が亡くなったとき、貴方は随分と歯痒い思いをされたそうで。確かにひどい話だ。どうみても不自然な死を、国はくだらぬ面子のために、事故病死で片付けたまま葬り去ったのですから」

「なにを……」

「だがいけないな。公爵夫妻の死について改めて調査することは、王命によって固く禁じられているはず。命を下した前王は既にご逝去されていますが、死んだからといって王命の効力が消えるというわけではない。なのに貴方は、こそこそと隠れてお友達と8年前の事件の影を追い続けている。目ぼしい成果は得られていないようですがね」

「……」

「まあ、貴方に上辺だけの忠誠心しかないことなんて、ちょっと調べれば誰にでも分かることです。その態度があからさまに漏れているから、騎士団の中でも浮いてしまうのですよ。実直なのは結構ですが、少しは腹芸も覚えないと」

「何が言いたい。私を説教するためにわざわざ公爵家に忍び込んで、手の込んだ嫌がらせをしたというのか」


 ライゼルは再度、剣を持つ手に力を込めた。

 剣先がわずかに男の首筋を撫で、赤い線が浮かび上がる。


 それでも男は笑みを崩さずに、とんでもないと首を振った。


「まさか。私はただ、手紙の通り、貴方にお願いしたいことがあるだけです。今のはちょっとしたアドバイスですよ」


 平時であれば、こんな胡散臭い男の話に付き合うことはない。

 しかし、この男が何かしら悪意と目的をもって近付いてきたことは明白だった。そして、ライゼルたちが密かに8年前の事件について調べていることも知られている。

 このまま兵に引き渡せば、クリュセルドやセレニアに害が及ぶかもしれない。そう考えて、ライゼルは渋々男との会話を続けることにした。


「……目的とやらを聞いてやる。願いとは、なんだ」

「とある人物の殺害です」


 馬鹿馬鹿しい。そう言いたくなるのを、ぐっと堪えて更に訊ねる。


「誰の殺害だ」

「貴方も名前は知っている人物ですよ。ヒントは——」

「その癪に障る物言いをやめろ。反吐が出る」

「それは失礼」


 男はわざとらしく肩を竦めて見せた。その拍子に、首筋に新たな赤い線が走った。


「じゃあはっきり言いますね。殺してほしいのは、カトレア・バルトという、地方貴族のご令嬢です。ヴラージュ公爵との結婚を一週間後に控えた、今話題の女性ですね」

「……は?」


 あまりに予想外な名前に、ライゼルはつい聞き返すように声をあげた。


 てっきり男は、クリュセルドや師の名前を挙げるものと思っていた。ライゼルの身近にいる人間で、命が狙われるような人物と言ったら、この2人しかいない。

 だが、親友の花嫁の名が出てくるとは想定していなかった。虚を衝かれて、怒るタイミングさえ見失ってしまった。


「私が、そのような依頼を受けるとでも?」

「ええ、もちろん」


 自信たっぷりな肯定が返される。

 同時に、雲の切れ目から月が顔を覗かした。男の笑顔が、青白く照らされる。

 

 ——この男は長く言葉を交わすべき相手ではない。そう、本能が警鐘を鳴らした。

 不安を悟られぬように、ライゼルは男が次なる言葉を吐くより先に、言葉を発した。


「……お前が愚かだということはよく分かった。そして、そんなお前の話に長々と付き合った私もな。公爵家城館への不法侵入、王都騎士への脅迫行為、殺人教唆——どれも立派な犯罪だ。牢に入って、己の愚行の数々を悔いるがいい」


 ライゼルは男の首元から剣先を外し、刃を鞘に収める。そして素早く男の背に回って、無防備な右手を背中側にひねり上げた。

 抵抗も見せず、あっさりと男は拘束される。男は「いたた」と感情のこもらぬ声をあげながら、さも意外そうに片眉を上げた。


「困ったな。貴方がこんなに真っ当な判断のできる人だとは」

「私のことを随分と知ったような口を聞くのだな。お前のような知人を持った覚えはないが」

「貴方が我々のことを嗅ぎ回るものだから、こちらも仕返しに色々調べてやったんですよ。だから結構、貴方のことは存じ上げているつもりです」

「何を馬鹿なことを。勘違いもほどほどに——」

「私、あなた方が夢喰いと呼ぶ組織の一員でして。先にこちらを突いてきたのは貴方なんですよ、ライゼルさん」


 こともなげに夢喰い、という単語を口にされて、その意味を飲み込むのに数拍の間を要した。

 動きを止めた自分に、男が満足げな視線を送っていることに気がついて、ライゼルは拘束の力を強める。ギシギシと関節が軋む感触が手に伝わって来たが、男は涼しい顔のままだった。


「くだらない冗談を繰り返すな。そこまで私を怒らせたいのか」

「まさか、ここで冗談なんて言いません。ううん、どうすれば信じて頂けるかな」

「黙れ。さっさと……」

「例えば、夫妻はあのとき夫人の寝室で眠るようにお亡くなりになっていた、とか。夫人はシルクのナイトガウンをお召しになっていた、とか。お部屋には夫人が購入したばかりの静物画が飾ってあった、とか。

 ——こう言えば、少しは信じて頂けますか」

「……な」


 驚きで、手から力が抜けた。

 その隙に男はライゼルの手を払って、するりと拘束から逃れて見せた。そして、わざとらしく言い足す。


「ああそうだ。最初に夫妻の死を発見したのがセレニアさんだったことも知っていますよ。彼女、当時まだ8か9歳くらいでしたっけ。可哀想に」

「どうして、そのことを」


 手元から逃れた男を追うことも忘れて、ライゼルはそう訊ねる。


 当時の状況について記された資料は、とっくの昔に破棄されている。

 夫妻の死が実際は他殺であるという噂は広く囁かれているものの、その詳細を部外者が知る由などないはずだった。ましてや、セレニアが最初の発見者などと……


「ですから、私は夢喰いなんですって。夫妻殺害時の前後の状況くらい、知っていたって不思議ではないでしょう。ちなみに、セレニアさんが夫人の寝室に飛び込んだとき、暗殺者はまだ近くに潜んでいたのですよ。いやはや、危機一髪でしたね」


 何かを暗に仄めかすような言葉と共に、男は戸惑うライゼルの瞳を覗き込んだ。


「彼女まで殺されることにならなくて本当によかった。でなければ、あのように可憐なお姿を拝見することもできませんでしたからね。元々可愛らしい方でしたが、ここ最近は亡くなったお母君に似て、ますます美しさに磨きをかけたように思います。……貴方がご執心になるのも、無理はない。

 今日は、藤色のドレスをお召しになっていて、それがまた良くお似合いだったそうですよ。ほら、貴方が前回城館を訪ねたときに着ていた、あのドレスです」

「……」

「覚えていませんか? ライゼルさんもよく似合っている、なんて言って褒めていたではないですか。彼女、その場では笑って流していましたが、実はあのときとても喜んでいたんですよ。藤色は亡くなったヴラージュ夫人が生前好まれていた色ですからね」


 それも真実だった。

 愕然とするライゼルを前に、男は芝居掛かった調子で、セレニアの近況をまるで見てきたかのように語った。

 社交界を密かにざわつかせた、夜会での王妃との大胆な応酬。そしてその後、城館で繰り広げた兄妹喧嘩。

 ライゼルですら耳にしたことのない話が、男の口からするすると流れ出てくる。

 

「今日は、セレニアさんは新しくやってくるお義姉さんのために、部屋の準備をあれこれ仕切っていたそうで。ヴラージュ夫人の寝室、というのは彼女にとって辛い思い出の塊のように思えますが、そこをあえて亡くなった母親に似た衣服に身を包み、新たにやってくるヴラージュ夫人のための部屋を用意する、とは。なかなか気丈な振る舞いだと思いませんか」

「……やめろ」


 もはや疑いようのない確信が、胸の中に広がっていた。

 しかしそれを認めてしまったら、取り返しのつかないことになる。目の前の男の悪意に飲まれてしまう。

 そうなる前に、男をもう一度捕らえ、その口を塞がなくては。


 次の言葉を耳にする前に、ライゼルは剣の柄に手をのばそうとする。しかしそれより早く、男は口を開いた。


「時間が惜しいので、そろそろ単刀直入に申し上げます。お察しとは思いますが、我々は現在、多数の仲間をヴラージュ家の城館に潜ませています。私がよしと言えば、彼らは即座にセレニアさんを殺害することが可能です。彼女を失いたくなければ、結婚式の夜、ヴラージュ公の花嫁を殺してください」

「……っ」

「勿論、貴方にもちゃんと監視をつけていますからね。この話を外部に漏らそうとした時点でセレニアさんを殺します。貴方にその気がなくても、計画失敗の恐れがあると判断した時点で殺します。うっかり我々に誤解されるような真似をしないよう注意してください」

「俺が……そのような話を信じるとでも……」

「おや、その返しは少し苦しいですね。信じていないなら、とっくに私のことを取り押さえるなり斬り伏せるなりしているものと思いますが」


 やれるものならやってみろ、と言わんばかりに男は両手を広げた。


「まあ、今からでも遅くありません。どうぞお好きなようになさって下さい。でも、予感があったから、誰にも行き先を告げず、1人でここまで来たのでしょう。ああ、それとも近くには信用できるご友人がいなかったのかな」


 監視を匂わせるような言葉に、剣を掴もうとしていた手が止まる。

 指先はしばらく柄の近くを彷徨ったが、男の試すような視線に晒されて、結局ライゼルは腕をだらりと下ろした。


 手のひらの上で転がされている屈辱と、簡単に脅しに屈した己への怒りで拳が震える。しかしここで、感情任せに力を振るうことはできなかった。


「……どうして人質など面倒な方法を使って、わざわざ俺に殺人を指示しようとする。お前の言葉が全て真実なら、お前たちだけでも花嫁の殺害は容易いはずだ」

「まあ、殺すだけなら確かに簡単ですが。我々が花嫁を殺しても、そんなに大きな旨味はないのですよ」

「旨味だと……?」

「貴方が許されない罪を犯す。そうなれば誰が困るでしょう?」


 すぐに答えに行き当たる。ライゼルの行いが、直接影響を与える人物。

 それは1人しかいない。


「養父のことか」

「正解です。貴方自身は取るに足らないただの一騎士ですが、貴方の先生は次期騎士団長候補の1人。この時期に、身内が殺人など犯せばまず騎士団長就任など無理でしょうね」

「ならば、俺に適当な罪を着せればいいだけの話だろう! なぜ花嫁を殺す必要がある」

「だって、貴方がケチな犯罪に手を染めたくらいでは、お人好しな公爵様が友情パワーで庇ってくれてしまうかもしれないじゃないですか」

「彼は、権力を振りかざして他人の罪を覆い隠すような男ではない」

「はいはい、そうかもしれませね。でも、貴方がただの犯罪者に成り下がっても、フィラルド卿とヴラージュ公の関係は揺らぎません。しかし、自分の妻を殺されては、流石のヴラージュ公も貴方を擁護することはないでしょう。そして、貴方の養父であるフィラルド卿とそのまま良好な関係を続けることも難しくなる。フィラルド卿も、公爵家の支持がなければ、王都を去るしかありません。

 ……ほら、こうすれば、我々は彼らの仲を完璧に引き裂き、ヴラージュ公が持つ騎士団への影響力も、フィラルド卿が築き上げた今の立場も、全て台無しにすることができる」


 男は惜しげも無く己の計画を語ってみせる。そして得意げに口角を上げた。

 初めて彼の浮かべた笑みが、心底嬉しそうに見えた。


「それに、あの花嫁自身が邪魔なのも事実です。彼女がヴラージュ公の子供を産んでしまったりしたら、公爵家の財産は全てバルト家のものになりかねませんからね。手遅れになる前に、対処しておかないと」

「ヴラージュの財産は、ヴラージュの人々のものだ。彼らがそれをどう扱うか、外野がとやかく言う謂れなどない」

「そんな綺麗事を私に言われても困ります。そういうことは……おっと」


 これ見よがしに口走って、男は言葉を止めた。

 男は故意に自身の目的を捲し立てている。そして、自分の背後に別の存在がいることも、わざと匂わせている。


 どうしてわざわざ黒幕を特定できるようなことをライゼルに漏らすのか。本当の目的は別にあって、敵を誤認させるために作り話を語っているのだろうか。それとも、いくらライゼルに計画を知られようとなんの痛手にもならないと踏んでいるのだろうか。


 ……いずれにしても、侮られているという事実に変わりはなかった。


「では、選んでください。セレニアさんを見殺しにして、自分と養父とヴラージュ家の未来を守るか。それとも、見知らぬ花嫁を殺害し、麗しいご令嬢の命を守るか」


 男は無防備にライゼルへと歩み寄り、ぽん、と彼の肩に手を置く。腕を捻りあげられたばかりだというのに、警戒心の欠片も感じさせない素振りだった。


「損得で考えるなら、断然前者がお得ですけどね。この場合、貴方は手を汚さなくて済むし、私を捕らえて8年前の事件の真相に一歩近くことだってできるかもしれない。フィラルド卿の名誉に傷がつくこともありません。セレニアさんのことは残念ですが、彼女は所詮ただのお嬢様です。死んだって、誰かが特別困ることはない。ヴラージュ公は、まあ悲しむでしょうが、きっと大丈夫。貴方が守った花嫁と新しい家庭を築けば、妹のことなんてすぐに忘れますよ」

「貴様……」

「さあ、騎士殿。ご決断を」

「……」


 男は、すぐ隣にいる。その気になれば、再び拘束することなど容易いことだ。多少痛めつけてやってもいい。とにかく無力化して、さっさと夜警の兵に突き出す。そしてその足で公爵家城館に向かい、クリュセルドに危機を知らせるべきだ。


 ——そう理性が語るのに、なぜか体が動かなかった。


 あの日見た、動かぬ夫妻と、その体を揺り動かす幼い友の姿が脳裏に浮かんだ。

 夜明けと共に訪れる死。もしそれが、セレニアに降りかかったら?

 かつて己が彼女に突きつけた光景を、彼女自身に味わわせることになったら?


 拳を震わせ、怒りを滾らせながら、それでも動かないライゼルを、男は目を細めながらじっくりと眺めた。


「交渉成立、と受けとってよろしいですか」

「……」

「ふむ」


 沈黙を肯定と受け取ったらしい。男は頷いて、慰めるようにライゼルの肩を数度叩いた。

 そして、耳元で囁く。


「……彼女を1人にするからこうなるんです。あの時のように、ね」

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