第43話side:公爵の事情2



 クリュセルドの熱い思いをかけた約束は、見事にすっぽかされていた。3年連続優勝の栄光がひどく虚しい。


 ……だが、仕方のないことかもしれない。


 クリュセルドがモーリスに敗北したとき以来、バルト家の人々は剣術大会に出場していない。彼らの領地は遠く離れた辺境の地。王都への旅費だけでも、相当な金額がかかる。

 少し言葉を交わしただけの男のために、彼女とその家族がわざわざ大会観戦にくることなどないだろう。——そう結論づけて、クリュセルドは己を慰めた。




 次の一手をどうするか。そう考え始めた頃、クリュセルドは既に18になっていた。

 当初傾きかけていた領政は6年の間に軌道に乗り、ヴラージュ家はかつての権勢を取り戻しつつあった。となれば、それを抜け目ない貴族たちが放っておくはずがなく、クリュセルドの元には毎月のように縁談話が舞い込んでくるようになった。


「なんて厚顔な人たちなの。お父様たちが亡くなったとき、皆手のひらを返したように私たちから離れていったのに。そんな方たちと、縁続きになる必要などありません!」


 そう言って、セレニアが腹を立てる機会も多くなった。クリュセルドはその度に彼女を窘めながらも、同じ気持ちを抱えていた。


 それに、彼の胸には未だに例の彼女がでんと居座っていた。

 少し言葉を交わしただけなのに、数年経っても、おまけに約束を反故されても忘れられないのだから、自分でも驚くほどの相当な入れ込みようである。


 恋に盲目になるあまり、誤った方向に頑張りすぎて3年+αを無為に消費してしまったが、だからといって諦めることは出来なかった。


 自分の隣には、あの少女にいて欲しかった。







 予め報せは入れていたものの、ヴラージュ公爵の訪問にバルト家当主サイラスは、戸惑いを隠しきれない様子だった。本当に屋敷に現れたクリュセルドの姿にサイラスは目を丸くし、応接室へと公爵を招き入れた後も、複雑そうな表情でしきりに低く唸っていた。


「娘を公爵家に、ですか」

「すぐに、とは言いません。両家の準備が整うまで、まずは婚約という形で——」


 クリュセルドの熱心な言葉に、サイラスは顔の皺を深くして、腕を組む。気分を害している様子ではないが、良い反応ではなかった。

 更にその隣には、鋭い視線をクリュセルドに送る存在があった。


 ——ガルデニア・バルド。

 前王の時代に王宮に仕え、数多の武勇と逸話を残した女騎士だ。そして、カトレアの祖母でもある。

 元女騎士は足が悪いようで杖を手にしていたが、背筋はぴんとしており、立ち振る舞いに弱々しさは微塵もなかった。その隙のない所作はどこか師を思わせて、クリュセルドはガルデニアに少し親しみを覚えた。


 だが、彼女から放たれた言葉は、あまりにもそっけなかった。


「過分なお申し出ではございますが、お受けすることはできません。どうぞお引き取りを」

「……もしかして、既に決まったお相手が?」


 クリュセルドが尋ねると、サイラスが「とんでもない」と首を振った。


「娘ももうすぐ16になりますが、未だに縁談の1つも舞い込んで来ない有様です。あれを欲しいと言ったのは、閣下が初めてだ」

「ならば」

「なりません」


 食い下がろうとするクリュセルドの言葉は、ぴしゃりと断ち切られる。


「いかなる事情があろうと、カトレアをヴラージュ家に輿入れさせるわけにはいきません」

「理由をお聞かせ願いたい」


 ガルデニアは片眉を上げた。何を当たり前のことを、と言いたげな表情だった。


「もちろん、貴家のためです。

 ヴラージュ公爵夫人ともなれば、様々な責務が生じましょう。しかしカトレアは、辺境の地方貴族の娘。高位貴族のお歴々と渡り合えるだけの才気も教養もあの子にはありません」

「そのための婚約期間です。もし婚姻をご了承いただけたなら、当家は彼女の支援を惜しみません」


 負けじとクリュセルドは言い返す。ガルデニアはしばらく彼を見つめたが、静かに、そしてはっきりと言った。


「では単刀直入に申し上げます。閣下には、あまりにしがらみが多すぎる」

「……しがらみ、とは」

「私もかつては王宮に仕えた身。引退したあとも、宮内の事情をいくつか耳に入れることがあります。……例えば、貴家と前王陛下の間に残る禍根について、とか」

「……」


 苦々しい過去を遠慮なく突きつけられ、クリュセルドは思わず眉根を寄せた。

 しかしガルデニアに、若い公爵の不興を気に留める様子はなかった。


「孫は、この通り王都の邪念も届かぬような辺境の地で育ちました。それゆえ、他人の悪意というものにどうも疎い。そんな子を、場違いな陰謀渦巻く貴族社会の中心に放り込めばどうなるか、閣下にも想像がつくでしょう。それなのにあの子を手元に置きたいなど、あまりに勝手がすぎる物言いではございませんか」

「母上」


 サイラスが窘めるように呼びかける。同時にガルデニアは、苦しげに何度か咳き込んだ。


 クリュセルドは、何も言えなかった。彼は黙って、ガルデニアの咳が止まるのを待った。


「……言葉が過ぎました。申し訳ございません」


 落ち着くと、再び背を伸ばしてガルデニアはちっとも申し訳なくなさそうに、クリュセルドを視線で射抜いた。

 彼女に意見を曲げる気がないのは明白だった。


「母上、少しお休みになった方がいい」


 ガルデニアの背に手を添えて、サイラスが言う。ガルデニアはしばらく視線を落として考えこんだが、息子に向かって頷いた。


「……そうさせて頂きます。サイラス、後は頼みましたよ」


 ガルデニアは椅子から立ち上がる。そして出口の方へ杖の音のみ響かせて歩み寄ると、一礼して部屋を出ていった。


 彼女が姿を消したと同時に、室内の緊張が少し緩んだ。

 クリュセルドとサイラスは互いに目を見合わせる。それから慌てたように、サイラスは頭を下げた。


「母が失礼を致しました」

「いえ。失礼など……」


 ガルデニアの言葉は全て正論だった。


 ヴラージュ家は公爵位を有しながらも、6年前の一件で王家と溝ができ、他貴族からも孤立して、宙ぶらりんな存在となった。

 慎重な人間にはヴラージュの家門は沈みゆく船に見えたようだが、悪意ある人間には容易く拿捕できそうな宝物船に見えたらしい。

 御しやすそうな若い兄妹だけの公爵家を取り込もうと、これまで幾人かの人間が、親切な顔をしてクリュセルドたちに近づいてきた。その中には、比較的近しい親縁までいた。

 それが、ヴラージュ家がわずかに力を取り戻したことで、最近ではかつて公爵家から逃げ出した者たちまでもが再びすり寄って来る有様となった。


 怒涛のごとく舞い込んで来る縁談の裏には、そうした下心が隠れている。

 だが、その鬱陶しい下衆な連中の擦り寄りも、自分が婚姻すれば止まるかも。

 ……そんな期待が、クリュセルドの中に全くないとは言えなかった。


 それは、カトレアを下衆な連中から身を守るための隠れ蓑にするということと同義だ。

 孫を利用せんとするクリュセルドの無自覚な企みに気がついて、ガルデニアはあれほど怒っていたのだろう。


 カトレアを好ましいと思っていたのは事実だ。しかしその一方で、彼女のように何の後ろ盾も野心もない地方貴族の娘の方が、自分にとって好都合だと思っていたのもまた事実。


 後ろ暗い思惑を堂々と暴かれて、クリュセルドは己を恥じた。



 黙り込むクリュセルドを、サイラスはなんとも申し訳なさそうに見つめた。


「カトレアは、母にとって唯一の女孫でして。それゆえ母は、カトレアが可愛くて仕方がないのです」


 それは痛いほどに分かった。ガルデニアは冷徹な表情で切りつけるような言葉を浴びせてきたが、その内容は孫娘を想う気持ちに溢れていた。


「申し訳ないが、私も母と同じ気持ちです。

 それに娘は、バルト家の気性をひどく色濃く受け継いでおりまして。恐れ知らずな上に、妙な行動力があって、こちらの思いもよらないようなことばかりをしでかします。おまけに、その……少し足りないところがある。

 これが同じ地方貴族からの縁談であれば、娘の手足を縛ってでも嫁にくれてやるところですが、公爵家ともなると話は別です。娘を送り込んで、ヴラージュ家の権威を失墜させるわけにはいきません」


 随分な言われようである。

 だが、サイラスの言葉に嘘偽りの響きはなかった。


「閣下、どうか今回の話はなかったことに。私も母も、一切口外致しません」

「……。彼女はこの話を、どう考えているのですか」


 この申し入れを、彼女がどう受け止めているのか聞きたかった。

 あまり気乗りではないようだ、と言われれば、すっぱり諦めがつくような気がしたのだ。


 しかしサイラスは判然としない表情で、首を振った。


「娘には、まだ話しておりません」

「なぜ」

「話せばどうなるか、目に見えておりますので」


 はっきりしない回答が返って来た。どういうことかとクリュセルドは問おうとしたが、それより早くサイラスは言葉を重ねた。


「娘は、明るさだけが取り柄の田舎娘です。とても公爵家夫人が務まる器ではない。どうか娘のことは、お忘れください」

「……その明るさが、私は何より好ましい」

「……」


 つい未練がましい言葉が口をつく。


 ……だが、これ以上食い下がっても、サイラスを困らせるだけだ。


 クリュセルドはおもむろに、席を立った。


「サイラス殿。無理な要求ばかり並べ立てて申し訳ございませんでした。あなた方が彼女を案ずる気持ちはよく分かりました。……私が、あまりに短慮だった。これ以上ご迷惑をおかけするつもりはありません。そろそろ、失礼します」

「……」


 サイラスは口元をぐっと強く閉じた。彼の野性味溢れる風貌はそのままだったが、瞳は少しだけ揺れていた。



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