第42話side:公爵の事情1
——両親の死が事故のまま片付けられたのは、自分に力が無かったからだ。
あの忌々しい事件から2年が経過しても、そんな思いが常に胸の片隅にあった。
クリュセルドは鎧の留め金を外しながら深くため息をついてみたが、鬱屈とした気分が抜けることはなかった。
今日は年一回行われる、王都剣術大会の日だった。
必要もないのに見知らぬ誰かと剣を打ち合う行為を、クリュセルドはあまり好ましく思わなかった。だが、貴族の子弟ならみな一度はこの大会に参加するもの、という厄介な風潮がある。不参加を貫き通せば、臆病者と謗られかねない。
それに、大会の決勝は王の御前で行われる。大勢の観客や、王の前で勇ましい戦いぶりを示せば、自分を侮る人間はいなくなるかも。
そんな幼稚な考えから、彼は大会に参加した。
他の参加者はクリュセルドより年上で、体格もずっと逞しかった。堂々とした風格の剣士たちの横に並ぶと、影で「姫坊ちゃん」と揶揄されるクリュセルドの薄い体躯と中性的な容姿はひどく浮いて、会場のあちこちがざわついた。
それでも、自分には偉大な師から授かった剣術がある。そう考えるクリュセルドの中に恐怖は微塵もなかった。誰にも負けない、という根拠のない自信もあった。
実際、彼は初戦から3回戦までを難なく勝ち進んだ。——しかし結局、準々決勝では筋骨隆々とした大男に鎧ごと吹き飛ばされて、無様に敗退した。
負けたものは仕方がない。自分がそこまでの人間だったというだけだ。また鍛錬して、必要があれば再度挑戦するのも悪くはない。
……そう冷静な自分を演じてみたものの、胸の中は悔しさと敗北感でいっぱいだった。
歪んだ顔を見られたくなくて、従者を退がらせたクリュセルドは、1人控え室に足を進めた。そしてその途中、どこかから響く男2人の声を聞いた。
「公爵家の若様も、ようやく敗退か。まったく、ヒヤヒヤしたよ」
「大怪我でもされたら、大会責任者の首が飛びかねないからな。だが、準々決勝進出なんて、坊ちゃんなりに頑張っていたじゃないか。俺は感心したけどね」
「馬鹿、あれは坊ちゃんでもそこそこ勝ち進めるように対戦表を組んだんだよ。公爵家のご当主様が初戦敗退じゃあ格好がつかないだろう」
「なら同じ組に、あんなデカい相手を入れるなよ。子供と大人の試合を見ているようだったぞ」
「そこまで接待はできんよ。まかり間違って決勝まで進まれたら、やらせだってばれちまうだろう。まったく、あちらは道楽のつもりで参加したのだろうが、いい迷惑だ」
声はすぐに遠ざかっていった。走れば追いつけそうだったが、無礼者の姿を確認する気にはなれなかった。
辛うじて保っていた虚勢がぽろぽろと崩れていくのを感じながら、クリュセルドは鉛のように重くなった足を引き摺って、控え室へと到達した。
……そして、今に至る。
力任せに叩きつけられた鎧は、馬上槍で突かれたように歪んでしまい、なかなか1人で外すことが出来なかった。窮屈な鉄の内側に閉じ込められ、みじめな気持ちはどんどんとかさを増していった。
……2年前、両親を亡くし、正式に爵位を継いだ日。
クリュセルドの師は、彼に「剣をやめるな」と言った。
「剣は常に今の己を映す。剣を通じて己を知ることは、必ずお前を強くする。今は、他に学ばねばならぬことが多くあるだろうが……。剣の鍛錬は、続けるように。それにお前には、才がある」
当時は悲しみでいっぱいで、師の言葉の意図も考えずにただ頷いたクリュセルドだったが、今はその意味が分かるような気がした。確かに剣は、彼の脆弱さを鮮明に映し出した。
しかしそれを全て受け入れて自分の強さにできるほど、前向きな気持ちにはなれなかった。
試合に負けた悔しさはまだ残っていた。本当は勝って、自分を侮る連中に目に物を見せてやりたかった。
だがそれ以上に、どこまでも幼さの抜けきらない自分が情けなくて仕方がなかった。
何が王に勇ましさを示す、だ。
結局、いくら背伸びしても自分はまだ頼りない子供。しかもつい先ほどまで、それを自覚できていなかった。覚悟を決めて剣を振るっていたつもりだったが、実際には大人たちの都合の中で、いい気になって踊っていただけだった。
自分の愚かさを晒すだけだ。こんな大会に参加するのは、今年限りにしよう。
——そう、クリュセルドは決意した。
「泣いているの?」
真横で少女の声がする。驚いてそちらを見ると、頭にちょこんと赤いリボンを乗せた少女が、大きな目をくりくりさせながら、クリュセルドをじっと見ていた。
ここは大会関係者のみ立ち入り可能な控え室である。見るからに部外者である少女は、そこにいるのが当たり前のように堂々と立っていて、クリュセルドと視線が合うとにこっと笑った。
「あなた、さっきコテンパンにされていたものね。どこか痛いの?」
「痛くは……ない」
驚きのあまり、クリュセルドはつい素直に答えた。
「じゃあ、どうして泣いてたの?」
「……泣いていない。ただ、自分の足りなかったところや、試合の反省について考えていただけだ」
そう言いながらも、強がりが顔に現れているような気がして、慌てて表情を隠そうとクリュセルドは目元に手を伸ばした。鉄同士がカチャ、とぶつかる音がして、自分が兜を被ったままでいることを彼は思い出した。
「足りないところ?」
「ああ。速さ、正確さ、読み、技術——己を振り返って、何が敗北に繋がったのか。それを考えることで……」
「筋力と体格が足りないから負けたんでしょう。あなた、他の人と比べておちびだったもの」
「……」
随分とあけすけなことを言う少女だった。
確かに、あの筋骨隆々とした剣士と戦った後、並み居る強豪剣士と互角に渡り合うためには、力と体格が必要であるとクリュセルドも痛感させられた。
しかし、単純に力の有無で話を片付けてしまっては、剣技を磨く意味がなくなる。剣術とは、棒で叩き合う野蛮人の争いではないのだ。
そのことをどうやって物分かりの悪そうな少女に説明しようかクリュセルドが悩んでいると、じっとしていることに飽きたのか、少女は拾ってきたらしい木の棒を取り出して、ぶんぶん振り回し始めた。
「あなた、まだ子供でしょう? 体が出来ていないんだから、兄様に負けるのも当然よ。けど、力任せに剣をぶん回す兄様と違って、剣捌きがすっごく綺麗だったわ。こう、シュシュッて!」
そう言って少女は、クリュセルドが見せた突きの真似をする。鋭さもなければ速さもないが、妙に型だけは様になっていることに、クリュセルドは薄ら寒さを覚えた。
いや、それより——兄様?
「兄様の間合いにぐいぐい入る、怖いもの知らずなところも悪くなかったわ。試合結果は散々だったけどね!」
「怖いもの知らずはお前だ、馬鹿」
少女の頭に拳が落ちる。
「ぎゃんっ」と尻尾を踏まれた犬のように悲鳴をあげると、少女は頭をおさえて悶絶した。
それを横目に、大きな影がのそりと現れる。
影は、先ほどクリュセルドを完膚なきまでに叩きのめした、モーリス・バルドその人だった。今は兜を脱いで素顔を露わにしているが、その体格だけで彼が誰だか分かってしまう。
モーリスは頭をぼりぼりかくと、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ヴラージュ公爵閣下、妹が失礼致しました。田舎育ちの世間知らずゆえ、礼儀作法に疎いのです。後できつく叱っておきますので、どうかお許しを」
「いえ——その、妹君、ですか。モーリス殿の」
クリュセルドは、いまだ頭をおさえて唸る少女に目を向ける。
妹というものは、か弱くて愛らしく、そしてどんなに生意気でも守るべきものと思っていた。その頭に拳を落とすという発想自体がクリュセルドにはなく、目の前で繰り広げられた異文化行為に、彼はただ圧倒された。
「ええ。俺の試合を観戦していたそうですが、親父が目を離した隙に姿を消したと騒ぎになりまして。もしやと思ってここを覗いてみたら、よりによって閣下に喧嘩を売っていたとは」
モーリスはそう言って、少女の頭をわしゃわしゃと掻き回す。その手を鬱陶しそうに払って、少女はぷう、と頬を膨らませた。
「喧嘩なんか売っていません。モル兄様との試合でなかなか良い剣筋を見せてくれたから、どんな人か確かめにきただけです」
「うわぁ。馬鹿、そういう物言いが喧嘩を売るって言うんだよ」
モーリスは慌てて少女の襟首を掴んで引き寄せると、その小柄な体を荷のように脇に抱えた。いつもこうして彼女を運んでいるのだろうか、と思わせるほどに慣れた手つきだった。
「申し訳ございません、閣下。そろそろ失礼します。さっさとこいつを連れて行かないと、さらに余計なことを口にされそうだ」
「いえ、構いません。彼女の言葉は、的を射ている」
そう。どう背伸びしても、今日のクリュセルドは“散々”だった。
他人からはっきり言われると、幾分か自分に諦めがついて、楽になれるような気すらした。
「彼女のお陰で、貴公とお話する機会にも恵まれた。準決勝進出おめでとう、モーリス・バルト殿。貴殿の苛烈な剣技に、私は手も足も出なかった」
「はあ。光栄です」
恐縮するようにモーリスは巨体を縮こめてぺこりと頭を下げる。彼は見た目とは裏腹に、控え目な性格であるようだった。
その脇に抱えられた少女が何か言いたげに自分を見つめていることに、クリュセルドは気がついた。吸い寄せられるようにそちらを向くと、少女は唐突に言った。
「私、あなたの剣が好き」
「え」
嘘も媚びもなく、真っ直ぐと向けられた言葉に、クリュセルドは硬直した。
これまで、思わせぶりな態度や言葉で彼を翻弄しようとする令嬢や、手紙や詩で遠回しに好意を滲ませようとする令嬢に遭遇したことはある。しかし面と向かって「好き」と言われた経験は一度もなかった。
しばらくして、これは“クリュセルドの剣術が”好き、という意味の言葉だと彼は気付いたが、それでも心臓はドクドクと拍動しっぱなしだった。
クリュセルドの静かな狼狽に気づく様子もなく、少女は更に続ける。
「試合結果はだめだめだったけど、剣の型は誰よりも格好良かったわ。ちょっと、お祖母様みたいだった。精進してね!」
「よーし、黙ろうな。そろそろ行くぞ」
モーリスはくるりと反転して、逃げるように出口へと向かう。
その背中に、クリュセルドは慌てて声をかけた。
「待ってくれ」
バルト家兄妹が振り返って不思議そうな顔をする。
思わず口をついた言葉にクリュセルド自身が驚いて、しばらくその場に立ち尽くした。
どうして彼らを引き止めてしまったのか、自分でもよく分からなかった。
だが、このままこの少女と別れるわけにはいかない。
そんな思いが混乱する頭の中で次第に輪郭を現し始め、クリュセルドを焦らせた。
恥ずかしさを懸命に押し殺しながら、彼は浮かんできた言葉を繋ぎ合わせた。
「その、もし、良ければ……来年の剣術大会も、観にきてくれないか」
「あなたは参加するの?」
問われて、クリュセルドは先ほどの決意を思い出す。そういえば、こんな大会に参加するのは、今年限りにしようと決めたばかりだった。
しかし頭は勝手に縦に振られていた。
「あ、ああ。そうするつもりだ」
「じゃあ行くわ」
あっさりと少女は頷く。そして惜しげなく顔を綻ばせた。
「楽しみ!」
胸がすくような笑顔だった。
飾り気のない眩しい笑みに照らされて、胸の内に何かが芽生えるのをクリュセルドは感じた。
「良かった。それで……君の名前は」
「カトレアァッ!」
突如、雷鳴のような怒号が大気を震わせた。その場にいた3人は、揃って体を竦ませた。
何事かと、クリュセルドは身構えた。一方、兄妹はこの声に覚えがあるようで、焦りをいっぱいにあたふたとし始めた。
「まずい、親父だ。お前のことを捜しているんだ。すげえキレてるぞ」
「兄様、逃げましょう!」
「うわ。それ、俺を巻き添えにするつもりで言ってるだろ」
「その手には乗らねえぞ」と言いながら、身じろぎした少女を逃さぬようモーリスは脇に力を込めた。そして、控え室の出口から外の様子を伺うように顔だけ出した。
「今度こそ戻るぞ。さっさと親父にお前を差し出さないと」
「に、兄様助けて」
「うるさい、自業自得だ」
「あ……」
クリュセルドが声をかける暇もなく、2人は控え室を飛び出てしまう。
その背を追って外に顔を出すと、すでに兄妹の姿は見えなくなっていて、床には木の枝が一本落ちていた。
先ほどまでわちゃわちゃと騒がしかった室内に、急に静けさが戻ってくる。
その中で、クリュセルドは鎧を脱ぐのも忘れて茫然と立ち尽くした。
まるで嵐が吹き荒れて、一切合切飛ばされてしまったようだった。
陰鬱な思いも、悔しさも、諦めも、いつの間にかどこかへと消えてしまっていて。
雲ひとつない青空のような温かさだけが胸に残っている。
——自分は、何を悩んでいたのだっけ。
頭を捻るが、何をうじうじしていたのか思い出せない。
ただあの笑顔だけが、いつまでも脳裏に焼き付いていた。
それからクリュセルドは、政務のかたわら、ひたすら剣の鍛錬を続けた。
背はすぐ伸びた。筋肉もついた。逞しくなった彼を「姫坊ちゃん」と影で揶揄する者もいなくなった。
だが、もはやそんなことなど彼は気にも留めなくなっていた。
別に王に認められなくてもいい。人々からの賞賛などどうでもいい。
ただ、あの少女にもう一度、自分の剣技を見てもらいたかった。
彼女の喜ぶ顔が、見たかった。
翌年の剣術大会。クリュセルドは15という若さで見事優勝した。次の年も、優勝した。
……もしかしてあの少女は大会を観にきていないのでは、と重大な事実に気付いたのは、3回目の優勝時だった。
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